6.蘇った思い出
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「ねえさまを、今すぐにボクのお嫁さんにするの!」
丸くて赤みを帯びた滑らかな頬を膨らませて、ランディが養父様に向かって叫んでいる。
「あらあら、どうしたの」
養母様は彼の機嫌を取ろうと、笑顔で彼を抱き上げた。
それでもランディの頬は膨らんだままだ。
「さっき、ねえさまが、一人で泣いてた」
ランディに見られていた。あの部屋には誰もいないと思っていたのに。
「そとからくる人たち、きらい。ねえさまにイヤなことばっかり言うの」
ふえ、とランディの口元が歪み、大きな瞳からは涙があふれ出した。その姿に、養父母は困った顔をする。
ひとつ年下の義弟。生まれた時から両親に、皆に愛されて育ってきたランディ。
今日は隣の領地から視察で何人かの大人たちが来ていた。そして私をじろじろと興味深げに、でも不快な感情を瞳に含ませて見て言ったのだ。
「これがトーヴィル侯爵家の忌み子? こんなものは早々に目の届かぬ所に追い放つよう、男爵に進言せねばな」
私はここから追い出されるのだろうか。
そう思ったら、心細くて自然と涙が零れてしまった。
自分の弱さのせいでランディが泣いている。養父母を困らせてしまっている。
私は泣き虫でいてはいけない。泣いてしまうと、大好きな皆に迷惑をかけてしまうのだ。
あの大人達が言ったように、いつか私はここから立ち去ることになるのだろうか。
ならば、その時までに、もっと、もっともっと強くなっていなければいけない、と思った。
野原で遊んでいた私とランディ。夢中で花輪を作っていたら、ランディが『はい』と私に向かって花束を差し出した。綺麗な紫色の束を。
「姉さま。これ受け取って」
「きれいね。ありがとう」
「この花、姉さまに似合うと思って」
ニコニコと笑うランディ。
花束はスミレ。以前見た花言葉の本に「小さな幸せ」と載っていた花。
「そうね。私に似合うわね。ありがとう」
「だから姉さま。大きくなったらボクと結婚してください」
唐突で、純粋な義弟からの言葉。故に、返答に困る。
忌み子の私がランディと結婚なんて、あり得ないのに。
「結婚すれば、父さまと母さまみたいに、いつも一緒にいられるんでしょ?」
「家族だから、私はいつも一緒にいるわ」
「姉さまがお嫁にいったら、ここからいなくなるんでしょう。そんなのイヤだ」
眉を下げ、泣きそうになるランディ。
ああ。
私はまたあの日のように彼を泣かせてしまうのだろうか。養父母を困らせてしまうのだろうか。
彼の笑顔を曇らせてはいけない。
ランディは、私が遠くに行くことを嫌がっているだけだ。『結婚』なんて、深い意味はなく、ただの単語に過ぎないだろう。
それに彼は幼いから、この話のことは大きくなったらきっと忘れる。もしくは小さな頃の思い出、と笑い話になるはず。
「そうね。大きくなったら、ね」
私の返事に、ランディは満面の笑顔を見せた。
「エリザ。この国で何故双子が忌み嫌われているか、知っているかい?」
暖炉の前で本を読んでいたら、同じく本を読んでいた養父様が唐突に私へ問いかけた。
養父様の言うことは、いつも小難しい。
でも、今回の質問の答は私も知っている。
「神様が、そうおっしゃったのでしょう?」
「違うよ。神はそう言っていない。神が言ったとされる書物を読んだ人間が、勝手に解釈したんだ」
やはり養父様の言うことは難しかった。
「読んだ人? 勝手?」
「その書物には『二つの物は必ず光と影になる。片方が正、片方は負である。』と書かれているんだ。だから、読んだ人は『影を負』とし、良しとしないと解釈して、双子の下子は影とされ凶とされた」
「だから私は影で、負で、凶、なのでしょう?」
昔からずっとそう言われてきたし、その書物にも目を通したことがある。
そこには養父様の言うように、『二つの物は必ず光と影になる。片方が正、片方は負である。』と書かれていた。
「君は影かもしれない。でも私たちにとっては君は光だ。もしかしたら光が負で、影が正かもしれないだろう? それに、光と影も、正と負も片方だけでは存在しない。互いに影響しあっているから、どちらもなくてはならない。だから、二つとも必要な物なのだと、私は思っている」
養父様の言うように、光が負であることなんてあるのだろうか?
それに。
「わたしが、光? 影ではないのですか? 私も必要とされているのですか?」
「そうだよ、エリザ。光でも影でも、正でも負でも君は私たちの大事な家族だということだ。それを忘れるな」
ブドウ園視察の帰り。馬車の中で養父様と私は対面して座っていた。流れる景色をただ眺めているだけの私に、養父様が
「そろそろお前に護身術を教えようと思う」
と言った。
「護身術、ですか」
「お前も自身を守る術は知っていた方がいい」
「でも…」
「私は剣を持って戦え、と言っているわけではない。自衛のための、逃げるための手段だ」
躊躇する私を、養父様が真摯な眼差しで見つめる。
「何事かあれば、時間を稼ぐ。そうすれば何かしらの手段を見出すことができるだろう。私達がお前を守るにこしたことはないが、いつでもいつまでも、という訳にもいかないからな。数年後にお前は王都の学校に通うことになる。そこは私達の目の届かない場所だ」
王都の学校…?
「私は王都になど行かなくても」
「いや、お前には通う権利がある。行って学ぶこと、知ることも多いはずだ。それは必ずや身になるはずだ」
「でも…」
ここから追い出されるかもしれないと、以前はずっと怯えていたけれど、それは無用な心配だった。養父母は私をランディ同様の扱いで育ててくれたからだ。
私が、『私の家族はディオノレ家』と言えるまでに。
だから、この地を一人で離れるという事は昔に戻るということ…孤独になるということ。あんな寂しい思いをしたくないのに。
「勿論、辛かったらいつでも帰ってきて良いんだよ。それにお前の力になる侍女を見つけておく。だが、王都へ行く前に、己の身は己で守ることを学べ」
書斎から養父様とランディが話す声がする。
「最近、隣国が騒がしいと聞きました」
「『古の宗教』の信者が動いているらしい。隣国が『古の宗教』を取り締まって200年経つが、今だに崇める人間は絶えないようだ」
「『古の宗教』の神は我が国の神の前身ですからね。こちらと絡まなけれないいのですが」
「そうだな。実は王宮内にも信者が潜んでいるという噂だ。誰が、とまでは分からないが、火のないところに煙は立つまい。この様子だと一人二人潜んでいてもおかしくはないな」
「養父様、ランディ。何のお話ですか」
二人の邪魔をしてはと思ったが、養母様からお茶の声掛けを頼まれたので、意を決して入室した。
書斎にいた二人の表情は深刻だったけれど、私を見るや。
「いや、なんでも…。いや、お前にも知らせておくべきか。隣国の宗教のことは知っているか?」
「え、と。私が知っているのは、唯一神で興された隣国は、神のご意志を曲解して虐殺を繰り返し悪政だったと。民が立ち上がり、王族や神官たちを粛正して200年程前に新たな神典を作り、今はそれを規範としているのでしょう?」
「そうだ。しかし、その『古の宗教』の信者が今だに存在し、こちらの国にも潜んでいるらしい。この国の神は隣国から流れてきているものだから、繋がりがあるのだろう」
「神、ですか」
以前養父様と交わした言葉を思い出す。
『神様が言ったとされる書物を読んだ人間が勝手に解釈したんだ』と。
隣国ではその粛正が200年も前に行われている、のだ。
「ああ。神が絡むと人は時に残酷になる。普段からは考えられぬほど、思いもよらぬことを起こすこともある。半年後にお前は王都へ行くだろう。十分に気を付けるように」
庭で護身術の訓練を一通り終えると、相手役だったランディが不安げに私を見ていた。
「姉様。王都へ行くというのに、護身術がそれだけって言うのは心配だよ」
「でも、私には力も体力もないし、最後の手段のもので十分だと思うの。これだけは完璧だと養父様もあなたも言ったじゃない。それよりも、私はあなたの弓の方が心配だわ」
「え、どうして?」
私の言葉に驚くランディ。
彼の弓の腕前は素晴らしく、私に心配される所以はないと思っているのだろう。
「あなたの矢を射る姿を見て、年頃の女の子達は見惚れていると聞いたわ。あなたってば弓に夢中になっているから、相応しい女性を見逃さないのか心配なの」
「僕は…」
「ランディ、エリザ。お茶にしましょう」
養母様が声をかけ、わざとらしくお菓子入りのバスケットを掲げて見せた。
「母様自慢のマフィンだよ。姉様、行こう」
ランディに手を取られ、養母様のいる白いテーブルセットに向かい、同色のチェアに着席した。
ポットのお茶をカップに注ぎながら、
「あと一ヶ月でエリザが王都に行くなんて、時が過ぎるのは早いわね」
ふふ、と笑う養母様。
「貴女がどんな方の目に留まるのか、今から楽しみだわ。侯爵様が貴女の通学の際、侯爵邸を宿にとわざわざお手紙を下さったのは、貴女と過ごしたいからでしょうし。貴女も楽しみでしょう?」
笑顔の養母様の声と姿が、ランディの姿が白い何かに包まれ、ぼんやりと消えて…暗闇になった。
頭が、ズキズキする。
瞼が重い。
でも、遠くで誰かの声がする。
知らない、誰かの声。
「……で、………だろう」
「…は、トーヴィ…侯………嬢……」
トーヴィル?
「だから、それは…」
エリザの耳に、さっきよりも声がはっきりと届く。
薄く目を開けると、床に横たわっていることが分かった。
同時に、節々の痛みを感じる。
指の曲げ伸ばしをし、手足の関節を動かしてみる。
拘束はされていなかった。
体を動かすことは億劫だったが、意識を外に向けつつ、なんとか周囲に視線を巡らせる。
床は板張り、壁は決して綺麗ではなく黒ずんでいる。部屋自体はさほど広くなく、物は何もない。窓は開くようだけれど、嵌め格子があって出入りは出来そうになかった。
フェリウスの館の図書室で本を読んでいたのに、背後に誰かがいて…
私は拐われた?
そう思い至った刹那、遠くに聞こえた声が、一際大きくなった。
「悪かったよ! でも、あの家に忍び込んだら、あの娘が一人でいたんだ。あそこにはトーヴィル家の娘と侍女がいるって話だったからさ。エサにするのにお前らが狙ってた女が目の前にいたんだ。丁度良いと思ったんだよ!」
トーヴィルの娘…私のこと?
でも、私はトーヴィル家にとってなんの価値もないはず。
もしかして、私はアンジェリカ様と間違えられて、ここに…?
お読みいただき、ありがとうございました。