復路
工房1階にあるナーム専用「魂封入の部屋」を確認した後、エルフの村へ帰ることにした。 目的であった木工加工用の道具は、手持ちの水の水晶で代用できる事が分かったのだから、研究主体の工房への興味は薄れてしまった。 工房で機織りに使う道具を作っても、モガ服の飛行では運べない。 工作作業は傘の広場で行う事に決めたのだ。 太陽は真昼の位置から少し西に傾き始めているので、樹海で暖められた空気が上昇気流をいくつも登らせている。 気流をうまく受ければ、モガ滑空距離を伸ばす事が可能だ。 往路で登った位置より少し高く上り途中休憩のピラミッドを目指す。
上昇してすぐに『鳳』の姿を一羽遠くに確認したが、俺達に気づき近づいて来るそぶりは見えなかったので安心する。帰りもシャナウの後ろでのんびり広い樹海を見渡しながら飛ぶ。しかし追従飛行は楽なのだが、目のやり場に困るのだ。 大きく風を受ける時に広げられる両足の間のモガ服は、袋綴されていないのだ。 時折両腿の付け根の辺りが視界に入ってしまう。 中年男の性欲は幸い湧いてこないが、俺の後ろに人目があればと考えると羞恥心が湧く。 早くテパに綿布を織ってもらって下着を作らねばなるまい。 俺の我儘に文句も言わず付き合ってくれているシャナウにも早く作ってあげたかった。 今までのナームとは別人の魂だと知っていても、何処の馬の骨とも知らぬ俺を手助けしてくれているのだ。 長い間培ってきたお互いの信頼の深さ由縁なのだから、ナームの歩んで来た生き方にも感謝せねばと思う。 それに反し俺は、人を遠ざけ「一人が好きな寂しがり屋」の道を生きていたのだから、ナームの財産をただ喰いつぶすろくでなしに思えて気が滅入る。 ナームを信頼してくれるエルフやゴブリン、ドワーフとこのドキアの森に俺は何をしてやれるのだろうか。 俺がナームの体で目覚めた意味をゆっくり探していこうと新ためて思う。 「急いだり、焦ったりしちゃダメ!」 ナームの口癖を思い出す。 シャナウに言われた言葉なのだろうが、今の俺も足元をしっかり見つめ、進む方向を見定め歩き出さねばなるまい。
眼下に広がる樹海にはいくつもの木の茂っていない筋が見える。 縦横に蛇行した川である。 川幅はそれぞれだが流れは緩やかで池と言っても良いほどだ。 雨季にでもなれば排水の役割を発揮するだろうが、それ以外は運河として使えそうだ。 工房があった石切場の近くにも川があったので、船に石材を乗せて各地のピラミッドへ運んだのだろう。 これまで立ち寄ったピラミッドの近くに、必ず川があったのはその為かと合点がいった。 シャナウが俺を呼ぶ声と共に指差し降下合図をくれた。 指差す方向に休憩予定のピラミッドが見えてきたのだ。
屋上に到着して真っ先に思ったのは色の違いだ。黒いシミがそこかしこにこびり付き全体が茶色にくすんでいる。 これまで休憩で立ち寄った屋上は、全て綺麗に清掃されており木の葉一枚落ちていなかった。
「シャナ?なんでこここんなに汚れてるの?」
近くの黒いシミに近づき人差し指の爪で擦ってみた。剥がれたそれは乾いた血液に見える。
「これって、血だよね・・・」
「最近工房へ行く時は休憩しなかったんで、ここへ来るのは久しぶりなんです。以前はこんな事なかったのに・・・」
「前来たのは何時くらい前なの?」
困惑の表情の顎に人差し指を当て、記憶を辿る仕草をする。
「20年かな?21年かな?そのくらい前です」
周りの黒いシミには鳥の羽や獣の毛も混じっていて、匂いもしてきそうな程厚く乾いた血が盛り上がっている。 こっちへ来て雨が降った記憶は無いので、血痕が洗い流される事はなかっただろうから、艶がある黒い盛り上がりは3日ぐらい前では無いかと想像する。 その他はひび割れ擦れ粉状だ。 期間を開け血が滴る何かが起こったのだ。
「注意しておこう!」
シャナウに促し背中の巾着袋から、火の水晶を取り出す。 風と火の水晶をお互い握り階段の方へ歩いていく。階下に人影は見えない。 森の中にもゴブリン達の声も聞こえない。 周囲に気を配りながら階段を降りる。 途中倉庫を確認したが管理された壺が置かれた部屋に人影はない。
「誰も居ないな?ゴブリンの気配すら感じないぞ」
シャナウも耳を張り出し周囲を警戒しているが、俺と同じ見解らしい。
「姉様どうします?」
「この地を管理するゴブリンに話を聞いた方がいいと思うけど、近くには誰も居ないな」
頷くシャナウを見て森へ入ろうかと考えたが足を止める。 森の中では身体能力が高いエルフに敵はいない。 危険視する『鳳』ですら相手に傷を負わせる事を厭わなければ簡単に地に落とせるだろう。 ただ、見守りの立場である“定め”を考えると不意遭遇で相手に怪我をさせる事は避けたい。 それは獣であっても小人族であっても同じだ。 振り返りピラミッドの方へ指差し歩き出す。
「シャナ、状況が分からないのに深く入り込むのはやめよう」
「そうですね姉様・・・」
「大きな戦でもエルフは関与しなかったのだから・・・。“定め“を守ってお節介はしないでおこう・・・」
階段の中腹まで登り腰を下ろす。 血痕が染み付いた屋上へ登る気は失せたのだ。 滑空で冷えた体を、西に傾いた太陽に当て温めながら二人でお茶を啜る。
「帰ったらオンア長老へ報告に行くよ。どうするか決めるのは俺の役割じゃないからな・・・」
両手で器を持ち頷くシャナウと、風で揺れる巨木の葉を無言でしばらく眺めていた。
日が落ちる前に村へ戻りたかったので休憩は短めに切り上げた。 木々の影は階段の中腹まで登ってきていてそろそろ足元へ届きそうだ。
「さってと!じゃぁ又、シャナウ先生の後ろを飛ばせてもらうけど大丈夫?」
「もちろんです姉様!」
もぞもぞ身じろぎしながら陽気な声で立ち上がるシャナウに、俺も苦笑しながら立ち上がる。 少し落ち込んだ雰囲気を和らげるため言った言葉に、しっかりシャナウが反応してくれたのが嬉しかった。 二人で並んで階段を登る。 屋上間近でシャナウが歩みを止め俺を腕で制す。 身長差のため俺には屋上がまだ見えないが、シャナウには異変が見て取れたのだろう。 まだ巾着袋へ戻していない火の水晶を握り直し、屋上床全体が見える位置までゆっくり足を進める。
視線が床の高さと同じになる前に何者かが床の上に居るのが分かった。
このピラミッドに到着して地上へ行きここへ戻るまで、階段を誰も使っていないのは高い聴力も含め知っている。 なのに屋上に何者かの姿。 階段が無い3方面は5輪級クライマーでも登るには時間がかかる切り立った壁だ。 俺を制していた腕を戻し、屋上へ足を進めるシャナウに続き俺も屋上に立つ。 待ち受けていたのは四足獣。 大型で口から長い犬歯が突き出した猫科の獣。 シャナウの部屋に敷いてあった毛皮とそっくりな柄。 大型のヒョウだ。 尻尾まで入れれば俺の身長の3倍はありそうな大きさ。 頭を前足の間に低く構え、腰は高く上げられている。 尻尾も天空を真直ぐ指し、猫がネコジャラシを狙う姿勢。獲物を狙う姿勢だ。 汗が滲み出した手のひらの水晶を握り直し、シャナウと同じく中腰に構える。 空へ逃げるか消し炭にするか躊躇していたが
「姉様はその場で・・・!」
言葉に出してシャナウが突進する。
瞬間で距離を詰めるシャナウを目で追いながら、援護のタイミングを見定める。
エルフの身体能力に信頼しているのか恐怖感は少ない。 ただ双方の怪我をどうやって避けるか、気持ちだけは焦ってしまう。 突進を知ったヒョウは屈めていた前足を伸ばし横へ飛ぶ。 直進先の目標が移動したのに合わせてシャナウは軸足で屋上の床を強く蹴り飛翔し、ヒョウの移動した上空へ達する。 風の水晶を使ったのであろう自由落下より速い速度でヒョウの首へ落下し、両腕で首を抱える。 振り解こうと身を大きく揺する体を力で捻り倒しヒョウの背中が床に着いた。 首を絞めていたのかヒョウは動きを止めた。 首から手を離し立ち上がるシャナウに
「大丈夫か・・・・」
「今日も勝ちぃー!」
喜声を上げ、片腕を大きく天に向け立ち上がるシャナウ。のっそり腹ばいに姿勢を変えるヒョウ。
「?」
分けわからん・・・。
俺と目が合ったヒョウはいきなり立ち上がり突進してきた。
で、抱きつかれた・・・。
デカイ舌で顔を舐められた。顔の肉が削がれそうなザラザラした舌だ。 堪らず両手で口を遠ざけシャナウを見る。
「こいつ知り合い?」
「そうモフちゃん。姉様の下僕!」
「モフ?下僕?」
モフと呼んでたヒョウの尻尾を、綱引きの縄を引く要領で引き俺から引き離してくれた。 シャナウの方を振り返り威嚇の唸りを発したが、頭をごツンと拳で殴られていた。
「今日も私の勝ちなんだからね!」
耳を摘まれ大声で言い聞かせるシャナウの前に伏せた姿勢でモフが答える。
「あのー、俺に説明してもらってもいいでしょうか?」
猛獣と猛獣使いにお願いしてみた。
「このモフは姉様の下僕なの。大分前の事なんだけど工房へ向かう途中モフ兄弟を狙ってた『鳳』と母猫が戦っていて、姉様が『鳳』を追い払ったんだけど兄弟はさらわれて母猫が死んじゃって・・・。それで、モフが大きくなるまで姉様が面倒見たの」
そうか、見守るだけが“定め”だとしても、ナームは目の前の争いに目を瞑れなかったのか。 なんか性根に近づけた感じで心が温まる。 それにしてもペットでは無いまでも下僕は可哀想だ。 ナームが面倒見てたと知りモフの顎の下を撫でてやる。 ゴロゴロ鳴き出した喉に猫と同じだと感心する。
「でも、下僕呼ばわりは可哀想だろ?」
「いいのです姉様!こいつは生意気だから甘やかしちゃダメです!」
セクハラドワーフに対する反応と似たものを感じ、「なぜ?」と聞いてみた。
「小さい時はモコモコでモフモフで可愛かったんですが、大きくなっていつも一緒にいる私にヤキモチを焼いて、喧嘩を仕掛けて来るようになったんです」
名前の由来は小さい時の見た目からつけたのか。 納得してしまう。 昔実家近所の家で「ちび」と書かれた犬小屋に大きな秋田犬が居たのを思い出した。
「毎回私に負けているのに、諦め悪すぎです!こいつ!」
太くて長い髭を引っ張り、聞き分けのない弟を虐める姉の立場をとっていた。
獣とは言え傷つける戦いにならないで、抱きつかれ舐められるだけで済んで良かったと胸をなでおろす。
「モフはいつもこの辺で暮らしてるのか?」
「いえ。いつもはエルフの村の周りに居ます。母親の臭いが残る毛皮もありますし」
「シャナの部屋の敷物はモフの母さんだったのか?」
「そうです。保護しようとした時、死んだ母親からなかなか離れなくて衰弱してしまって、母親の毛皮に包んで面倒見たんです」
そっか、家族の臭いがするシャナウを本当の兄弟みたいに思ってるんだな。
「モフ!なんでここにいるの?」
シャナウが髭を強く引き目と目を合わせ、何度かお互い瞬きする。
「このピラミッドのゴブリン達が最近煩いので様子を見にきたら、私たちが降りて来るのが見えたんでここで待ってたらしいです」
「モフと会話できるのか?」
「小さい時から一緒にいたから当然です」
いや、当然と言われても・・・。エルフの持つ言霊の能力か?それとも兄弟だからか?
「それでモフは何か異変に気づいたのか?」
「モフ!姉ちゃんに正直に言いなさい。なんか分かったの?」
やっぱり兄弟だった・・・。 髭をまた引かれ少し涙目になったモフとシャナウが瞬きを繰り返す。エルフであるはずの俺には全くモフの考えている事は読み解けない。 姉に虐められて助けを俺に求めてる瞳の色以外は。
「ゴブリン達は時々この屋上で何かをしてるらしいんだけど詳しくは見てない見たい。使えない下僕ね!」
普段見た事が無い姉ちゃんキャラに新鮮味を感じながら、痛かったであろう髭の付け根を撫でてやる。
「そうか、危険があるかもしれないから、あとはここへは近づくなよ。何かするにしても決めるのは長老だから」
伏せの姿勢でゆっくり尾を振るモフの耳の後ろを撫でてやる。
「じゃぁモフ、俺らは暗くなる前にエルフの村へ帰るから」
立ち上がりシャナウと準備する。
「シャナ、あんまり弟いじめちゃダメだと思うよ」
「弟なんかじゃありません!下僕です姉様!」
自分で姉ちゃんと言ってたのは覚えていないらしい。
もう一度モフの頭を撫でてから、何か問題ありそうな休憩地を後にした。
次は、星見の台の夜空




