綾の章1
はらはらと涙が姉の白い頬を伝うのをアヤはただ見ていた。
(このごろのあねうえはおかしいのじゃ)
とアヤはちいさな頭をかしげた。
もともとアヤの姉は泣き虫であった。
生まれてすぐに母を亡くしたアヤの、母代わりである年の離れた姉はとにかくよく泣いた。
アヤが幼子によくある熱を出したといっては泣き、本復したといっては泣き、転んだといっては泣いた。
アヤは今年五つになるのだが姉が泣かなかった日を知らない。
庭の木に登った時などひどかった。
大人なら手の届く、さして高くもない枝によじ登って得意げに手を振るアヤを見た姉は、へなへなとその場に座り込んだかと思うとそのまま意識を失ったのだ。
驚いたアヤは掴まっていた枝から手を放し地面に落ちた。
もちろん何の怪我も無かったのだが、意識を取り戻した姉に散々泣かれた。
そしてこの先二度と木に登らぬと神仏に固く誓わされたのである。
だが…。
(このごろのあねうえはおかしいのじゃ)
姉だけではない。
姉が泣いてアヤを案ずるときに笑顔でとりなしてくれた屋形の女衆もいまは不安げな様子で沈んでいる。
何より父がいない。兄もいない。
ある寒い早春の日にアヤの住む屋形はざわめいて男たちや女たちの大きな声がした。
ガシャガシャと具足のこすれ合う音。遠くでいななく幾頭もの馬。女たちの悲鳴のような叫び。
そして泣き声。
その日から父も兄も戻らない。
大きな声で笑っていた一族の男も顔を見せなくなった。
(いつもきれいな野の花をくれた)
(ひなたの匂いがしていた)
姉はただ泣いていた。
ただ一度だけ「父上はいつおかえりなのですか」と姉に聞いたのだが、これまで一度も見たことのないほど激しく泣かれ、幼いアヤにもこれは聞いてはいけないことなのだと分かった。
良い香りの梅が咲いていたが屋形はひっそりと静まり返っていた。
まもなく分家の叔父がやってきて姉と何かを話していた。
姉は叔父の口から何事かを聞くと意識を失って倒れ、目覚めるとまた涙を流した。
屋形はざわめきを取り戻したが、それは父や兄のいたころのようではなく、押し殺した不安や怒りそしていくばくかの期待が混じりあったざわめきだった。