3.知らなかった思い
評価、ブックマークありがとうございます。
登場人物増えました。
授業を終えて館に戻ると、マリオンから『客が来ている』と言われ、エリザは応接室に足を運んだ。応接室のソファには、久しぶりに会う義弟ランディと見知らぬ男性が座っていた。
「姉様!」
ランディはエリザの姿を見るやいなや破顔し、飛び付いてきた。
昔からランディはエリザに過剰にスキンシップを図る事が多かったので、この行為に驚くことはなかったのだが、
「ランディ、苦しい、わ」
一つ年下とはいえ男性だ。ぎゅうぎゅうに抱き締められ、エリザの肺が圧迫される。
小声の苦痛の悲鳴に、ランディは慌てて離れた。
「ご、ごめんなさい姉様」
しょぼんと眉尻を下げ、項垂れながら離れたランディをまじまじと見て。
「ランディ。あなた背が…」
「あ、気づいた? 成長期なんだ! 姉様を越すのも時間の問題だよ!」
満面の笑みでランディが報告する。
学院に通う前はエリザよりも十センチは低かったはずなのに、今は目線の高さが同じくらいになっていた。
一年も経っていないのに。
しかも肩幅も広くなり、顔つきも幼さが薄れ精悍になっている。
癖のある金色の髪とエメラルドの瞳、力強い眉と唇が、養父に近くなっていた。
彼が少年から青年へと確実に歩んでいることに、エリザは少しの寂しさを感じてしまう。
「本当にあっという間に私を追い抜いてしまいそうね。ところでランディ、学校は?」
「父様がフェリウスの商業手腕をみることも勉強だって。それから国内の情報ルートと人脈を確保して、ついでに戦闘技術も身に付けて帰って来いってさ」
ディオノレ家は商業にも力を注いでいるので、商業に関わる手腕の勉強、情報ルートと人脈の確保はわかるとして。
「フェリウス、様? ついでに戦闘技術?」
「うん。彼」
ランディはソファに座る人物を指差した。
そこにいるのは輝く銀の髪を一括りでまとめ、妙な艶と色気を醸し出して片頬で笑っている男性。
「あなたがフェリウス様?」
「その通り。あ、姉様むやみにフェリウスに近づいちゃダメだよ。近づくと妊娠しちゃうからね」
「さすがにそれはないでしょう、ランディ様」
透明感のある紫の瞳を細めて苦笑しているが、その表情も声音も色気全開だ。
色恋に疎いエリザも、身震いするほどに。
「彼、フェリウスはライジンク国の元傭兵で、引退したあとライジンク国のフォアム商会の代表になったんだ。傭兵の技を盗んで来いって。それからフェリウスは…」
「わたしの兄なんです」
後ろで控えていたマリオンが、きまり悪そうにエリザを見ていた。
この方が元傭兵? マリオンのお兄様? フォアム商会と言えば、ライジンク国有数の商会、ですよね。
エリザは記憶の中を探る。以前聞いたマリオンの家族のこと―――
「マリオンのお兄様って確か、貴女よりも2つ歳上で8年前に行方不明になったったという?」
「そうです。ある日突然『俺は自分を見つけに行く』と訳のわからないことを言って出奔し、そのまま行方をくらました不肖の兄です」
頭に指を添えて深い溜息を吐くマリオン。その姿を楽しそうに口の両端を上げてフェリウスが見ていた。
エリザは思わずフェリウスをまじまじと見てしまう。
男と女の兄弟も似ないものなのかしら。
エリザとランディは義姉弟であるから似ていないのは当然であるが、フェリウスとマリオンも同じくらいに似ていない。
マリオンは今年21歳で、となれば彼は23歳。似ていないのは年齢の差もあるのかも。双子であっても私たちのように全く似ていないこともあるのだから、そういうものなのかもしれませんね。
マリオンは隣国ライジンクから越国し、エリザの侍女として仕えて3年が経つ。ディオノレ男爵が治める領地がライジンク国とベリアーノ国の境に位置しているので、領地にはライジンク国の商人の出入りが著しい。マリオンはその一商人の紹介でディオノレ男爵家にやって来ていた。
マリオンは主であるエリザに対して立場上の礼は尽くし一線は引いているが、気さくな彼女に慰められたことは数えきれないほどある。エリザにとってマリオンは姉にも等しい存在だ。
「それで、どうして王都の私のところに?」
「父様に様子を見て来いと言われたんだ。姉様がこちらで困っていることがあれば、助けて来いって」
「養父様が…?」
「姉様、求婚の絵姿が届けられていることに対して『ディオノレ家に一番有益な方に決めてくださって結構です』って返事しただろ?」
エリザが王都にあるトーヴィル伯爵家に来て数日後、ディオノレ家から送られた手紙に『ライジンク国から結婚の申し込みの絵姿が何枚か届けられた』とあった。
その返事である文章が、ランディの言った言葉である。
「ええ、確かにそう手紙で送ったけれど」
エリザには結婚に対しての夢はない。国内では忌み子のエリザを誰も娶ることはないからだ。
ならば、相手は誰でもいい。ただ、ディオノレ家にできるだけ有益な方がいい。ディオノレ家の方々にはそれだけのことをしてもらったのだから。
ただ、その結婚の前に一度だけでいいから恋い慕う方と踊ってみたかった、という夢はあったのだ。結局、それは叶うことはなかったのだけれど。
「姉様がそんな返事をするから、自棄を起こしてるんじゃないかって父様オロオロしちゃって」
「別にそういう訳では…。あのように書いたのは、養父様が私のことを気にかけてくださっているのを知っていますから、養父様が選んでくださるのならばその方は間違いなく良い方だと思って」
「それならそうと、そこまでちゃんと手紙に認めといてよ。そうすれば父様泣いて喜ぶし」
「あー、そういう話なら、俺も立候補しても構わないですかね」
嬉々とした微笑を浮かべてフェリウスが言う。
「俺は商人だけど、ディオノレ家にはかなり貢献できますよ」
「いけません!」
「ダメだよ!」
本気かどうかもわからないフェリウスの、あまりにも軽い発言にエリザは閉口してしまう。真剣に反論を述べたのはマリオンとランディだ。
「兄さんの毒牙に、エリザ様をかけるわけにはまいりません!」
「姉様は僕と結婚することになっているんだから!」
「…え?」
マリオンの言葉はさておいて、ランディの言う『結婚することになっている』に引っ掛かりを覚えるエリザ。
「ランディ?」
「姉様と僕が結婚する時は、一度フェリウス家に養女に行ってもらうようにするって、ちゃんと父様と取り計らっているから。安心して」
ね、とランディがにこにこと笑う。
…ランディは何を言って、何を安心しろと言っているのでしょう?
「ランディ。あの、私と結婚?」
「うん。約束したでしょ」
「結婚の約束って…それはもう十年以上も前のことでしょう」
領地の野原で一緒に遊んでいた時、ランディがエリザに積んだ花束を渡して『大きくなったら結婚してね』と無邪気に言ったので、『そうね、大きくなったらね』と返した、幼い頃の幼い約束。
その約束をランディが覚えていたこと自体に驚く。
「うん。だから僕はその約束を果たすために今まで頑張ってきたし、父様も賛成してくれてるし」
約束を果たすために、って…ランディなら私よりももっと相応しい相手がいるでしょうに。
養父様もランディと私が結婚って、一体何をお考えになって…
エリザは軽く眩暈を覚えた。
「ランディ。あなたにはこれから私よりももっと相応しい方が現れるわ。それに私と結婚なんてしたら、ディオノレ家は他の貴族の方々と遠縁に…」
「そんなの、今さらじゃないか。どうせディオノレ家は騎士上がりの男爵家だから、貴族様は歯牙にもかけてないし、領地は辺境だし? 僕は姉様のこと大好きだし、結婚しても今と何も変わらないよ。いざとなったら平民になればいいし」
事もなげにさらりとランディは話す。
元々平民で元騎士であったディオノレが男爵の爵位を賜り領地を貰い、トーヴィル侯爵に仕えていたメイドと結婚したのはエリザが生まれた年であった。
忌み子の引き取り先がなく、行先は孤児院かと言われた矢先、ディオノレ夫人が『奥様の忘れ形見ですから』と新地へエリザを連れて行ったのだ。以降、夫妻は王からの呼び出しがない限り、王都に行くことはない。
ディオノレ男爵の手腕が良いためか自治領地は治安が良く、貿易も盛んに行われている。また、国境ということで防衛の意味と野山での修業を兼ねて、最近では王都より騎士見習いが修業の地としてやって来ることも増えた。実のところ、ディオノレ男爵の領地は潤っているので廃絶することはあり得ず、平民になることもないのだが。
「だから、僕と結婚しましょう、姉様」
笑顔満開で、ランディはエリザの手を取った。
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