030 賢者の時間
この感覚。あの時と同じだ。
噛み砕いた薬草が喉を通るたびに湧き上がってくる熱い感じ、これが神の力か。分かる。分かるぞ。俺の体を駆け巡る魔力の流れの中に神力が混ざっていくのが分かる。
「た、タカシ様の身体がモリモリと膨らんでいきます!?」
ああ、そうさ。見ての通りだリリム。これが肉体に神が宿ったということ。ほら、ムキムキだろう? おや、顔を背けたか。照れているのか。
まあいい。それに今、俺の心は澄み切ったそよ風舞う草原の如き清涼なる気持ちで溢れている。まるで長き修行を経た修験者が悟りを迎えたかのような、内より生まれる圧倒的な全能感。己が賢者になったかのようなこの感覚……そうだな。これを賢者の時間とでも名付けようか。ふふ、我ながら良いセンスじゃあないか。
『グク……』
さてと。それで、この神の宿った肉体と賢者の知を得た俺を前に果たしてあの神の分身如きがどう対抗してくれるのだろうな……と。おやおや、あのボロボロの神様、笑っているぞ?
『グググククグ……なるほど。先ほどの勇者と力は同じか。しかし、器の差は如何ともしがたい。受け止めきれずに肉体が変質し、力が溢れ出ているではないか』
気が付いたか。さすがだな。
確かに先ほどのマキシムとの差はそこだ。マキシムは神の力を受け入れられる器があったからこそ、限界はあったが変わることなく戦えていた。しかし俺はそうじゃない。あいつとは違う。
『ヌゥ、何がおかしい?』
けどな。だからといってお前が俺より強いという理屈にはならないんだぜ?
そもそも賢者の時間に至った俺に挑発など無意味だ。むしろ少女が俺をなじってきているという事実には興奮すら覚えているんだからな。
とはいえ、このままでは戦い辛いのも事実。であれば俺もマキシムがやったことの真似事くらいはさせてもらおう。そうだ。神力を調整するんだ。
「タカシ様、腕が光って……それは一体!?」
驚くなよリリム。別に難しい話じゃない。俺の身体は神の力に耐えきれない。だったら耐えられる場所に力を移せばいいってな。そう、この竜腕ならば神の力を宿すのに十分な器がある。
ほら、できた。神力を注いだせいか、黒い鱗が虹色の光を帯びた銀に変わったが問題はない。これなら以前よりも長く戦うことができるはずだ。
『貴様……神竜をその身に宿すだと? いったい何者だ!?』
おや、デミディーヴァが激昂しながら俺の元に近付いてくる。何か勘違いをしてるみたいだが……しかしな。いくら神でも正面から俺に挑むのは下策だろう。マキシムの攻撃で相当な痛手を受けている身ではなおさらだ。ソレを教えてやろうじゃないか。なあ、ライテー?
『うん、タカシ。ライテーはここにいる』
出てきたか。ああ、今は幼女ではないんだな。大人びた女性の姿に変わっている。ようやく俺の精霊にふさわしき姿になったか。
「タカシ様!? ライテーちゃんが大きくなってます」
分かっているさ。主が半神の域に入ったのだからこれは必然だ。
ライテーが精霊から聖霊の域に近付くのも道理というものなんだ。
だが安心しろリリム。こいつはいつも通り、弓の調整だけで何かをするわけじゃあない。アダルティ以上の意味はない変身だ。
『タカシ、来る』
分かってる。身体はかつてないほどに冴え渡っているからな。
だから問題はない。構えは一瞬で、銀竜の腕が弦を一気に引いた。
そうして出現した雷の矢は五十本。俺はそれを迫るデミディーヴァへとすべて放った。
『神鳴りか。厄介な』
おっと、避けたか。放った全ては『必殺』だが、殺し切るまではできぬのだから強引に突っ切ってくるかとも思ったんだが……それほどに消耗しているのか、この矢に何かあるのか。まあ、離れたのならばこちらとしても都合がいい。試したいこともある。
来い、ボルトスカルポーン。
『召喚? だが、ただの骨の兵士だと?』
俺が召喚したボルトスカルポーンを見てデミディーヴァが困惑した顔を見せた。まあ、確かにそこにいるのはただのポーンだ。少々雷の力を宿しただけの骨の兵士。そいつはお前に届くような格じゃあないし、対峙させるには不適当だろうよ。『今はな』。
だから警戒する必要があるのはこれからだ。頼むぞライテー。
『ラーイ』
そして俺は金雲を宿し矢をボルトスカルポーンへと放った。
サンダーレイン。それは放った矢を霧散させて黄金の雲を生み出し、何者にも従属していない無色の雷を降り注がせるアーツだ。
従属していないが故に従属させることは容易。その性質を以前はサンダーミストに利用もされたが、考え方を変えれば『そういう使い方』もできるということでもある。だから、雷をたらふく喰らえボルトスカルポーン!
『雷を召喚体にだと? いや、これはまさか』
ポーンに刺さった矢はその場で拡散し金雲となってポーンを包みながら雷をその内で大量に放ち始める。それをポーンはすべて吸収していく。どうやらデミディーヴァもそのことに気付いて影より触手を飛び出させたが……もう遅い。
『すべて注いだ。アレ、元気になる』
そうだなライテー。ボルトスカルポーンが雷を吸収して昇格していくぞ。骨に肉がつき、銀の髪が生えて伸び、なんとも美しい女性に生まれ変わっていくじゃないか。そうして誕生するのは放電する骸骨の鎧を纏いし雷の女王ボルトスカルクィーン。それこそがデミディーヴァ、お前に対抗する力だ。
『チッ、そういうことか』
『軍勢よ。来たれり』
凛としたその声と共にクィーンが剣を足元に突き立てると周囲に無数の雷が落ちて、彼女を護りし騎士たちが一斉に召喚されていく。そう、これが支配者級の召喚体であるクィーンの力だ。俺の魔力ある限りクィーンは配下を喚び続けられる。つまりは……
『いったいどれほどの召喚体をお前は!?』
さてな。今出現させた『百の軍勢』程度であればまだ余裕はあるぞ。さあ、やれ。
『クィーン、アレの足止めを』
『我が王と聖霊の御心のままに』
そしてライテーの指示を受けたクィーンの指揮の元、ボルトスカルナイトたちが隊列を組んで突撃し、迫る触手を切り裂きながらデミディーヴァを取り囲んでいく。
「す、凄い。確かに雷は全属性中、もっとも神の概念に通じるものではありますが……だからと言ってここまで渡り合うなんて」
そうだな。確かにリリムの言う通り、クィーンとナイトの攻撃はヤツにも通じている。けれども残念ながらそれでもせいぜいが足止めなんだ。アレを止めることはできても仕留めることはできない。だからこそ、アレを屠る一撃が必要だが……
『タカシ、一ではなく三、十ではなく三十。大事なのはバランス』
ああ、分かってるライテー。二本でも五本でも矢は纏められなかった。成功したのは三本のみ。だからトライアロー。必要なのは三つの頂点。三の倍数だ。今の限界は百本。ならば九十九の矢を……そう考えて俺は銀の竜椀にありったけの魔力を注いで弦を引き絞る。
『なんだそれは!?』
出現させた矢は九十九本。その矢すべてを纏め上げるイメージを創る。ギシギシと頭が痛むが問題はない。今の俺ならば限界を超えた集中すらも可能なはずだ。
「タカシ様、頭から血が!?」
分かってる。血が昇り過ぎて血管が破裂してるだけだ。けれども構わない。腕もそろそろ限界か。もちろん構わない。今の俺の再生能力はそれらを上回る。それが分かる。そして俺が丸太ほどの大きさになった雷の矢を放つと、同時に目の前が真っ赤になって……
『ぁぁぁあああああ』
悲鳴が聞こえた。意識が途絶えた? ああ、負荷に耐え切れず頭が吹き飛んだのか。
『魂の設計図を元に新しい頭を造った。腕も前よりも強くなった』
ライテーが横で教えてくれる。銀竜の腕もか。うん、つい数秒前よりも馴染んでる。頭もスッキリとしている。そうだ。頭が壊れたのならば新しいのに代えればいい。それが真理であることを俺は元の世界で学んでいたはずだ。はは、今の俺は冴え渡っているな。賢者の時間とは我ながらよく言ったもの。
そしてデミディーヴァだが、俺の攻撃は残念ながら直撃ではなかったが完全に避けきられてもいなかった。そうだ。アレの右半身を見事に削り取っていた。そのダメージに加え、クィーンとナイトの猛攻を前に半身を再生する余裕もなくなっているな。
もっとも、こちらも猶予はもうない。限界が近付いてきている。その上、以前と同様に矢を出しすぎたことで神弓もオーバーフローでしばらく使えない。であれば直接殴りに行くしかないか。
『クィーン、タカシのフォローを』
『承知いたしました。我らが王の歩む道、しかと用意してみせましょう』
ああ、頼んだぞふたりとも。アレに近付くには途中の触手が邪魔だ。俺が進む道をお前たちが作ってくれ!
『チィ。騎士どもが間に入って触手を防ぎ、道を作っていくだと!? クソ、なぜこんな勇者ですらない人間に我が』
何故だろうな。けど、よし届いたぜ。それじゃあ喰らえよ神様。最後はやはり殴り合いだろ?
『貴様ァァアアア』
そして俺はもはや少女であった原型もない醜悪な怪物となったデミディーヴァへと拳を振るう。竜腕を振るい続ける。
殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。
殴るたびに拳が砕け、すぐに再生し、また殴る。ここが正念場だ。残る力のすべてを攻撃に注いでいく。砕けようが、裂けようが、潰れようが構わない。ただ治し、ただ壊す。限界まで叩き潰す。粉になるほどに砕き散らす。
対してデミディーヴァはもはや再生する力もないようだ。マキシムによって大きく力を削がれて、俺によってダメージの限界も超えた。そうまでして、ようやく届いた!
『痛い、痛い、痛いぃぃいいい!? やめろ、止せ』
ついにはデミディーヴァが悲鳴をあげ始めたか。それはつまり神にも痛みがあるというのか。恐怖があるということか。そりゃあ良い。それは刻み付けられるってことだろう。
おっと、また拳が砕けたか。だがまだ治る。それに身体を治すことにももう『慣れて』きた。だったら『造り変える』ことだってできるさ。
『止めよ。たとえ我が肉を刮ごうとも、貴様では我には』
見えた。そこだ!
『グォォオオオアアアアアア!!??』
俺は竜腕をデミディーヴァの内側へと貫いて、黒く光る『ソレ』を掴み取って中から抜き出した。それが恐らくは迷宮核石を基に作ったのであろうデミディーヴァの核石だ。しかし掴んで抜き出したはいいが、これは砕くにはあまりにも硬く、強固だ。
『クッ、はは……無駄だ。だから無理なのだ。貴様では我には勝てぬ。我が力宿りし核石を貴様程度が砕くことなど不可能!』
分かっている。確かにこれは砕けないな。握力で潰すのはもちろん、普通に切り裂こうとしても貫こうとしても無理だろう。そして、それができなければこいつは倒せない。
『分かったか。これが神と人の差。それに貴様にはもう時間もあるまい』
醜悪な化け物が口元を歪めて笑う。
こいつは最後の最後で俺に勝ち目がないことを告げた。愉快だろう。あと少しで俺もマキシムのように動けなくなる。そうなればすべてが終わりだ。それをこいつは理解して笑っている。
『さあ人間。絶望したか? ここまで我を追い詰めながら結局は殺される運命を理解したか? であれば命乞いでもしてみせよ。或いは慈悲を……は?』
けれども残念だったな。俺の中に宿っている力はな。お前を倒す手段を知っていたようだぜ。ほら、こうやってな。宿る力をすべてこの腕の中に生み出した牙に注いで屠れって教えてくれてたんだ。
『まさか、ガルディチャリオーネ。そこにいるのか。見ているのか貴様!? こんなことをしてもこの世界は』
だからお終いだ。俺の意思が、神の意志が、この竜の腕を先ほど再生させたときに、内に竜の牙をベースにした杭を生み出させていた。相反する神の力、それこそがこの禍々しい神を打ち砕く唯一の力だと……
『ァァアアアアアアアア!?』
俺は手の平より勢いよく神の力宿し杭を射出し、握っていた黒き核石を貫いて打ち砕いた。そして絶叫が響き渡り、この場より闇の神の力が消失していく。よし、これでようやく終わりだな。俺たちは勝ったんだ。




