月の結晶
微弱ながらも足の裏に感じていたニルヴァーの引力が消え失せ、眼前の景色も様変わりした。
確認できるのは遥か遠くの先にミビ、後方には大きなニルヴァーの船体が見えた。
俺は宇宙空間を何かの力で運ばれているようだった。
指向性のあるポーター波とやらに捕まり何者かに拉致されたのだと感じた。
今俺がいるのはガラスで出来た檻の中。
少し白濁したガラスが周囲を囲んでいたが形が水生生物を入れる四角い水槽ではなく三角錐を上下したもの。
正三角形が6面で9辺の稜線、何かの結晶の形なのだろうが記憶にはない。
どうしたものかと周囲を観察しながら自分の心を分析すると、なぜか焦りも怒りも恐怖も感じていない。
最近不思議体験しすぎて麻痺してきたのだろうか?
いや、巨大昆虫に追われた時はほんと怖かったからグレイの体になって感情を喪失したわけではないだろう。
この三角に囲まれた空間に安心感が湧くのだろうか・・・、そう言えば天才発明家の誰かが3・6・9は特別な数字だとか宇宙の根幹だとか言ってなかったか?
まじまじと俺を囲む入れ物を観察していると、ニルヴァーの船体から離れる速度が次第に速くなったのを感じた。
船外に出てから5分は経ったのにニルヴァーからは救出の動きは一切なく、ミムナの姿もシャナウの姿も見えなかった。
ピピタちゃんがロープでも投げてくれたら今度は自分から掴もうと思ってたのに、もうそんな距離ではなくなってニルヴァーは小さな光の点になっていた。
そして逆にニビの姿が大きくなって拉致犯人の元へ近づいている。
等倍で速度が増えている檻はそのままの勢いで粉塵を纏った地表へ突っ込んでいった。
遠くに淡い白い光点が一つだけ見えた。
自分に起きた状況はなんとなく理解できる。
地表へ衝突して俺は地球のナームの体で目覚める覚悟をしたがグレイの体は潰れたカエルの姿にはならず、衝撃もないまま地殻をすり抜けニビの内部に到達した。
暗闇のミビの内部で見つけた光に向かって行こうと思考を動かすと手足に感じる抵抗感は水中のもの。
俺は檻の中で水の中に浮かんでいるのだ。
窒息の恐怖は一瞬湧いたが空気を必要としないグレイの体のおかげで溺れ死には無いと自分に言い聞かせる。
この体もそれなりに便利だ。
平泳ぎの要領で体を動かすと思ったより早く進むことができた。
水中を進むグレイの姿は痩せこけたカエルの姿だろうか?とこんな状況でもなんだか笑えた。
万が一この体を失うことがあっても意識はナームの体に戻って目覚めるとミムナが言っていたのだ、巨大昆虫に襲われるのは恐怖だったがこんな所に強制転移しやがったトカゲ連中に一言文句でも言ってから死んでやる。
しばらく泳ぐと頭に抵抗を感じ泳ぎをやめた先に光る対になった三角錐があった、俺が入っている檻と同じ形状だ。
東京タワー程なのか指輪の上にちょこんと乗った宝石くらいなのか大きさが分からない、水中なので遠近感が曖昧になっている感じだ。
3本指の手を伸ばしても触れられないので小さくはなさそうだった。
腰に手を当て周囲を見渡すが光る檻以外何も見えない。
・誰かいないのかぁー? こんな所に連れてきやがって茶菓子の一つでも出しやがれってんだ!
目一杯集中した意識で周囲に悪態をばらまくも、反応は無い。
檻の内壁にグレイの膝蹴りをお見舞いしてみた。
水風船を蹴った感触で渾身の蹴りは跳ね返された。
どうしたものかと暫し考えたが唯一見つけた光は反応しないのだから、反対に進んで出口を探そうと光に背を向けて泳ぎ出した。
「我は導く者なり・・・」
水中なのに声がした。
体を覆う水が振動していた。
どこから聞こえたか方向は分からなかったが光る檻に動きを感じ振り返り注視する。
檻にいく筋も血管らしきものが浮き上がり亀裂が走ると一瞬で砕け小さな結晶の檻が数千にもなった。
「我は傍観・・・」「我は共感・・・」「我は怒り・・・」「我は慈しみ・・・」・・・
一斉に喋り始めて俺の檻をとりまくように飛び回る。
それぞれの言葉が脳内を大音響で駆け回り激しい頭痛に襲われて、目を膝で隠し頭を手で覆って蹲って逃れようと争ってみるが痛みは増すばかりだ。
・お前らウルサイ!
俺の怒りの叫びが届いたか周囲の声はかき消え静寂と共に頭痛は和らぐ。
頭から手を離し視界を覆ったグレイの膝から目を話すと光の中心に居た。
辺りを見渡すと光る結晶が俺を中心に囲い球を形成していた。
ミラーボールの中心はこんな感じだろうか?
・私を拉致したのはお前らか!
「・・・」
・お前らはトカゲの親玉なのか?
「・・・」
・返事ぐらいしろってんだ、この野郎!
「・・・未だ囚われし者よ、己がきた道いく道を語れ・・・」
どこかで耳にした記憶のある老人の声が語りかけてきた。
結晶の一つなのだろうがどれかは分からないし誰かも思い出せない。
・勝手に捕らえてこんなとこ連れてきたのはお前らだろ? どうやって来たかはこっちが知りてえよ! 私なんか連れて来て何がしてえんだよ? 自慢じゃないが私は権力も腕力も無いんだ、 人質にしたとしても火星も地球も・・・、誰も交渉相手になってはくれないぞ!
「彼地の者は道を選んだ・・・、己が地の者はどの道を行く・・・」
・なんだか話が見えないけど、私は地球人だ! 銀星のお前らトカゲが攻めてくるってんなら全力で戦ってやる。 地球の生物の生存を脅かす奴らは私の敵だ!
「・・・我は導く者、全ての時間と全ての空間に在る者・・・、お主は忘憂の特異点・・・、来た道を語り行く道を語れ・・・」
語尾に力が込められて俺の頭が締め付けられる。
また強烈な頭痛が襲い乳白色の空と小さな砂浜のベンチの光景が脳裏に過ぎって意識が遠くなった。
「・・・・心して旅立つが良い・・・」
・待て待て待て! 今なんて言った? おいこらぁ!
ミラーボールが弾けて光の空間が一瞬の間で闇に変わる。
俺を捕らえた檻は何かに引っ張られて水中の中を移動し始めた。
いきなり眼前に銀色の壁が現れて吸い込まれるようにして地殻をすり抜けていく。
一瞬しか見えなかったが銀色の壁は小さな鉄の玉がびっしり張り付いたように見えた。
キョウコがトカゲから抜き取った魂の核だと直感した。
ニビの内部には巨大な水を溜めた地下があり、その壁をトカゲの魂の核が覆っている。
水と一緒にトカゲの卵が数千億と地球に降り注ぐ光景を想像して背筋が凍る思いがした。
地殻を抜けたらしく宇宙空間へと視界が変わり速度を増して進んでいる感覚があった。
さっきまでの会話を思い出そうと記憶を辿るが細部の内容が全く思い出せない。
こんな感覚以前にもあった。
そうだ、ナームの体で目覚める前に見た夢の記憶。
大切な話をしていたはずなのに思い出せない。
あの声、”導く者” あの時の受話器の向こうにいた奴に似ていた。
彼地の者は道を選んで俺はなんだかの特異点で・・・。
その先は思い出せない・・・。
奴らはなんなんだ? トカゲの親玉なのか? それとも別の宇宙人かなんかなのか?
時間と空間を統べる者とか、そんなの神では無いか・・・。
視線の先にはニビの光を受けて白く輝くニルヴァーの機体が見えて来た。
俺を探して待っていてくれたのかと気持ちが暖かくなった。
2〜3時間は拉致されていたから心配してるかもしれない。
船体に衝突した瞬間に視界は一瞬闇に変わったが見慣れた船内の景色と、俺の手を握るミムナの姿があった。
・ナーム・・・
・姉様、光が治りました
・ポーター波、消失。 正常値。 復帰、ヨシ。 キャハハ
背中に抱きついたシャナウの鎧は少し痛かったが安堵感が勝る。
手を握ってくれているミムナの握力も強くて痛い。
・ただいま。 みんな心配かけてごめんなさい、無事解放されたみたいで帰ってこれた
・ナーム・・・、お前・・・
・姉様は私がしっかり抱きしめてましたからどこにも行ってませんし! 行かせません!
・あれ? 私・・・
・話は後にする、ピピタちゃん帰る!
・進路地球。 ドキアいく。 しゅっこ!
見る見るニビが小さくなっていく。
火星へ向かった時と同じ時間で地球が見えて来た。
ミムナが発する威圧のオーラで誰も言葉を発しない居心地の悪い帰路だったが到着すれば解放されるのだ我慢しよう。
火星と同じで緑が多い大地、俺が知る青い地球では無いがなんとも懐かしい。
大気の層に近づく前に十分減速した船体は空気の摩擦熱で焼かれず高度を下げてた。
夜の空を飛び、黒い樹海の上を進んで”雲落ちの巨人”の洞窟前に着陸する。
「ついた。 ミムナ」
・お疲れ様、ピピタちゃん。 みんなが降りたらいつもの所でゆっくり休んでててね
「キャハ」
・ナームすぐに着替えるぞ、その後話があるから長く寝るんじゃ無いぞ!
・早起きするよう努力します・・・
なぜミムナの機嫌が悪いのか分からないが、とりあえずはナームの体に早く戻りたかった。
グレイの体は火星より重く感じて歩きづらい。
シャナウが後ろ抱えてくれて更衣室に運んでくれた。
ナームの体が入ったケースの横のベッドに寝かされ頭と体に器具が取り付けられると全身麻酔でもかけられた眠気が増して秒で意識が落ちた。
瞼に彩光を感じて目を開けるとカーテンを開けるシャナウの姿が見えた。
「黒柱」の鎧姿ではなくていつもの健康的美女の可愛らしい姿だった。
目を擦り起き上がる俺に気付いて振り返り優しく微笑んでくれる。
「シャナおはよう。 私どのくらい寝てた?」
「おはようございます。1時間くらいですよ姉様」
以前キャロルちゃんとの戦闘後に目覚めた部屋と同じ人間サイズには大きすぎる客間。
裸で寝ていた体に薄手の部屋着をシャナウが着せてくれた。
エルフのナームの体を確かめて、グレイでは使えなかった魂の力を感じホッと一息つく。
「姉様、起きたら・・」
「ミムナの所だろ? 覚えてますとも、なんか叱られそうで行きたく無いけど・・・。 行きますよっと!」
無駄に風の魂を使って頬にぶるかるイヤリングに懐かしさを感じながら空中を飛びミムナの書斎へと向かった。
ミムナの推論




