第九話 「とある冒険者の恋路」
ダンジョン生成から十三日目。
冒険者がスライムに虐殺され、程なくして彼の体がダンジョン入り口前に現れた。
彼の命が失われる直前の大の字で、彼は橙に染まり始めた空を見ながらぽつりと言葉を漏らした。
「……うん、夢じゃなかったんだ」
時間にして一時間ほど、彼の記憶からすれば経験したばかりの悪夢。スライムに体の内部全てを掌握され、あまりに無様に命を散らされ。
あのスライムに会うのがダンジョンでよかった、冒険者は心からそう思うのだった。
陽が落ちる前までに王都に帰れた僕は、いつもの酒場へと足を運ぶ。カラナ通りの変わらない賑わいが僕の丸まった背中を嘲笑っているようだ。
カラナ通りを南門から歩いて10分程の左側にある、酒場ウララスリリ。木造の1階建てのこの建物が開くのは丁度18の刻(午後6時)。開店してからは、客を歓迎するかのようにいつもその開いた扉から明るい光をカラナ通りに漏らしている。
僕はすでに馴染みとなったウララスリリへ入っていく。ギシギシと音を立てる木の床。それと同時に酒と肉の匂い、そして空腹を刺激するスパイシーな良い香りが鼻をついた。
ウララスリリの店主と挨拶を交わしていつもの席ーー右奥のテーブルにつく。その席は、今では他の客にも僕の席だと認知されるようになっていた。
お腹がすいたな。
思えば、あのダンジョンに出かけると決めた昼から何も食べていない。結構な距離を歩いたし、ダンジョン内でも気を張っていたから当然だろう。
僕は店主にロブポークという魔物の肉焼きを頼んで一息ついた。
あのスライムはなんなんだろう? 触手による拘束も、あの筋力も到底スライムだとは思えない。だけどあいつ自身がスライムだと名乗っていたし、他の魔物が成りすましているにしてもわざわざスライムになるメリットというものがないはず。
おまけに僕を殺した最後の技。思い出すだけで背筋が冷える。敵の体内に侵入して窒息死させるだなんて、どんな生物でも勝てないんじゃないかともまで考えてしまうほど、えげつない。
単純に窒息死でなくても内部から破裂させるといった手もあるしーー
思考がどんどん深くなっていったその時、唐突に肩を叩かれる。
「やぁ、ノルディス。そんなに物憂げな顔をしてどうしたんだい?」
顔を上げれば、そこには同じ冒険者のルージュが立っていた。彼女とは王都リンデラに来てからすぐ出会って、三年の付き合いだ。
この酒場でよく共に酒を飲んで、ダンジョンについて語り合ったり、くだらない話をしたり。それなりの信頼を持っている人物の一人。
ルージュは中性的な顔立ちで、女にしては短め銀髪ーーまあ冒険者という職業上しょうがないのだけどーー、いつも浮かべている微笑、その男とも女ともつかない声が特徴的だ。
「うん、ちょっとね。良かったら話を聞いてもらえないかな?」
「勿論、そのつもりだよ」
ルージュは微笑みを崩さず頷き、丸テーブルの僕の反対側に座る。
「ノルディスが悩むなんて珍しいじゃないか。もしやとは思うけど、私以外の女に目を惹かれたーー」
「そんな訳ない、ってかルージュともそんな関係じゃないでしょ」
「私はノルディスさえ良ければいつでもそんな関係になっていいのだけど……?」
流し目で見つめてくるルージュ。はたからすれば愛の告白とかに捉えられてしまうかもしれないが、こんな会話は慣れっこだ。
いつもは僕が適当に返して終わるけど、今日は少し反撃をしてみようと思う。
「じゃあこの後二人で宿行こっか。明日からはパーティーも組もう」
真面目な顔でそう言うと、ルージュはきょとんとした。この返答が予想外だったのか、それとも反撃がつまらなかったのか。
しかし、本当に反撃をされたのは僕だったみたいだ。
「それは良い案だね。なら、宿はどこにしようか。記念すべき日なのだから少し高めのところでもーー」
「ちょちょちょ、冗談だって!!」
ルージュはあっさりと承諾し、尚且つ宿の相談まで始めようとしてくる。慌てて遮った僕だけど、それはまたも失敗だったらしい。
「冗談……? ノルディスは私のことが嫌いなんだね。そう、分かったよ……」
ルージュの表情は途端に暗くなり、あっさりと席をたってしまう。
気づけば僕はその手を引き止めていた。冒険者らしい腕だけど、細く、力を込めればすぐ折れてしまいそう。
「ち、違うよ、嫌いなんかじゃない!」
「でも、断ったじゃないか……」
「そ、それは……」
違う、そうじゃない。
否定の言葉をまくしたてたくなるけど、言葉が出ない。離れそうになるルージュは、口ごもった僕に、最後だというように問いかけた。
「……嫌いじゃないって言うなら、はっきり言葉にしてくれないかい? 君が私をどう思っているのか、さ」
……。
ここでこの手を離したらもう二度と会えない気がする。後ろ姿のルージュは、いつもと違って小さかった。
僕は覚悟を決めた。
「好きだ、ルージュ。いつまでも話していたくなるほど楽しい君が、いつも気遣ってくれる優しい君が、たまに見せる自然体の君が、強がってしまう君が。全部全部、好きだーー」
初めての、愛の言葉。
身体中が熱くて、喉が焼けそうになるくらいからからで。
鼓動が魔物の咆哮より煩くて、ルージュを掴んだ手がぶるぶる震えて。
今までのどんな魔物との戦闘よりも緊張してる、今この瞬間。
ルージュがゆっくりと振り向いた。
その顔は満面の笑顔でーー
「私も大好きだよ、ノルディス」
いきなり唇を奪われ、耳元でそう囁かれた。
と、その瞬間からワッと周りから大歓声が上がる。
「おいおい、やっとかよ!」
「おめでとさん!!」
「ちっくしょー、見せつけてくれやがって!」
「ノルディスずりーぞー!」
「え、ぁ……」
そういえば、ここは酒場だった、と今更ながらに思い出す。今まで全部見られていたのかと認識すると、頰がとんでもなく熱くなった。
穴があったら入りたい、心からそう願い、そしてふと目の前のルージュを見る。
「なんだい、ノルディス。みんなに祝ってもらってよかったじゃないか」
いつの間にかいつもの微笑にーーいや、まるで計算通りって言わんばかりの表情になっていた。
……まさか。
口を開こうとするも、ピトっと指で唇を塞がれてしまう。
「その先は禁止だよ。私も恥ずかしかったわけじゃないしね」
しかし、その頰もどこか赤く染まっていて。
僕は今まで待たせてしまっていたということを理解した。
僕達はもう一度抱き合い、野太い声に押されるまま酒場を後にしたのだった。
次の日、僕はいつもよりふかふかなベッドで目を覚ました。隣には安らかな寝顔で眠るルージュが。
初めてみるルージュの姿。これからは、もっともっと沢山の「初めて」を見れるのだろう。
僕は胸を高鳴らせてルージュの顔をひと撫でした。
あ、スライムのこと話すの忘れてた。
まぁ、これからはずっと一緒だし、いつでも話せるかーー
この二人にはこれからたびたび出てもらうつもりです。
次回にスライムについて、それから初めてのダンジョン強化をレヴィにしてもらいます。
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