大晦日
廊下を通った配膳用のワゴンの音で目が冷めた。
薄暗い部屋の枕元に置いた携帯電話に手を伸ばし、時間を確認したら午前8時少し前だった。
昨夜ポリーナと一晩過ごしたのは俺が使ったことがなかった秘境温泉宿の客間。
一組敷かれた布団には俺だけで彼女の姿は見当たらなかった。
寿の間から白熊に強制連行されてこの部屋に来たが、なし崩し的に据え膳を頂くのは絶対拒否したかったのでじっくり話し合いをした。
まぁどうあれ、彼女の魅力と押しの強さに折れた形になって、することは、した、何回も・・・。
彼女の肌のぬくもりが頭をよぎり、軽く頭を振って両手で頬を叩いた。
なんでいきなり彼女が出来て子作りに励む事になったんだろう、と彼女の匂いの残る枕を見ながら考える。
こんな状況になったのは、ここ一ヶ月の周囲の変化は、あの妖怪の宴会からなのを思い出した。
そこで、溜まった疑問をナームに教えてもらおうとしていたのを思い出した。
掛け布団を跳ね上げ布団を畳んで、完全に目を覚ます為に露天風呂に向かった。
▲■▲
フロント横にある食事処は宿泊者の朝食などを提供する場所になっている。
入浴後顔を出すと受付も兼ねた火鉢の前に大女将が座っていた。
「クソガキ朝飯食うのか?」
「腹減ったから、飯食わせてくれクソババァ」
「絵里は母さんの部屋に居なかったけど、婆ちゃん知ってるか?」
火鉢横のテーブルに座りタバコに火をつける。
「今日は大晦日じゃ、神社に初詣の準備に行きおった。 ナームと嫁さんも一緒じゃよ」
「あー、そうなんだ。 な! 嫁さん?」
「つがいに成ったのじゃろ? ひ孫が生まれるのが楽しみじゃのぉー、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ! じゃねえよ、クソババァ! 先のことはまだ何も決まってねぇんだよ!」
「そうじゃな、この先も幾つも道は別れちょるが、ババはひ孫を遊ばせちょる道を選ぶから大丈夫じゃ、心配するな」
「分かれ道・・・、を選ぶ?」
「そうじゃ、お前はこれからは平凡な生を送るんじゃよ。 そして笑って死んでいくんじゃ」
「なんだよそれババアの預言か?」
「お前が今生望んでいるんじゃから、そうなるだけじゃ」
「なんだよそれ、意味分かんねえよ」
「お前ここんとこ、面白いものいっぱい見てきたじゃろ? あれやこれや悩んだりもしたじゃろうが、人間の記憶っちゅうもんはすぐに薄まっておぼろになるもんじゃ。 過ぎ去る時間ちゅうもんはそんなもんじゃからの。 もう自分の人生を生きると選んだのじゃから、瞬間瞬間を楽しめばいいだけじゃ」
「亮君おはよう、朝ごはん準備できたわよ」
仲居の野口さんが食事処の厨房から現れる。
「おはようございます。 すみません遅くにお邪魔して」
「大丈夫よ、注文されてたから作ってたの温め直しただけだから」
「俺の朝飯の注文ですか?」
「彼女さんが亮君の朝食にって注文してたのよ、綺麗な婚約者さんね、亮君も隅に置けないわ全く!」
「え、まぁー、成り行きで」
「そんなこと言ったら彼女さん可愛そうでしょ!」
「このクソガキはデレておるだけじゃよ野口」
「若いっていいわね! じゃぁ冷めないうちに食べてね」
「はい、ありがとうございます」
厨房へ消えていく野口さんの代わりに大女将が俺の席に寄ってきた。
「ほうほう、これはこれは、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ!」
俺は目の前に置かれた朝食を見て頭痛がしてきた。
麦ごはんに自然薯のすりおろし、生卵ににんにくのホイル焼き、子持ちししゃもとホヤの酢の物そしてオニオンスープ。
精がつく食材が並んでいた。
「そんじゃ、ババのとっておきも出すかの」
大女将は袖口から割り箸入れに似た和紙出できた封筒を置くと楽しげに食事処を出て行った。
封筒の中には串に刺さった黒いトカゲの姿焼きが入っていた。
色々言いたい文句が脳内を駆け巡ったが、昨夜久しぶりに布団運動して疲れが残ってるのは、さっきの朝風呂で感じた筋肉痛で痛感している。
大女将と話してた、俺が選んだ今生の道とか、なんだかどうでも良くなってきた。
手間を掛けて準備してくれた野口さんに残すと悪いので、全部完食する小心者の俺だった。
大女将のプレゼントも苦かったが頂いた。
なにせポリーナが言うには、今晩が本番らしいので・・・。
▲■▲
ようやく日差しが差し込んだ露天風呂、浴槽のフチに腰掛け足だけお湯につけた小人の姿があった。
ジローとサブローは食事処がある方に視線を向けて聞き耳をたてていた。
「食ったな」
「しっかり尻尾まで残さず腹に収めたのである」
互いに見つめ合うと軽く頷き合う。
「そうとうな覚悟がなければ、肉体の欲求には抗えないもんな」
「至極当然なことである。 地球を母に生まれた動物は、食って寝て子孫を残して土に帰る。 それ以外の目的を見つけられる魂は数少ないのであるから、傍観者を決めてるポロアは先日ナームの決意を確認したのであるから、この後は普通の人間で過ごしていくのである」
「あのトカゲの姿焼きは抜群な精力増強剤になるけど、多重レイヤー世界は認知できなくなるもんな。 あんな綺麗な奥さんが出来て、男を奮い立たせなきゃ逆に心配になったけど、ナームと同じくリンちゃんもポロアには優しいよな、羨ましいぜ!」
「そうであるな、新年の初日の出が登る頃には、普通の人間であるな。 してジローよ、この湯に漬けて浄化しているシローであるが、この先の進む時間軸に関しては承諾しているのであるか?」
サブローは心配そうに白濁して底の見えない浴槽を覗き込む。
「俺が思うに、月へ行ってシルフ総督を知った時点で、この先の時間軸に己が成さねばならぬことは知っているはず。 この間ナームに自分を消滅させようとしたのは、人間も動物もあのリザードマン達でさえ長い間騙して苦しみを与え、命を奪って汚れてしまった己の姿を知りたくなかったのだと思う」
「そのようであるな、あの邪神の姿は生贄にされた動物達の怨念の宿った腐肉を数万、鎧の様に身に纏って形をなしてあったのであるからな」
「悪魔もナームの女神球で捕縛され、一つ一つ丁寧に浄化されて裸に成るとは予想もしていなかっただろうな」
「われもあれを見て度肝を抜かれたであるからな。 ナームの覚醒とはこれ程のものであるのかと」
「エルフの女の子に受肉して使える力は数億分の一、解き放てばガイア地球と同じ魂にまで成長しちまうんだもんな」
ジローは両手を上へ伸ばし背伸びをするとゆっくり後ろに倒れた。
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洗い場のタイルは冷たいが、湯に浸かったままの足は温かい。
ジローはナームを冷たく暗い湖の底へ幽閉した時の事を思い出す。
ナームからこぼれ落ちた意識で小間使いとして働いていたが、俺たち二人は温泉巡りと嘘をついて日本の湖の奥深くにナームを拘束した。
それは、山上光夫が生まれる時間軸に道を繋げるためもあったが、異星人同士の戦争でガイア地球の魂が傷を負ってしまったからだ。
衛星軌道上で繰り広げられた高出力エネルギー兵器の衝突や、地表面に落とされた幾つもの核融合兵器によるものだった。
相互に消耗し停戦協定を結ぶ頃には、地球の意識が乱され物質地球の内部磁場が不安定になり、宇宙放射線を防ぐ力が極端に弱まってしまっていた。
対応策を模索して1000年を経過した頃、降り注ぐ宇宙放射線は地表に住む生物に有害になるレベルを超え、大気が吹き飛ばされる事態も懸念された。
しかし、そのガイア地球の魂の深手をナームが癒せる可能性があると火星の王ミムナが教えてくれた。
ピラミッド地下迷宮の黄金の間でナームが流した血が水金と同化した時、ガイア地球の魂とナームの魂が強く結びついてしまったらしい。
そこで俺は驚愕の事実を知ることと成った。
魂は万物に宿るらしいが、大きさと言う物差しがないらしい?
ミムナが言うには、原子一個に宿る魂と、太陽一個に宿る魂は同じなのだそうだ。
俺はそんな荒唐無稽な考えは理解できないと言うと、話したミムナも同意した。
表層意識では分かったつもりでも、物質世界に受肉した意識の奥底が否定してしまうのだと。
戦争を起こした当事者としてミムナ自信がガイア地球を癒そうと同調を試みて幾度も失敗したらしい。
原因は地球の大きさの他に見守りの慈愛の深さに魂の波長をどうしても同期させれなかったと言っていた。
個別意識の魂は反発する為、融合させることは難しいそうだが、水金を媒体としてガイア地球とナームの魂の波長が同調域に達していることが分かり、ナームの思い込みの強さに賭ける形でガイア地球の魂に潜ってもらった。
「あれから8000年経って、俺も目覚めたナームに消滅させられる覚悟だったんだけどな・・・」
「ナームが目覚めた宴会の、次の日の折檻のことであるかな?」
「そう、あんなんで本当に俺たちを許してくれたんだろうか?」
「そうであると信じたいのである。 わしらをボールにした温泉ピンポンの優勝者はナームであるからな」
「あの笑顔が心からのものであると信じたい・・・」
「目は笑っていなかったと承知しているが、この身砕くなら、一思いに一気にお願いしたいものであるな」
「はぁー、胃に穴が飽きそうだよ・・・」
ナームからこぼれ落ちた“ジンジロゲ“3個は、14500年以来の兄弟の時間をまったりと過ごすのであった。
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「エル体」お読みいただきありがとうございます
前話最後にて「評価」のお願いした結果
数名の方が対応してくれました
感謝申し上げます
次は、雪降る初詣




