宴会場2
母さんの腕を握った掌から伝わる熱がとても冷たいものに感じる。 この化物が集う部屋の中で、平然と俺に向けられるいつもと変わらぬ表情。 なぜか別人のものに思えてしまう。
夢だ!
夢に決まっている!
こんなのは、絶対悪夢に違いない!
目を閉じて心で『南無三』を唱える。
大婆女将が宴会場に登場して囲炉裏の前までゆっくり進み全員の視線が下座に集中するのが気配でわかる。
「西の連中の顔も見えるのぉ、皆行儀が良くて何よりじゃのぉ。 どっこらしょっと」
閉じた瞼をゆっくり開けると囲炉裏向かいに置かれていた肘掛けに手をついて腰痛を庇いながら座った。 フレンチブルドックに人の手足をつけて花柄の着物を着せた見た目は昔と全く変わっていない。 母さんの仕事がここの住み込み中居に決まって初めて一緒に連れて来られた時、会った大婆女将の印象は『妖怪 座敷ばばあ』。 座敷童が歳をとったらこんな見た目になるはずと思って怖かった。 最初は距離を置いていたが、気さくで温厚な人柄に気づくのにつれ、大好きで大事な存在になった。 慣れない土地で友達もいなく大人の顔色ばかり気にしていたが『座敷ばばあ』は俺を受け入れてくれた。 子供の俺に幼稚な悪戯を仕掛けてきたり、妹にも内緒で俺だけに甘いお菓子をくれたり、山の歩き方や山菜の見分け方など沢山のことを教えてくれた。 いつの頃からか本当の祖母に思える存在になっていた。
「おんやぁ〜? 美沙んとこのクソガキも来てたのかのぉ? ん〜ん〜? ひい・ふう・みいぃ〜? こら、クソガキ! このババの岩魚喰ったなー!」
強く握った母さんの腕から手を離し人差し指を突き刺した。
「クソガキって呼ぶんじゃねぇ! くそばばぁー!」
「この間の満月におしめが取れたかと思ったら、もう酒なんか飲みおって。 それもこのババの骨酒にと炙っていた大事な岩魚。 三尾も喰ったのかのぉ?」
「この前っていつの満月だよ! もう大人なんだから酒ぐらい飲むわ! それよっか何だよここに居るバケモン達は『妖怪座敷ばばあ』友達多すぎんだよ!」
「大婆女将の岩魚はちゃんと寄せてありますよ。 今温め直しますから心配しないで」
野口さんが取り皿に乗せられていた焼きすぎに見える骨酒用の乾いた岩魚の串刺しを炭火の周りに刺し始める。
「亮ちゃんちょっと口が悪いわよ」
母さんが諭す様に俺の膝を優しく叩く。
「おんやぁ? クソガキにはこん部屋におる化物が見えとるんかのぉ? ただの人には見えんはずなのじゃがのぉ」
「ただの人? には見えない? そりゃどう言うことなんだクソばばあ」
「・・・、さくや、このはな。 肉持っておいで」
大婆女将が部屋に入ってきてから静かだった氏子達がその言葉でざわつく。 そして、後に控えていた二人の中居が退出していった。
「何でいきなり肉なんだよ」
「このババが食いたいのじゃ。 クソガキも昔っから肉の方が好きじゃったろ?」
「今は食いもんの話じゃなくて、バケモンの話し・・・」
パン!
大婆女将が叩いた手が室内に大きく響き、軽口をたたいていた俺が口を閉ざしざわついていた氏子達も静まりかえす。
「皆が待ちに待ったお方がお着きになった」
これまでの問答は些事と言わんばかりに、齢90は超えている老女から発せられるとは思えない大声。 そして、上座の襖が開かれた。
最初に入ってきたのは白を基調とした和服姿の大女将の真希さん、そして温泉宿の浴衣に羽織りを纏った金髪女性。 その後に黒い皮のライダースーツに身を包んだミルクティー肌の美女ダミニ。 露天風呂で一緒だった三人だ。 演台に沿ってゆっくり進み中央で向きをこちらに変える。 多様な容姿が熱い視線で見守る中、部屋の中央を楚々と歩みを進める大女将。 足元が覚束ない金髪女性を庇うかの様に寄り添い続くダミニ。 真希さんの表情は凛として誇らしく、金髪女性は虚な眼差しで無表情、ダミニさんには慈愛の面影が感じられた。 囲炉裏の席まで来ると俺と向き合う大婆女将の間、壁を背にする炭火の前に並んで座った。 おもむろに大婆女将が立ち上がり声を張り上げる。
「皆の者! 戦乙女の帰着である!」
どぉん!
氏子達全員が両拳を畳に叩きつけ轟音を響かせる。 続いて建物を揺るがす歓声を轟かせた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!」
「姫様だ!」
「ナーム様がお帰りになった!」
「お目覚めおめでとう! 姫様!」
「女神様のお戻りだぁ〜!」
それぞれ上げる歓声に拍手。 万歳三唱する獣顔の集団。 大声で泣き始める見た事もない異形な妖怪。 宴会場は束の間カオスと化した。 勝手に乾杯して酒を飲み始める者、涙を流しながらも膳から木の実を貪る日本猿。 各々抱き合い会話を初めて収集がつきそうに無かったが視線だけは金髪の女性の一挙一動に向けられている。
歓声の中にナーム様とかあったのを思い出し、真希さんでもダミニさんでもない金髪女性がナームと言う名前なのだろう。 姫とか戦乙女とか女神様とかも声が掛けられていたから彼女がこの宴会の主賓だと知った。 って、俺が今座っているこの囲炉裏の席は末席の下座と思っていたがどうやら間違いだったらしい。 妖怪の氏子の集まりに参加している事すら場違いなのに、主賓と上座に同席するなどもう耐えられない。 痺れの治った膝を立て退出を告げようと母さんの方を向いた。 正座で両手を畳について手の甲に額を乗せる姿。 土下座? 平伏? 咽び泣く様な嗚咽に小刻みに揺れる肩。 頭を下げているのは間違いなくナームと呼ばれた金髪女性に向けてだ。 母親一人で気丈に振る舞い俺達を育ててくれた母さんが初めて見せる姿。 何、何なんだ! このナームとは何者なんだ。 俺は中座する事もできずに母さんを見つめていた。 不意に金髪女性の上体がよろめき真希さんがすかさず支える。 ダミニさんは部屋の隅から肘掛のついた座椅子を運んできて彼女を座らせ直した。 金髪女性の姿勢が安定したのを真希さんとダミニさんは互いに軽い頷きで確認した。 一連の動きの最中も姿勢を変えない母さんに真希さんが向き直り肩を優しくなでる。 小さく唇が動いている様に見えたが俺には真希さんの言葉は聞き取れなかった。 しばらく時間が過ぎてから母さんは上体を起こし涙を手の甲で拭った後微かな笑みを浮かべた。
床を踏み鳴らして廊下を歩く音が近づき演台側の襖が勢い良く開けられる。 賑わいの続いていた宴会場が静かになり新たな参加者の入室に注目が集まった。 紺色の高級そうなスーツ姿の大柄な中年男性と黒いモーニング姿の青年。 室内を見渡してお目当てを見つけたのか満面の笑みで囲炉裏の席に向かってきた。 床を踏みつけ早足で進み金髪女性の正面に座り頭を下げる。 同じく隣に座って頭を下げる青年と合わせて両拳が畳に打ちつけられた。
「永いお勤めご苦労様でした! 逢えるこの日、この時、待ちわびておりましたぞ姫!」
「・・・」
「遅かったのぉ〜」
「遅刻ですわね」
「遅刻だな」
金髪女性は身一つ動かさず無言のまま、大婆女将、大女将、ダミニが答える。 挨拶を発した中年男性がゆっくり頭を上げると見覚えのある顔だった。
「そお言うなや。 これでも急いで来たのだぞ。 世俗を離れるともなれば、片付けなければならん事も一つや二つではすまんのでな」
「先生とか呼ばれ、大いに楽しんでおったではないかのぉ?」
「代議士だったですか?」
「いちお、なんかの大臣だったかと・・・」
「徴税庁の大臣だ! いや、さっき辞めたから元徴税大臣だな! お前らもっと俺の今生の仕事を評価してくれよ」
そうだ、目の前の男性はよくテレビの政治ニュースで見かけた政治家だ。 そして隣の青年も有名人だ。 皇位継承5位の兼人殿下。 青年の膝の前には金色に輝く掌大の棒が置いてあった。
「お預かりしていた物はこちらでございます姫様」
大婆女将が受け取り眼前で品定めして金髪女性の後ろに控えるダミニに放る。
「食えんもんはババはいらんのぉ」
「大婆女将、これは黄金の百合の鍵ですよ? ご存知ないのですか?」
「知っとるが、興味はないのぉ。 戦乙女だっていらんじゃろ」
「まぁその通りでしょうが・・・。 私がお預かりしておきます兼人。 ご苦労様でした」
「はっ!」
「それで見たところ姫は本調子では無さそうだが、大丈夫なのか?」
「このババの炭火にあたって、白湯に浸かっておれば・・・、2・3日ってところかのぉ?」
大婆女将が視線を向けられた真希さんが小さく頷く。
「よし!」
両拳を畳について器用に向きを変え氏子達を見渡す。
「姫回復の為、皆で氣をこの地に集めよ! これから寝ずに呑んで寝ずに喰らえ!」
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
歓声が再び場内に響き渡った。
次は、奉納舞




