028 絶望、深淵より来たれり
「それにしても、あのクラスが出るなんて……上級ダンジョンでもなければ、見かけることもないはずの魔物なのに」
三階層を移動中に、リリムがそう口にした。
「さっきのって、そんなにヤバいものなのか?」
「はい。ブルドケルベロスは下級竜と同クラスの上級魔物です。数が揃えば中級竜とて狩ることもあるのだとか」
数が揃えばって……群れることもあるのかよ。
「僕もダンジョン内では遭遇したくはない相手かな。素早いし、生命力が高いから頭をみっつ潰さないと普通に動き続けるのが厄介なんだ」
確かになぁ。それにしても中級竜って、俺が神の薬草使って倒したやつだよな。そんなレベルの相手だったのか。そりゃあ、強いわけだわ。
「そうか。随分と厄介そうな相手だったけど……このまま進んで大丈夫なのか?」
俺の問いにマキシムが少し考え込んでから「うん。先に進もう」と口にした。リリムの表情が明らかに強張ったから、ちょっと帰るのを期待してたのかもしれない。
「報告との違いが気になる。加速度的にダンジョンの脅威度が上がってるとすれば、このまま放置すると最悪この街が滅ぶかもしれないからね」
まあ、あれが外に出て暴れたらそうなるかもな。
「君たちには強いることになるけど……」
「んー、俺はいいけどさ」
一応聞いてはみただけで、行くなら行くでそれで良い。
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ってた。それに安心してくれ。君たちのことは僕が必ず護り通す」
「ああ、頼んだぜ勇者様」
俺がそう言うとホントこいつ、爽やかな笑顔を返してくるな。
ま、昨夜のことはともかくこいつは勇者様の仕事なんだ。ちょっと顔がイヤイヤしかかってるリリムには悪いが、これってゲームでいえば強NPC頼りに経験値とゴールドを荒稼ぎって展開なわけよ。チャンスだ。ここで稼いで限定ガチャに再戦できる!
……なんてな。そんな風に思ってた時期もありました。
うん、以降の戦闘が激化してマジ死にかけた。
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「ハァ、疲れた」
俺はそう言いながらどっしりとお尻を地面に降ろした。
本当にシンドイ。まったく疲れたよ。おかしいな。ついさっきまで、ゲームでいえば強NPC頼りに経験値とゴールドを荒稼ぎって展開なわけよ。チャンスだ。ここで稼いで限定ガチャに再戦できる(キリッ)! ……なんて思ってたのに、今は完全に帰りたくなってますよ?
「そう言う割には余裕ありますよねタカシ様」
リリムが後ろからそう突っ込んでくる。お前は全然戦ってないのに俺よりも消耗してるな。まあ逃げ回るのに忙しかったからな。けど、確かに疲れてはいるけど……思ったよりも余力はある気がする。
「よく分からないけど、これ魔力が多いせいかね? 回復が早い気がするんだよな」
「そうだろうね。僕もそこそこ魔力はある方なんだけど、君の方が多いみたいだ。それにしてもこれは辛いなぁ」
ははは……と乾いた笑いを浮かべながらマキシムが魔力を回復するっていうマナポーションをがぶ飲みしてる。徹夜明けなのにまだ仕事があるサラリーマンみたいな顔してるな、こいつ。
けど、仕方ない。ともかくここまでがひどかったからな。
俺たちは今、四階層から五階層に降りる階段の途中の踊り場にいる。発見さえされていなければ、ここは基本的に魔物が近寄らないところなんだそうな。
で、時間の感覚的に今は深夜ぐらいかね。ダンジョンマップの通りに進んでは来たから最短コースではあったんだけど、ここまでの戦闘がハード過ぎた。
なにしろ最短コースってのは大抵魔力の流れが一番濃いから魔物も一番多いルートなんだって話だが、氷紋トカゲやコールドミストなんて魔物も大量に出てきたんだよ。どっちも下級ダンジョンじゃあお目にかからねえ相手らしいぜ。
コールドミストはサンダーミストと同じ魔法生命体で俺の矢の効果があったからまだやりやすかったんだが、四階層ではさらにブルドケルベロスが二体出てきた。さすがのマキシムも二体を相手するのは厳しくて、危うく接近されて俺らも食われかけたからな。ありゃあ、今でもなんで死ななかったのか不思議なくらいだ。
「で、あとは五階層か。そこにある迷宮核石に聖符を貼るだけの簡単なお仕事ってわけだな」
「けれど、その前に強力な核石守護者がいるはずですが」
ああ、そういえばそうだった。門番の上位版だったか。そんなのが迷宮核石の前にはいるらしい。大ボスってヤツだ。
「もともといるのはドラグホーンオーガとのことだけど、この状況じゃあもっと大物がいる可能性は高いね」
ですよねえ。けどさ。あのブルドケルベロスよりも強いのっていうと中級竜とかそんなだろう。さすがに厳しくないか?
「いや、そんな厳しいって顔しないでよタカシ」
「けどよぉ」
そう返す俺にマキシムは迷宮の地図の五枚目を広げて見せた。
お、五階層は丸いひと部屋なのか。
「なんか、丸くて広いな」
「そう。最後の階層はドーム状なんだ。ここでなら僕は本来の力を発揮できる。上級竜だって打ち倒してみせるさ」
本来の……ってのは神巨人の石剣を使うってことだよな。リリムの顔に生気が戻ってきたってことはやっぱり期待できるのか?
「そして迷宮核石に聖符を貼れれば、あのブルドケルベロスクラスがダンジョン内に残っていても魔力供給不足で自壊する。しばらくはダンジョンを閉鎖して様子を見ないといけないけどね」
そう言ってからマキシムがため息を吐いた。
「ま、そんな偉そうなこと言うけどさ。実際ふたりに来てもらって助かったよ。僕だけじゃあ正直撤退してたと思う」
「腕輪の勇者様の本領は場所を選びますから仕方ありませんよ」
リリムが力強く言うが、今回お前投擲以外は活躍してないんだよなぁ。この仕事終わったら、ちょっと対策考えないとな。なんていうか、こいつは今回、本当に雑魚って感じだったからな。アーツ以外なんの役にも立っていない。マジで。
ともあれ、あと一階層か。そこにある迷宮核石に聖符を貼れば依頼完了だ。頑張れ、俺。
「じゃあ、いこうぜ」
それからしばらく休憩した後、俺たちは立ち上がって階段を降りていく。
疲労は当然あったが、今の気の張った状態を萎えさせたくないという思いもあった。マキシムの方もここまでの戦闘で高め続けた集中力を途切れさせたくないみたいだし、全力で戦えるのであれば負けることなどあり得ないという確信を持っているようだった。
そして、最後の階段を降りて最下層に着いたとき……『そいつ』がその場にいるのが見えたんだ。
ああ、ありゃあ最悪だ……って、すぐに分かった。
目を向けられただけで全身が総毛立ったからな。誰に言われるまでもなく一瞬で理解できた。そこにいたのは人間の手におえるもんじゃないって本能が訴えてきた。
カチカチと震えて歯が鳴る音も聞こえた。それはリリムのものか、俺のものか、もしかするとマキシムの……いや、全員のかもな。
まあ、仕方ねえよ。何しろあそこにいる化け物はどうしようもない理不尽の塊なんだ。人ではないし、魔物でもない。俺はその正体を知っていた。以前に会ったヤツと姿も気配もそっくりだったからな。
「ごめんタカシ、リリムさん」
マキシムがここまで見せたことのないような凍りついた顔でそう口にする。おいおい、そんな顔するなよ勇者様。なあ?
「これ、僕たちは死ぬ」
言うなよ、そんな言葉。お前の口から聞きたくなかったぜ。気休めを口にすることもできない相手なんだって思い知らされたくもなかった。何よりそれに納得している自分が最悪に糞だ。
最下層、そこにいたのは黒い少女だ。
そして、そいつは俺が知っているとある少女とそっくりだった。
そうだ。あの雲の上で出会ったガチャの神様、ガルディチャリオーネと背格好も顔も気配も何もかもが同じだったんだ。
ただこちらに向ける殺意はあまりにも強大で、髪の色は黒く、肌は褐色で、瞳の色の黒はどこまでも深く暗く……
つまり、そこにいるのは神だった。




