慌ただしい港町
町の匂いが届かない海風の日中、港には普段では見られない数の人々が行き交っていた。
アトラの岸壁にはロープで繋がれた外洋船が鈴なりに繋がれていて、食糧や水が渡板の上を運ばれ船積みされている。
怒声と罵声があちらこちらから聞こえ出向準備の戦状態だ。
「おら!てめーら。 荷札に書いた船にちゃんと積み込むんだぞ! 間違えやがったら魚の餌にしてやるからな!」
細い体で荷を運ぶ日焼けした男に鞭を入れて声を張り上げる。
荷運びの男達は皆腕と足に鉄の輪を付けた身体中傷だらけの奴隷達。
酒樽を運んできた荷車に肘をつきながら仏頂面の男は瓶の口に直接口をつけて酒を煽る。
「今回は随分と集まりやしたね?」
「当然よ! 誰が声をかけたと思ってんだ? 俺りゃぁ中途半端はでぇっきれえなんだ」
荷を運んできた商人らしき男が揉手で話しかける。
「ペイン船長が落とせなかった町はねぇっすからね!」
船長と呼ばれた男は肘掛から手を離し近くを歩く奴隷の背中に鞭を入れながら
「その樽は俺様の専用の酒だ! 一滴も溢すんじゃねぇぞ! 向こうにゃ酒すらねぇ土人の村なんだからな!」
黄ばんだ歯で干し肉をちぎって酒を煽る。
「船長今回は大分うちらも勉強しやしたから帰港したら真っ先に声かけてくださいね?」
「おうさ! あそこの宝を根こそぎ持ってきて、お前に高く買ってもらうぜ? 何せ純度のバカみたく高ぇ金鉱石だの、肌が吸い付く真っ白い布、女が泣いて喜ぶ金の首飾りも山の様にあるらしいじゃねえか? 船が沈む位持って帰ってきてやらぁな!」
「この辺でも名だたる”荒らし屋”の連中が182隻ですしねぇ、帰ってきたらあの壁に負けねぇ位の城が建っちゃいますよねぇ!」
「おうさ! どでけぇ城だろうが何だろうが、ボンボン建ててやらぁな!」
上機嫌で会話する彼らの前をひっきりなしに奴隷が引く荷を満載した荷車が通り過ぎていく。
それぞれの”荒らし屋”の幹部らしき連中は、唾と鞭を飛ばしながら荷捌きに勢を出していた。
「おいこらじいさん! そんな所に座ってたら轢き殺すぞコラァ!」
奴隷に荷車を牽かせて港に入って来た商人が声を張る。
鉄柵で綺麗に細工が施された門にもたれて座り込む身なりの汚い老人が一瞬身を震わせ顔だけ上げた。
「オラァ・・・、ここの門番だぁ・・・、日が出てるうちは・・・、こっから動けねぇんだ・・・」
「何抜かすかじじぃ! その門なんか開いた事ねぇじゃねえか? 町の中央門と一緒で開いたの見たことあるやつなんか聞いた事ねぇぞ! じゃまだ邪魔だ!」
「オラァ・・・、門番だぁ・・・」
「クソじじぃ! ボケてんだろ? 全く・・・、いいから足寄せろ!」
座り込み伸ばされた老人の足が引きずる様に寄せられた後を荷車の車輪が通り過ぎる。
目で荷車を追いかけて視線は桟橋へと向いた。
「きたぁ・・・」
かすれた声で呟いた。
視線の先には高い塀に寄り添う岸壁に一隻の船が着岸していた。
「おいおい! なんだぁ? あの船は?」
あちらこちらで声が上がる。
「あそこに入るにゃぁ沖の門をくぐらなきゃ入れねぇだろ?」
「船入ってくるの気づかなかったぞ! おい! 見張り! 何やってたんだ!」
鞭を片手に荷捌きの指揮をしていた船長や幹部連中が鉄柵に集まって来た。
鉄柵はネズミしか出入りできない幅で太い棒で高さは5mを超える。
アトラの城壁の半分の高さだ。
それが、港口の門から海中へ没して1km先の岬まで続いている。
海上で一か所開閉できそうな門はあるが中央門同様開いた所を見た者はいない。
「おいあの船誰の船だ? あんな変な形見たこたぁねぇぞ?」
「あんなぁ、背の低けぇマストじゃ海なんか走れねぇ」
「しっかし、何でこの中入ってんだ? どうやって入った?」
「頭ぁ! ペイン船ちょぉ!」
背の異常に高い痩せた男が人混みをかき分けて走ってくる。
「おぉ! ジョン。 遅ぇぞ! 見張りしねぇで寝てやがったのか?」
「ちげぇます、違げぇますって・・・、岬であの船見つけてすぐに走って来ましたって・・・!」
息を切らせながらペイン船長に駆け寄った。
「あの船めちゃくちゃ足が早くて・・・、そんで、海門に近づいたと思ったら・・・スウーッと入っちまいやがったんです」
「何がスウーッとだ? 馬鹿野郎がそんな訳があるか? やっぱり寝てやがったな? 今晩の酒は飲ませねえからな!」
「ほんとですって頭ぁ・・・」
「おい誰か降りてくるぞ!」
集まった群衆の中の一人が叫んだ。
帆がたたまれ船の側面が開き、渡板が渡された。
数人の人影と荷車が岸壁に降り立つと、ゆっくり港門に向かって歩き始めた。
「おいこっち来るぞ!」
「まさかこっから出るつもりか?」
門番の老人が鉄柱にしがみ付きながら立ち上がる。
目には涙が溢れている。
「じ・・・、じいさんの・・・話は・・・嘘じゃなかった・・・」
「おいこら爺さん! あいつらのこと知ってんのか?」
ペイン船長は老人の髪の毛を掴み持ち上げて怒鳴り散らす。
「誰かは・・・知らん! ただ・・・、必ず来るから、門を番しろと・・・代々伝わってる」
「何じゃぁその話?」
門の周辺で騒ぎが起こっている最中にも人影は近づき門番のすぐ目の前まで来た。
「しるし・・・、印!」
掴まれた髪を無理やり振り解き鉄柱門の隙間に手を伸ばしながら叫んだ。
先頭に立っている黒い全身鎧のものが右手の中指に嵌めた金の指輪を老人の前へ向ける。
そこには、まるで太陽を象ったと思える紋章が刻まれていた。
老人の顔が覇気を取り戻し、曲がった背が伸ばされ振り返る。
「道を開けよ! 開門の時が来た! 道を開けよ!」
まるで別人になった様な覇気ある声で周囲を蹴散らす。
信じられない物を見たと誰の目にも驚きが描かれている。
昔から物乞いをしながらただ座っていたみすぼらしい男。
壁外都市アトラの誰もが知っている変人。
それが群衆を蹴散らし道を作っている。
時間をかけず門番は仕事を成した。
鉄柵門から町中へ続く道が開けたのだ。
門の中でそれを見届けた黒鎧は指輪の刻印を門に押しつけた。
その場にいた者は初めて目にした。
不開の港門が開く所を。
門を通って町に入って来たのは、黒鎧と黒のとんがり帽子に黒マント手には竹ほうきを握っている、その後ろに二人で引く荷車と最後に剣士の姿だった。
通り過ぎると門は開く時と同じく音もせずいつもと変わらぬ不快の港門の姿になった。
黒鎧が自称門番の前で立ち止まり、小さな皮袋を渡し無言のまま歩き始めた。
一行はそれに続いて町中へ歩みを進めていった。
初見の船に門番と開門。
町を知る者にとっては驚きの連続で、誰も何も口を開かず一行を見送った。
「おい! 門番の爺さん! 奴らから何を受け取りやがった?」
ペイン船長は門番に駆け寄り、細い肩を乱暴に揺さぶる。
門番が掌に乗る小さな皮袋の口紐を解き中を除くと小さな輝く石が何粒も入っていた。
「おいこれダイヤモンドじゃねぇのか?」
強引に奪い取ろうとする船長を手で押しのけ
「これは我が一族の門番としての報酬である、誰にも渡さん!」
鉄柱に立て掛けてあった錆びて朽ち果てそうな細くなった剣を腰に刺し直立不動のその姿には、もう薄汚れた老人の面影はない。
瞳と体に覇気を纏った門番がそこには立っていた。
港口の門を後にした一行は、町の大通りを歩いていた。
両側は石が積まれて出来た建物で、作りは荒く隙間を石灰と粘土で埋めている。
道幅は広いが舗装はされておらずゴミと糞尿にまみれていた。
最後尾の剣士が鼻をつまみ、あまりの悪臭に涙を溜めている姿を認めた黒のとんがり帽子が一行の歩みを止めさせる。
剣士に近づき小さな布をちぎって丸めた物を無理やりに鼻の穴に突っ込んでいた。
満足げに一度頷くととんがり帽子は元の位置に戻りまた歩き始める。
建物は商品が並んだ店舗が多く、剣や盾、肉や奴隷など様々だ。
まだ、昼を回ったばかりなのに娼館の客引きも目立つ。
物珍しく左右を見ているのは荷車を引く体格の良い二人の男。
もう鼻には自分で作った丸めた布が詰めてあった。
「ちょっと旦那? 待ってください旦那ぁ!」
先頭の黒鎧に一人の男が駆けながら話しかける。
一行は男に構わず歩き続けるが、男の口は止まらない。
「何か欲しい商品でもありますか? それとも商売する空き店でもお探しですか?」
「・・・」
「それとも物見遊山ですか・・・?」
「・・・」
「泊まれる所を探してるなら、静かで綺麗なところがありますよ! ちょっと値は張りますが?」
黒鎧が足を止める。
話しかけていた男はゲスな笑みを浮かべた。
「今日泊まる所を探してるんなら紹介しますぜ!」
「条件がある、清潔で静かで食い物のうまい所、最後にこの匂いがしない所だ」
「アトラの匂いですか・・・、初めて来た人にゃ辛いですかやっぱり・・・、でも、それが一番難しい条件ですね・・・」
黒鎧は腰の皮袋に指を差し込み一粒の金を取り出し男へ放る。
水の滴ほどの大きさだ。
笑みのゲスさが一層ます。
「正直、匂いがしない所はここには無いっすね! 少ない所なら用意しやすぜ?」
「なら、夕刻までに準備しておけ。 そこが気に入ったらもう一粒お前にやる」
「旦那ぁ!気前いいっすねぇ!」
「それと言って置くが、そこに賊の手の物を仕込んだりしたらお前の命を貰う」
笑みと動きが一瞬止まった男は小さく唾を飲んでうなづいた。
「俺の名前は、スミスって言います、宿が準備出来たらどこへ知らせに行ったら?」
「夕方に中央門の前だ、あと人数は7人分だ」
黒鎧の男はそれだけ告げるとまた歩き出す。
目の前を通り過ぎる一行にヘコヘコ頭を下げながら見送り、満面の笑みで小躍りしながら細い路地へかけて行った。
次は、アトラの城




