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雪の如く露の如く  作者: 千藤時子
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雪の章7

軋みながらゆっくりと延命寺の門が開く。

そこから姿を現したのは二人の武人だった。

弘世の近習たちが素早く囲み、腕を後ろに捻りあげる。


「よい。離せ」


武器を携えていないことを見て取り、弘世はそう命じた。

これが内藤盛清と乳兄弟の矢野か。

目の前にいるのは、頬にまだ少年の柔らかさを残した若い侍だった。

新屋河内(にいやごうち)の戦場で死に物狂いの戦いをして見せた荒武者の意外な素顔に、弘世は軽い衝撃を覚えた。

ここ数日ほとんど寝ていないのだろう。

疲労が目元に深い影を落としているものの、侍烏帽子から胴丸、足袋と草鞋(わらじ)に至るまで汚れ一つなく清げな姿だ。


(用意は出来ておりましょう)


一如尼の言葉が甦る。

これは姉による、死出の道を往く弟への心配りなのか。

内藤主従は弘世の前に片膝をついてこうべを垂れた。


「お心遣い痛み入ります。大内家の若殿、弘世殿とお見受け致します。拙者は内藤盛清に御座います。これなるは矢野昭房」


紹介された家臣が一礼した。


「もはや逃げ隠れは致しません」


弘世を見上げる盛清の表情は静謐だった。

惜しい。

このままこの若者を死なせたくない。

なぜか不意に腹から沸き上がってきた衝動が弘世の口を開かせた。


「命乞いはせぬのか?」


予想もしていない問いだったのか、盛清の目に動揺が走った。

言葉を探し幾度か口元が動いたが、盛清は思い切るように首を振り、弘世の目を見つめた。


「…かたじけないお言葉でございますが命乞いは致しませぬ。いえ、出来ませぬ」

「なにゆえだ」


盛清はうつむき「兄と約束したのです」と述べた。


「鷲頭の牛頭(ごず)天王社で起請文(きしょうもん)を書き、誓願致しました。不肖の弟ではありますが、天地神明にかけてと誓ったのです。姉にはきつく叱られましたが今さら兄を裏切れませぬ」


愚かな、しかしあまりに若くまっすぐな男に憐憫の情が生じる。

弘世は後ろに控える近習に「太刀を持て」と命じた。

そして近習が捧げ持って来た一振りの太刀を無造作に掴み、盛清に差し出した。

盛清は目を見開いた。


武士として死なせてやろう。

これはくだらない感傷かもしれない。

だが弘世はそう決めた。


盛清は目の前の太刀の意味するところを悟ったのか、両膝をつき深く深く頭を下げ「ご厚情に感謝致します」と震える声で述べた。


東の空が白んで来た。

尼僧たちの目に触れぬよう少し坂を上がった場所に移り、弘世は盛清と太刀を合わせた。

晴れやかな表情の盛清だけを見れば、剣術の稽古に励む仲の良い兄弟に見えたかもしれない。

とは言え盛清の疲労の色は濃い。

打ち合う腕にも足にも、もはや踏みとどまる余力はなかった。

幾度かの鍔迫り合いの末、弘世の太刀に喉輪を裂かれ仰向けに倒れた時には、どこか安堵した様子だった。

目線だけで周囲を見回し、弥次郎に目をとめると盛清は微かに笑った。

旧知の顔に安心したのか。

そして自分の胸に突き立てられる剣先をじっと見つめ、慈悲深い死を受容した。


どこから舞ってきたのだろう。

山桜の白い花びらが一枚、弘世の視界をひらりと横切り盛清の流す血溜まりに落ちた。


続けて矢野昭房が本人のたっての願いで日積弥次郎と戦うことになったが、珍しく真顔の弥次郎は一瞬のうちに決着をつけた。

十尺(約3メートル)ほどの槍を膂力に任せ軽々と振り、矢野を弾き飛ばすと間髪入れずよろけた体を刺し貫く。

その姿は何かに怒っているようだった。

弥次郎が槍を引き抜くと、矢野は乳兄弟の亡骸の側に音を立てて崩れ落ちた。

寄り添うように眠る若い主従を見やり、弥次郎は小さく息を吐き頭をガシガシと掻く。

だが振り向いた時には煩悶を仕舞い込み、いつもの飄々とした男に戻ってみせた。

そしていつも通りの口調で弘世に問う。


「で、若様。首はどうしたもんかね」


当世の戦場の作法としては、名のある武将は首を切り落とし持ち帰り首実検となる。

大将である弘世が家臣の狩って来た首をあらため、公正な論功行賞を行うのだが。


「盛清の首は置いて行く」


これは大将のおのれが倒した武将だ。

あらためる必要もない。


「尼僧らに弔わせよ」

「成る程な。さすが若様だ」


なにゆえ弘世が自ら手を下したのか。

弥次郎は得心がいったと頷き、自分も首を置いて行くとあっさり告げた。

矢野だけ首を連れて行けばあるじ恋しさに祟られそうだ。

それに重いし邪魔だ邪魔。

そう笑う弥次郎の視線が突然、ある一点で止まった。

弥次郎の見る方向へ弘世が目を移すと、延命寺の方角に尼僧の姿が見える。

もしやあれが蓮月尼だろうか。

小さな呟きが聞こえた。


「ユキ殿…」


その瞬間、激しい風が抜けた。

木々のこすれ合うざわめきと共に白い花びらが雪のように舞う。

花嵐の中に立つ尼僧は合掌し、暁に逝く魂に祈りを捧げ続けていた。

雪の章はここまでです。

解説と次の予告は活動報告でおこなっています。

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