表皮の意識
見える世界は灰色だった。 周囲には大小の泡が体に密着し頭から爪先へ流れていく。 静寂の中わたしは浮上しているようだ。 魂の満ちた海の中を。 わたしは知った、これは宇宙と呼ばれるもの。 わたしは知った、宇宙は小さいものだと。 わたしは知った、小さい宇宙が無数に存在し重なり合っているもの。 わたしは知った、それは泡の海であり、ガイアだった。
わたし、私、和多志は・・・、だれ? 記憶の奥底、始まりを探った。 虚無の中に生まれた塵。 虚無が見る夢のかけら、それがわたしの始まりだった。 塵は孤独だった。 塵は仲間を求めた。 塵は集まり宇宙を形成した。 和多志はガイア。 ガイアは思った、わたしは誰? 暗闇の中で光を放つ宇宙を見つけた。 光に集う仲間を見つけた。 歓喜がガイアを満たした。 ガイアの中の塵一粒一粒が歓喜を夢見みた。 岩が砂になり長い時間をかけて水になった。 水はまた途方もない時間をかけて姿を変え空になりそして、ガイアに集い続ける塵が生命の形になった。 藻が草になり木になり自由に動ける動物になった。
蘇る記憶の中わたしは和多志を認識した。
ナーム。 そう呼ばれる魂が和多志。 空腹で迷い込んだ小さな洞窟で、耳長娘の足にかじり付いた時から意識は拡大し世界が鮮明に見えるようになった。 仲間ができヨウと呼ばれ何度も生まれ変わっては世界を旅した。 雌の体に生まれた時からキョウコと呼ばれた。 大きな戦いが三度続いた後の平穏な時代、実り豊かな山で穏やかに暮らした。 突如起きた人間どうしの戦いで一夜にして10万の魂が山へ掛け登ってくる景色を見た。 その後も数十万の魂が救いを求めてさまよう山々をキョウコは巡り輪廻へ導き人間の業に怒り憎んだ末に自分を閉ざした。 和多志はわたしを見ていた。 傷ついたガイアが癒しの魂を求めて和多志を取り込んだ後も、体は眠っていてもガイアが見るもの感じる同じものを、わたしの魂も移りゆく世界の中で知っていた。
灰色の世界が変わり始める。 濃淡を繰り返しゆっくりと確実に、白い世界と、黒い世界と。 わたしはガイアと同調して太陽を周り、昼と夜とを数えきれない程繰り返した。 それもまも無く終わる。 長い期間をかけて傷が癒えた母なるガイア、歓喜を忘れ自傷行為をする無知な魂たちを母体に返す。 和多志は命を受けて目覚めに向けてガイアの宇宙を浮上している。
体は暖かい乳白色の液体に浸っていた。 視界に入ってきたのは水面と立ち昇る湯気、温泉に浸かっているのがわかった。 右腕と左腕に手の感触がある、誰かに支えられながら入浴しているのだろう。 左右の人影を探ろうと首を動かそうとしたら、体の関節と筋肉に痛みが走った。 それもそうだろうと思う。 エルフの体は便利で万能だったとしても、8000年の間湖底で体育座りをしガイアと同期していたのだ、あっちこっち固着してても不思議じゃない。 使い慣れたナームの体で生命活動を再起動できただけでも火星の王に感謝しなくてはいけないかな・・・。
「ナ・・・。 ナー・・・。 ナーム様・・・」
和多志を呼ぶ声。 懐かしい声。 根幹の記憶から全てを思い出した和多志の中の今のわたしの名は、ナーム。
・おはよう、テパ、サラ・・・
「うわぁぁぁぁ・・・」
サラが肩に額をつけて激しく泣き出した。
「おはようございますナーム様、お目覚めの気分はいかがですか?」
・二人にまた会えて、とっても嬉しい! でも体が思うように動かないのよね・・・
痛む首に力を入れてテパの方を向く。 潤った頬に大量の涙の筋を走らせる艶やかな日本人形のような美女が微笑んでいた。
「ここの温泉は強力な地脈から湧き出した世界屈指の癒しの湯、じきに体は解れると思いますわ」
「そうよ、リンちゃんがナーム様が目覚めた時の為にって守ってきたお湯です。 すぐに元に戻ります!」
号泣していたサラはいつも通りの褐色の肌に癖っ毛の黒髪で彫りの深い青い瞳の美人さん。 数々の思い出が脳裏を駆け巡りわたしの瞳も潤んできた。 二人に言われたお湯の効能がプラシーボ効果で効いてきたのか、関節の痛みが和らいできた感じがした。 年寄りのエルフが温泉で神経痛を癒す湯治をしている姿を想像して何だか笑えたが、わたしは今どんな姿をしているのだろう。 成長と老化が感じられなかったあの頃から8000年も経過したのだ。 流石のエルフでも見た目はオンアぐらいにはなったのだろうか。 両脇の二人は肌艶もよくお湯に浮かんだ双丘もとても立派、わたしのは皺皺のタスキみたいになってしまっててもおかしくない。 何だか悲しいい気分にもなった。
「少し長湯には成りますから、ナーム様が眠りについてから今までの出来事をお聞きになりますか?」
テパに眠っていたと言われたけれど、わたしの意識はガイアと共に星全体を俯瞰していたので大体は理解している。 しかし今のエルフの体に戻ったわたしは膨大な情報全てを共有するのは無理のようだ。 ここは認識のすり合わせをしておくべきだろう。
・お願いテパ、サラ。 あなたたち二人が見てきた世界を教えて頂戴
「わかりましたナーム様」
「テパが話す係でわたしはマッサージする係ね」
・サラの話も聞きたいわ
「忘れたんですかナーム様! わたしは考えたり話したりが昔っから苦手なんですよ
・知ってた
「さ、さっ! ナーム様はわたしに体を預けてテパの話を聞いててください! 全身隅々までマッサージしますから!」
サラの言葉が終わらぬうちに腰の後ろに水流を感じたと思ったら、底に付いていたお尻の感覚が無くなって体がお湯に浮かぶ。 不安を感じる前に全身が適度な水流に支えられ揉み解しが始まった。 露天風呂が高性能マッサージチェアーになった。 超気持ちい! わたしの前へ位置を変えたサラの手が湯煙の向こうで怪しい動きをし始める。 今まで相当気を揉ませて苦労を掛けたであろうから好きにさせてやろうと思った。
「サラったらハシャギすぎですよ!」
「だって! 嬉しすぎで自分がどうにかなっちゃいそうだから、湧き上がる称賛をナーム様にお返ししたいの」
・とっても気持ちいから続けてサラ。 ものすごく心も暖かくなってきたわ
「湯あたりしない程度でお願いね。 あなたの快方はしませんからね」
「まかせて、もう水が苦手な子猫は卒業したんですから!」
「はいはい。 それではナーム様、私の見てきた世界のお話をします・・・・・・」
大きな出来事を掻い摘んでと前置きした後テパは年表も交えて教えてくれた。 大半が日本の歴史だったが、火星の王ミムナが大戦で生き残ったエルフの大半を連れて母星へ旅立った話。 シャナウが地球に残ると地球中を逃げ回り、ミムナに強制連行されていった話。 400年前にユーラシア大陸北方で起きた銀星の残党と獣妖怪との戦闘は詳しく知らなかったので興味深かった。 そして未だ残存する銀星勢力が自ら作ったピラミッド社会の上層に位置する人間を操って裏で暗躍している話は、陰謀論の都市伝説と山上の記憶にはあるがテパが言うのだ事実なのだろう。 話始めて小一時間が経ち、何とか自分で体を動かせるようになった頃テパの話も終わった。
・テパ、サラありがとう。 今の世界のことだいぶ分かったし、体も少し動かせるようになったみたい。 まだ、声は出せないけど
「お話ししたい事はいっぱいありますけど、今はこのくらいにしてお湯から上がりましょう。 お湯とマッサージは少し運動してインターバルを設けた方が効果が上がりますから」
・そうね、茹でエルフになる前に水分と栄養補給しないとね。
サラに抱えられて脱衣所に向かっている中、温風が全身の水滴を飛ばしてくれて髪も乾かしてくれた。 自慢げな表情をするサラの気遣いが嬉しく思えた。 脱衣所の椅子に座らせられ目覚めて始めて自分の姿が確認できた。 見た目は25歳位でおばあちゃんじゃなかったのは少しホッとした。 髪の毛はお臍のあたりまで伸びていて少女の面影は消えた大人の女性。 胸は自分の掌から少し溢れるくらいに成長し、お尻も大きくなった感じがする。 先にわたしに下着を着けさせてくれている二人の裸体はグラビアアイドル体型で張り合う気すら湧かなかったが、自分の体の成長で時間の長さを実感した。 パンティーとブラの他に密着する上下の下着に毛糸の腹巻と毛糸のパンツ、浴衣に丹前に半纏。 十二単か? ってくらい着せられたが私の事を思ってのこと文句は言わず従った。 二人も身支度を終えて脱衣所を後にした。
薄暗い廊下を進むと大勢の人の気配に気が付く。
「ナーム様の目覚めを聞きつけて集まった者達です。 リハビリの休憩に顔を見せてあげてください」
・構わないわよテパ
「ありがとうございます。 皆喜びます」
部屋に入るとそこは大きな宴会場だった。 総勢160人は居るだろうか? 見知った顔がわたしを見つけて面々の笑みを浮かべる者、泣き出す者、遠吠えを発する者それぞれ。 獣妖怪のピラミッド広場からの知り合い、ドキアの街の住人、火星人移住都市の連中も居た。 大戦を一緒に戦った信頼できる仲間達の懐かしい姿がそこにあった。 歓喜の視線を浴びながら中央を進み囲炉裏のテーブルに座った。 とうせんぼのリンちゃんがわたしの目覚めを報告し場内に歓声が沸き上がり暖かい氣が魂に届く。
・おはよう皆さん。 長い間眠っているわたしを見守っていてくれてありがとう。 この地も地球も守ってくれて本当にありがとう。 長い間留守にしていてごめんなさい。 みんなには苦労を掛けましたね。
・姫様! お帰りなさい!
・ナーム様! お目覚め万歳!
・戦乙女様! お勤めお疲れ様でした!
・お主ら うるさいのぉ! ナームは目覚めて間もないのじゃ、騒ぐでない! 気忙しいお主らに顔を見せに来てもらっただけじゃ。 で、調子はどうかのぉナーム。
・リンちゃん久しぶりね、リンちゃんが用意してくれた温泉に浸かってだいぶ良くなったわ。 リンちゃんも長い間ありがとうね
・当然の準備をしていたまでじゃ、ナームが怒るとおっかねぇからのぉ
・でもみんな変わらないわね
・何を言うとる? ナームはどこを見とる?
リンちゃんに言われて少しぼやけていた瞳に意識を向け焦点を調整してみる。
狸のひげを付けた少女姿のリンちゃんがおばあちゃん姿になった。 宴会場内の獣姿は消えて人間や妖怪姿に変わる。 わたしは記憶にある魂の姿として最初は見ていたらしい。
・リンちゃんおばあちゃんだ
・わたしゃここの温泉宿の大婆女将じゃ
少し首を巡らしテパとサラを確認したが、二人は変わらずの美人さんだった。 リンちゃんの向かいに青年が座り隣に平伏する着物姿の女性が居た。 ポロアとテラミスだと直感した。
・ポロアもテラミスも来てくれてたの? ありがとう
・ナーム様・・・。 今生では大変申し訳ない事をしてしまいました・・・。 どうか、お許しください・・・
・なに? なんで謝るのテラミス?
・私の今生の名前は・・・、武藤美沙といいます。 山上さんの元妻でここで女将代行を務めております・・・
・はへぇ?
意表を突かれて正座の体制が崩れて倒れそうになった。 テパがすかさず支えてくれてサラが座椅子を運んで来てくれて座り直させてくれる。 テラミスは奴隷解放時からヨウの近くにいつも居た覚えがある。 その後の転生でも何度も一緒の時代を過ごし縁を結んだ。 過去の記憶を封印した山上の人生でもテラミスは妻として側に居てくれたらしい。
・謝らなくていいわよテラミス。 それぞれの人生の生き方は自分が決めるのですから、誰にも束縛されず自由にして良いのですから。 山上こそ男の甲斐性が無かった。 謝らなければならないのは山上だった私の方なのよ。
・私も過去の記憶が無かったとはいえ、不貞をはたらき山上さんを傷つけました。 本当に申し訳ありませんでした・・・
・それは因果じゃのぉ
・山上さんを過去へ送るための抗えぬ業だったのかもしれませんね
話を聞いていたリンちゃんとテパが後で呟いた。
・そうよテラミス。 あなたは山上を裏切ったんじゃなくて過去世へ導く役割を果たしたのよ。 うん、絶対そうよ! だからもう謝らないで! 今の時代の山上だってそんなの気にしてなくて気楽に生きてたから
・でも、ナーム様・・・
・テラミス・・・、いえ、美沙さん。 この宿に来て過去生を思い出してから美沙さんは十分後悔もして反省もして償いをとナーム様のお戻りの準備に勤しんで来たではありませんか。
・うん、なら私が美沙さんを許す! 意固地で狭量な山上のことはもう忘れて、この後の人生楽しく過ごしましょ? 楽しい思い出いっぱい作った方がいいわよ?
テパの口添えで顔を上げたテラミスは涙に濡れた頬を少し緩ませ笑みを浮かべた。
・それにしても過去世の記憶の無い美沙さんは山上と別れてから何でこの妖怪宿の女将に?
・こちらの宿に覚えはありませんか? 『白山の湯 秘境温泉宿』 一度だけですが社員旅行で一緒に泊まった宿です。 その時によくしてくださった真希女将が「困った時には必ず連絡しなさい」と言われて離婚してから地元に居辛くなって、子供達と一緒にお世話になりました。
子供達と一緒? ってことは隣に座る青年ポロアは山上の息子の亮介か?
・亮介、お前ポロアだったの? あれ? 聞こえてないの?
・無理じゃよナーム、テラミスとソリュンはこの宿へ来て間もなく全て思い出したんじゃがのぉ、ポロアは何をしても無理じゃった。 奴の事じゃから何かしらの考えあってのことじゃろうがのぉ
目覚めてまだ間もないからだろうか、山上時代の周囲に集った魂達の話を聞いていると過去からの深い因縁に驚きすぎて言葉を失ってしまう。 ガイアと意識を共有して宇宙が何たるかを知り自分の存在も目指す先も理解したとゆうのに、身内にこんなに懐かしい連中が集まっていたとか今まで思っても見なかった。 ドキアの王になったポロア、王妃になったソリュン。 それが今生は兄弟で山上の子供とかカルマ深すぎるでしょ。
周囲を見渡しながら考え耽っていると、これまた懐かしい気配が近づいてきた。
シロンとツヒトが拳を畳につけて頭を下げる。
・大地癒しの長いお勤めお疲れ様でしたナーム様、お戻りのこの時、心待ちにしておりましたぞ!
・シロンもみんなのまとめ役をしながら眠ってる間の私を守ってくれたのでしょ? お疲れ様でしたね
・俺はナーム様の戦士ですから当然の事です。 それでは預かっていた物をこちらに。
シロンは握られた拳を囲炉裏の縁に伸ばし引き戻す。 そこには小さな水晶の玉が2個置かれていた。
次は、目覚めてからやるべき事




