大海原を行く1
本流と合流した緩やかな流れを『樹皇』は静かに進む。
速度は5ノット、航跡の引き波も少なく船上には穏やかな風が流れている。
周囲への警戒の為か、出航間近で緊張しているせいか、乗船した全員が暗い甲板でうろうろしていた。
後ろを振り返り
「ミムナ、この船は誰が操船してるんだ?」
「私に決まってるだろ! 他に誰がいるんだ?」
ミムナは船尾にある椅子に座ったまま答える。
フィッシングボートでは船尾に後ろ向きにトローリング用に設置されてる椅子、『樹皇』は船尾に豪華な椅子が進行方向に向かって一つ置かれていた。
椅子の前には小さな舵輪がついているだけ。
つまらなそうに片手で舵輪を操りながらミムナが答える。
「姫が操舵士か?」
「なら、変われ!」
「私に出来る訳なかろうに!」
「エルフならみんな出来る、当然お前もな!」
「道先案内委任もいないし、水深も分からない暗い河で船なんか運転できるか!」
「出来るんだよ、エルフは!」
相変わらず、わけわかんない奴だ!
河もそうだが沿岸でも船が安全に通るには水深を把握したベテランの水先案内人が必要。
水面の下は分かり辛く簡単に座礁して身動き取れなくなったりするのだ。
ある程度船体が大きくなると、高性能な計器類を積んでいても素人が操船するなど自殺行為となる。
船首の見張りはシャナウに任せて小走りでミムナの所へ行く。
風も受けずに帆船が進んでいる理由が知りたかったから。
「後5時間くらいで海へ出る。 そうしたら航海士と合流するからそれまでは私がする。 お前に頼んでもやってくれないだろうしな?」
「出来んものは出来ん!」
「何おぉ! 試しもしないのに、出来ないとか言うな! 私に代わってすわれ!」
強引に手を取られ椅子に座らされる。
お尻の辺りが妙に冷たい。
ミムナが羽織っていた銀色のマントが敷いてあって座り心地は悪くない椅子だが、お尻からなんか力が吸われている感じがした。
目の前の小さな舵輪の上に光る線が見えた。
「? なんか光ってる・・・」
「ナビだ!」
「ナビ?」
「お前の記憶ではそう言ってたぞ、行き先を設定すると地図に道を示す物? だろ?」
「あれ? あれれ? 線から離れてく!」
「舵を切らなきゃ外れるだろうよ! ちゃんと操舵しろ」
小さな舵輪をミムナが回すと地図上の船体矢印が航線と重なった。
舵輪の上をよく見ると、線がいくつも交差する透明なモニターになっているようだ。
舵を右に切るとモニターに映し出される線の右に船体矢印が位置を変える。
舵を左に戻すと船首は左岸を向き線を通り越し左側になった。
初期のTVゲームみたいな簡単な操作。
画面の線を真ん中に捉えるコツはすぐに掴んだ。
「あれ、なんか楽しいい・・・」
船体のVハルが掻き分けた水飛沫の音が微かに響き、引き波が河岸を叩く音が後ろから追いかけてくる。
ミムナは側で当たり前みたいな感じで見返していた。
「これって速度調整は? どうすんの?」
「肘掛に手を置いて風の水晶で力を出す感じ」
「どれ、どれぇ」
右手を舵輪にして左腕を肘掛に置く。
ミムナに言われた通り左腕に風の魂の放出をイメージすると船は急加速した。
船首は勢いよく持ち上がり、視界は暗い星空だけになる。
ジェットボートで同乗者をキャーキャー言わせるアレだ。
甲板にいた皆は叫び声を出して急加速に耐えきれず後ろへ倒れ込んでしまった。
「このヘタクソ!」
ミムナに頭を叩かれた。
急アクセルを踏んだらしい。
倒れた姿勢で俺を睨んでいる皆の視線は痛いが、力の加減がわかると操船は簡単だった。
周囲は見えないのでモニターの航線上を維持するだけでいいのだ。
「ほらみろ、やれば出来るじゃないか」
「出来ましたね、でも先に原理とか理論とか説明してくれれば、私が手伝える事は手を出します」
「貴重な素材に細かな計算式と緻密な配線を駆使して組み込んだお前が今尻にしてる火星の技術が詰まったマントを説明して理解できるのか?」
座っているせいでミムナとの視線の高さは同じ。
横目でみたら細く開かれた瞼の奥にある瞳はとても冷たく感じた。
俺の過去をスキャンして全部知ってるミムナには反論できなかった。
「ぐぬぬぅ・・・、教えてもらっても分からないかも・・・」
「まずは、手を出し触って感じ、早くこの世界に慣れろ! そしてお前の自分探しの旅をきちんと楽しめ」
「自分探しの旅?」
「そうであろ? お前はここに来た理由を知りたいのだろ? 課せられたかも知れない”定め”も探さねば見つかるまい?」
そうだ、俺が今この船に乗ってる理由はミムナに強引に誘われたからだったが、選んで決めたのは俺だ。
掌の上であってもこの世界に来た理由を探れるのではないかと内心感じていた。
仲良くなれた樹海のみんなとの安穏な生活も楽しそうだったが、知らない外の世界に興味が湧いたからついてきたのだ。
「それじゃぁミムナ、俺の知りたい事に答えてくれる?」
「情報レベル5は無理だが、それ以外なら良いぞ。 あっ! そうそう。 お前の情報レベルは4に上がったから覚えておけ」
「申請していたって奴ですか? でも情報レベル自体が分からないですから」
「まぁ良い、少しは知れる範囲が増えたと知っておけば。 それとお前の本国での肩書な、預言者ナームにしといた」
「預言者って?」
「気に食わなかったか? 魔法少女の方が良かったか? それとも美少女とか付いた方が良かったか?」
「・・・まかせます・・・」
俺は肩をすくめナビ画面を見ながら小さくなった。
「そうだ、私に任せておけばお前にとっての過去世界生活は楽しい冒険になるのだ!」
ミムナが指差した先にはひときは明るい明星が輝いていた。
子供にプロ野球選手を目指させて特訓する頑固おやじの姿勢はちょっと可愛かった。
操船には慣れてきて今の速度は20ノット位。
波の無い黒い平水面を縦に揺れる事なく『樹皇』は進む。
シロンや他の同行者も手摺を強く掴んで流れの速い暗い森の景色を眺めている。
こんな速度で移動する物に乗った経験は無いであろう彼らは、恐怖からか中腰姿勢を崩してはいない。
俺の急発進で怖がらせたのかも知れないが。
空の星座をいくつか数えてから溜まりに溜まった疑問をミムナにぶつけるのだった。
「ミムナ今いる所は地球のどの辺になるんだ?」
「どれどれ、それでは先生になって無知なナームに教えてしんぜよう!」
目の前に新しくモニターを出して説明してくれた。
映し出されたのはグルグルアースみたいな映像で、操作も似ていた。
地球儀の様なそれは俺の知る地球では無かった。
海7で陸3ではなく、海3で陸7といったところ、大きな大陸の周りに川の様な海。
目覚めたドキアの樹海がある場所は、俺の時代ではインドの東側の海だった所となる。
「海が小さいですね・・・」
「そうなのだ、お前の時代ではこんな感じだろ?」
ミムナが画面を操作すると青色が増えて俺の知る地球になった。
「どっから来たんでしょうこの水? 今の時代に南極と北極に巨大な氷河があったりします?」
地図を元に戻してくるくる回すが白い氷の所は標高の高い山に見えるだけで少なかった。
「今は氷河期では無いから凍った大地はないのだよ。 水が増える何かがこれから起こる。 それと重力も増す何かがな」
「そうだ、ここは私が知っている時代よりも重力が軽く感じてた・・・」
「山上さんの時代まで水が増えたとしても重力を増やすには質量が足りないから、他の物もこの地球に増えると言うわけだ。 預言者ナームよ」
小さなてで俺の肩を叩く。
預言者の称号はこのせいだったのか。
俺が持つ未来の記憶からこれから先に起こる異変を想定してたのか。
「ミムナの本国で地球改造計画とかはないのか?」
「私の所では無い、惑星改造するのであれば逆に重力は軽くする、火星並にな」
「であれば、彗星と衝突とかですか?」
「それだと暫くは生命が生きていけなくなるでは無いか、結果はそうなっていないから別な作用だと考えている」
「今向かっている別勢力ですか?」
「それを確かめるために探りを入れるつもりではいる」
「今の地球よりも、火星よりも重力が強くて海が広い惑星の種族ですか?」
「そうだ、星自体は小さいが環境は山上さんの時代と似ている星、銀星」
「銀星? そんなの知りませんよ?」
「当然だ、山上さんの時代では無いからな」
「・・・惑星が消えて無くなる?」
「火星と木星の間に銀星がある。 これから会いにいく奴の母星だ。 火星に生物が見当たらなくなったのも、地球の環境が変化したのも奴らの仕業しか考えられない」
ミムナは口惜しげな表情で拳に力を入れている。
体の周りが淡く光っているのは怒りのせいだろう。
俺の記憶を解析してから本国が騒乱状態になったってラーラスが言ってた。
それは、未来の火星に生物が住んでいない事を知ったからだろう。
預言者ナーム、それは火星の住人にとっては不気味な響きに聞こえたに違いない。
ミムナの怒りのオーラが消えるまで待ってから、”雲落ちの巨人”達のことを聞いた。
「それでミムナがエルフを使って樹海を見守ってる目的ってなんなの?」
「フムゥ・・・、それは私の大事な研究で情報レベル5の内容だ。 そのうちナームでも状況から察せよう・・・今は答えないでおく、良いかな?」
「大丈夫・・・です。 地球と火星、それと銀星の事、教えてもらった事もっと自分で考えて知りたい事があったらまた聞きます」
「そうだね先生は全部話せない事もあるけど、生徒は見捨てない! だから運転頼んだよ!」
言い放つと船室へ続く扉をくぐり姿を消した。
俺の事を信頼しているのか何だかわかんないが、また丸投げされた感じがした。
でも、久々に運転している感覚は楽しいのでよしとしよう。
鼻歌まじりで操船しているとマカボが近寄ってきて椅子の脇に立つ
「ナーム様先ほど現在地とか地図とかのお話していたと思うのですが、私めにもお教え頂いても宜しいでしょうか?」
「いいよ。 マカボは何が知りたいの?」
画面に浮かぶ緑の多い地球をくるくる回しながら聞いた。
使い方はもうマスターしたのだ。
マカボに問われるままに答え、地球が丸い事、太陽の周りを回っている事、惑星に至るまで俺の理科の知識をグルグルアースを駆使して伝授した。
天文のマスターだけあって理解力はとてもよく、すぐに俺の知識では答えられない質問になってしまった。
知らない事は教えられないので正直に分からないと答えておいた。
そんな時間を過ごしていたらシャナウの声が届いた。
・姉様、先方の水面に光ってるところがあります
・距離は?
・まだだいぶあります
減速させて舵はそのままにし舳先へ向かう。
シャナウの隣に立ち前方に目を凝らすと、確かに水面が光っているのが見えた。
1km位先だ。
どうしよう?
辺りを見渡すと船室からミムナが出てくるところが見えた。
「ミムナなんか先で川が光って見えるんだが、どうしよう?」
「あぁそれな、合流する予定の航海士だから心配いらない。 ちょっと時間は早いが河を登って迎えにきたか? ナーム、速度このままであの光の上へ向けてくれ」
ミムナがそう言うのだから心配は要らないのだろう、従う為に操舵席へと向かった。
造船場で棟梁達に説明したエルフの船だろうから。
ゆっくりと光の上へと辿り着き力の注入をやめた。
船の周りの水面が明るさを増した。
何か大きな物が浮上してくる、ざわめきを感じた。
俺は席に座ったまま周囲に注意を払っていたら、左右に黒くて太い柱が現れた。
テトはこれから何が起きるかわかっている様で腕を組みただ頷いている。
他の連中は一か所に固まって唖然として柱を見ている。
ミムナは何か小さく手を動かしているので、エルフの船の乗組員に合図を送っているみたいだった。
柱は船を挟み込み固定したのだろう機械音がなった。
ミムナの元へ近づき
「これはエルフの船でいいんだよな?」
「そうだ、この『樹皇』を運ぶ船だ」
とりあえず予定した感じで安心した。
まさかとは思ったが、このまま俺が操船してアトラまで行くには自信がなかったから。
何せ遠いのだ。
グルグルアースで確認したら、インドの東からアフリカ大陸の西北へ向かわねばならず、ショートカットの運河もない。
到底30日では着きそうもないのだ。
黒い柱が突然一本だけ伸びた。
長方形に光が走ったかと思うと上から手前に倒れてきて甲板までのタラップになる。
暗さに慣れてしまった目に眩しすぎる光が飛び込んできて、手で目を覆った。
指の隙間から伺うと小さな人影がタラップから降りてくる。
妙な格好だった。
背丈はミムナより低く、頭からすっぽりと白いシーツを被り目のところだけ穴を開けた幽霊。
いや、ハロウィーンで子供が幽霊に扮する時のそれだ。
「乗船者の皆さん、航海士のピピタちゃんです」
「です!」
ミムナが側でピピタちゃんの肩をだきながらみんなに向かって話した。
「ピピタちゃんと無事合流できたのでもう安心、後は目的地に到着するまで各自ゆっくり部屋で休んでいていいですよ」
「船の方は何も手伝わなくていいのですかミムナ様?」
テトがおずおず手を上げて質問した。
かなりの勇気が必要だっただろう。
「はい! 全てピピタちゃんに任せてオッケェ! 技術者のみんなは目的地での観光に向けて準備ですね」
「そうですか、かしこまりました。 それでも何か手伝える事があったら何でも申し付けください、ピピタ様」
「ちゃん!」
ピピタちゃんは強い語気で口にした。
「”様”ではなくて”ちゃん”付けで呼んであげて下さいねぇ。 そうでないと機嫌が悪くなりますよぉ!」
なぜか子供を諭す様な言い方でミムナは全員に注意した。
「せっかく手伝ってくれると言うのですから、何か手伝ってもらう事ありますかぁ、ピピタちゃん?」
言われたピピタちゃんは首をめぐらし、前後のマストを交互に指差して
「あれ、じゃま!」
と短く話す。
設計上でも可倒式になっているので倒して欲しいらしい。
構造を理解しているテトが「承知した!」と答え動き出した。
それに続いて手伝いの為に他の同行者も動き出す。
あっと言う間に前後のマストが中央に折り畳まれ、上に帆がタープ状に貼られ簡易の屋根もできた。
「ピピタ・・・ちゃん、他にはお手伝いできる事はありますか?」
「もういい、いらない」
テトの問いに簡素に答えて、俺が座っていた操舵席へと歩いていった。
目で追う俺にミムナが構わないでいいと手で合図をくれるが、心配なのでついていく。
前方監視も必要無いのでシャナウも一緒に着いてきた。
席に着くとさっきまで俺の尻に敷いていたミムナのマントをきれいに畳み直して、そうだ席の下にある引き出しにしまう。
俺の方に向き直り、ここに入れた! と指で合図だけした。
俺は頷きで返す。
ピピタちゃんは言葉を交わすのは苦手らしい。
小さな体を椅子に収めて、体には合わない肘掛けに両手をのせた。
一段したの甲板にいたミムナが
「準備ができたら出航してねぇ、ピピタちゃん。 目的地はアトラ!」
「アトラ、いく、しゅっこ!」
ピピタちゃんの声と共に滑る様に動き出した。
俺とシャナウは椅子の両脇を陣取って座り周囲に注意を払う。
護衛は必要なさそうだが万が一に備えて動きやすい所で待機しておきたかったのだ。
しばらくしたら速度を上げて俺の想像を超える速度で水面の上を『樹皇』は走る。
夜通しの川下りで寝ていなかった人間の同行者には船室での睡眠を命じて休ませた。
ミムナはとっくに自室に戻っている。
俺も少しウトウトしていたが潮風の匂いに辺りを見渡すと、いつの間にか景色は河から海へと変わり朝日を背に受けながら西へと向かっていた。
銀星の牙城アトラ、蛮民が集まる大陸の最西の地へ。
次は大海原を行く2




