グローズの思惑
昼に予約した宿の部屋は人間二人とペットが2匹に法外な金額を支払った一室。
立地は前回と同じだが建て替えがあったのか5階建てになっていて、最上階の部屋も真新しい漆喰が塗られて清潔だったので満足の内容と言えよう。
男女別の部屋も考えたが私以外は可愛い毛玉だ、全裸を見られても何も恥ずかしがることはない。
最初に自分の汗を流しその後リンを洗ってシロンとヨウも水晶の水でホコリを落とす。
濡れたリンの毛皮を温風で乾かしてやった頃には自前乾燥できたシロンとヨウはソファーで寛いでいた。
人間姿のヨウが子犬のシロンを両手で抱え目の前で転がしている。
「ヨウさっきからシロンで遊んでるけど何やってるの?」
「・・・この毛皮、この肉付き、・・・大事なお金とやらと交換したいとは? 何故なのですか? 腹の足しにもならない肉に、剥いでも小さい毛皮。 これがお金よりも大事とは・・・」
・ヨウよ、何気に俺の幼きこの身体を馬鹿にしてないか?
されるまま弄ばれている子犬が呟く。
ヨウの顔面を蹴ろうとして伸ばされる後ろ足が届いていないのが可愛い。
テーブルでは童姿になったリンが露店で買った串焼きの肉を豪快に食べ始める。
「金の卵を産む鶏? 大金を稼ぐ子犬だからでしょ? 多分あなた達がレースで荒稼ぎしたのを大勢の人が見てたのね。 その子犬が居れば一生遊んで暮らせると思ったんじゃないかしら」
「遊んで暮らせる? あの手に入れた丸い金でですか?」
「宿に入った時、今のアトラの物価を聞いたけど。 この大金貨一枚で少し離れたところに庭付きの一軒家に上の奴隷を五人買って5年は食べる穀物が手に入るそうよ。 その子犬は半日で8枚も稼いだ。 どんな手を使っても手に入れたいと思うのはこのアトラでは普通だと思うわ」
話の途中で解放されたシロンは私の膝の上に乗って撫でろと額を向けてきた。
眉間から耳の後ろ、首筋をわしゃわしゃしてやるとピクピク後ろ足が首筋をかき可愛い仕草を返してくれる。
「路地に落ちていた石銭が変わっただけ。 子犬を手に入れるより自分で石銭探してレースで札を手にした方が早そうですが?」
「・・・そうねそのやり方だと、一生かかっても家は手に入らないし、ここの宿にも止まれないでしょうね。 シロンがレースに出てこその錬金術だと思うわ」
「錬金術とはなんですか?」
「金じゃ無い物から金を作る。 価値の低い物を価値の高いものに変える? 事かしら。 お金を手に入れる堅実な方法は労働の対価で1日働いて男が10銅貨、女が7銅貨って聞いたわ。 1石銭は1銅貨の1/50ね。 大きく稼ぐには鉱山で金塊を掘り当てるとか大きな宝石を見つけるとか、その他は奴隷を捕まえて売るとか人殺しを請け負うとかかしら。 賭博で大金を手にするには偶然か幸運が必要ね。 だって元締めが確実に勝つように仕組まれた賭け事ですもの」
リンは皿の肉を全部たいらげ水割りミルクをグラスから一気飲みしていた。
肉汁とミルクで汚れた口を袖で拭うとガラスが嵌め込まれた窓へ近寄りキョロキョロ眼下の暗がりを見渡す。
「ナーム下から人間が登って来てるぞ。 頑張ってるぞ!」
記憶にある壁チョロが今回も登場したようだ。
「あぁ、リンちゃんにお仕事あげるわ。 頑張って登って来てるとこ悪いけど、帰ってもらって頂戴」
「いいのか? 落ちるぞ? 高いぞ? 怪我するぞ?」
・人間も承知の上だリンよ。 気にせず帰ってもらえ
「わかった神狼様。 リンはお仕事頑張るのだ!」
背伸びして窓を開け放つと、童の姿が霞んで通りを練り歩いた大蛇の姿になる。
滑らかに窓の外へ姿が消えると押し殺した男の悲鳴と肉が地面へ衝突する音が聞こえてきた。
前回より部屋は高いところにあるし、暗がりで壁を這い回り襲って来る大蛇。
大金に目の眩んだ盗人がどこまで耐え切れるか見ものだと思った。
「こんなものが自分の命を懸ける価値がある大事なものですか・・・」
「幻想・・・ね。 それは幻。 誰かがそう思わせてるだけよ」
「明日会う銀星人ですか?」
「貨幣制度は昔の火星にもあったそうよ。 物品を交換したりするのに便がいいから。 でも、簡単に格差が生まれて支配者が誕生してしまう。 シロンみたいに原理が分かってれば簡単に大金が手に入ったでしょ? 同じ手段は次は使えないと思うけどそれを元手にもっともっとお金を集められるわ」
自分の眉間に少ししわが寄っているのがわかる。
この地に来てお金の必要としない生活を体験して心底思ったことがあった。
癒えない喉の渇き、止まらない物欲、目に映る妬ましさ。
あれは支配者の洗脳だったのでは無いかと。
マイホーム、マイカー、旅行や食事それらには上限などない。
満ち足りるを許さないゴールポストが逃げていく現実、洪水の様に押し寄せるセレブの情報。
ドキアの生活で分かったことは、1日に栗の実5個と水で生きれる命。 半径3kmで生涯を過ごせる現実。 何かに打ち込み仲間に認められる充実感。
私の知る山上時代は見えない何者かに操られていたとしか思えない程形にはめられていたと思う。
社会システム、金融システム・・・、いや、空気・風潮の圧力に抑えられていた。
それらは創られていた。 今ならそう思える。
誰がそうした? と言われれば都市伝説は幾つか脳裏に浮かぶが底辺の私には知る由もなし。
未だ大金貨を眺め納得して無さそうなヨウに後学のためにと明日の別行動を勧める。
「ヨウ、明日グローズの所へは私とシロン二人で行くからリンと二人でアトラの街を散策してみたらどうかしら? 格差を生む貨幣制度に私もミムナも反対なのだけど考え方は色々あってもいいと思うの。 真っ新なヨウの意見が聞けたら私にも勉強になるかもしれないし」
「重要な局面を左右する面談に二人だけでですか? あの塀の中は危険な所ではないのですか?」
リンが壁チョロ落しをしている暗い路地の先に見える白く光る塀に視線を向ける。
「全く危なくはない。 とは言えないけど、戦いになるのならとっくに火星の管轄地区に攻め込んで来てるでしょうし、目と鼻の先の宿でゆっくり過ごせてはいないでしょ? 荒ごとにならない話し合いができると思ってるわ」
・ナーム様は俺が全力で守る。 手を貸して欲しい時はすぐに声を掛ける。 嫌悪した人間達の本質を見極める見聞を広げる機会、活用するとよい
膝の上で瞼を閉じ眠そうにゆっくり尾を振るシロンが口添えしてくれた。
ヨウは小さく頷き承諾した。
開け放たれた窓からは時折肉が石畳にぶつかる音が聞こえて来るが、十分昼寝した夜行性の狸に後は任せてシロンを抱えて自分のベッドへ入った。
ヨウがオイルランプの明かりを小さくしてくれて薄暗くなった天井をぼんやり見つめながら、暖かい子犬を抱きしめてアトラの夜を過ごした。
朝食は誰も食べないと言うので身支度を終えて宿を後にした私達はグローズと約束の時間に空かずの門の前へ到着する。
シロンとヨウは人間の姿で短く打ち合わせをしていたが私が金貨の入った革袋を渡すと小さく頭を下げて子狸リンを抱えて路地へと姿を消していった。
「後学の為っては言ったけど、大丈夫かしら?」
「無益な殺生は禁じてあるから揉め事が起きても大事にはならないでしょ」
「なんか揉め事は必ず起きそうな言い方ね?」
「前回ナーム様が歩くだけで揉め事は起きてませんでしたか?」
「あはっ、そ、そうだったかしら・・・」
気まずくなってそっぽを向き竹箒で門の前を掃き掃除始めるとシロンのため息が聞こえた。
壁を向き水晶でミムナと連絡してリモートの確認をしたら拒否されてしまった。
最初の打ち合わせと違うとごねてみたが、万が一危険が生じた場合に一瞬でも対応が遅れれば命の保証が出来ないと言われ渋々納得してやる。
状況はリアルタイムで確認して助言してくれると約束はしてくれた。
不安が沸き起こる中、好奇の眼差しで通行人から見られても構わず掃き清めていると、聞き覚えのある機械音と地響きが起こり柱で区切られた塀が地面へ吸い込まれていく。
驚嘆の声が周囲から上がり人が集まり出した頃、私とシロンは記憶にあった密林の道に足を踏み入れていた。
浅黒い肌に白髪姿の青年が一人道の脇に佇んでいて、無言でお辞儀をすると優雅に後に続けと掌で合図をくれた。
ミムナと一緒に来たときと何一つ変わらない景色。 時間の経過を感じずタイムスリップでもした感じになった。 途中の橋の下に蠢く無数の巨大なワニ達。 鼻の奥に絡みつく魚の腐った臭気。 普通の人間が立ち入ってはいけない場所。 セトの山々とは別の嫌悪感が湧き上がる。 それは魂が感じる死臭のせいなのかもしれない。
最後の橋を渡り現れた建物の扉が開かれ広い回廊を進むと謁見の間へ通された。
一段高い玉座に黄金の甲冑を身に付けた人物が椅子に腰掛けていた。
部屋の中央で案内人に制され歩みを止めると、低い太鼓の音が2度鳴って両脇から椅子を抱えた女性が現れて後ろに据えて下がっていった。
「ナーム殿、お付きの方どうぞ席にお座りください」
青年の声音が壇上から聞こえ甲冑の人物の声だとわかる。
グローズが仕組んだ前回の余興と同じ流れなのか嫌な気分になったが言われるまま椅子に腰を下ろした。
次は、アトラ城内




