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異形の我らがゆく!  作者: 春風ありす
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異形

「ふうん、じゃああんた、本当に家がないのか」

六花が固形の保存食を齧りながら頷く。

「あんたって言わないでよ。榛って、ちゃんと名前がある訳だから」

黒い耳をぴくぴくさせながら榛が額に皺を寄せ、小さな焚き火に小枝の束を放り込んだ。弾ける軽い音がして火が一瞬強まり、二人の少女の顔を照らす。猫なのに火が怖くないことには驚くが、何しろ姿は人間だ。これ程混乱を招く生き物も珍しい。

「…まあ、私の名前を呼ぶ人なんて最近全く居なかったけどね。ご存知の通り一匹狼で道行く旅人に対して迷惑の限りを尽くしてきたから」

「迷惑なんてもんじゃなさそうだけど?」六花がぎろりと榛を睨む。「わたし現に殺されかけたけど?それにかなり地元の人とか旅人とか襲ってるみたいじゃん」

「それは、うん、そうだね」榛は不機嫌そうに尻尾を振った。「でも殺したことはないし、怪我もあっちが危害を加えてこない限りさせないようにしてるし。別にいいじゃん、六花さんだって私のこと雪で凍死させかけたし」

「それは正当防衛なんだけどさ、なんのために人間襲ってんの?」六花は少し嫌疑の含まれた目を向けながら、温めてふやかした固形食を榛に差し出した。金属の皿を受け取りながら榛の目が一瞬揺れて、炎を見つめた。

「それは…、それは食い扶持、かな。野宿生活だし、一応人間だから猫の姿して鳥とかリス狩って食べてばっかいると人間としての自分なくしてくんだよね。旅人は大抵人間の食べ物も持ってるし、通貨もいろんなとこのを持ってる。そういうのが欲しい。」

少し寂しそうに見えた目は、すぐに炎を写し込んで、人間にしては野生的すぎる光を取り戻した。「それより、きみが言ってた『異形』って、なんのこと?聞いたこともなかった」

話をはぐらかすように、榛は六花に問い掛けた。

「なんのこと、っていっても、うまく説明できる自信はないな、私たち自身のことだからなあ。とりあえず、誰も理由の分からないもののことを異形って名付けてるだけだから」

六花は焚き火に放り込む筈だった小枝の山から一本の細い枝を取り出し、地面に丸を一つ描いた。「これが、我々が今いるこの国の国民。為政者たちの言うことを守って生きてる人たちだ」

そして、その横に一部分だけ前の丸と重なる小さな丸を描く。

「そしてこれが『異形』、為政者たちの理解が及ばない種類のイキモノたち。それで」

小枝の先で、二つの丸が重なった部分をとんとんと叩いた。「ここが私だ。あんたはまぁ話を聞く限りあんまり人間っぽい生活してこなかったみたいだけど」

ふくれる榛にちょっと眉毛を上げて見せて、六花は笑う。

「でも、そんなの大した違いじゃないんだよ、外から見れば」六花の持つ小枝の先が、小さな丸をぐちゃぐちゃと搔き消した。「奴らは、異形と名の付くものは全部こうしようとしているから」榛は口に保存食をかきこもうとしていた手を止めて、六花のことを見つめて小さく唾を飲み込んだ。六花の冷たい笑顔から、いつもに増して恐ろしいほどの冷気を感じる。

「六花…もしかしてそれで辛い思いしてきた?」

こわごわ口に出した榛に、六花は冷たく笑った。

「あんたには多分何もわかんないでしょ。恐らく産まれながらに異形のあんたには。違う?」

榛は黙った。炎の中で小さく小枝の爆ぜる乾いた音がする。

「どのみち」黙り込んだ榛に六花は被せるように言い放った。「あんたはこの国のこと、何も知らないでしょ。この国にいま起こってることを」

「知るきっかけもなかったし、…知ったからってただの黒猫の私だもん、不安になるだけかもしれない」

榛は目を逸らしたまま、柔らかい保存食を口に運んだ。艶々と黒い猫の耳が、ぴくぴくと不安そうに動いていた。

「そうかもしれないね」

六花は小さく息をついて、ブリキの水筒から水を一口飲んだ。六花がその夜それ以上何かを話すことはなかった。


『六花、六花ならこれわかるでしょ?教えてよ』

『六花に解けない問題なんてないもん』

じりじりと太陽の光が地面を焼く中、並木の木陰には涼しい風が吹き抜ける。歩くとサンダルに直に白い砂の纏わる小道。夏が木を、草を、土を焼く匂いが香ばしい。

数人の少女が片手に本を持ちながら、めいめいその日の学科の復習をしていた。そして短く切り揃えられた黒髪の少女は、その真ん中でひときわ理知的な雰囲気を放っていた。

『人に聞く前にまず自分で考えろって先生言ってたじゃん。薬師には、自分で考える力が必要だって』少女は軽く微笑みながら、少し照れたように俯く。少女には確かにその問題の答えは分かっている。しかし、自信があるわけではない。少女は自分の能力に奢ってはいなかった。謙虚に、誠実に、彼女は学問を愛していた。

薬師、それは選ばれた少数の優秀な子供だけが学ぶ機会を得られる仕事だ。利発で明晰な若い子供たちは、流れるように教えられる知識を吸収し、蓄え、我が物にする。集って学ぶ彼らは、言わば子供を持つ親の憧れであり、国の宝だ。

…後ろからもう一団、さざめきあいながら歩く少年たちの声が聞こえてくる。

『ねえ、あいつたちにも聞いてみようよ!』

少女のうちの一人が、くるりと振り向いて少年たちに手を振る。

『ねえねえ今日のとこ、この問題教えてよ』

『なんだよ、こんなんもわかんないのかよ』

少年少女は、和気藹々と勉強の教えあいを始める。その輪から外れたところで、黒髪の少女は立ち尽くしていた。輪に入らないわけでもなく、入れないわけでもなく。唯、そこに立っていたいから立っている。

ふと、楽しそうに騒めく輪の向こう側を見る。視線に捕まる。

淡い砂色の髪、灰色の柔らかい色をした目。少し背の高い少年は、輪に入らず、少女と同じように立っていた。意志を持って、立っていたいから立っていた。

少女の濃い黒の瞳を見つめて、少年は少しだけ、本当に少しだけ表情を変えた。


水色の柔らかな風が二人の間を吹き抜ける。いい匂いが、夏の野のいい匂いがする。


少年は、笑った。



ゆっくりと目を開ける。もう、茂みの外は明るくなり始めていた。

手に汗をかいていた。久しぶりに、あの頃の夢を見た。

六花は薄い掛け布団を引き上げ、少し離れた所で眠る榛に目をやった。黒い影にしか見えない榛は人間の姿のまま丸まっていて、尻尾の先がリズミカルに小さく揺れている。

…この黒猫に会ったことで、私の目標は少しでも達成に近づくんだろうか?

あの頃に、近づくのだろうか…?

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