露天風呂
大女将と差しで飲んだ後、ほろ酔い気分でお風呂へ向かった。
男用脱衣所に入ると籠が3個使用されており女用の脱衣所にも気配があったので、貸し切りとはならなかった、残念。
客商売の書き入れ時期に売上が無い程虚しいことはないだろうから、俺のわがままが叶わなかった今を悲しむより、この宿に日銭が入っている事を喜ぼう。
女将代行の母さんも秘境温泉に訪れたお客様から給料をもらっているのだ。
温かい脱衣所から冷凍庫並の浴場へ意を決し躍り出て、速攻で体を洗い流して湯に浸かる。
「はぁー、極楽、極楽♪」
男エリアの湯気の向こうに、頭にタオルを乗せた中年オヤジが一人。
俺とすれ違いに出ていった高校生らしい男が一人。
板張りの垣根の向こうには女性の話し声が微かに聞こえた。
今日は凍てつく渓流を眺めながらの入浴は無理そうだった。
俺も頭にタオルを乗せて最近の溜まった疲れを取るべく、瞼を閉じてゆっくりと深い呼吸に努めた。
中年オヤジが浴槽を出て脱衣所へ向かう気配を感じ俺は一人になった。
そして訪れる違和感。
脱衣所にあった使用されていた籠が3個、二人出ていって俺だけが居る浴場。
「亮介チャンスだ、女湯覗こうぜ!」
浴槽から洗い場そして雨避けの木組み屋根と視線を向けても人影はない。
「どこ見てんだよ、こっち来いよ!」
今度は声がしたであろう方に注意を向ける。
「この、ここ、ここ。 ちょっとだけ空いてる穴の向こう。 楽園の花園があるんだぜ!」
浴槽の男女を隔てる壁に張り付く1/8サイズの人影を発見した。
腰にタオルを巻いて変な姿勢で女湯を覗こうとしてる小人。
「ジローか? この前見た時と見た目違わないか?」
「そんな事より、この壁の向こう! 花園に蝶が沢山舞ってる地上の天国だぞ!」
深夜の俺の部屋の時、モナコのテラス席のディナーの時からスイス洞窟まで、俺が知っているジローは痩せこけた四体に張り出した腹にニホンザルの顔を邪悪にした奴だったが、今は普通の人間の背中姿を縮小した感じ。
「別にそんな所に張り付いて小さな穴から覗かなくったって、見たいなら向こうのリア充エリアに行きゃいいだろうに」
変な姿勢を辞めてこちらに向き直る。
「つまらん奴だな! 小さき穴から湯けむりの先に観える判別困難な女神達の裸体! これこそ人生の浪漫!」
「それって全然見えてねぇって事じゃねえか?」
「背徳さ故に得れる満足感は儚いものぞ?」
もう一つの声がリア充エリアから聞こえて目を凝らしてみる。
頭の上にタオルを乗せた小人がいて堂々と視線を女湯へ向けていた。
「うげっ!」
カエルが潰れた声にジローの方を見ると、壁から生えた白熊の手に握られていた。
最初は手首だけだったが肩近くまで現れると、大きく振りかぶってジローを投てき、直線軌道で渓流向こうの山肌に向かって姿が消えた。
白熊の腕が消えた壁は破壊されたわけでは無く変わらぬ姿だったのは驚くべきことだったのだろうが、常識外の状況に耐性が出来たか麻痺してしまっているらしい。
間もなく遠くで何かが木に衝突した音と雪が落ちる音が耳に届いた。
「儚い浪漫であったな、ジローよ」
呟いた小人に近づきジローとは別の存在を観察する。
「お前もジローと同じ餓鬼族なのか?」
「“餓鬼”と呼ばれた時代も在るし“コロボックル”とも呼ばれたな。 気に入ってるのは“妖精さん”とか“ちっちゃいおじさん”だな。 総称はなんであってもさしたる問題ではないので好きに呼ぶがいいが、我が名は“サブロー”である」
「俺は“ジロー”な! な、亮介!」
ヨタヨタと宙を飛んで戻ってきた裸の小人がサブローの隣で湯に浸かる。
「確かお前らってエルフの使い魔で、普通の人間には見えないんだったか?」
「そうだぜ! 三ツ岩のとこの嬢ちゃんに俺はさっき捕まっちまったけど、普通意識低い系の人間にゃぁ気配すりゃ感じないんだぜ。 俺様を捕縛するとは難易度高い技をもってやがるあの嬢ちゃん。 ふむ、俺らを認知できた亮介も意識高い系の領域を継続できる域に入ったようだな。 何よりだ」
「ジローよ察してやれ、亮介は見知らぬ女の裸体を拝むよりも、絵里恵と不仲に成たったのをウジウジ悩んでおるのだ」
「でも、同じ世界を見れるように成ったんだから、兄妹仲良くできるようになったんじゃないのか!」
「そうではない。 連なる記憶の有無の件である」
「あー、そっちか・・・。 そっちは俺の管轄外だな。 ナームに過去世の名前で呼ぶなって叱られたからなぁー」
「そうであるぞ、これからのこの世が進む道は想定3の2・分岐2なのであるから」
「あーぁ、ナームは甘いからな・・・」
「優しいとも言うのであるぞジローよ」
「イタリアの宗教施設の地下でもトカゲ連中殲滅しなかったもんな」
「そうである、千狩りの神狼の名は未だ健在で奴らを根絶やしにするかと思ったら止めたのであるな、ルーゾンの奴も泣きの詫びを入れていたのである」
「まあー、条約破って影で人間を好き勝手に喰らっていれば、神狼の逆鱗に触れるわな。 それにあの時別働隊がルマンくんを救出に行ってたのも知っても真希に手を出させなかったし」
「性根がやさしいのであるなナームは」
「とりあえず最大の目標地点には到達したのだから、次にナームが目指すはあっちだしな」
「さっきから知りたくなかった話が聞こえてきてうるさいわ、少しは周りに気を使えエロバグ達!」
リア充エリアで話す二人の元へポリーナが現れ、お湯を手酌ですくい大波を喰らわせる。
俺はギリギリリア充エリアに侵入していなかったので、ポリーナの裸が視界に入ってすぐに背を向け小心者エリア深部へ行こうとした。
「こらミジンコ兄貴どこ行くんだ!」
「十分温まったんで上がろうかなと思って・・・」
「そうか、お前は“邪神”の本当の姿を探りに来た訳ではないのだな?」
なにそれ? “邪神”はあのスイスの地下空間でナームが消滅させたって言ってたじゃないか?
俺はゆっくり振り返りポリーナを見る。
牙をむき出しにして凶悪な表情の白熊が鼻先で小人を突っついていた。
「あの“邪神”はナームが倒したんだろ?」
「無力化しただけで完全消滅してはいなかったわ。 ミジンコ兄貴には見えて・・・なかったのね・・・。 ゾウリムシに格下げね! さあ、エロバグ 白状しなさい!」
「はて?」
「さて?」
そろって宙を仰ぐジローとサブロー。
「あの地下から微かな気配がずっとナーム様とあって、今朝お出掛けしてもその気配はこの宿から動いていないのよ。 あんたら知ってるわよね。 私は認めてないけどナーム様の使い魔なんでしょ?」
「さて?」
「はて?」
「ガルルルルルルゥー!」
しばらく続いた威嚇に呑気に鼻歌を歌いだす二人。
のらりくらりとはぐらかせれた白熊は地団駄を踏みながら後ろに下がる。
「いいわ、直接ナーム様に伺うわ! 無力化したとは言ってもあんなに強大だった邪気がナーム様の近くに居ては心配で安心して眠れませんから! あ、それとゾウリムシ兄貴!」
「はい?」
「今晩は練習するから、しっかり身体を休めておきなさい!」
「はへぇ?」
白熊は大波を立てながらリア充エリアから姿を消し浴場から出ていった。
それから小人達に色々聞こうとしたが、今回の一連の出来事と俺の知らない過去世の件は何も答えて貰えなかった。
知りたいのなら全てナームに聞けと繰り返すばかりだった。
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「中途半端に感がいいのも困りもんだな?」
「そうであるな、他の連中は見て見ぬふりをしてくれているのであるからな・・・」
人間の居なくなった浴槽に未だ浸かり続ける小人が二人。
二人の間の白濁した水面に幾つかの気泡が浮き上がり弾ける。
そして底から小さな影が浮かび上がってきた。
それは水色の石鹸箱。
それを見つめる二人の視線は悲しみをおびていた。
次は、黒く黒く暗く、そして消える




