11 さよなら実家、こんにちは殺し屋
まだ暗い時間に、いつも図書館に僕を置きに行く、酒好きの御者が迎えに来た。
いつもの紋章がついたピカピカの馬車ではなく、おんぼろの今にも壊れてしまいそうな馬車がやってくる。モリス家の人間だと分からないようにしたいのだろう。
僕が持ってきたものは、聖女様の遺品の本たちと少しの服と、昨夜長年勤めている使用人が気を利かせて少し多めに持ってきてくれた食料だけだ。金品は何も無い。これからどこに連れて行かれるかも分からない。
重たい本ばかりが詰まったトランクを、男性の使用人が二人がかりで積み込んだ。
見送り人は誰も居ない。
何処かへ送り届けるまでは、一応モリス家の人間という名目なのか、兄専属の使用人である、頭に三角の耳の生えたララリィしか護衛がいない。護衛としての人選を間違えているとしか思えないのだが、人手不足なのだろう。仕方がない。
がたがたと揺れて尻が痛くなる車内で、僕は昨日の疲れからか、馬車の揺れがゆりかごのように、心地よく感じてしまう。
「次期当主様も酷なことを……当主様は遠くにやればいいと……」
「ご命令ですから」
眠る直前そんな会話が聞こえたような気がしたけれど、僕の意識は聖女様が居た頃の暖かく幸せに包まれた夢の中に溶けていった。
***
ぐっすりと睡眠をして、起きた頃には日が高く上っていた。目をこすりながら馬車の木製の窓を開けば、見たことも無い、田舎の田園風景と土の香りが僕に飛び込んできた。
「わぁ……」
「畑を見るのははじめてですか?」
「うん。王都から出たこと無かったから、アレは何をやっているところ?」
「冬の間に雪の下で固まった土を掘り返しているんです」
「へぇ、大変そうだなぁ……あれ?僕と会話してもよかったの?」
「はい、もう王都から出てしまったので」
兄専属の使用人であるララリィは、僕を哀れむような目で見た後に、口元をきゅっと結んだ。まるで何かを葛藤しているように。
まずいな……
ララリィの表情を見てなんとなくそう思う。悪い予感というのは結構あたる。
「どこに行くのかなぁ、楽しみだなぁ」
嫌な予感を察知していることを、ララリィに悟らせないように純粋な子供のフリをする。
背中に嫌な汗が伝う。
よくよく考えてみれば、兄直属の使用人が付いてきたことがおかしい。
単純な人手不足なんかじゃないララリィは兄指示で護衛という名目でここにいる。父が命令系統を飛び越え、兄のモノに命じることは絶対にありえない。
頭をよぎるのは、ゾーダに脅され尻尾を巻いたように逃げて行った。昨日の、腰に剣を下げた兄の姿だった。
本気で殺しに来ている――
逃げる? いや無理だ、聖女様の遺物は置いていけない、僕の宝物だ。
勝ち負かす? いや無理だ。僕はまだ弱い。人間ならまだしも力が強いと言われている獣人に勝算は薄い。
説得する? 兄の命令だ、理論的に説得したところで「命令だから」と言われれば終わりだ。
どうしようかと、ぐるぐると頭の中で解決策を探している時、ふと今よりもっと小さいころ、聖女様に聞かされた物語を思い出した。
雪のように白い肌を持つ少女の話だ。
継母に嫌われ、その部下により殺されかけるが、継母の部下は少女に同情し逃がしてしまう。そんな物語だった。
そうだ、雪のような白い肌の少女のように、相手に同情させ、殺すことを止めるように仕向ければいいのだ。
「ララリィはどんな所から来たの?僕外のこと知らないんだ、聞かせて」
「小さな村です。山奥の、自然豊かな……」
「いいなぁ、どんなものを食べていたの?聞かせて」
「山の動物です、私たち獣の民は狩が得意ですので……」
戸惑いながらララリィは答えてゆく。
元々の性質か、使用人として兄に散々教育されたのか、家の者からの「聞かせて」という言葉に逆らうことはせず、ゆっくりと話してゆく。
「家族構成は?」
「父と母と、弟たちと妹たちが……」
ララリィは懐かしむように目線を左上に移した。その表情はすごく悲しそうで、けれどそれこそ僕の求めていた事だった。
最初から僕に対して哀れんでいるような目線、躊躇しているということは分かっていた。あとは躊躇するほどのことを実行させないという一歩だけであった。
その時馬が鳴き声をあげ、馬車が止まった。植物の匂いがたくさんしている。葉っぱの腐ったような匂いがしている。
森の中だ。
ぞわりと肌が粟立った。今ここで殺るつもりなんだだ。
「おい亜人さんよ、ついたぜ。あんた一人でやれよ、俺は係わりたくねぇ」
御者の低い声が聞こえた。
目の前のララリィの大きな目が泳ぎ、頭の上の耳がフルフルと震えていた。
まずい、もうひと押し、なにか決定的に僕を殺させない方法を……なにか、彼女が僕を殺すことを決断してしまうその前に――
「どうしたのおねえさん、悲しそうだよ?」
近くにより、揺れている大きな瞳をまっすぐ見据えながら、鋭い爪を持つララリィの手に僕の小さな手を乗せた。
早く僕に同情して殺すのをやめろ、小さな村に置いてきたララリィの血のつながった弟と重ね合わさせるように「おねえさん」なんて呼び方をしながらそう思う。今から殺そうとする僕と故郷に残してきた弟と重ね合わせろ、今から殺そうとするのは実の弟と変わらない子供だと、思ってくれ。
良心に訴えかけるように、まっすぐララリィの大きな瞳をじっと見つめる。
1秒、2秒、3秒、ララリィの大きな目が揺れる。
そうだ、命令であっても、できないことがあると感じてくれ。
4秒、5秒……ララリィの瞳からはボタボタと大粒の雫が落ちた。
「できませんっ、わたしには、できません……!」
***
泣き出したララリィを、何故か僕は御者と共に慰めた。
正直面倒くさかったが、自分の生命にかかわるのだから仕方が無い。
聞き出した話によれば、やはり兄に僕を殺せと命令されていたらしい。けれど寸前のところで良心を取戻したらしい。
「僕が良心は取戻させたんだよ」とはさすがに言わなかった。もちろん殺されたくないからだ。
ララリィに小動物を狩らせ、僕の身に着けていたマントに動物の血を垂らした後、ララリィに渡した。
これで物語の女王の部下が女王を騙したように、兄を騙してくれればいい。
「ララリィ、兄様の使用人なんてやめちゃいなよ」
「私は、所有物ですから、それは叶わないのです……」
「簡単だよ?兄様の直属の使用人たちも少なくなってるんでしょ?養うのも大変だからね」
僕はここ一年くらいで屋敷の使用人の数が少なくなっているのを知っていた。そして今重圧が一番かかるのは、清掃や料理などの必要な使用人ではなく、よくわからない理由で女性の使用人を沢山抱えている兄だという事も察していた。
「手放されるのは、お気に入りじゃない人達でしょ?ララリィもそうなればいいんだよ、そうしたらもっと、ちゃんとした人の元で暮らせるよ、故郷にだって帰れるかもしれない」
「へぇ、レオナルド様は結構頭が切れんだなぁ……」
御者が言う。
「鞭で打たれませんか? お気に入りじゃなくなるということは、また酷い目にっ!」
「確実に手放されるよ。
姉まで金のために売ったんだ、父が無駄なことをするわけがない」
泣いていた姉の姿を思い出し、無表情で言ったその言葉に、御者もララリィも、ぎょっとしたような顔をした
姉まで金持ちからの支援金目的で手放すのだ。獣人をいじめて商品価値を下げるなんて馬鹿な真似は、父がさせないだろう。
「半年、王都には行かないよ、だから手放されるように動いてよ、そうしたらララリィはもう二度と虐められないよ」
僕はにっこりと女の手を取り、ほほ笑んだ。
のちにモリス家から無事手放されたララリィは、レオナルドの事をこう語る。
彼の笑顔はまさに天使の微笑み、悪い考えなんて全て消え去ってしまう。幼少期から、慈悲にあふれた素晴らしいお人であったと。自分も他の大多数と同じように彼に救われたと。
けれど別の者はこうも言う、彼こそまさに悪魔だと。
お読み頂きありがとうございます。
ブクマ評価とても勇気づけられます^^
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