風とたわむれて
仕事も一段落し、所用のため外出すると、新聞配達のバイクとすれ違った。午後二時半だった。ずいぶん早くに夕刊配達をするものだと思った。貴司はふと自分の中学二年生の頃を思い出した。昭和四十九年。その頃は、中学生もよく新聞配達をしていた。現代の中学生はアルバイト自体が禁止されているらしいが、貴司の中学生当時は、特に厳しい校則もなく、貴司も自由に新聞配達などのアルバイトをしていた。
いまの中学生は、二年生時に「職業体験」と称して、それを必須とし、労働の大切さを学ぶという。貴司の勤める学習塾の中学二年生も、コンビニや保育園、消防署や商店などへ職業体験にでかけている。
貴司の家は、大家族で、貴司は八人兄弟の三番目として育ったが、姉や兄が中学生になると、いろいろとアルバイトをしていたので、貴司も当たり前のように中学一年生の冬休みからアルバイトを始めた。初めて働いたのは、蒲鉾屋であった。年末の猫の手も借りたいような忙しい時期の臨時のアルバイトだった。小学校からの馴染みの友達である和喜と一緒に五日間働いて、生まれて初めての給料をもらった。母はその給料を信用金庫に預金することを勧めた。初めて作った自分の預金通帳。母の箪笥の引出しに入っているその通帳を眺め、貴司は少し誇らしい気分になった。何度かそのように眺めていたが、ある日、アルバイトで得たその額が、通帳から消えていた。母が下ろしたことにすぐ気づいた。わが家の家計の大変さを知ることになった。
貴司は中学生になると、地域のシンフォニックバンドに加入した。二歳年上の兄が参加していたこともあるが、自分も楽器を吹けるようになりたいと思っていた。兄と同じクラリネットを吹くことになったが、楽器は高価なので、すぐに自分の楽器は持てない。バンド所有のクラリネットを借りて、練習が始まった。兄は自分のクラリネットを持っていたが、それは小遣いを貯め、計画的に購入したという。兄の堅実さは子どもの頃からのもので、大人になった今も、弟妹たちからの兄への信頼は絶大なものだ。
バンド所有のクラリネットは、息を吹き込むと、いつも黴臭いにおいがした。代々使われてきた合成樹脂製の楽器で、キイの色がくすんでいる。長年吹き込まれて来たせいか、音は出やすくまろやかだった。しかし、高校生の先輩が、少し高級な本当の木管のクラリネットを持っていたが、それと較べると、借りているクラリネットの音色はとても雑な感じがした。
貴司は中学校の音楽部にも所属した。当時は吹奏楽部という名称ではなく、音楽に関心がある生徒を集めた部だったが、形式はブラスバンドであった。他の生徒も三人ほどいたが、ほとんどのメンバーが地域のシンフォニックバンドに所属していた。部活自体には、気楽な雰囲気があった。顧問の先生も全然指導に来ないし、メンバーはふだん、ほぼ全員がシンフォニックバンドでしっかり練習をしているから、音楽室に集まっても、ピアノを弾いたり、ギターを弾いたりして、遊んでばかりいた。部活には来ても来なくてもよかった。ただ、年に一度だけ、熱心に練習する時期があった。十一月の文化祭前の約一カ月間である。そのときだけは、みんなそろって音楽室で猛練習をした。
貴司は二年生の五月頃、友人数人とで、夕刊の配達を始めた。一カ月を過ぎると、ほとんどの友人が配達の辛さにアルバイトを辞めた。数カ月後には、一緒に始めた仲間は、貴司と和喜だけになった。和喜は中学校を卒業すると、高校へ進学せず、就職した。貴司は、その後、朝刊配達に移ったが、高校三年生の五月まで新聞配達を続けた。貴司は働くことを少しも苦に思わなかった、勉強よりも働いているほうが性に合っていた。給料は全部母に渡した。家計の役に立つならそれでいいと思った。
夕刊を配っていると、さまざまな出来事に遭遇した。配達の途中、突然大雨が降ってきて、ある家の軒下で雨宿りをしていると、その家のおばさんにつばのある帽子を渡されたことがあった。新聞はビニールで包んであるので、それほど濡れないが、びしょ濡れの貴司を見て、不憫に思ったのかもしれない。そのおばさんは、
「傘は持ちづらいわね」
と言って、ハットを貸してくれたのだった。貴司がそれを頭にかぶると、不思議と雨の強さは感じられなくなった。ハットだから、肩にも雨をそれほど感じなかったし、もうすっかり濡れ放題に濡れていたので、少しでも雨を優しく感じられるだけで、十分な気がした。
その出来事を販売店主夫婦に話すと、夫婦は、借りた帽子と菓子折りを持って、その家にお礼に行った。二人ともいい人で、アルバイトの中学生や高校生たちは、もうひと組、両親を持っているように感じたりしていた。和喜などは、販売店で仲間と談笑していたとき、何かの拍子で、
「それじゃ、お母さんに訊いてくる。あっ、間違えた。おばさんだった」
と言って、みんなに笑われ、顔をものすごく真っ赤にしたことがあった。
停めていた自転車の荷台から新聞を盗む中学生たちを追いかけたり、番犬に吠えられたりと、大変なことも多々あったが、夕刊配達は、貴司にとって、とても気に入った仕事であった。
当時は、アルバイトをする際、特に学校の許可を得る必要はなかった。貴司は自分の通う中学校にも夕刊を配達していたので、すぐに新聞配達をしていることが、学校中に知れ渡った。しばらくすると、毎日、教頭先生が新聞受けの傍に立っていてくれるようになった。
「ご苦労さま」
そう言って新聞を受け取る教頭先生の顔は、穏やかで優しかった。教頭先生はふだん授業を持たなかったが、その頃、ある先生の代理で社会科を教えていた。教頭先生は貴司のクラスにも教えに来たが、先生は授業中に冗談で貴司の肩を揉むことがあった。
「いつもご苦労さま」
先生はそう言いながら、床屋の主人のように、貴司の肩を揉んだ。
文化祭を控えたある日から、音楽部の練習が本格的に開始された。部活に参加しない日は、学校が済むと、すぐに夕刊配達ができたが、その日からふだんより遅く配達することになった。配り始める時には、すでにあたりは薄暗く、夜になろうとしていた。当然、家々からいくらか苦情が出ることになる。いくら苦情が出ても、ますますそのような日が続くものだから、貴司は慌てながら、ひたすら、申し訳ありません、と頭を下げて、一軒一軒に夕刊を配った。
そのようなことが続いていたある日、いつも新聞受けに夕刊を入れるだけで通り過ぎていた喫茶店の前に、体格のいい、その店のマスターが立っていた。髭を生やし、腕力の強そうな人だ。貴司は新聞を差し出しながら、
「遅くなってすみません」
と言った。
しかし、それを言ったか言わなかったかの間に、貴司は左の頬をものすごい力で殴られた。貴司の身体は道に吹っ飛び、そのマスターの恐ろしい形相だけが迫ってきた。もっと殴られる。その恐怖が全身に走った。貴司はただ、謝ることしかできなかった。そして何とかそのマスターから逃げ出し、貴司は仕事を続けたが、涙がぽろぽろと流れ出てきた。何が悲しかったのか、何がどうしたのか、それは何も分からなかったが、貴司はその出来事を販売店の夫婦にも、父母にも兄弟にも友達にも、誰にも話さなかった。
次の日、また文化祭の練習で貴司は遅れて夕刊配達をすることになった。喫茶店に配ることに大きな恐怖心を持ちながら、貴司は、仕事だけはきちんとしなければいけない、という責任感だけで、喫茶店の前に行った。案の定、マスターが腕組みをして立っている。また殴られる、と思った瞬間、貴司はそのマスターに無理やり肩をつかまれて、店の中に入れられてしまった。貴司は、ただ、
「遅れてすみません」
と謝るしかなかった。
すると、マスターは、
「カウンターの席につきなさい」
と言った。
貴司は言うとおりにした。身体が震えた。
突然、目の前にすーっとバナナジュースが出てきた。
「飲みなさい」
マスターはそう言っただけで、仕事を始めた。
貴司は呆気にとられ、言われるままに、一気に飲み干した。
「・・・ありがとう、ございました」
恐る恐る言った。
「行きなさい」
マスターは貴司のほうを見ずにそう言った。
所用を終え、貴司は職場の学習塾に戻り、コーヒーを一杯飲んだ。ひょんなことで、懐かしき夕刊配達の思い出にひたることになった。その思い出と共に貴司の耳には、中学二年生当時のクラリネットの音色が聴こえてくる。拙く弱々しい音色がひろがる。自分のクラリネットがほしい、と夢にまで見た日々。あこがれ続けたショーウインドーの向こうのきらきら輝くクラリネット。そして、それを父母に買ってもらった中学三年生の春の日のこと。その夜、貴司はクラリネットをケースごと抱いて寝た。そして毎日毎日練習した。会心の美しい音色をいつも目指していたが、それはいつまで経っても、初心者の音色だった。名クラリネット奏者のレコードを聴くたびに、自分には果てしなく遠い道のりがあると感じた。青い翼をひろげることさえできず、飛び立ち始めることのできない中学生のクラリネットの音色。それはいま、数年を経て、遠い音色となりつつあるが、それでも貴司の耳の中で、その未熟な音色は鳴り響き続けている。
しかし、あの時、喫茶店のマスターはどのような気持ちで貴司にバナナジュースを飲ませたのだろうか。
「行きなさい」
と言われて、大きな恐怖から解放され、ほっとしたことぐらいしか、今の貴司は憶えていないが、文化祭の練習は毎日続き、次の日も、また次の日も、遅く新聞を配ることになった。しかし、その後、マスターはもう店の前に姿を見せることはなかった。中学生に勢いで殴りかかった悔恨の念が、翌日、マスターの中で蠢いたのかもしれない。今年五十一歳になる貴司は、マスターのしたことは決して立派な大人のすることではないと思うが、バナナジュースが目の前に出てきた、あの経験は、人の中に潜む優しさというものを垣間見る瞬間でもあったのかな、と少しは思ったりもする。極悪人のような恐ろしい形相を、貴司に見せつけたマスターではあったが。
中学二年生のときから数えて、三十七年を経た今、あの喫茶店はどうなっているのだろうか。貴司はふとそのような気持ちを抱いた。ゴールデン・ウィークで帰省するのにまかせて、貴司はその場所に行ってみることにした。
故郷の町は、昔と変わらず、にぎわいを見せていた。通っていた中学校の傍を通ると、当時の新設校らしく備わっていた初々しい雰囲気は、いまでは伝統を積み重ねて来た佇まいに変わっている。威風すら感じられる。広いグラウンドは昔のままだ。
町並みは変わらないが、知らない店がたくさんあった。あの喫茶店はまだあるのだろうか、とその方向へ歩くと、そこは間口の広くなった大きな店構えに変わっていた。喫茶店は、カフェレストランに改築されていた。
(立派な店になったなあ・・・)
店名は以前とは異なり、「ミスターC」という名称に変わっていた。
入口に近づくと、ギターの音色が聴こえてきた。軽やかな感じのフォークソングだ。誰かが演奏しているようだ。貴司は店内に入ってみた。客は一人もいない。店の片隅で、リハーサル中なのか、すでに開演しているのか、よく分からない様子で、高校生風の女の子二人が演奏していた。
ミスターC主催・フォークコンサート
コンサートの実施を知らせるパネルが、彼女らが演奏している場所の上部に吊るしてあった。
「女性デュオ・・・か」
(音楽を楽しむのもいいな)
貴司は少し興味が出てきた。遅い朝食をとっただけで、空腹も感じていた。腕時計を見ると、午後四時半を回っていた。すぐ傍のテーブルに着くと、ウエイトレスが注文を取りに来た。とても庶民的な感じの店だ。店内は明るく、音楽を楽しめる雰囲気が出来つつあった。この時間でもランチは注文できるとウエイトレスが言ったので、「本日のランチ」を注文し、ビールも飲むことにした。カウンターの向こうに年配の男がいた。年齢は七十二、三歳といったところか。貴司はその男が例の喫茶店のマスターであることにすぐに気づいた。この店のオーナーシェフだろうと思われた。見た感じは、白髪ですっかり老人になっていたが、恰幅よく、若々しい風情も持ち合わせていた。髭は生やしていなかった。貴司はマスターに対して、思いがけず、人柄がよさそうで、人間性豊かな人物だという印象を得た。もし会えれば、きっとひどい悪人面に成り果てているだろう、との予想を貴司は持っていた。それはあっさりと覆させられた。
相変わらず、客は貴司一人だけだった。
ウエイトレスがグラスのビールを運び、貴司はフォークソングを聴きながらランチを楽しんだ。殊の外、魚料理の旨さを堪能した。マスターが貴司のテーブルの傍を通ったとき、
「美味しいですね」
と貴司は意識的にマスターに言った。
「ありがとうございます。お口に合いましたでしょうか」
「はい。シェフのお料理ですか?」
「シェフだなんて・・・。冴えない食堂の主人です。・・・お客様、もしよろしければ、ここの演奏、最後まで聴いてやってくださいますか。私の知人の娘さんたちなんですよ。二人ともこの春、大学生になったばかりです。素敵なハーモニーを聴かせてくれますので、私が惚れ込んで、来てもらったんです」
「そうですか。ギターがとても上手いですね。では、しばらくゆっくり聴かせていただきます」
「ありがとうございます。そう言ってくださると、嬉しいです。何だか、今日は午後のお客様の入りがよくありませんので・・・。彼女らは、今日、午後二時から楽しそうに演奏しています。時々、私とおしゃべりしたり、お菓子を食べたりしながらですけどね」
マスターはニッコリして言った。
最近新装した店らしく、店内は清潔感に満ちていた。高級感はそれほど感じられなかったが、何事にも行き届いている雰囲気があった。
しばらくすると、マスターは、貴司にフォークバンドが今日演奏している曲目のリストを手渡してくれた。貴司はコーヒーを飲み終えると、ビールのおかわりを注文した。
「これもご覧ください」
またマスターが貴司のテーブルにやって来た。
「私が作成した曲目紹介です。『一言コメント』も添えておりますので、よろしかったら、お読みください」
マスターは、少し照れたように、しかし嬉しそうに話した。
「ありがとうございます。読ませていただきます」
貴司は、マスターから、コメントを書いたカードを手渡された。
「こちらこそ、感謝申し上げます」
マスターは深く頭を下げた。
貴司はコメントを読み始めた。
曲は全部で七曲であった。ほとんどが女性デュオによるオリジナル作品であったが、一曲だけ、やけにコメント文の長い曲目があった。「風とたわむれて」という曲だ。そのコメント文には次のようにあった。
オリジナル曲が主の彼女たちですが、この「風とたわむれて」は、私の敬愛する歌手、ペリー・コモの代表曲の一つです。ベット・ミドラーの大ヒット曲のカヴァーではありますが、コモの熟練したヴォーカルには、ずいぶん酔いしれたものでした。コモの音楽との出会いは私が五十歳のときでした。ある日、ラジオから映画「追憶」のテーマが流れて来ました。何人かの歌手の聴き較べの番組だったのですが、コモの「追憶」を聴いたとき、とにかく歌のうまさに驚きました。穏やかな歌声に聴き入りました。そして、コモが、フランク・シナトラ、ビング・クロスビーと肩を並べるアメリカを代表する名歌手であることも知りました。
コモのラストコンサートと称されているアイルランド・ダブリンでのクリスマスコンサートがありましたが、DVDでそれを鑑賞しますと、大観衆に愛されているコモの人柄が大写しになり、歌唱以上に感動的であります。そのコンサートでも「風とたわむれて」は歌われていますが、コモの歌の中で、私が一番好きな楽曲ですので、彼女たちにこの曲を演奏してほしい、と頼んだところ、快く引き受けてくれました。歌詞も彼女たち独自の日本語に訳して、先日、私に聴かせてくれました。感動のあまり、いや、個人的な話になりますが、亡くなった妻のことを思い出し、不覚にも涙が溢れましたが、彼女たちは、よいパフォーマンスを披露してくれますので、皆様、どうぞお聴きください。
マスターは、この二人の歌を心から愛している。そして、ペリー・コモの歌を大切に思っている。コメントを読みながら、貴司にはそれが強く伝わった。
貴司はビールを飲みながら、ゆったりとくつろいでいた。
「なかなか、やりますね。彼女たち」
貴司は、カウンターの向こうから貴司のほうを一瞥したマスターに、大きな声でそう言った。
「分かりますか」
マスターは貴司のテーブルに来た。
「いや、音楽のことは私は門外漢です。しかし、このデュオは、もしかすると、プロ級じゃないですか?」
「そうなんです。実にいい音楽を作り出しています。また、人間的にも、とてもいい子たちなんですよ」
マスターは、我が子のことを語るように、穏やかな口調で言った。
「二人の歌は、もっとたくさんの人たちに聴いてもらいたいですね」
貴司が言った。
「本当に私もそう思っているんです」
マスターは、賛同者を見つけたと言わんばかりの顔をして言った。
「お客様、お飲み物はどういたしましょう」
「もう一杯、ビールをお願いします」
貴司は、もう少しこのデュオの演奏を聴いていたかった。
デュオが訳した「風とたわむれて」は次のような歌詞だった。
君はいつも僕のことを
とても大事にしてくれた
僕の影にばかりいて
いつも僕を立ててくれた
表舞台にいるのは僕
君は大変な役目ばかり
いつも僕を支えてくれた
君の愚痴を聞いたことがない
君は僕のスターなのさ
君のようになりたい
自由に僕が飛べるのは
君という風のおかげさ
だけど気がつかなかったんだ
この思いはいつもあるんだよ
君がいなければだめなんだ
君は僕のスターなのさ
君のようになりたい
自由に僕が飛べるのは
君という風のおかげさ
君という風のおかげさ
貴司は、マスターの人生にも、きっと紆余曲折があったにちがいないと思った。女性デュオに対するマスターの優しさは、いったいどこから来るのだろう。ペリー・コモの歌はよく知らないが、マスターが彼の人柄に心酔するのも、また、風のようにマスターの翼を支えてくれた今は亡き夫人への想いを吐露するのも、マスター自身が人として成長したことのあらわれなのだろう。
きっと、誰もが経験するように、人間関係の上で、生業の上で、マスターは、酸いも甘いも味わってきたことだろう。そして人の痛みを知り、人の喜怒哀楽を知り、いつしか、円熟味を醸し出す良き老人になったのだろう。この何とも言えぬ店内の居心地のよさ。きっとこの店の雰囲気は、マスターの来し方を象徴しているのだろう。貴司を殴った日のことは、若気の至りというものか。しかし、結果的にマスターは人として、よい心根を育んで、その人生を歩いて来たにちがいない。貴司にとっては、奇しくも、そのようなことを実感する帰省となった。
腕時計を見ると、午後六時を少し過ぎたところだった。客は少しずつ増えている。間を置きながらも、女性デュオの演奏はまだ続いている。
「お客様、お飲み物はいかがですか。お客様は、とてもいいお方です。今日、私はとてもよい気分です。何かお飲み物をごちそうさせてくださいませんか。何なりとお申し付けください」
突然、マスターが貴司のテーブルに来て、嬉しそうに言った。
「よろしいんですか?」
「はい」
貴司は気のよさそうなマスターの顔を見て、にっこりした。そしてふと、悪戯心が湧き上がってきた。
「ソフトドリンクはありますか?」
「はい。ございます」
「バナナジュースが飲みたいですね」
マスターは一瞬、きょとんとした。
「ありますか?」
「はい。ございます。すぐにお持ちいたします」
「お願いします」
貴司は心楽しかった。今飲むバナナジュースはいったいどんな味がするのだろう。マスターの人生の片隅に中学二年生の貴司がいる。マスターの記憶のどこにも存在しない貴司がいる。いや、もしかしたら、消せぬ汚点としてマスターの中で、その出来事は、今も揺らめいているのかもしれない。
いまフォークデュオの音楽を楽しむ貴司には、中学二年生の自分のクラリネットの音色がかすかに聴こえている。あこがれのクラリネットをショーウインドーの向こうに眺め、胸を躍らせた中学生の自分の、支えてくれる風もなく、青い翼すらひろげられないままの未熟な音色が、いつまでも、いつまでも、遠い音色となって響き渡っている。(了)