廃人魔女はバッドエンドが許せない
「みなちゃん、あのね、お母さん……再婚することにしたんだ」
「……そーなんだー……再婚ねー……さいこ、えっ!?」
理解不能、理解不能。お母さん、今なんて言ったの?
サイドン? 説明しよう! さいどぉん、うしろあしだけでたつようになった、ツノで……って違う。
サイポン? これは埼玉地方の自衛隊マスコットでね、りく、かい、そらの三人がい……って、どうでもいいね。
それは、地元の公立校へ入学して、たった一週間後の出来事だった。
私が物心ついたとき、母と父は既に別居してて、私がお遊戯会で赤ずきんちゃん役を演じた日に二人は離婚した。
お父さんが居なくて寂しいと感じたことはなかった。
きっと、幼馴染の漆木兄弟が私を支えてくれていたんだと思う。
五歳離れていたいさにぃは、それこそ私にとってのお父さんみたいだったし、同い年のあき君は兄妹のようで、でも、いつの間にかそれ以上の何かになっていたから。
「みなちゃん聞いた事ないかな? 篠原陶大って名前でね、雑誌とかにも名前が載るような人なのよ」
「どんな雑誌?」
「さぁ? でもほら、勇君もイーグル社に就職したじゃない。あの子が配属された部門のチームリーダーなんですって」
いさにぃとはもう三年ぐらい会っていなかった。私が連絡しても、あき君が連絡しても、滅多に返事なんて寄越さず、気付くと、あの人はとても遠い存在になっていた。
「それでね、夏になったら、陶大さんのマンションに引っ越そうと思ってるの」
「ちょ、ちょっと……お母さん、いくらなんでも急すぎない?」
「もうね、編入先も決まってるのよ。東京の、すごく有名なお嬢様学校でね、制服がとっても可愛いんだから」
まるで自分のことのようにはしゃぐ母親を見て、私はすぐには何も言いだせなかった。
「私……やだよ」
それは、自分でも驚くほどにか細い声で、やだよ、の部分なんて、ほとんど蚊の鳴く様な声だった。だから、きっとお母さんには届かなかったんだと思う。同級生みたいにきゃっきゃと黄色い声を上げながら、頬に両手を添えるお母さんの表情は、夢のキャンパスに溶けてしまいそうな、淡い色に染まっていた。
「あのさ、お母さん」
「なにかしら?」
「あき君には、自分で言いたいから……あき君のお父さんとお母さんにはもうちょっと秘密にしてもらってていい?」
「いいけど、あまり待てないわよ。漆木さん夫婦とは付き合いも長いから、なるべく早めに伝えないと」
「う、うん、わかってる。あとね、学校……ちょっとだけ休んでもいい?」
「どうして?」
「行きたくなくなった……」
「……そう、いいわよ。でも、あっちに編入したとき学力がひらいてると大変じゃない?」
「そうなったら、えと……頑張るから」
「……まぁ私もみなちゃんに相談しないで決めたこと悪く思ってるのよ? 学校、お休みしてもいいから、私の提案、前向きに検討してね?」
「うん」
小さく頷いた私の頭の中は後ろ向きな考えで埋め尽くされていた。
あれから、何度も何度も、あき君に伝えようとしてる。
でも、彼の誕生日が過ぎた今でも……私はまだ言い出せずにいた。
「今日もまた言えなかったなぁ」
暗鬱とした心情を洗い流そうと軽くシャワーを浴びてきた私は、お母さんが帰ってくるよりも早く、冷めきった自室へ閉じこもった。
さっきまであき君が座っていた場所に触れてみる。
彼の温もりも感じられず、溜息まじりに画面越しの友人へ呼び掛けた。
【サウス】:ハイパーボッ氏、いる?
【ハイパーボッ】:ほいほい、なんぞ?
ハイパーボッ氏と知り合ったのは、あき君の誕生日の次の日だった。
あの日も、自分の意気地のなさに涙を堪えていたっけ。
【サウス】:篠原陶大って人知ってる? イーグル社の重役、らしいけど
【ハイパーボッ】:有名だお。でも、サウスちゃん、いきなりどしたん?
【サウス】:お母さんがね、その人と再婚するの
【ハイパーボッ】:まじかwwwつか、サウスちゃんの身元特定できるくね?wwwうはっwwwみなぎってきたwww
【サウス】:真面目に相談してるのに
【ハイパーボッ】:おうふ、すまん、こんなこと言っていいのかわからんけど、篠原氏、よくない噂が多いんよ
【サウス】:え
【ハイパーボッ】:御無礼、ごばくです。気にしないでください
【サウス】:もう遅いし、教えて
【ハイパーボッ】:悪口言いたいわけじゃないから、誤解しないでな
【サウス】:うん
【ハイパーボッ】:そもそも、イーグル社が先年度から人工知能やロボット関連企業を次々に買収しているってのはご存知?
【サウス】:ひ、ひっきーなめんな
【ハイパーボッ】:お、意外ですな
【サウス】:知らんけど
【ハイパーボッ】:知らんのかいwww
【ハイパーボッ】:イーグル社って、専用OSを組み込んだクロスフォンを発売してるでしょ? あれもな、色々な都市伝説があるんよ
【ハイパーボッ】:例えば、シギントシステム……通信傍受が組み込まれてるってのとか
【ハイパーボッ】:人工知能体……どっちかといえばボットになるんかな? ほれ、iPhoneのSiriみたいな、質疑応答をこなしてくれるアプリケーションね
【ハイパーボッ】:あれの発展形を独自に開発してるんじゃねーかって話もあって、それがどうも兵器くさいのさ
【サウス】:兵器?
【ハイパーボッ】:うむ。アメリカで脳内音声兵器ってもんが開発されてるんだが、要は脳みそに電磁波をぶっかけるやつな。
【ハイパーボッ】:それで幻聴とか幻視とか引き起こせるらしいんだけど、これを遠隔かつ限定的状況で活用するために、人工知能体とのドッキングを試してるとかなんとか
【ハイパーボッ】:で、その部門のチームリーダーをやってるのが篠原陶大じゃねーか? ってわけ
【ハイパーボッ】:まったくのこじつけって訳でもなくて、ストリートビューに偶然な
【ハイパーボッ】:篠原氏とアセンション社の代表が映り込んでたんよ。いかにも極秘の会合ですって感じに
【ハイパーボッ】:もちろん、プライバシー云々で既に削除されてますけどね
【ハイパーボッ】:さて、アセンション社といえば、なんでしょう?
【サウス】:アクエリアス?
【ハイパーボッ】:さすがっす、オプーナを買う権利をやろう
【サウス】:いらない
【ハイパーボッ】:oh-マジレス
【ハイパーボッ】:アクエリアスって複合現実なんちゃらRPGつって、カメラ越しにモンスターとかとエンカウントするじゃないですか
【ハイパーボッ】:で、もし仮に……そのモンスターが、さっき言った脳内音声兵器を内蔵した人工知能体とかだったら……こわくね?
【サウス】:私の理解力はとうの昔に限界を迎えている
【ハイパーボッ】:それを言うなら、越えてくれ
【サウス】:理解不能、ぷしゅー
【ハイパーボッ】:さっきはサウスちゃんの彼氏君が居たから、あえて小出しにしたけど、今年になって頻発してる世界終末の音も、イーグル社やアセンション社の仕業っぽいかもって疑ってたり
【ハイパーボッ】:都市伝説なんて、大体がこじつけでしょって言われたら反論できないわけだが
【ハイパーボッ】:自分達はわりとガチでここあたりの謎を追ってます
【サウス】:もし篠原陶大が危ない人だったらどうしよう
【ハイパーボッ】:サウスちゃんの純潔はオラが守るっ!!!
【サウス】:ハイパーボッ氏、たまに中の人が女の子だって忘れちゃうような、気色悪さを出すよね
【ハイパーボッ】:(´・ω・)
【ハイパーボッ】:まぁあれだ、どうしようもなく困ったときはジェバンニ氏を頼ってみ? あいつ、いま仙台に居る筈だから、きっと助けてくれるお
【ハイパーボッ】:連絡先貼っとくな
【サウス】:えー、頼るなら、ハイパーボッ氏がいい
【ハイパーボッ】:キマシタワー
【ハイパーボッ】:嬉しいけど、自分、あんま遠出できないんすよ。周りがやたら過保護なんで、あとネット弁慶なんで、実際会うとか、まじむり、コミュ障なめんな
【ハイパーボッ】:それと安心汁、ジェバンニ氏は紳士ですぞ、ちょっと、いや、けっこう、いや、かなり、いや、超異世界級の変態ですが
【サウス】:なにそれ、やだこわい
【ハイパーボッ】:手出されそうになったら、通報するぞって脅しとけwww
【サウス】:大丈夫、絶対会わないから
【ハイパーボッ】:ジェバンニざまぁwwww
言いつつも、ジェバンニ氏のアドレスは登録しておいた。
どんなに冷房で部屋を寒くしても、どんなに日差しを避けても、どうやっても夏はやってくる。
憧憬のタイムリミットからは逃げられない。
口の中へ放り込んだしとしとチョコは、いつもよりずっと早く、熱で跡形もなく消えてしまった。