遺跡8(ちっちゃいおじさん2)
ナームの周囲に闘気が瞬く間に膨れ上がって、背に乗せたポロアを落とすまいと俺は背中を庇って飛び退いた。
キョウコが来たか?
一瞬の出来事に200mの距離をとるのが精一杯でナームの意識を察知すらできなかったが、離れぎわにチラリと見えた落ち込んだ表情は初めてのものだった。
きっかけは俺が誘導してナームが認知してなかった水晶が纏う意識を形ずくらせた瞬間、耳飾りの鎖を断ち切って遠くの山に向けて投げ放った後膨張したのだ。
空気中の魂をピリピリ音を発して弾く闘気は、離れた場所で冷静に観察すると怒りの感情からくる攻撃的な思念では無く、後悔や憤りの強い思念で全てを滅する感情に思う。
身動きしなくなった背中のポロアは意識が無さそうでぐったりしている。
ナームに近付けずに遠目に見ていると両手をゆっくり空に向けまとわりついた巨大な塊を頭上に移すとその球状になった底に正拳を叩き込んだ。
球体が凹みゆっくり空へと登って行き見えなくなった。
良の拳を腰に当てため息をついた後、視線が俺を射抜いた。
片手を水平にして俺を笑顔で手招きする。
まずい! あの唇のカーブは怒っている、あれはナームの激怒の笑顔だ。
この場で逃げるわけにもいかず、呼ばれるに従いゆっくり近寄った。
100mの高さなのに眼下の木々はナームを中心に放射状で倒れていてさっきの莫大な気の放出が凄まじい威力だったのが見える。
もちろんナームを直視できずに俯いたまま下だけを見て近付いたから視線に映って気付いたのだが。
内心で今生の目標は達成されず終わるのを覚悟し、後ろ足の間に隠れてしまった尻尾で歩き辛かったがポロアだけは守る決意を持って近付いた。
ナームは小さなため息の後、強張った笑顔にいつもの声音で問われる、非常に恐ろしい。
「シロンいつからあいつが居るのを知ってたのかしら?」
返答に困って下を向いていると近寄って来て伏せていた耳を強引に持ち上げられた。
「いつから知ってたの!」
・え〜っと、この前セトに迎えに来た時・・・。 珍しい色の水晶だなぁ〜って
「ふう〜ん。 それで? なんで今になって聞いて来たのかしら?」
・え〜っと、そのぉ〜
「僕が、僕が神狼様に聞いたからです」
気を失っていたはずのポロアが背中から小声で話だす。
「ポロアが? 何てシロンに聞いたの?」
「ナーム様の肩に乗ってる小さな緑の男の人は誰かって聞きました」
「緑の?」
ナームの冷たい視線は俺の目を逃してくれない。
瞼を閉じてこのいたたまれない状況から逃れたいが、ポロアが勇気を出して会話しているのが背中から伝わって来て自分だけ逃げる訳にもいかない。
「いつもナーム様と一緒の知恵ある緑の小人さんと、お話ししてみたかったから・・・」
「あいつが知恵があるとかって・・・」
・姉ちゃんポロアは魂の性質を色で見れるんだ。 力は赤で、知恵は緑みたいな感じで
「それじゃ〜、私は何色に見えるのかしらポロア?」
「ナーム様はお日様みたいな真っ白くて、あったかい色で、とっても眩しいです」
「シロン、白の意味はどんな意味って聞いたのかしら?」
閉じかけの瞼を強引に開けられ瞳を覗き込まれる、笑った顔は非常に怖い!
・女神の色だと思うよ
「また、訳の分からん事を・・・、はぁ、いいわもう。 ここでこんな会話してても時間の無駄だし、ここへ来た目的に戻りましょ」
・あの水晶玉は手放していいものだったのか姉ちゃん?
目の前で深いため息を漏らし、空中で直立したまま縦に回り始める。
今までにない思案中の姿。
相当な心の葛藤がなされた後に「ダメ、ね。 探しに行かなきゃ」と小さく呟いた。
本来の直立姿勢に戻った時遠くから声が聞こえた。
「こらーナーム! 俺を捨てるなー!」
「あら、誰かしら?」
何を白々しい? 気付いているのに、この素っ気ないそぶり。
急速に近付いてきたそれは速度を落としゆっくりナームの眼前に到着し腕組みした。
「ふん! 自分一人で帰ってこれたんだから問題ないでしょ、って言うか何でこの時代でもその小汚い緑のジャージ着てるのよ! 恥ずかしいったらありゃしないわ!」
「ジャージ? 何の事だよ! 水晶玉がジャージ着るとか訳わかんね事言うな! いきなりあんな遠くの山まで投げやがって、戻って来るのに鳥にちょっかい出されたりして大変だったんだからな!」
「はぁん? そのくらい何よ! 私の深い深い心の傷を抉られた落ち込みに比べたらどおって事ないわよ。 心の奥底にしまい込んだ恥部がいきなり目の前に現れた私の気持ちも考えなさいな!」
「恥部? 何言ってるんだナーム、なんか見えたのか?」
「もしかして、あんた自分で自分の姿見た事無いの?」
「無い訳ないだろ、水晶玉でも身だしなみには気配りしてんだ、ナームと一緒に毎朝鏡見てるの知ってるだろ」
「はふう〜ん」
ナームはなぜか俺をジト目で見てから掌に水を出し一瞬で氷鏡を作った。
「ジローこの鏡の中に映るのは何かしら?」
「何を今更! 俺は水晶玉なんだから水晶玉に決まっているだろ! ほら見ろ! 真丸ピッカピッカの水晶玉だよ!」
緑の御仁とナームの眼前に置かれた鏡に写る姿は俺には小さな男に見えるが、その御仁には水晶玉に映っているらしい。
俺へ向けられたジト目が一層厳しくなって冷たいものになって来た。
「それじゃ、ポロア君この鏡に映っている姿を声に出して答えてもらっていいかしら?」
優しいナームの声音にポロアは素直に話し出すが、俺の背筋は凍りそうだ。
「はいナーム様、黒い短い髪の毛に黄色い肌で見た事のない緑の服を着ています。 大きさはこの位でお父さんとおじいさんの真ん中ぐらいの歳だと思います」
鏡の前の御仁が震えだし、ピクッ! と大きく痙攣したかに見えたらいきなり地上に向かって落ちていった。
ナームは満足げに頷くも俺へ向けられた冷たい視線は解けていない。
「シロン、分かっているわね、後でね、ゆっくりとね」
・あ、うん。 俺、緑の御仁拾ってくるね!
あの表情は、あれだ! 俺の考えを全て見透かした上での言葉だ。
言い訳は・・・、いや、ナームの納得する説明を構築しておかねばナームを守ると決めた思いを全うできなくなってしまうでは無いか。
俺の生きる目的の全てを失ってしまうでは無いか!
下手を打ったか?
いや、ナームを高みへ押し上げるには成功したはずだが、俺の立ち位置がぐらついた。
ここ何年も漏らした事のない泣き言が口から漏れる。
・誰か妙案を授けてくれ〜
物質界では唯の丸い石、風に流される事もなく直下で横たわって意識がないままの御仁をすぐに発見した。
胸を撫で下ろしナームの所へ戻ろうとしたが、すぐには足は動かなかった。
「後で」が上へ上がって直ぐに訪れたらどう答えのが正解か頭の中で整理が終わっていない。
・モフよ、お前の発想は昔から面白かったが今回のは傑作じゃな!
口で咥えた水晶が語りかけて来た。
・ミムナ様ですか?
・そうだとも、ナームの世界観を広げるには私も苦労はしとったけど、モフが協力してくれるとは思わなかったぞ!
・ミムナに協力してるつもりは無かったですが、ナームが強くなる事は俺の為に成りますから
・その辺すり合わせねばならないな、ドキアに立ち寄った時にでもゆっくり話そうではないか。 それよりモフ、上で思考を突散らかして蜂の巣状態のナームを宥めたいのであろ?
・そ、そうです。 お願いできるのですかミムナ?
・もちろんじゃとも、ドキアに来たら私と会うのは約束できるじゃろ?
・はい
・ならば『樹皇』に乗ってるつもりで安心するが良い、あいつの気を逸らすのは得意中の得意じゃからな! ハッハハッッハ!
何だか不安材料を増やす羽目になった気もしないではないが、今の俺には妙案が浮かばないのだからここは藁にもすがるつもりで一任するしかない。
「お願いします」と念を送り上空で待つナームの所へ向かって気乗りしないゆっくり速度で上昇していった。
俺の口に咥えた緑の御仁を嫌そうな表情で受け取るとその場でぶつぶつと会話を始める。
地上で約束したミムナがナームと話をしているみたいだったが会話内容は俺には聞き取れない。
コロコロ表情を変えながら、時にはまた遠くの山へ御仁を投げつける仕草をしたかと思うと不意に留まったりとか、いつもながら見ていて退屈しない姉ちゃんだ。
刺の矛先がこちらに向かない限りは楽しく見ていられるが、時折俺に向けられる厳しい視線には舌先から汗が溢れてしまう。
ミムナの作戦が成就します様にと願うばかりだ。
程なく何かに納得したのかいつもの表情になったナームの耳には、縦の棒に短い横棒が付いた見慣れない形の耳飾りがぶら下がっていた。
「さーシロン。 入り口に向かうわよ」
素っ気なく言われた言葉に返事を返し先ゆく背に「どうか機嫌が治ってます様に」と強く念じた。
首筋を撫でてくれるポロアの手の暖かさは俺の凍った背筋をゆっくりと溶かしてくれた。
次は、遺跡の門




