5.心強かった温もり
評価、ブックマーク、感想本当にありがとうございました。
申し訳ありませんが感想に関しまして、ネタバレの返信になることを考え、完結近くなってから返信をしていきたいと思っています。ご了承ください。
馬車はレンガ造りの館の前に停まり、先に降りたランディが足台を置いてエリザに手を差し出した。
「ここは?」
エントランスから館を見上げ、ランディに尋ねる。
世話になっていたトーヴィル侯爵家よりは小さいけれど、庭が広く建物は年代を伺わせる格式が高そうな館。
王都にディオノレ家の別邸はないはず。
「ここは俺が買い取った館ですよ。爵位返上になった子爵家の館らしいです。こちらを拠点に商売をしようかと思いまして」
答えたのはフェリウスだ。
口調が砕けている。傭兵をしていたというので、そのような口調の方が素なのだろう。
「私がこちらに来て、ご迷惑だったのでは?」
ふらつく足を叱咤しながら玄関へと進み、フェリウスが開いてくれているドアを通った。
館主自らのその行為に恐縮してしまう。侯爵家とは違い、この館には当主を出迎える執事はいないようだ。
エリザはどこかの宿に泊まるのだろうと思っていた。そして近日中にディオノレ家に向かうのかと。
「問題ないですよ。実を言えば今日エリザ様の所にお邪魔したのは、マリオンを2、3日借りれないかを交渉するためだったので」
「マリオンを、ですか?」
「ですから、こちらで客人を迎える準備はできています。おい、集まれっ」
フェリウスがエントランスホールで一際大きな声で館内に向かって言うと、どこからかわらわらと男性たちが現れた。彼らは二言三言フェリウスと言葉を交わすと、馬車に積んであった荷物をあっという間に館内に運び入れてしまった。
「フェリウス様。私を迎い入れてくださり、本当にありがとうございます。」
「礼は言わないでください。先も言いましたが、マリオンを借りるつもりですので、むしろ私の方が礼を言うべきでしょう」
長身で引き締まった身体に加え、艶のある魅力的な微笑を浮かべたフェリウスは、嫌でもエリザに『男性』を意識させ、胸を高鳴らせる。
「しかし、細かい話は明日にしましょう。顔色がよろしくない。今日はいろいろとありましたからお疲れでしょうし、部屋に案内します。夕食はそちらに運ばせましょうか」
気遣いの言葉に、改めて侯爵家での出来事を思い出し、今の自分の状態を察した。
きっと情けないほど酷い顔をしているに違いない。形だけでも笑む、ということもできないくらいに顔は強張っているのだから。
「お言葉に甘えて、そうさせていただいでもよろしいでしょうか」
階段を何とかのぼりながら、身体も弱っていることを自覚した。
少し休めば、ボロボロのこの身体も心も回復にむかうだろうか。そうあって欲しい、と願う。
案内された部屋は、クリーム色の漆喰の壁に合った色合いのベッドとテーブル、脚の細いイスが二脚、それから暖炉とソファがあった。
扉や暖炉は綺麗で細かい装飾がされている。館自体は小さいけれど、内装の絢爛さは派手ではなく品があるので、居心地の良さを感じて気持ちが和らぐ。
「エリザ様。休まれますか?」
心配そうな顔でマリオンがエリザの畳んである寝衣を手にしている。
そう言われると、目の前にあるベッドの中で休むことに魅力を感じた。
「ええ、マリオン。そうしたいわ。それから、あの…」
思わず口ごもる。以前、マリオンにしてもらったことはあるけれど、あれは三年も前の、子供の頃の事だ。養父に付いてブドウ園の視察に行った時、養父が管理人と話をしている間に王都から来た見習い騎士の数人に『トーヴィル公爵家の忌み子がこれか』と衆人の前で言われ、嘲笑されたあの日。憤り、恥ずかしさ、悲しみが沸き上がり、しかしそれを出すには相手は大きな体の大人で、幼い自分はただただ立ち尽くすだけ。忌み子というものは、同世代からだけではなく、成人した人からも卑しめられる対象なのだと、改めて痛感した出来事。家に帰っても養父、養母、義弟に心配をかけたくなくて、何があったかを言うことはできなかった。行き場のない感情を持て余して夜を迎えた時に、勢いでマリオンにお願いをした。
『寝るまででいいので、手を握ってくれませんか』、と。
大好きなあの人たちに頼んだら、間違いなくその願いを叶えてくれる。でも、私が不憫だと、悲しませてしまう。
だから彼ら以外なら誰でもよかった。自分のことを好きでなくてもいい。ただ、あの時はとにかく人の温もりを欲していた。
隣国からディオノレ家に来たばかりの、エリザ付になったばかりの若い侍女は、笑顔でその願いを受け入れてくれた。しかも優しい彼女は、一晩中エリザの手を握ってくれていた。
とはいえ、さすがにこの年齢であの時と同じように『手を繋いでいてほしい』というのは言い難い。
「失礼でなければ、エリザ様がお休みになるまでお手を握っていてもよろしいですか」
「え?」
「身体が冷えていらっしゃいます。お手を握ることで少しでも温まれば、と」
目頭が熱くなる。
マリオンがいてくれて本当に良かった。
エリザのして欲しいことや気持ちを察し、無駄なことは言わず恥じを感じさせることなく、望みをかなえてくれる素晴らしい侍女だ。
「ありがとう、マリオン」
エリザはここでようやく心から微笑むことができた。
言葉通りマリオンはベッドで横になったエリザの手を寝るまで握ってくれた。眠れずに悶々として夜を明かすのだろうと思っていたのに、優しい温かさにいつしか眠りに落ちていた。マリオンが手を離して部屋を出て行ったことに全く気づかないくらいの、深い眠りに。
目覚めた時、窓から差し込む光を見て、夕食を食べずに朝まで眠ってしまったことがわかった。状況は変わらないけれど、体を休めたことで血色は良くなり、気持ちは上向きになったことも。
これならランディに、フェリウス様に顔を見せても心配されることはないでしょう。
ベッドから降り、陽射しを浴びつつ窓から緑の庭園を眺めていたら扉がノックされた。
「おはようございます。エリザ様」
「おはよう、マリオン」
挨拶を返せば、マリオンが室内に入ってくる。
昨日の礼を、と思ったが口にする前にマリオンが先に
「今日のお召し物はこちらでよろしいですか」
モスリンの簡素な淡い青色のシュミーズ・ドレスを差し出した。
締め付けもなく、色合いも落ち着いており着心地が良い物なので、笑みで答えを返す。
ありがとうの一言を言いそびれたままエリザは、マリオンの手を借りて着替えた。と同時に、再び扉がノックされる。
「姉様。…おはようございます」
扉向こうから気遣わしげなランディの声。昨日、顔色も悪くふらつき、夕食も取らずひたすら眠っていたので心配しているのだろう。
「おはよう、ランディ」
努めて明るく返事する。心配かけた分、もう大丈夫だと安心させなくては。
装飾の綺麗なドアをマリオンが小さく開くと、ランディが恐々と中に入ってきた。
「食欲はありますか? 食事の準備ができているのですが」
エリザを見て安堵の表情を浮かべる。
少なくても私の見た目は、昨日よりも良くなっているようね。
エリザもまた、安堵の息を吐いた。
「ええ、そうね。昨日は夕食を食べずに寝てしまったから」
そう返事をすると、ランディは『よかった』、と微笑みながら小さく呟いた。
ランディの案内で食堂に向かう。
昨日は気付かなかったが部屋数や規模は侯爵家には及ばないけれど、高価では?と思わせる調度品がいくつもあった。
絵画などは目を奪われるような美しさの物ばかりで、エリザは落ち着かなく目を動かして歩いていた。
「ああ、さあどうぞ」
食堂に入ると、身体にぴったりなシャツとズボンという簡素な服装であるのにもかかわらず、完璧に着こなしているフェリウスが優雅な仕草でイスを勧めた。
食堂もまた内装が美しい。テーブルもイスも何気に置かれているようで、その実素材やデザインは秀逸な物のように感じる。
「どうかしましたか」
「いいえ、あの…。素敵な物ばかりなのでつい目が移ってしまって…」
「へぇ、なかなかお目が高い」
「姉様! そんなにフェリウスに近づいて話すと妊娠しますっ」
しないよ、とフェリウスが笑うが、ランディの顔は真剣そのものだ。
エリザも会話だけでは妊娠しないことくらいは分かっているので、昨日からのランディの余りの物言いに首を傾げる。
フェリウス様の、何が気に入らないのかしら。
「まあ、とにかくそちらにどうぞ」
勧められるままエリザは腰を下ろした。もちろん隣には当然のようにランディが座る。
番犬のようね、と思わず口元が綻んだ。
エリザの横で威嚇するような目を周囲に向けるランディ。昔から変わらないその行動に、不謹慎ながらもなぜだか安心した。
フェリウスは食堂の入り口で控えるマリオンに目を向ける。
「久しぶりに、お前のお茶を振舞って欲しいねぇ。俺のために淹れてくれないかな、妹よ」
「では、私はエリザ様のために美味しいお茶を準備いたしましょう。失礼します」
フェリウスに目もくれず、すたすたとマリオンが食堂から姿を消した。
残されたフェリウスはその無作法を気を悪くするでもなく、肩を竦めて静かに微笑んでいる。
「フェリウス様。昨日はあのまま部屋に籠ってしまい、申し訳ありませんでした。ディオノレ家に戻るまでの間、お世話になります」
頭を下げて礼を述べる。
それに対し、いや、と手を横に振った。
「昨日はかなりお疲れでしたでしょうし、お気になさらずに。昨日も言いましたが、マリオンを借りるつもりでいましたので、元より世話とは思っていません。ただ、マリオンの品は揃えていたのですが、エリザ様にお使いいただく品が揃っておりませんので」
「今日、僕とマリオンが必要なものを揃えてきます」
にこにことランディがエリザに笑顔を向ける。
エリザは買い物が苦手だ。というよりも、ブドウ園の時のことを思い出すので、街に出かけることが怖い。いつ、どこであのような辱めをまたうけるのか、とつい構えてしまう。
だから自身が行かねばならない時以外の買い物は、マリオンに一任している。マリオンが選ぶものは、エリザの好みに合っており、ドレスや靴に至ってはサイズがぴったりなので不満に思ったことは一度もない。ランディから贈られるものに関しても同じだ。ランディもまた、エリザの心を見透かしたかのように、欲しい品望みの品を選んでくれていた。
故にエリザはランディの言葉に素直に甘えることにした。
「ええ、お願いするわ、ランディ。あなたが選ぶのなら安心ですもの。ところで、フェリウス様。なぜマリオンを?」
「実家の方でひと騒動がありましてね。父が困っておりますもので、マリオンの力を借りようかと」
「そうですか」
「私はエリザ様を置いてはどこにも行きませんよ、兄さん」
口をへの字にしたマリオンが、お茶のセットをトレイに乗せて食堂に入って来ていた。
「エリザ様をお一人にするなど、絶対にしませんからね」
「お前がそう考えるのは当然だと思うがね」
エリザを一瞥して渋面になるフェリウス。昨日の騒動の一幕を思い出しているのかもしれない。
反して、マリオンの言葉を嬉しく思うエリザ。そして感謝する。
こういうマリオンの心遣いが、いつも私の心を潤してくれている、と。
カチャリ、と音を立ててトレイがテーブルに置かれる。
「ただ、こちらも事情が事情で。然程時間は取らせません。一週間後にはディオノレ家まで必ずお送りします。それまで不便でしょうが、ぜひマリオンを…」
「あの、マリオン。私もこうしてこちらに来ていることですし、フェリウス様の、ご実家のお力添えをしてきても大丈夫よ」
「うん。僕も姉上の傍にいることだし、ここにいれば姉上が一人になるということもないだろうから」
実家の騒動がどのようなものかわからないけれど、家族が困っているのなら、早めに協力し合うに越したことはない。
「エリザ様、ランディ様…」
「お二人とも力添えのお言葉ありがとうございます。ああ、エリザ様、食事が冷めてしまいます。さ、どうぞ」
テーブルの上には柔らかそうな温かいパンと卵とハムとポテトとチーズ。
湯気を立ててマリオンが淹れてくれた香りの良いお茶もある。
夕食を食べなかったこともあるが、匂いに釣られて朝食を食べ始めた。だから隣でランディが何度もエリザを見ていたことにも気づかなかった。
「行ってきます!」
そう言ってランディがマリオンと共に勇ましく出かけて行くのを、玄関で手を振って見送る。
フェリウスは仕事があると書斎に仕事仲間と籠っていた。時間を持て余したエリザは館内に図書室があることを知り、二人が戻ってくるまでそこで過ごすことを決めた。
「結構な品ぞろえ…」
様々なジャンルの本がそこにはあった。絵本、図鑑、事典、政治経済、思想、自然、宗教、歴史、果ては恋愛。
整頓されている本の背表紙なぞりながら、タイトルを小声で読み上げる。その中に気になるタイトルの本があり、手にして読み始めた。
案の定興味深く面白く、読みやすいその本に夢中になった。
背後に人がいることなど、気付かないくらい夢中になって文を追った。
『何か』で口と鼻を押さえられ、気を失うその瞬間まで。
お読みいただき、ありがとうございました。