闘う少女は美しい
道は暗く、照らすものはうっすらと掛かる雲の間を縫って地面に辿り着く月明かりだけだ。悲しげに鳴く鳥の声が響いて靄の中に融けた。広く、しっかりと踏み固められた道ではあるが、その両脇に広がる森は深く、背の高い木々が歩く人々の視界を遮る。道の先に何があるのかを知せまいとしているかのようだ。
檜皮色のマントを着て大きな荷物を背負った人影が、その道を早足で歩いていた。道に残る轍や土塊に足を取られることもなく、その足取りはどこか力強く自信に溢れている。フードの底から、鋭い視線が道の先を追っていた。
その視線が、ついと後ろを向いた。遠くから近づいてくる物音に、一瞬身構えるようなそぶりを見せる。用心深く道の脇に寄って、大きくなってゆく車輪の音に耳を澄ませた。おそらく大型の獣にでも引かせている車だろう。今時、こんな辺境でも動物に引かせる車は珍しい。おそらくどこかの貧しい商人か暇な旅人でも乗っているのだろう。どちらにせよ、無害ではあるが係りあいになりたい連中でもない。マントの人影は、道の端を歩きながら溜息をついて足を速めた。
近づいてきた車は、しかし速度を緩めて人影の方に寄ってきた。窓を引き開けて、注意をひくかのように鈴を鳴らす。
「厄介な…」
渋々人影は車に合わせて立ち止まり、振り向いてその車を観察した。思った通り、おとなしい高山性の獣二匹を繋いだ車だった。作りは古く、贔屓目に見てもみすぼらしい。
「なにかご用でしょうか」
運転手に向かって声をかけると、年取った女性の運転手は驚いたように目を見張った。
「その声は、あんた、女の子かい」
もう一つ溜息を吐き、人影は被っていたフードを後ろに引き下げた。肩のところで切り揃えられた黒髪が月明かりに光る。
「そうですが」
「いや、こんな夜遅くにここを歩いてるだけで危ないと思ってね。そしたら女の子ときた…あんた、この辺りの人じゃないのかい」
「はい」少女は運転手に向かって頷いた。「旅の薬師をやっていまして」
「薬師さんかあ」老婆は少し感心したように少女を眺めた。「そしたら尚更、こんな時間に一人歩きは危ないよ。あんた、この辺りに出る盗っ人獣の話、聞いてないだろ」
「盗っ人、ですか」
「そうそう、歩いてる人を襲って、持ち物奪って怪我させてく獣だよ。恐ろしく強くてね…もう何人も痛い目にあってる。姿も見せない、音もなく近付く、ほんとに恐ろしいやつだよ。後生だから乗って行きなよ。襲われてからじゃ遅いからね」
少女はふう、と息を吐いた。
「大丈夫です。そういうの、慣れてるんで」
笑顔で言い放つ。
「でも…」
見殺しにはできない、と言わんばかりの運転手に、そのままの笑顔で会釈して背を向け、少女はすたすたと歩き始めた。運転手は呆気にとられてその後ろ姿を見送りながら、手綱を握り直す事も忘れて呆然と首を振った。今時、あんなに気の強そうな女の子はなかなか居ない。獣に襲われても確かに、運転手の与かり知る所ではなさそうだ。そして何より、彼女からは何やら異様なほどの…冷気を感じた。
冷気。
あまり気持ちのいいものではない。気のせいか、外が寒いのか。軽く身震いして、運転手は思い出したように手綱を鳴らした。ゆっくり進み出す車輪の音とともに、遠くで吠える何か判らぬ獣の鳴き声がこだました。いつの間にか少女の姿は、靄に溶けて見分けがつかなくなっていた。