新たな世界1
スヌーズ機能の目覚ましで二度寝を強襲され、瞬間で目覚めた様に意識は戻った。
短時間で長編の夢を見た感覚。
瞼は開かれているのが分かるが暗闇のせいかぼんやりしていて映るものは無い。
目が闇に慣れるまでさっきまで見ていた夢に想いを巡らせてみる。
誰かと長々と話をしていた。
「そうだ・・・、砂浜のベンチに座ってた・・・」
目覚める直前の映像が脳裏に過ぎる。
見渡す限り一面ガラスの様に波のない水面。
俺は砂だけで出来た小島に居た。
光源は見当たらないが水平線は遥か彼方まで見える。
空は乳白色の薄い雲が全天を覆い青空は見当たらない。
一つ置かれたベンチに座って右手に握られた電話で誰かと話をしている光景がよぎる。
とても大事な話だったはずなのに内容が思い出せないもどかしさに少し身をよじる。
夜目に慣れたか暗闇には幾つもの淡い光点が瞬き、満天の星空の下で眠っていたのだと知る。
会話内容を思い出そうと受話器を握る自分に意識を向けると別の映像が思い出された。
砂浜に辿り着く前の光景が。
小さな焚き火台で燃える炎。
幾つかのランタンに照らされた何時もの野営地。
白く輝く怪しい儀式の中心球。
傍に仰向けで倒れる人影。
それらを上から見下ろす視点。俺は倒れている自分を見ている。
高さは10mもないだろう。
揺れる炎と騒めき震える周囲の枝たちのおかげで、何時ものぼやけた夢では無く世界を実感できる程の明晰夢。
「そうだ・・・、思い出してきた・・・」
管理者を失った焚き火台の炎は次第に弱まり細く白い煙を登らせる。
自分を見下ろす自分は何かに縛られる様に、移動することも出来ずただ眺めていた。
白く光る玉は次第に光量を減らし淡い赤から透明なただの玉へと移り変わると、車の陰から人影が姿を現した。
フードを目深にかぶり、全身を覆う黒のマントの様な物を着込んだ二つの影。
背中にはランドセルに似た大きな灰色の背嚢。
見下ろす自分は声も出せず身動きも取れず、焦りに似た恐怖を感じるだけだった。
焚き火の傍に荷物が下され、一つの影が補充用に積まれた薪を数本焚き火台に投下すると小さな火の粉が一瞬巻き上がり熾火が乾いた薪に火を灯す。
自分の体に戻り対処したい、焦燥感だけが激しさを増す心の中で
・戻れ!戻れ!戻ってくれー!
と叫ぶ。
俺はどうしたんだ?
あの二人は誰なんだ?
どうなるんだ、俺・・・?
人は死後の世界に行く前に自分の姿を見下ろす言うが・・・、死んだのか?
なんで?
・何で何だー!
一つの影が倒れている俺の傍に立ち、マントの中から取り出した杖の先を額に突きつけた。
杖の先の自分の顔を凝視すると弱い明かりでも見て取れる蒼白した頬、黒目の裏返った見開かれた瞳、だらしなく開いた口の中の舌は喉の奥に引き込まれた真の死に顔。
己の死相を見た瞬間、何故か焦りも恐怖も薄れていく。
認めるしか無い。
死んだのだと。
死人にはもう現世には干渉できないのだと・・・。
反省も後悔も小さな希望も心残りとして有るが手出し不可能な存在になったのだと・・・。
杖の先が玲瓏な女性の唱えた言葉に反応した様に、微かに光り大きくなる声量と共に強さを増す。
いつの間にか見下ろす俺へと向けられた杖先の明かりで、照らされたフードの中が見て取れた。
透き通る程の白い肌に整った顔立ち、金色の髪が額から両頬を伝い真紅の唇を引き立てている。
美人というだけの表現では足りない完成された人間?
女神なのか・・・?
死神なのか・・・?
と呑気に自問し瞳を見ようと意識を向けた時、彼女の双眼が赤く輝き、叫んだ。
「この者のいまだこの世に漂う魂よ! 盟約に従い即刻この場から立ち去れー!」
強烈に輝く白い光が飛翔し瞬時に包まれる。
熱も痛みも恐怖もなかったが、驚きと死後の世界へ小さな期待だけは感じた。
何かに吸い込まれる感覚が全身を襲い、薄れ行く視界の中で見えたのは、全身に輝きを宿した満月の姿だった。
記憶に在るのは、その後砂浜のベンチに座っていた風景。
時間は判らないが、ただ座っていた。
あの光の玉に包まれたのが俺の死で在るならば、浜辺のベンチは俺専用の死後の走馬灯上映会だった。
人は死の瞬間に自分の一生を回想すると聞く。
眼前の乳白色の空に幾つも大小の窓が浮かび生涯の出来事の様々が映し出されている。
当初は何者か分からない黒衣の二人の訪問者の事と、残した己の屍がどう処分されるのか考えていた。
死亡したのであれば支払われるべき保険金は実家の家族の元へ届くのだろうか?
関与できなくなった生前の世界が心配で、真剣に目の前の映像を受け止められずにいた。
結果が出ない思考の堂々巡りに見切りをつけた頃、口からこぼれた言葉が
「恥の多い人生でした・・・か、月並みだが・・・名言だなぁ」
窓の中に映るものは何もかも、自分が決断した事柄とその末路。
最後はいつも反省に至る選択。
人生では後悔したく無いと何時も考えていた。
反省と後悔は違うのだと。
反省は改善すべき点を見つける事は出来るが、後悔は自分や周囲への恨み言で将来への助力にはならないと。
しかし・・・、ここは何だ・・・?
「後悔を強要する場所じゃ無いか? この先の人生がないのなら、これからどうすることも出来やしねぇじゃねえか!」
心からの叫びであった。
「そうだ・・・、死にたかったんだ俺・・・」
会社の独身寮で過ごす日々。
何をするにも気力が湧かずいつも考える事は「早くこの人生が終わらないかな?」と毎日願っていたでは無いか?
この先の人生に目指す物も、守る者も、為すべき事も、全く思い浮かばない。
一人部屋で安酒を飲みながら虚ろな意識で見つめたモニターに映ったネットの掲示板で見つけた「死にたい貴方が見るべきサイト」にランキングされていた怪しい通販サイトを閲覧するのが日課として増えた。
『天域』(アマゾーン)
に出展されている品々は大手の薬品メーカーの薬やサプリから、海外個人輸入の出処不確かな“呪いの面”など品も値段も様々で、眉唾物の“安全に死ねる水”なる物も多種出展されていた。
興味本位で何点かこの種の品を注文してみたが、直接死に至る物は劇物扱いの為ネット販売では許可されて無く、届いたものは一般のミネラルウォーター2リットルが6本で説明書には
“30分で全部飲めたら死ぬよ!”
等と書かれていたり、
“死ぬと思えば飲んだら死にます!”
とラベルに追記しているだけの物まで、価格は良心的だったのでクレームなど入れる事なく、安価な怪しい品を物色するのが唯一の篭りネタの日々だった。
あの儀式セットも何気に目に止まり暇つぶしで気楽にクリック購入した物。
まさか、あんなのがこんな死に方した原因なのか? 980円が?
「死亡の可能性があるとか書かなきゃダメだろ? 書いてりゃ身辺整理完遂してたのになぁ!」
あのまま黒衣の二人に放置されたら発見は数ヶ月先の春で、山菜シーズンにならないと無理そうだし、野生動物に荒らされたら第一発見者も身元確認する親族もトラウマになってしまう。
誰かに行き先伝えておけば良かったと少し反省するが知人がいない事に深く落ち込む結果となった。
思慮深さ・・・(基礎知識・周囲観察眼・未来予想)
窓に映る幾つもの過去を観ながら、足りなかった判断力に後悔の念だけが心の奥底から湧き上がってくる。
望んだとしても過去へは行けないのだし、生まれ変わりがあっても記憶のないゼロからのスタートでは末路は同じに思える。
俺の魂は堂々巡りとなってしまう事には気付いた。
だから願ったのだ。
「輪廻転生するならば、今の思いを消さないで下さい」
神様へと願ったつもりはなかった。
神は信じていなかったから。
ただ、ただ・・・。
聞いてくれる誰かが居るのであればと・・・。
砂浜に両膝をつき胸の前で手を合わせ
「思いを、記憶を消さないでくれぇ!」
とひたすら願った。
眼前で小さな物音がした。
願っている最中閉じていた瞼を開き、目の前の木製ベンチの上を見る。
さっきまでは無かったはずの電話が置かれていた。
屋内の固定電話で使われる、受話器だけのコードレス電話だ。
電子音のメロディーが鳴り通話ボタンが点滅、着信を知らせて来た。
迷いは無く手に取り通話ボタンを押すとスピーカーからは老人と思える低くゆっくりとした声が聞こえて来た。
「もしもし、もしもし? 聞こえていますか?」
「・・・・?」
威厳がある高圧的な問い掛けに一瞬ひるんでしまい返答に迷っていたら
「もしもし?」
と再度、受話器の先の相手が口にする。
「あ、はい、聞こえています。」
焦りながらもゆっくりと返す事が出来た。
「それでは初めに伝えておきます。これからする会話は重大な内容になる為、他言出来ない様に成ります。承諾しますか? はい 又は いいえ で答えなさい」
高圧的さに大暴を加えた感の物言いに少し苛立ちはしたが
「あのー、大変失礼とは思いますが、そちら様はどなたでしょうか?」
丁寧な言葉遣いに心がけて返答してみた。
「他言出来ない様になります。承諾しますか? はい 又は いいえ で答えなさい」
同じ文句が繰り返された。
逡巡の迷いが巡ったが
「はい、承諾します。」
と返答した。重大内容ならば、“思慮深さ”を増すための情報も知識も多い方が良いに決まっている。
無知では選択肢を選べる立場にも成れないと知ったのだから。
「よかろう、では、初めましてから始めよう・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・と成るであろう。心して旅立ちなさい!」
又、暗闇に吸い込まれ、そのあと目覚めたのだ。
次は、新たな世界2