096 鳥籠の大地
あらすじ:
ノルマ達成したので章が変わった。
「クシュンッ」
漆黒の空が広がり、空間が割れたような隙間からわずかに光が差す大地。そこに現在、タカシと別行動を取って聖門の神殿に向かっていたはずのリリムがいた。またこの場にはリリム以外にもローエンや勇者サライ、マキシムの仲間のザイカンたち、さらに数は半分以下に減っているが護衛の聖騎士たちがその場には集まっていて、全員が深刻そうな顔をしていた。
「リリム殿、体調は大丈夫ですかな?」
「はいザイカン様。問題はありません。アルゴニアス様が暖かいですし」
少しだけ心配そうな顔をしたザイカンの問いにリリムが微笑みながら言葉を返した。ザイカンの視線はリリムだけではなく、リリムが抱えている光り輝く白い大きな卵にも向けられていた。その卵から溢れ出る光は神力であり、内にいるのが神竜アルゴニアスであることはこの場の誰もがすでに知っていた。
『クシャミの原因はあの神竜モドキだろうよ。どうせヤツが良からぬことを口走っているんだろうさ』
「まあ、ないとは言えませんが」
リリムが目を細めてそう返すとサライもザイカンも苦笑し、アルトが苦い顔をした。方々の反応の通りにリリムの主人であるタカシにそうしたところがあるのは否定できない事実だ。もっとも、今のリリスにもタカシが現在どのような状況に陥っているのかはまったく分からない。果たして生きているのかさえも不明なのだ。
「ただ、あちらは今どういった状況なんでしょうか。私たちのことは把握できていないのでしょうかね?」
リリムが星のない漆黒の空を見上げながら言う。
この場は神域として亜空間に存在する霊峰サンティアから切り離した空間だ。止む得ぬ事情により彼らは中に逃げ込んだが、現状では外に出ることも連絡を取ることも不可能となっていた。
「ふむ、まあ生きておるとは思ってはおらんじゃろうな」
「やはり、そうですよね」
ローエンの言葉にリリムが肩を落としながら頷いた。
「それにじゃ。外は恐らくそれどころではないはずだろうて。確かにアルゴニアス様は生きてはいるがすでに深淵落ちは九割がた成っておろうしな」
「となれば外の者ができるのは民を聖王都より逃すことぐらいでしょうな。こちらに気をかけている余裕も……霊峰サンティアを取り戻す手立てもない……か」
ザイカンの言葉に一同が顔を落とす。やはり何度確認しても解決の糸口が見えない。もはやナウラ・バスタルトが闇の神の側に寝返っていたことは状況からして疑いようもなかった。敵はあまりにも用意周到過ぎた。そんなことを考えている彼らに森の中から出てきた少女が声をかける。
「あれ、なんかみんな暗い顔ね。どうかしたの?」
「な、なんでもないですよヒナコ様。どうでしたか?」
森の中から出てきた少女にリリムがそう返す。
やってきたのはマキシムの仲間である魔術師ヒナコ。彼女も聖門の神殿突入メンバーのひとりであり、この場所の安全性を確認しに周囲を見回っていたのだ。
「うん。空間の切り離しは無事成功しているわ。見る限りでは綻びもない。これならしばらくは保つと思う」
その言葉にヒナコを除く全員がホッとした顔をする。
「であればまだ希望はある。今の霊峰サンティアのほとんどはあの邪竜めに奪われているが、アルゴニアス様が生きておられる間はまだ……」
『そう期待すんじゃねえよ。正直に言って俺の回復の見込みはねえからな。対してアヴァドンとかいうあのドラゴンは流した血から眷属を生み出すみてえだからあっちの戦力はますます増えている。まったく厄介なやつだよ』
悪母竜アヴァドン。アルゴニアスが悪態をついて名を口にしたドラゴンこそが、神の薬草の力で強化したアルゴニアスが一度は撃退した悪竜であった。
そのアヴァドンは現在自身が受けた傷から無数の眷属を生み出して今や霊峰全域を手中に収めていた。悪『母』竜の名の通りにアヴァドンにとっての本来の力はそちらにあったのだ。
そして生まれたワイバーンたちによりこの霊峰サンティアの大部分は支配下に置かれ、さらに今朝方には陣内死慈郎という剣士による次元を斬り裂く剣技によって空間を切り離して隠れていたアルゴニアスの居場所が発見されてしまった。アルゴニアスは辛くも逃げることはできたが、アヴァドンの支配域はさらに増え、聖王都を深淵に落として魔都化させる準備は整ってしまったのだ。
そしてその予兆が外に漏れるよりも早く教皇を仕留めようとデミディーヴァ『クライマー』は配下とともに動き出し、入れ違いでリリムたちは聖門の神殿から霊峰サンティアへと突入した。となればサンティアへと入った彼らがアヴァドンの眷属たちに襲われたことは必然であった。
「しかしアルゴニアス様はそんな悪竜を出し抜き、我らを救ってくださった」
『はは、保って数日だがな。リリムの嬢ちゃんは俺が巻き込んだようなものだから助けるのは当然だし、お前らはそのオマケだよ、オマケ』
卵の内よりそんな言葉が返ってくる。
リリムたちがこの場にいるのもアルゴニアスの力によるものだ。霊峰に入ってきたリリムの気配に気付いたアルゴニアスが最後の力を振り絞って彼らを救出し再び空間を切り離してワイバーンたちからも逃げ切ったのだ。その理由はアルゴニアスなりのタカシたちへの義理立てであった。
『大体だなローエン。俺はお前たちには失望している。この結果はお前たちが招いたものだ』
「申し訳ございませぬアルゴニアス様。まこと、我らの不徳の致すところ」
ローエンがそう口にするのも無理からぬこと。
アルゴニアスがタカシに依頼をしたのはあくまで『ローエンにサンティアの現状を伝えること』であり、タカシはそれを間違いなく完遂したし、ナウラを疑うところから始めず直後に行動していれば間に合っていた可能性は高かった。
そもそもナウラが闇の神の側として動いていたことも含めて考えれば、アルゴニアスのローエンたち聖王国への怒りはきわめて正当なものである。だからこそ依頼を完遂させたにもかかわらず巻き込んだリリムを救うのはアルゴニアスにとっては当然のことであり、ローエンたちがついで……というのも事実なのだ。
『それにだ。あちらには次元斬りの使い手がいる。ここの維持も何事もなければあと数日というところだが、あちら側から発見されれば正直どうにもならん。覚悟は決めておけよ』
その言葉に全員が険しい顔で頷く。
アルゴニアスが新たに霊峰から断絶した空間の中では内側からも外側からも連絡が取れず、このまま何もせずともアルゴニアスは数日で力尽きて、この空間も崩壊する。また聖王都は深淵に落ち、教皇や勇者たちの動向は分からず、状況からして自分たちは死んだと思われているはずだとも。そのうえに敵には彼らの居場所へと到達しうる力もあった。
「タカシ様……せめて生きていてくださるとよろしいのですが」
そしてリリムはひとり漆黒の空を見上げて主人のことを想う。
そのリリムの言葉を耳にしたローエンたちが、自ら死に瀕しようとしているときに主人を想う少女の忠義に胸を打たれていたが、彼女にとって重要なのは自分の命でも主人への忠義でもない。
(ま、最後までお務めできなくとも、タカシ様の指示で死ぬのであれば従者として全うしたと言えますよね?)
リリムは施しの神ガルディチャリオーネの眷属とも呼ばれる天使族の少女だ。神と交わした契約の不履行こそが彼女のもっとも恐れるものだったのである。
ただ、彼女は知らない。その神との契約こそが現在タカシの命を脅かしているという事実を。
またこの場にいる全員が知らない。次元を斬ることができる陣内死慈郎と、それを支配下に置いていたデミディーヴァ『クライマー』もすでに消滅し、とある手段によって教皇たちは『少なくとも』リリムが生きていることを掴んでいるということを。
さらには深淵に落ちて闇の領域と化した聖王都経由でのサンティアへの侵入は難しくとも『別の侵入ルート』も存在していて『とある男』ならばそのルートを繋ぐことが可能なのだということを。
そう、今はまだ誰も気付いていない。圧倒的不利に思えるこの状況だが、いまだわずかな希望によってどちらにでも転ぶよう天秤の上にあるのだということを。
そして彼らは知らない。その希望は今、美女になって命の危機に怯えていて、誰のためでもない……ただ己のために全てを覆そうと動き出していたのである。




