四郎のたくらみ1
宇宙とは、漆黒の中に星々が煌めく幻想的な酷寒の無重力空間だと思っていた。
しかし、何だここは?
一面に白い霧が立ち込め天の川銀河も拝めず、ぼやけた太陽と小さくなった地球しか見えないではないか。
思ってたのとは違ぁ〜う!
思わず叫ぶが誰も聞いてくれる人はいない。
さっきまで届いていたニルの通信も途絶えてしまって慣性飛行している今、ぐるぐる回る視界すら制御できないでいた。
困った。
本当に困った。
何とかなるさと、ミムナに言い切ったが現状の打開策が思いつかない。
とりあえずは頭の中を整理してみよう。
小さな水晶玉で頭と呼ぶべき場所がない事に気付き落とせない肩を落とした。
シャナウに促されスッポンポンになったナームが医療用ポッドに入っていく姿を傍のテーブルの上から俺は眺めていた。
程なくミムナが入ってきてごちゃごちゃ五月蝿いナームはシールドで覆われてしまいこちらに声が届かなくなった。
通路側の扉が開き匂いを辿って来たのであろうシロンが鼻先を床に向けて入ってきた。
それに気がついたシャナウが不機嫌な表情となり大股で歩み寄ると、両手で掴み上げて乱暴に何度も揺する。
「あんたが一緒にいて、何で姉様があんな姿で、帰ってこなくちゃならないのよ!」
・ごめんよ、シャー姉ちゃん
「私に謝ってどうすんのよ! 姉様に謝ったって今更なんだからね!」
・責任は十分感じてるし反省もしてるから、こうなった状況説明するか・・・
「説明? あんたの言い訳なんか聞きたくもないは! このダメ犬!」
傍目では姉弟喧嘩を越して動物虐待になっている。
二人の成り行きを見かねたのかミムナが止めに入る。
「シャナ、概略は二郎からの報告で聞いているがモフの話も聞いて於いてもいいんじゃないか?」
「こいつの言い訳を、ですか?」
「状況報告だよ。 当事者それぞれの認識を聞かねば正確な判断はできまい? 今後の対処を誤まらない為にも多くの情報は必要なのだ」
「・・・ミムナの許しが出たから聞いてあげるだけなんだから、さあ、言ってみなさい! 私は何を聞いても絶対許してあげないんだから!」
・シャー姉ちゃんに許しを乞うつもりはないよ。 ナー姉ちゃんに怪我させちまった自分を許すつもりもないから
シロンは遺跡の洞窟に入ってからの話を事細かに二人に語った。
時折俺への確認の視線もミムナから向けられたが違いがないと同意の意を告げる。
「濃厚な空気と水金の池、獣のモフが感じなかった敵の気配・・・。 間違いなく分解初期化された魂が空気中に満ちていたのであろう。 その空気を吸わないようにしたのは正解だが、全く吸わなかったのか?」
・俺は少し吸った。 多分、ポロアも少し吸ったと思う
「姉様はどうなのよ!」
・かなり吸い込んだと思う
ミムナは眉間に人差し指を突き立て困惑で寄った縦縞をもぎほぐす。
火星のマッドサイエンティストがこれ程難しそうな顔をするのだ、問題はかなり深刻なようだ。
シロンとシャナウが口を閉し沈黙を続けるミムナを見守る。
ミムナは一度お茶を口に含んでゆっくり飲み干して深く深呼吸をした。
「そっちは後でゆっくり考えよう。 それで、腕を切った時にナームは血を流したか?」
・飛び散ったけどかなり少なかった。 人間だったらもっと大量に出たはずだけど。
シャナウは卒倒しそうな勢いで顔色を青くしている。
その場のナームの姿をリアルに想像しているのだろう。
「奴らにナームの血液が回収されたか・・・。 ちと、まずいな」
・それは無いと思う
「何故だ? お前達はすぐにその場から立ち去ったのであろう?」
・床に落ちたナー姉ちゃんの血は全部小さな玉になって水金の池に吸い込まれていったのを見てたから。 あの部屋には一滴の残っていないはずだよ。
「はぁ? ナームの血液が水金に混じっただと!?」
「ミムナ姉様は大丈夫なの? どうにかなっちゃうの?」
両手の人差し指を両方の揉め髪に突き立てほぐしたはずの眉間の皺が深くなる。
きつく閉じられた瞼の下で眼球が細かく動くのが見えた。
そうとうな思考速度で何かを計算しているようだ。
息を呑んで見守る二人の耳に聞こえてきたのはミムナが漏らした小さな笑い声。
・ミムナ。
「やめやめ! 今ここで考えても答えなんか出ない! これも考えるのは後だ! まったく! 要らぬ課題ばかり押し付けやがって!」
「その部屋の空気を吸って姉様病気になったりしないのミムナ?」
「さぁ、どうかな?」
カルテと呼んでいたテーブルに置かれたタブレットを手に取り目を通す。
「検査結果は・・・、多少の数値に乱れはあるけど、うん、誤差の範囲で許容値に収まっているから心配は無い。 今の所は」
・腕は、切断された腕は本当に治るのか?
「あぁ、心配はいらない。明日の明け方には元通りになってるよ」
・そうか、ありがとうミムナ
「怪我してからの経過時間が短いから出来た事。 礼なら躊躇無く助けを求めたジンジロに言いな」
・緑の御人よ、感謝する
3人の視線がイヤリングの俺を捉える。
「そう言えば、ジンジロのその姿、まだ見ていなかったな。 ほれ、人型になって見せ」
ナームには評判が悪いからあまり表に出たく無いと断りを一言入れて山上の姿をとる。
ミムナは俺の記憶を覗いているので容姿は知っているが、シャナウには初見となる。
俺と視線を合わせると胡散臭そうな毛虫でも見つけた表情をしていた。
まぁ、当然だわな! と思ったが、折角ミムナの前で山上の姿になったので遺跡の森で集めた物を渡す事にした。
イヤリングの鎖に結んでいたそれを解きミムナの眼前にかざす。
「何だジンジロ? 誰かの髪の毛か?」
「ナームがビルダーの個体数を確認しに森へ入って交戦した時、奴等の飛び散った体毛を拾っておいたんだけど、要るか?」
ナームの事案で曇っていた表情が一気に晴れて怖いくらいの笑みが溢れる。
「でかしたぞジンジロ! ナームは臭いとか汚らしいからとか言って私の頼みを受けてはくれなかったから諦めていたけど。 これを解析して本体を復元できれば中央の連中に一泡ふかせてやれるかも知れん! ジンジロよくぞ持ってきてくれた!」
俺が思っていた反応を遥かに超えた悦びっぷりで、掛けてた椅子の上に登って小躍りまでし始めた。
ナームの件でかなり気を揉ませたのだ、たまたま近くを舞ってたビルダーとやらの体毛が鎖に絡まったのをそのままにしていた物だ、それで喜んでくれるのであれば何よりである。
「これはジンジロに一つ借りができてしまったな!」
「いつもナームが世話をかけている、ミムナが喜んでくれるだけで俺は何もいらないけど、もし良かったら一つ提案したいことが有るのだけれど聞いてもらっていいかな?」
「提案? 頼み事とかじゃ無いのか?」
「あくまでも提案です。 俺はそれこそ連絡用の水晶玉に毛が生えたような存在。 事を起こす事も問題を解決する力も持っていません。 一つ二つの頼み事で済みそうな内容では無いので提案として言わせて下さい」
「ふむ、ナームの将来? いや、この星の行先のことか?」
「はい、俺を月へ、ニビへ行かせて下さい」
浮かれていた表情が消え真剣な表情へと変わる。
「行って何とする?」
「最終目標は銀星の地球侵略阻止。 無理であっても戦力とか侵略時期とか何らかの情報を手に入れ地球に送信したい」
「水晶玉一個で何が出来る?」
「ミムナは火星の王として母星も地球侵略も担って方々に指令を出しているのは知っている。 ニビに対しても斥候は放っているが状況は芳しくないはず」
苦笑が漏れる。
「ジンジロに許可してる情報レベルでは覗けない内容だが?」
「アクセス可能領域の断片を繋ぎ合わせた俺の想像も入っているけど、銀星侵攻に対して火星勢力は隕石に対してもニビに対しても行動を起こしていても地球人は何もしていない。 それは負けを認めたのと同じ事だと思う。 俺は反抗の意思がある事を示したい」
「遠巻きに私を信用していないと聞こえるが?」
「与えられる情報だけで物事を判断しろと?」
「正論だな、ジンジロが手に入れた情報は地球勢力が独占するのか?」
「俺が入手できた情報は全てミムナに開示する。 俺は呼吸はしなくて済む水晶玉だから今の地球側で唯一宇宙へ行ける。 そして火星の王は俺をニビへ遅れる。 もし失敗してこの水晶が砕けてもミムナにとっては損失が少ない共同作戦だと思う」
白衣姿のエルフ少女は小さな胸の前で腕を組みしばらく考え込んだ。
シロンとシャナウは各々思う所はあるのだろうが話の成り行きを見守ってくれている。
「問題がある」
ミムナの形の良い小さな唇から漏れた。
「その計画をナームが知ればジンジロ一人を行かせはしないだろう。 あいつはそんな奴だ。 ジンニロならばそのくらい分かろう?」
俺もそお思う。
何とかしてナームを説得するか、又は知らせない所で実行しないと絶対一緒に行かせろとミムナに無理強いするだろう。
思考パターンは同じなのだ手に取るようにわかる。
今回の旅の途中からこの話の構想は練って来たのだが、ナームの怪我によって問題は解消された。
第一の問題であるナームを帰結点まで見守る役目は水晶の複製による意識の分裂で確保できるようになった。
第二に、水晶玉での行動制限が魂無き自分が薄魂体を纏える事で解消された。
最後にナームの怪我で療養と言う行動制限を課せられる事になった。
「ナームは明日の朝目が覚めて完治したと知らせれば、即座に飛び立って報復へと赴くでしょう。さっき眠ったみたいですから、ここの医療ポッドが高性能な事は知りません。 まして、エルフの体の詳細な知識も有りません。 あの怪我は完治に100年かかると言われれば納得するしか無いのです」
「ナームを騙すのか?」
「ミムナは言葉で説得してナームを自重させる自信はありますか?」
「力ならともかく、耳を塞がれては言葉は届くまい」
「100年の行動制限は大事な体に傷をつけたナームの心の傷をも癒す薬にもなると思います」
「姉さまの介護は私がします!」
静かだったシャナウが片手を高く上げ宣言する。
「・・・まぁ、わかった。 急ぎすぎるナームには無理にでも休ませることも必要か。 その共同作戦、進めてみようか」
「ありがとうございますミムナ。 有益な情報を入手して送る様、努力します」
「努力じゃなく入手して来い! って、さっきからお前帰って来ない様な話ぶりだな?」
「この身砕ける覚悟でなければ行けない遠い所じゃ無いですか・・・」
・緑の御人よ、お主が居なくなると、あー見えてナー姉ちゃんは寂しがるぞ? いいのか?
三郎のドキア帰還を待つつもりだったが、今の所いつになるか分からない。
それに、ナームの側に居て今の判断に至った俺が三郎と交代しても情報に齟齬が生まれてしまう。
「ミムナ、ナームに言って俺を二人にしてくれないか?」
「私が頼んでそう簡単に聞いてくれるか?」
「今回の怪我は相当凹んでるはずだから、ちょこっと盛って恩を売れば二つ返事だと思うよ」
「ふん、まぁ共同戦線を受けたのだ、ジンジロ毛の口車に乗せられてみるか」
やめて! シャナウやシロンのいる前で俺のフルネームを呼ばないであげて!
四郎となって月を目指している俺はあの時の己の浅はかさを呪いながら、宇宙空間で手足をバタつかせる。
超高速で月衝突コースをこのまま爆進すれば水晶球など霧散するに違いない。
何とかして月の引力に捕まる前に減速する術を講じなければならない。
ミムナから教えてもらった手を伸ばした先の、親指の爪の大きさと月が同じになる前に。
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