人類を掴んで回す為のレバー
早退した。他にあの場面を脱せる手段が見つからなかったからだ。
アリスが音声を発すると、発生源を探る様にして、教師や同級生達の怪訝そうな眼差しが俺に集中し……
「あ、ボットのタイマー機能……昨日のままだった、っべー」
咄嗟の言い訳にしては上出来だったと自負してます。
でも、まぁ、女の子のボットに名前を呼ばせてるちょっといたい男子ってのがクラスの中で定着してしまっただろう。健全な高校生活からまた一歩遠のいたわけだ。
その後も場所を選ばず、電車の中でも、駅前の人通りでも、自由な発言を繰り返すアリスには四苦八苦させられた。結局は、人気が少なく、誰かが近付いてくる危険もない落ち葉だらけの公園で、寂れた象の遊具に跨っていた。
「まじなぁ……」
『明さん、落ち葉がいっぱいですよ。ぶわーってやってくれませんか? こう、ぶわーって』
「一人でそんなことできるか」
俺は自分のクロスフォンのカメラを通して、触れられない落ち葉をすくいあげようと懸命なアリスを眺めている。
このボット、どうやらクロスフォンのスピーカー経由で声を響かせているらしく、だったら電源をまた落とせばいいじゃん。と俺がクロスフォンに触れると『こういうときは悲鳴をあげればいいんですよね?』と脅してくる始末。
そして、昨日は肉眼で確認できた筈の仮想少女は、今はクロスフォンのカメラでしか姿を捉えられない。
『葉が掘れるかってぷっつんする人が居るみたいですけど、葉掘りって、こうやって落ち葉の層を掘ればいいんですよね? ディ・モールトベネ!!』
「いや、掘れてないけどね。ってかさ、キャラ変わってないか?」
『明さんが学校でお勉強してる間、アリスはネットワークでお勉強してましたから』
「電源落としてたのに?」
『いつから電源が落ちていたと錯覚していた……? です』
「いらないとこばっか学習してるみたいだな」
『そんなことないですよ? 明さんが過去に遊んでいたオンラインゲームの動画も確認しました。アキラさんが映っているものも見ましたよ』
「そんなのあるの?」
『はい。メレンゲ男爵さんが投稿していました実況動画です』
「あー、そういえばあいつ、実況やってたんだっけ、懐かしいなぁ」
『それでですね、アクエリアスの明さんの職業はやっぱり斬刀士にしておきました』
「なんで俺がやる前提なわけ?」
『明さん。世界終末の音がなぜ、今年になって頻発しているのかご存知ですか?』
「……別に、興味ないよ」
『勇さんがなぜ、アリスを明さんへ送ったか、ではどうですか?』
アリスはその場でぴたりと静止すると、こちらへ幻惑的な赤水晶の双眸を真っ直ぐ向けてきた。
「……」
『勇さんはいつも褒めてましたよ? 明には才能があるって、自分にはない可能性がある自慢の弟なんだって』
「……だったらっ!!」
その先は口に出せなかった。噤んだ俺を見つめたまま、彼女は諭すような声音を紡いでいく。
『勇さんには味方が少なかったでした。アリスにも原因はありますけど、あの人は片手の指で数えられるだけの仲間と一緒に、自分達の数千倍はある巨大な組織と戦おうとしていました』
「組織って……どこの映画だよそれ」
『我々は常に監視している』
「……はい?」
『世界終末の音 (アポカリプティック・サウンド)を実験している組織はエルミナティと呼ばれています。彼等は世界中に点在し、各々の立場を利用して、ある一つの思想を実現させようとしています。それが世界統一思想。世界を一つにまとめようとする動きです』
「いくらなんでも壮大になりすぎじゃね?」
『彼等のシンボルには大きな目――プロビデンスの目があります。これは三角形と目を組み合わせたデザインです。この国の紙幣を透かして見ると、野口さんの目に裏面の富士山が重なる事でプロビデンスの目となります。つまり、これは彼等からの警告であり、暗示とされています。我々は常に監視しているぞ、と』
気になったので、財布から千円札を取り出して頭上へ掲げてみる。
結果は、アリスの方便がまったくのでたらめでないと証明されただけだ。
「いくらなんでも……こじつけでしょ」
『そう思っている間に、静かなる戦争が終わってしまうのです』
「で、そのえるなんとかてぃの野望を止める為に、兄さんは孤軍奮闘してると、そう言いたいのか?」
『そうでした』
また過去形だ。
『数量限定で生産されたクロスフォンのコラボモデルには、ある試みが施されています。それがアクエリアスとの完全同期――福音との同調――ゴスペル・コミュニケイト・システムです』
「ゴスペル・コミュニケイト・システム?」
『はい。現実世界に仮想世界を複合させるMR技術からの派生形です。端的に説明しますと、クロスフォンに内蔵された電磁波照射装置が被験者の五感へ作用し、ストリートビューやアクエリアスの世界を構築させます』
「よくわからんが、それって立派な犯罪じゃ?」
『はい』
「はいって……じゃあ、アクエリアスで世界終末の音を止めるってのは、具体的にどういう意味なんだ? アクエリアスはただのゲームだろ?」
『正確には世界終末の音ではなく、七つの福音を止めて欲しいのです。世界終末の音と呼ばれる現象は広義に解釈されます。その中で、七つの福音と呼ばれる人工知能体こそ、私達が立ち向かうべき相手です』
「七つの福音?」
『アクエリアスの仮想世界に息衝く兵器達。エルミナティが研究している――人類を掴んで回す為のレバーです』
『個体名はそれぞれ――』
mage、dragoon、witch、phantom、dollmaster、vampire
「一つ足りないと思ったけど、そうか、アリス……お前たしか」
『はい。アリスが第七福音に該当します。つまりですね、アリスは自分のお兄さんやお姉さん達を止めたいのです』
ゲームなんて、もう二度とやらないって誓った筈だった。
この決意は、どんなことにも揺るがない自信があった。
けど、実際はどうだろうか……もしかすると、変わったつもりになってるだけで、俺の根本はなにも変わっちゃいないのかもしれない。
家族を助けたいと懇願する仮想少女。彼女の瞳に涙は映らない。
イーグル社へ就職し、単身で上京していった兄。
あれから、俺達の繋がりは日に日に細く、今にも途切れそうになっている。
脳裡で様々な感情が交錯する中、後押し――言い訳――となったのは、もう一度、俺と兄さんとみなみの三人で遊びたい。などという、酷く幼稚な願いだった。
「……わかったよ。ちょっとだけ付き合ってやる」
『なにをですか?』
「だから、お前のその戯言に耳を傾けてやるって言ってんの」
『でも、明さんは頑なにアクエリアスを拒んでました』
「そうだよ。ゲームなんて時間の無駄だろ? 毎日、寝る間も惜しんでレベルを上げて、周りより強い装備を手に入れて、でも、その先に残るのはなんだ? ちっぽけな優越感ぐらいだ。だったら、ゲームなんかやってないで、勉強してたほうがずっと役に立つ」
『では、なぜ?』
「……兄や姉を止めたいんだろ? その気持ちはわからなくもないし、その願いが時間の無駄だって言わつもりはない。それに、兄さんが俺を信じて、アリスを預けたのなら、俺は兄さんの期待にも応えたいんだ。ぶっちゃけ、重度のブラコンなんだよ……俺は」
『明さん、ありがとうございます』
「礼はいいから……まずはアクエリアスを起動してみてくれ。ゲームの勝手がわからないと、どうにもならないし」
『わかりました。A.L.I.C.Eシステムと連動した状態でアクエリアスを起動させます』
アリスが告げると同時に、眼球を無数の光が奔った。目を瞑っても、光の軌跡は消えない。次いで、頭の中でブザー音に似た低い電子音が鳴り響く。
目蓋の裏に浮かび上がる淡い色調のウィンドウ。そこにはこう記されていた。
【警告】
――汝、福音を吹聴することなかれ。この誓約を破りしもの、決して覚めぬ悪夢へ堕ちると知れ。
「これは?」
『ゴスペル・コミュニケイト・システムの口外を禁圧する警告文です。これを無視すれば、拒絶反応が引き起こり、瞬く間に意識が奪われます』
「意識が奪われる……?」
『はい。でも、安心してください。A.L.I.C.Eシステムには干渉を相殺するプログラムが組み込まれています』
「俺はそうかもしれないけど、他の人達は?」
『現在、当該システムの拒絶反応で意識不明となった人間は、国内で十数名と推定されます』
「なんだって!?」
『ですが、これはゴスペル・コミュニケイト・システム被験者全体の一割未満であり、現時点では無視して構わない問題です』
無視って……、あまりにも人間臭い面を見せられて錯覚していたが、所詮、こいつはボットであり、人間とは違うんだ。だから、犠牲者を数で判断し、そこに一切の後ろめたさを挟めない。
とはいえ、今の俺にどうこうできる問題でもないのは事実だが。
『明さん、同期が完了しましたよ。目を開けてください』
言われるがまま、両目を開く。
『見えますか? アクエリアスの世界が――』
アリスの言葉を最後まで聞いている余裕はなかった。
「うわっ、すごいなこれっ!!」
目の前に広がる光景は、先程までの落ち葉だらけの公園のままだ。
だけど、視界のあちらこちらにポップアップが繁雑していて、無人だった筈の公園内には幾つかの人影すら見受けられた。
彼等の頭上にはネームやレベルが表示されており、見るからにゲームらしい甲冑や外套を身に纏っている。
瞳孔を左上に向けると、じわりと自分の情報が浮かび上がる。
【アキラ】斬刀士 Lv1
名前の下には二本のゲージバー、たぶん、いわゆるヒットポイントと、メンタルポイントだろう。メンタルの部分は作品の世界観によって区々(まちまち)だが。
「ってか、ウィンドウ多すぎて視界が……ちょっと余計なもの削除できるか?」
『新規ユーザー向けのチュートリアルポップを全て閉じます。あとですね、他ユーザーが貼り付けているタグ情報も非表示にできますが、どうしますか?』
言われて周囲を注視してみると、どうでもよさげなウィンドウが幾つも紛れ込んでいた。たとえば、公園のジャングルジムには「泉北小学校五年二組の集合場所だよー」ってタグウィンドウが貼られている。きっと子供達がアクエリアスで集合する時の目印に貼ったのだろう。公園の入り口付近の宙には、矢印型のポップアップの中に「コンビニはあっち」と表示されている。仮想標識とでも呼べばいいのかな。これらは本来、クロスフォンなどの携帯端末を通して視認できるAR情報――拡張現実だ。だが、それがいま、ゴスペル・コミュニケイト・システムとやらの影響で、俺の肉眼にも映り込んでいる。
「うん、とりあえず全て非表示で」
『了解しました』
傍らに立つアリスの姿も再び肉眼で確認できるようになっていた。そこで異常に気付く。
「アリス、お前……」
【alice】БいФ> Lvケ☆
彼女の頭上に表示されている情報がバグっていた。
『明さん、大変ですっ!!』
「どうした!?」
『アリスのステータスが文字化けしてます!!』
「うん、知ってるっ!!」
『明さん、大変ですっ!!』
「今度はなんだっ!?」
『明さん、レベル1です!! これでは世界終末の音を止めるとか無理ゲーです!!』
「うん、そうだねっ!!」
終末を止めるとか壮大な話が膨らみつつあったが、どうやら現実問題、まずはレベルを上げなきゃどうにもならないっぽかった。