2.言えなかった言葉
1話の評判、ブックマーク、お読みくださった方、ありがとうございました。
学院は朝から賑やかだった。
生徒達は皆興奮気味に一昨日の夜会の話をしていた。開催された夜会は王族が主催ということもあって、学院の生徒も相当数参加していたようだ。
話題は主にルーパートの婚約者、隣国ライジンクの第三王女ティアーネについてであった。
隣国の姫は齢14とルーパートと3歳離れており、赤毛の愛らしい少女であったこと。
ダンスが得意で、身長差はあれどもルーパートと共に華麗なステップを披露したこと。
トーヴィル侯爵家子女アンジェリカとマルセルム伯爵家子息ヨルクによるダンスも彼らに引けを取らなかったということ。
わざわざ聞き耳を立てなくてもエリザの耳に勝手に入ってしまうほど、周囲は賑やかであった。
「体調を崩したって聞いたけど、元気そうだね」
昼休み。いつものように中庭のベンチで本を読むエリザのもとへ、ヨルクが声をかけてきた。
体調を崩した?私が?
微塵もそんな事実はなかったのだが、アンジェリカが夜会のパートナー交代の理由としてそう伝えたのだろうと思い至る。
「先日はやむを得ぬ事情とはいえ、お約束を違えてしまい申し訳ありませんでした。私はこの通り大丈夫です」
丁重に頭を下げ謝罪する。
致し方なくではあったが、彼との約束を破ったのは事実だ。本当ならば自ら赴き彼に謝るべきであったが、人前で人気者の彼に近寄る勇気は彼女にはなかった。
礼を欠いたことを気にしていたエリザは、彼に謝罪できたことに対してホッと胸をなで下ろした。
ヨルクはそれに対する返事はせず、エリザの隣に腰掛けた。
義弟以外の男性が隣に座るという経験がないエリザは、彼を見ながら数回瞬き。居心地が悪くなり思わず身じろいでしまう。
それを見て、ヨルクが喉で笑った。
「ルーパートへ正式に君を紹介したかったんだけどね」
「ルーパート様に、私をですか?」
相変わらずヨルクが何を考えているのかエリザにはわからない。
何のために私をルーパート様へ紹介する必要が?
正式とはなんの?
小さく首を傾げる。
「君は自分を過小評価しているきらいがあるね」
「そうでしょうか?」
エリザとしては、ただ事実は事実と受け止め、過剰な期待はせずという姿勢を貫いており、自分のことは正当な評価をしている自信があるのだが。
「ルーパートに紹介しても君は恥ずかしくない人材だよ」
「そうでしょうか?」
辺境の貧乏男爵令嬢であり『忌み子』でもある存在が、王子と挨拶を交わすなんて見たことも聞いたこともないけれど。
「それから、君とダンスも踊りたかったね」
残念だった、と付け加えられるとエリザの鼓動が跳ねた。
そんなこと、気軽に言わないでいただきたいです。
エリザは瞼を伏せた。エリザとて、ヨルクとダンスを踊りたかったが、その思いはヨルクとは異なるもの。
彼はエリザの境遇を知り、今まで夜会に参加をしたことがないと聞いて同情し、あの日パートナーの声をかけただけなのだ。
エリザの方は彼を慕っている。しかし、彼はエリザに同情しているだけ。この思いの差はとてつもなく大きい。
「私、アンジェリカ様がパートナーになられて良かったと思います。私は家族以外と踊ったことがないので私と踊られていたら、ヨルク様はきっと皆様の前で恥ずかしい思いをしたと思います。それにアンジェリカ様とは何曲も踊られたのでしょう? 皆が素敵なカップルだったとお話しされていますよ。アンジェリカ様のことを『羽が生えているかのように踊りますね』とヨルク様がお褒めになったとも聞きました」
「それは…」
「ヨルク様と夜会に行けたことを、アンジェリカ様は大変喜んでおられました。ルーパート様とティアーネ様に、ヨルク様と一緒にご挨拶されたとうかがっています」
「いや、その…」
「ヨルク様も存分に楽しんでおられたと、アンジェリカ様は申しておりました。今度別の夜会にもお誘いしますとお約束されたとも…」
「…僕、そこまでは言ってないはずなんだけど」
ヨルクが溜め息を漏らしている。
エリザが言ったことは、全てアンジェリカが食事の席で興奮しながら嬉しそうに話していたこと。学院に来てから夜会に参加した生徒たちが話しているのを耳にしたものだ。故に、嘘偽りはないはず。
なのに、どうして頭を抱えているのでしょう、ヨルク様は。
「あの…?」
「いや、何でもない。とりあえず、君の元気な姿を見て安心した。じゃあ、また」
来たときよりも生気を幾分か無くして、ヨルクは去っていった。
足元が微妙におぼつかないのは気のせい?
ゆっくりと小さくなっていくヨルクの姿を目で追っていたエリザの耳に
「しかし上手くやったな、ヨルクは」
先ほどまで隣にいた人物の名が入る。
声の方を見れば、校舎の空いた窓向こうに数名の男性生徒たちの姿。
「本当だよな。財務官のトーヴィル侯爵との繋がりを確実にしてアンジェリカ嬢をパートナーに持てたんだから」
「普段からマメに忌み子へ声をかけてきた成果ってところだろうな」
「本当にあの二人は良い雰囲気で踊ってたよな」
笑いながらの会話。
彼らの言っていることは、恐らく事実。
ヨルクとアンジェリカは周りから見てもお似合いのカップルだったようで、朝からその話はティアーネ姫の話題と共に嫌でもエリザの耳に入ってきていた。
ヨルク様は、トーヴィル侯爵家との繋がりが必要だったのですね。
でも、私など通さなくても侯爵様に直にお取り継ぎ願えば、ヨルク様なら問題なく会談できたでしょうに。
念には念を、というところでしょうか。
「―――こんな私でもヨルク様のお役に立てることがあったのですね」
ああ、それならば。
トーヴィル家との繋がりが確実となった今、もう私の仲介は必要ないということ。
今日ヨルク様が私に声をお掛けになったのは、私への言葉かけを最後にすることを伝えたかったのかも。
『また』とおっしゃってはいた。だから今度私と会うときはきっとヨルク様のお隣にはアンジェリカ様がいらっしゃるはず。
『僕と友達にならないか』
初めて会ったときに言われたヨルクの言葉は今でもエリザの耳に残っている。
そして、その返事はずっと曖昧にしてきていた。
もし『お友だちになりましょう』と伝えていたら、律儀な彼のこと。先ほどの会話でエリザにはっきりと友達解消の意を伝えてきただろう。
そんなことをされたら、きっと私は―――
涙などとうに渇れているから泣くことはない。
ただ、胸が抉られるように痛むだけだ。
『泣いたところで忌み子である事実は変わらない』。そう悟ったのは十に満たない歳だった。
だから、エリザは事実を見据え、前を向いてきた。これからもそうしていくだけだ。
ただ、良い思い出は思い出として残す。
痛みはあるかもしれないけれど、幸せであったのも事実なのだから。
「私とお友だちになりましょうと、お返事してなくて良かった…夜会も…」
知らず、エリザは呟いていた。
エリザにとってヨルクに誘われた先日の夜会が、参加する最初で最後のチャンスだった。
社交界のパーティ、というものにもちろん興味はある。しかし、エリザの元に招待状が届くことは今までなかったしこれからも届くことはない。
トーヴィル侯爵家の「忌み子」と知られているエリザをもてなすことは、ベリアーノ国の財務官を務めるトーヴィル家を敵にするということ。あえてそんなことをする物好きなどいるはずもない。
エリザにとって夜会は憧れの場。夢の場。
本から得た知識で夜会とはどういったものかは知っている。恋愛小説を読んで、夜会での男女の雰囲気を想像することもある。しかし、エリザは夜会を経験することは決してないだろう。
そしてヨルクとダンスを踊る、ということも決してないだろう。
それでも、夢は見ることはできる。
たとえそれが決して叶うことのない夢であっても。
エリザは目を閉じ、身に注ぐ爽やかな風に心を預けた。
お読みくださりありがとうございました。