エルフの同居人
来週末にクリスマスを迎える土曜日の午後、彼女はやってきた。
ピィン・ポォ〜ン
「ハァ〜ィ、今行きまあ〜す」
自室で動画を見ていた俺は呼び鈴が聞こえアパートのドアを開ける。 曇天の背景に金髪美女が立っていた。 数週間前に秘境混浴温泉で同浴した電波エルフだ。
「兄貴ー! しばらくナーパ様うちに泊まってもらうから〜」
背中から声がかかり妹の絵里恵が俺を突き飛ばし彼女をアパートへ迎え入れる。
「はいぃ?」
「ほんとにいいの? 絵里恵さん。 私はアレだし、亮介もアレなのよ?」
閉められていない扉の前でモジモジエルフが俯き呟く。
「なに言ってるんですか! まずもって、今生の約束守って下さいナーパ様!」
「まずもって? の使い方間違ってませんか? 絵里恵さん?」
「あのぉ〜?」
「まず、わかって兄貴!」
「ですから、まずの使い方が・・・」
爆弾低気圧の影響で降った季節前倒しの雪は消えたがもう年末。 外はそれなりに寒く、街路樹には木の葉一枚も付いていない。 木枯し吹き荒れる冷気と共にアパートに珍客を呼んだ冬休みに入ったばかりの妹に俺の声は届いていないようだ。 閉められない扉の前でモジモジしている耳長美女の背中を強引に押して室内に招き入れると、短い我が家の廊下を進みながら彼女の眼前に右手の小指を突き出す。
「約束守るって言った!」
「・・・ですから、この身で出来る限りは、この時間で絵里恵さんの不遇に対して償いをすると言いましたが、なんでこうなるのでしょうか?」
妹にナーパと呼ばれた女性の小指に自分の小指を絡めリビングへ連行して行く。
「さっ! 上着脱いで、このドテラ着て、おこた入って、これ飲んで!」
襟に純白のファーが付いた厚手のロングコートを脱がせて、見慣れぬドテラを着せて狭い部屋の中央に置かれた小さいコタツの席に座らせる。 戸惑いながらも妹に従う彼女を目で追うしか俺にはできなかった。
「エリ、この狭いアパートに彼女を泊めるの?」
「兄貴には迷惑かけないわよ。 時間がないから『私の部屋』に泊まってもらって、師匠になってもらって、んっでもって、修行して、そしてナーパ様の鉾! に成るんだから!」
「ですから、そこまでしなくてもよろしいのですよ絵里恵さん。 宿で話した私の今後の予定は、本来私一人で事足りる事ですし、皆に迷惑はかけたくないのですよ? 今生の謝罪は・・・」
「エリちゃん! そう呼んでくれるって言った! 約束は絶対なんですぅ!」
狭いコタツに肩をすぼませ座るナーパの隣に陣取って腕を絡ませる妹の顔は駄々っ子のそれだ。 小さなため息を漏らした後に部屋をゆっくりと見渡し入り口に立ったままの俺と視線がからむ。
「お邪魔しちゃってます亮介さん。 あの〜、お風呂で一緒した以来ですよね・・・」
「そ、そうですね。 ナームさんでよろしかったですよね。 妹が何かご迷惑をおかけしているみたいで。 大丈夫ですか?」
なんと声を掛けていいか頭に浮かばず恐縮するほかなかった。
「そうですね・・・。 体調も元に戻りましたし、出発予定までには少し時間もありますから絵里恵さ・・・、エリちゃんとも約束させられてしまいましたから・・・、お邪魔じゃなければ数日、ここにお世話に成る事は可能でしょうか?」
狭い部屋割りの2LDKのアパートは俺と妹が各一室使っていて、時々帰宅する母さんは妹と一緒の部屋に布団を敷いている。 リビングにコタツとテレビは有るが食事時以外では使ってはいないし、普段の在宅時は各自自室で過ごしていて妹が高校に入学してからは家族団欒の記憶も無い。 俺も妹もここへ友達を呼んだ事も無いし、まだ虫が付いてもおかしくは無い見た目と年齢の母さんも男性知人の話すらしないし実家から訪ねてくる親類もいない。 客など来たことはないアパートに数日前に出会ったばかりの電波外人のお泊まりを強要する妹。 あの宿の宴会は今でも夢だったのでは無いかと自分を疑い、忘れてしまおうと役場の仕事に精を出したのは記憶に新しい。 なのに、あの場の主役をここに連れてくるとは、JKは摩訶不思議な生きものと思ってはいたが、電波外人になついて自分の家まで連れてくるとは俺の妹は度をこしすぎでは無いかと思った。
「大丈夫ですよナーパ様。 兄貴はパソコンがあれば彼女いらない無害な害虫のヒッキーボッチ。 だから、気にしないで! さぁ兄貴は自分の部屋へ行って! し、しっ!」
「お前なぁ〜、いい加減にしろよ。 彼女迷惑そうにしてるじゃないか!」
「私は・・・、エリちゃんのお願いを聞いてあげる約束したのは真実ですし。 亮介さんのご迷惑にならなければ・・・」
「ナーパ様大好き! さ、アレなヒッキーボッチは部屋でパソコンで2D女に構ってもらってなさい!」
ハエでも追い払う仕草で俺に向かって手を振る妹にムカついたが、昨今口喧嘩で勝てた記憶がないのを思い出し俺は自室へ退散する事を決めた。 何とか脳内で電波美女と妹の関係を詮索しようとしたが断念し、ブルートゥースのヘッドホンを被り急な来客で一時停止していたネット動画の再生ボタンをクリックする。 アメリカの救急病院ドラマが再生され、吹き替え音声がグダグダ人間関係のフィクションに引き込んでくれてまったり暇つぶしの時間が流れた。
暗がりの部屋の中モニターの明かりが照らす机の上に置いてある携帯が振動した。 手に取ると妹からのメールの着信で「飯」とあった。 二人とも帰宅時間がまちまちなので夕食は各自でとる決まりになっている。 今日は来客者がいるので俺の分も準備したとゆう事らしい。 パソコンをスリープにしてリビングへ向かった。 コタツの上に2人分の夕食が並んでいて、エリはまだキッチンで料理中らしかったがナームはさっきと同じ場所に借りてきた猫の様に座っていた。
「ついでだから兄貴の分も用意したから」
「サンキュー」
冷蔵庫から缶ビールと枝豆を取り出し俺用の茶碗が置かれた席に座る。 ハンバーグと豚汁が湯気を上げていた。 同じセットが対面にエリの茶碗が置かれていたがナームの前には何も置かれていない。 調理を終えたのかキッチンの明かりが消えエリがお盆を手にリビングに入ってきた。
「ナーパ様はエリ特製のこれ!」
中居さんが給仕する仕草で彼女の前に置かれたのはナスの姿焼きと小皿に入ったイカの塩辛。 自分の席に座ったエリは陶器のぐい呑に緑色の見慣れぬ一升瓶から日本酒を慎重に注ぎナームの前に置いた。
「まずもって、いただきまぁ〜す。 ナーパ様冷めないうちに食べて、食べて!」
彼女は自分の前に置かれた晩酌セットとエリの顔に何度か視線を走らせ戸惑う表情のまま胸の前で両手を合わせた
「それでは、ご相伴に預かります。 いただきます」
日本酒を口に含み喉に通して生姜醤油の焼きナスを上品な箸使いで食べ始める。 恐縮が張り付いたままだった彼女の表情が和らいで満面の笑みでエリを見つめる。
「とっても美味しいですエリちゃん。 それに、とっても懐かしい・・・、暖かい味・・・」
エリは無言のまま熱い視線で次を促す。 ナームは日本酒をまた呑んでイカの塩辛も食す。
「お刺身用のイカからこんなに美味しい塩辛を調理できるなんて驚きました、私の好物のお酒のおつまみも料理できる女性になってたんですね。 本当に美味しい」
「うふ、母さんに聞いといて良かった。 いつかナーパ様に食べてもらおうと思って何回も練習した甲斐があります。 あっ! 兄貴はさっさと晩酌済ませてご飯も食べて洗い物お願い!」
打って変わったぞんざいな口調で言われ「おぉう」とだけ返し缶のままビールを呑んで枝豆を口に放り込む。 少なくなったナームのぐい呑に注ぐ一升瓶のラベルが目に止まった。
『田酒』
オヤジの好きだった日本酒。 突如幼かった頃の記憶が蘇ってくる。 ナスの姿焼きとイカの塩辛はオヤジの定番の酒の肴だった。 食事が終わった俺は時間を掛けて晩酌するオヤジの横に座って時々おつまみをねだってテレビを見てた。 あの頃は祖母とオヤジと母さんと小学生の俺と幼稚園に入ったばかりのエリ、五人家族で何の悩みも無く過ごしていた幸せだった記憶。 ナームが着せられたドテラ。 あれはオヤジのだ。 妹は出張で留守がちなオヤジのせいで夜泣きが酷かったが、あのドテラを丸めて添い寝させると泣き止んで母さんと一緒に笑った覚えがある。 エリは食事を取る合間に自分の小学校の頃の友達の話や中学校の初恋の話とかを身振り手振りを交えて面白おかしくナームに聞かせ、ナームの晩酌に思い出話の肴を添える。 聞かされている彼女はそれを楽しげにそして真剣に聞いて、大きく頷いたり上品な笑い声で聞き役に徹していた。 姉妹のガールズトークとはこんなものなのだろうか? エリの食器が空になった頃俺の枝豆と二本目の缶ビールが空になりハンバーグに箸をつける。 ナームのおつまみは手間の掛かる手料理で俺のは冷凍食品だった。 豚汁は流石に我が家の味だったのできちんと手料理と呼べるだろう。 いつもは自分でつまみも食事も準備しなくてはならないのだから感謝をもって食べた。 自分の食器をキッチンにもっていった後戻ってきたエリが持つお盆に俺の枝豆とお猪口が載っていた。
「兄貴の枝豆もらうね」
「晩飯準備してくれたからそれくらい良いけど、呑むの?」
「なんか文句あんの兄貴? 私も晩酌付き合って良いですよね、ナーパ様?」
「あのですねエリちゃん、未成年の飲酒は法律で禁止されているのではなかったかしら?」
「若い娘の方から一緒にお酒が飲みたいと言われてナーパ様は拒否られるのですか!」
「はへぇ! ・・・ご家族の了承が有れば、エリちゃんの意思を尊重したい、と思います・・・」
「母さんは大丈夫です。 兄貴も高校生の頃から隠れてお酒飲んでるしタバコも外で吸ってるの知ってるもん、私にダメなんて言えないダメ人間。 私は隠れてそんなことしないけど、ナーパ様とこんなに近くで一緒にお酒飲める機会なんて今までず〜っと、無かったんですよ、ちゃんと覚えてますよね。 いいですよねナーパ様ぁ〜」
「それでは・・・、仕方ありませんね。 お酒を飲むなら三人一緒で、お互いに飲み過ぎに注意して、適量でお開きにするので有れば大丈夫? 大丈夫なのですか? 後でお母様に私叱られたりしません?」
「しません!」
胸を張り両手を添えて突き出したお猪口はナームに向けられていた。 注いでもらいたいらしい。
「おいエリ! 流石にお客さんに酒を注がせるとか失礼すぎるだろお前!」
見かねて語気を強めて止めさせようとしたがナームは「お気になさらず」と断って慎重に一升瓶から注いでやった。 なぜか互いの瞳が潤んで見えた。
「ぷっはぁ〜! おいっし! さすが緑の『田酒』! ナーパ様にお酒を注いでもらえるなんて夢のようです。 もう一杯お願いします」
「はいはい、本当に飲み過ぎには注意してくださいね。 私も緑瓶は数回しか飲んだことなかったですけど、とっても美味しくいただいていましたわ。 亮介さんもコップ持ってきて一緒に飲みましょ」
「ナームさんがそう仰るのであればご一緒しますが、エリの我がままは断って良いのではありませんか? お客さんなんですし」
「兄貴はアレなんだから私に文句言わないで黙って! 私の気持ちなんかわからないんだから! ねぇ〜ナーパ様ぁ〜」
「なんだ、もう酔ったのか?」
「まだ酔ってません! これからです。 これからお酒の力を借りてゆっくりナーパ様に思いの限りをぶちまけちゃうのです。 いいですよねぇ〜、ナーパ様ぁ〜」
「お手柔らかにお願いしますエリちゃん。 ちゃんと思いは受け止める覚悟はしてきましたから・・・」
奥歯に物が詰まった様な二人の会話を聞きながら、空いた食器をシンクまで運んでイカの塩辛と乾物を持って妙な飲み会に俺も強制参加させられるのだった。
喉が乾いて目が覚めた。 昨晩の飲み会は結局一升瓶が空になる深夜まで続き買い置きの乾物もナッツも食べて非常食用の缶詰にまで手を出した。 食べたのはほとんど俺だったがそれは仕方がなかった。 酒の量は俺が五合でナームが4合、エリは1合、の割合だったと思うがお猪口で4杯目ぐらいからエリは目が座って無口になった。 突然笑って突然こたつの天板を叩いて怒る。 そして大泣き。 訳わからん。 それに対してナームは一緒に笑って一緒に怒って一緒に頬を濡らしていた。 あの温泉宿の宴会場と同じ訳わからん無言の飲み会。 約束したてまえお開きまで逃げることが出来ずひたすらつまみを準備しては食べ、手酌で酒を飲んで何度か二人の中に入ろうと言葉をかけては断念し、エリの飲み過ぎ監視を最後まで続けた。 三人とも酔い潰れる事は無く、最後は全員で片付けをして就寝した。
「本当わけわからん・・・」
もたれた胃の位置を変えようと寝返りを打つとパソコンのモニターが点灯している事に気がつく。 スリープにしてたからシステムアップデートのダウンロードか何かの衝撃でマウスが反応したかと思ったが妙な物がキーボードの前を蠢いていた。
細い手足に膨らんだ腹。 落ち武者の髪型に緑の腰巻の小人。 ちっちゃいおじさんが二人。 都市伝説でTVで耳にする幸運を呼ぶ中年おじさん妖精。 そう思った。 一人はキーボードの前をうろちょろして、もう一人はマウスを両手で操作している。 それに反応してモニターが何かを映し出している様だが俺の頭の位置からは映像は判別できない。 話では金縛りとかになってると聞くが俺の体は全部の感覚があって酔いで頭が朦朧としているわけではない。 高い酒は残らないと酒好きの俺が心の隅で呟きとっさに声が出た。
「お前らそこで何してる!」
一瞬動きを止めた小人が同時に俺を見て、歪んだ表情で笑った口元に凶暴なサメの歯が並んでいた。 邪悪さを感じ背中に悪寒が走った。 秒で起き上がり照明をつけて手近な武器になりそうな棒を手に取りパソコンディスクと距離を取る。 明るさを取り戻した俺の部屋でモニターに向かって拳と武器を向けるがさっきまでいたはずの小人の姿は見当たらなかった。 注意しながら机の下やモニターの裏、ベットの下まで携帯のライトを点けて照らしてみたが見つける事はできなかった。
「亮介さんどうかしましたか?」
部屋の扉の前でナームの声が聞こえた。
「あ、なんでもありません。 すみません夜中にいきなり大きな声を出して」
扉を開けるとナイトキャップに緑のジャージ上下姿の彼女が立っていた。
「こんな時期にハエですか。 この時期は人懐こいのがいますからね、頑張って退治してくださいね」
「あ、はい」
俺は棒を握っていた右手に目をやるとプラスティック製のハエ叩きだった。
「それではおやすみなさい」
「はい、起こしてしまってすみません。 おやすみなさい」
妹の部屋に向かう彼女を見送り、もう一度部屋の隅々まで確認した。 夢とか見間違いなんかじゃない。 確実な存在感を持ってあの二人のちっちゃいおじさんはこの部屋にいた。 なぜならば『お前も来るがいいさ 俺の城へ』と書かれた文字と三箇所の×印が付いた世界地図がモニター画面に表示されていたのだから。
次は、一番目の城1




