帝都アトラ 1
風に千切れ枯れた葉が、固く踏みしめられた街道の上を、海風に押され流れる夕暮れ。 荷車の先を歩く髭を蓄えた男が、弛んだ肉の裏を片手で掻き怒鳴り散らす。
「てめーら、 サッサと引けってんだ、 日が暮れるまでに宿に着かねーと今回も飯抜きだからなー!」
振り返りもせず放たれた言葉は彼らの耳には届いていない。 引き手を持つ二人、それから張られた綱を持つ二人。 目は虚ろで足許も覚束無い。前へ倒れた上半身が地面へ倒れない為だけに出される足。 体は痩せこけ腰巻以外の羽織るもののない男たち。 緩い上り坂を荷車はゆっくり登って行く。
「こんな使えねー餓鬼ばっかり産みやがって、あの女も帰ったら処分してやる」
すえた臭いが強くなったのに気付き顔を歪め後ろを振り返る。臭いの元は荷車からする物ではなく、目的地の宿屋がある風上から運ばれた物。 積荷に目をやり交易場の商談で手に入る予定の、新たな玩具を想像したのかだらしない顔が歪む。
「ほら、 アトラの外街の臭いがして来たぞ、 飯食いたきゃ足動かせてめーら!」
荷車上、木の檻に詰め込まれた5名の人影が眼光だけは鋭く、弛んだ肉の先ゆく男を睨みつける。後ろについて歩いていた男が、這う様な速さで進む荷車を追い越し髭面へ語りかける。
「親父様、 外街へ着いたら飯だけは彼らにも食べさせてやって下さい」
「もちろん食わせてやるよ、 日暮れ前にちゃんと着いたらな!」
「親父様、 前回の交易では向かうだけで人足を半分潰して、帰りの人足を調達したら儲けが減ったではありませんか?」
口答えされたのが明らかに気に障ったのか、表情を一変させ睨み返す。
「てめーが荷車引いてもいいんだぞ、 どうせ同じ兄弟なんだから、 たまたま算術が使えるから荷車引いてないだけで、いつでも腕輪付けてもいいんだからな!」
言い放ち、荷車を引く男達の腕にはめられた鉄の輪を指差す。 顔を引きつらせ腰を低くし、元いた荷車の後ろの位置へ下がっていく。
「全く使えねぇ息子ばかり産みやがる女ばっかりだな、 今回ばかりは値段をケチらず上物買って行かにゃならんな・・・」
歪んだ顔をさらにだらしなく崩し、下へと変わり始めた道を自分だけは足早で進めた。
交易場がある帝都アトラの外街は、中央都市を取り囲む高い塀の外をぐるりと取り囲んでいる。 塀を背に寄り添う形で2階建ての石造りの店が建ち、荷車が交差出来る程の幅で、石畳が敷かれている。 向かい合う店は木造や革のテントで貧疎なもの。 日が暮れても止まない喧騒の中では、穀物と香辛料、金物に宝石、博打に売春、酒の他にも魂だけ空を飛べる薬も、売れる物は何でも買ってくれるし、買えない物は無い外街。
日没前に街へ到着した一行は、奴隷買取所で荷車の荷物を渡した。 証書へのサインが済むと、建物の奥から銭函が屈強な男に抱えられて現れる。 奴隷仲買人が腕輪をはめた銭函係が差し出す箱から、金貨を取り出しテーブルへ並べていく
「上物が二つと並が二つ、あと一つは使い物になりそうも無いが・・・、馴染みなんでおまけで、下の中って事でいいですよな!」
顔は金貨を置いたテーブルから外さず、黒目だけを髭面に向けて仲買人か言い切る。
「ちょっと待ってくれよ店主! 上物二つのじゃ無くて片方は特上だろ? ちゃんと見たのか、あの筋肉、 間違えちゃ困るよ!」
檻に入れられたまま外から水を掛けられ洗われている一人の男を指差す。
「確かにあれは良いもんだ・・・、しかし・・、捕まえる時に失敗したね、あんた?」
右手に握られた銅貨をテーブルにコツコツと叩き、黒目だけで髭面を見やる。 たじろいだ髭面に唇の端だけ持ち上げて「しょうがない」と呟き。 銭函へ手を突っ込み、銅貨を銀貨へ変える。
「ありゃ、足首の筋壊してるね? それが無きゃ特上もんだったが勿体無い事をしたねあんた。 まぁ、もひとつおまけであいつの分を上の中で引き取ってやるよ。 どうだね?」
握られた銀貨をテーブルへ置き、買取分の代金が全て並べられた。 金貨8枚、銀貨1枚、銅貨7枚。 髭面はしばらくテーブルの貨幣を見つめ横にいた連れ添いの顔を見る。 連れ添いは表情を変えずゆっくり頷いた。
「よし! 店主これで交渉成立だ! その代わり、明日女を買いに来るから特上の値段勉強してくれよ!」
「もちろんです。 毎度ありがとうございます」
頭を下げながら、一枚一枚硬貨を皮袋へ入れて付添人へ渡す。
機嫌のいい顔で振り向き「よこせ!」と言い放ち、付添人から代金の袋を奪い取り自分の懐へしまい込む。
「親父様、 人足の夕食代頂けますか?」
遠慮勝ちに口にした男を横目で睨み。 腰帯の隙間から銀貨を一枚取り出し無造作に男へ放る。 暗がりで落としそうになる銀貨を何とか受け止め頭を下げた。
「ありがとうごさいます。 親父様」
「明後日の朝出発だからな、 それとお前の分も入ってるからな!」
一食最低でも6銅貨になるこの外街で、5人が5食で150銅貨が必要。
1銀貨が100銅貨なので50銅貨足りない。 足りない分を要求しても渡して貰えないのを知っているのか、付添人は肩をすくめて髭面の後をついて歩いた。
二人が酒場街へ差しかかろうとした時、路地から影が飛び出して来て、髭面と激しくぶつかる。
「コラァ! 爺さんチンタラ歩いてるんじゃねぇぞ!」
ぶつかって来た男の方が理不尽な文句を言って走り去っていく。
「親父様大丈夫ですか?」
付添人が駆け寄り問いかけるが返事はない。
髭面は口から赤い泡をぶくぶく垂らしながらその場へ倒れる。 喉仏のすぐ下に刃物で切られた跡があり血飛沫と微かな空気が漏れている。
「親父様! 親父様! 誰かぁ? 誰か助けてください!」
周囲の通行人を目で追い訴えるが誰も手を指し伸べる者はいない。 皆遠巻きに薄ら笑いを浮かべ、言い放つ。
「暗くなってから大物売って大金手にするなんて、襲って下さいって言ってる様なもんだぜ!」
「どこの田舎もんだ? 剣士も連れずに金持って夜道歩くタァ? この街の常識しれねえのか?」
言われて、付添人が息の止まった髭面の懐に手を伸ばす。
「金が取られた、 誰か? 物取りだ、 人殺しだぁ!」
さっきよりも大きな声で周囲に叫ぶが、誰も取り合ってくれなかった。
往来の中心で倒れていた髭面を引きずり、路地へ入り
「親父様ぁ、 今医者を探して来ます!」
声だけ張り上げて服を脱がせていく。 腰帯から溢れた硬貨を落ち着いた手で全て拾いその場を後にした。 所持品を全て無くした尸だけがそこに残された。
姦しい声が飛び交う売春街の路地裏で二人の男が向き合い、小声で話しをしていた。
「誰だか知らねえが、助かったよ」
盗まれたはずの髭面の皮袋から、金貨を2枚取り出し渡す。
「あんたも悪いやっちゃねぇ、 あれ、 自分の親父だろ?」
金貨を受け取った、髭面にぶつかった男は下衆に笑う。
「あぁ! 算術も出来ない使えない年寄りさ。 次は俺の時代だ」
「あんたみたいなのが増えたら、この世も終わりだね」
「俺は人を殺したりはしねから善人だよ」
「おいらは貰う金の分、身体動かしたら人が死ぬだけだよ、おいらも善人だって思ってるよ。 何たって頼まれた事をやってるだけだしな」
お互いに別れの挨拶は交わさず別々の暗い路地へ消えて行った。
帝都アトラに入る門は二つある。
しかし、開いた光景を誰も見た事が無いと言う。 太古から在ると囁かれる帝都アトラに何故か人は集まり、繁栄と犯罪を謳歌する。 夢と希望と挫折と恐怖が連日繰り返す日常の夜は更けて行った。
次は、工房にて1




