79 たからもの
「これが、偽物、だって……?」
思ってもいなかったことを言われて俺は目を丸くして肥えた商家の男を見た。日にあまり当たっていないような白い肌はこのハンデルの商人たちと違う。ニタニタとした笑顔は俺の足元から上ってきて、靴や服を見ると見定め切ったようにいやらしい笑みを浮かべる。
「残念だけどね、いい造りをしているけれど本物ではないね」
「そんな、偽物なはずがないだろう、それは、俺が直に注文したものだ」
男は肉に埋まりそうなほどに細い目を、またぐっと細めて俺をみた。
「この花瓶が高価なものだという保証はどこにもない。確かに窯元の刻印はされてはいますが、この窯元が作るものは豪華絢爛を基調としたものばかりなんですよ。作りは確かに丁寧で個人的には気に入りましたけどねぇ……いやぁ残念です。これ一つでトランクを買い戻せると思ったんでしょうが、これだけでは、まだ足りませんねぇ
けれど本当に偽物と言えど個人的には気に入りました。相場より多めの額で買い取りますから安心してください」
含み笑いをしながら肥えた豚は言う。丸め込めるとでも思っているのだろう。男は俺が差し出した花瓶が高価なものだと分かっているはずだ。貴族ともそれなりに取引をする商家であるならば、これほどの名品を見分けられないわけがない。単に平民の少年が持ってきた予想外に高価なものを、安くせしめる交渉でしかない。
ついでにトランクの中身の一部すらせしめようとでも思っているのだろう。
「それは本物だ。あんただって分かっているだろう…!」
ぶちぶちと頭の血管が切れるような音がする。もし怒りというものが人の眼に見えるものだとすれば、きっとこの広い部屋は俺のドス黒い怒りで満たされていたことだろう。
殺気が漏れているからか、男の額には少しだけ汗がにじむが、商家の者として相手がどれだけ怒ろうが、交渉の手は緩める気はないらしい。
「しっしかし、本物ならお前のような平民が持っていていいような品ではない! 何処で入手したのか知りませんが偽物に決まって――」
「誰が、いつ、平民だと言った……?」
頭に血が上る。
確かに俺が聖女様に贈った品を偽物だと言われたことにも腹が立ったが、それ以上に頭に浮かぶのは血を流すジーナさんの姿だ。
――俺がもう少し遅ければ彼女は死んでいた。
捕まった犯人は処刑されるだろう。けれど彼女が死にかけた事実は何も変わりはしない。俺がもう少し遅れていたらあの人は死んでいた。今回助けられたのは運が良かったからにすぎない。そうと思えば、身体の底から湧き出してくる怒りを抑えきれなくなる。
「まさかモリスの名前を知らないわけじゃないだろう」
一緒に働いているジェリーとトーズが狙われなかったのは、襲うなら俺の金の方が容易く盗めると思われたからだ。
「……なんだ、突然大貴族の名前なんかを出して、お前のような身分の者がその名を使うという事がどういうことか――」
「駆け出しの成金商家はモリス家の構成を知らないのかと言っているんだ」
もっとしっかりしていればよかった。今回はたまたま俺がジーナさんが亡くなってしまう前に帰ってこれただけだ。俺はもう少しで自分のせいで、ずっとよくしてくれていた人を喪うところだった。
「こうせ、い? どういうことだ」
「子は何人いると思う」
「三人だったはずだ……跡取りと嫁いだ娘と…あとは……死んだと噂の次男……」
そこまで口にすると、男ははっと言葉を止めた。そうして俺の顔をまたまじまじと見た後に、顔色が徐々に青くなってゆく。
「それで……俺が、聖女様に、粗悪品を贈るとでも?」
豚は細い目をぐっと見開き俺を見ている。言われたことを理解するのに頭が追い付いていないらしく、間抜けに口を開いている。
「豪華な花瓶は家に腐るほどあった。それは特別に窯元を呼びつけて作らせたものだ。淑やかな聖女様に似合うようにとな。
それで……お前はこの花瓶を鑑定できないばかりか、この俺が盗んだものだと言いたい。そうだな?」
「ままままさか、そんな、いえいえそんな、でもこんな場所にお忍びでいらっしゃるとは」
「この地に俺が居たらなんだ、何が言いたい」
自分が何を言ったのかやっと理解できたのか、豚が顔を青くしてぶんぶんと首を横に振る。
俺は男の前にある机をガンッと蹴り上げた。
「何もタダでトランクを渡せと言うんじゃない。この花瓶はくれてやる。価値は十二分に分かっているだろう?」
「え、はい、はい、そうでございます」
疑い深かったはずの豚は、悠々と座っていた質のいい椅子から立ち上がるとぺこぺこと、まるで魔法で決められた動きをなぞる人形のように頭を下げる。そうして盗人から買い取ってしまったトランクを見て更に顔を青ざめさせる。
大手の商家が盗人から盗品を買う――そのまずさを理解したのだろう。ただの平民の荷物ならば大したことはない、けれど貴族に知られれば商家としての評判は一気に落ちる。
「強盗なんて下賤なものから品を買ったことは……その……」
ぴたりと豚は頭の上下をやめて、目線を上げる。
その目線は俺に向けられているのではなく俺の後ろ――
つられるようにして俺も後ろを振り返る。そこには今までいなかった筈の俺の友人がいた。
「……ジェリー、トーズ……」
「よぉ、一人で屋敷に入ってったっていうから様子見に来たんだけどよ。終わったみたいだな、さっさと回収して帰ろうぜ」
「外のみんな心配してたわよ」
――今来たところなのだろうか、俺が貴族だと名乗ったことを聞いていないのだろう、あまりにもいつもと変わらない様子の二人に、俺は内心ほっと胸をなでおろした。
突然現れた少年少女に商家の豚は怪訝な顔をして俺を見る。どうやらまた俺を疑い出したようだ。今度は貴族と身分を偽ったとでも思っているのだろうか。
「身分を偽るのは……」
「死罪だろう? 馬鹿にしているのか、知らないわけがないだろう」
貴族と身分を偽った場合は一律死罪だ。
堂々と言い放った俺に、豚は本当に貴族だと信じ込んだのか、それともこの場は一旦信じることにしたのかは分からないが、きゅっと口を閉じる。
俺は持ってきた花瓶を机の上にそっと置くと、念を押すように男を睨みつけた。
「これはあの人の遺品だ。盗品を買ったことは黙っておいてやる。俺が買い戻しに来るまで売るなよ。わかったな?」
「え、えぇ、はい! それはもちろん、もちろんですとも」
ぺこぺこと頭を下げる豚を見ながら、部屋の脇に置かれていた木製のトランクを両手でぐっと掴んだ。本がたっぷり詰まった箱は重いけれど、もう身体魔法を使わなくても持てるようになった。
俺はひょいと重いトランクを持ち上げて、そのまま出口へと向かう。
「ジェリートーズ、帰ろう、用はすんだ」
「わぁったよ、豚は殴らなくていいのか」
「ただの商人だ、放っておいていい」
商人は張り付けた笑顔で、俺たちが出てゆくのをじっと待っている。彼の要望に応えるように、俺はたちは屋敷を後に宿へ戻った。




