遠野真の日常②(2)
「よかった、間に合ったみたいだね」
地下の駐車場まで逃げた俺達を出迎えてくれたのは聞き覚えのある安心できる声。
声の主は前回乗せてもらった記憶のある外車とは異なる、まだ黒塗りの光沢が真新しい、大きめの自動車へ背中を預けて立っていた。
こちらへ爽やかな笑みを見せているサークル仲間の一人、絵本零さんの状態が思っていたより問題なさそうで内心ちょっと安心した。
なんか零さんの頭上に巣作りしたいのか数羽の雀が集まって懸命に髪の毛を嘴でつまんでおり、足元ではどこから迷い込んだのか鶏がここここと彼のすねをひたすら突いているが、俺は何も見えてないことにする。
一方で歩くトラブルメーカーの周囲には気を失った大人の姿がちらほら転がっており、どうやらこっちはこっちで一悶着起こし済みのようだった。
「零さんもご無事そうで何よりです、うん」
「なんとかね、うっ、さ、皆早く、うぐ、車へ、乗って」
と、おそらく戦闘後なのだろう絵本零さんは凄まじい速度で駆け寄ってきた野良猫による頭突きを腹部へ貰いながらも、呼吸を落ち着かせながら答えた。
絵里さんが零さんの身体から動物達を引きはがしている間に俺は紡希、愛と一緒に後部座席へ乗り込む。
「真、ごめんね、大丈夫?」
「いたいいたい?」
「平気平気……して、なぜ俺を挟むように座る?」
紳士アピール含んで女の子二人を先に車内へ通したのに、わざわざ俺の膝の上を強引によちよち這ってでも中央から端へ移動する紡希。
そして二人とも狭い車内の限りあるスペースを有効活用する気なんて微塵もないようで、みちみちと圧を感じる勢いで俺へ身を寄せてくる。
「女の子に挟まれると元気になるでしょ?」
「相手によりますね」
「へー、ふーん、ほんとに?」
「おかしい、元気足りなそう」
「やめてやめて、大丈夫だから!」
左の紡希が顔を近付けてきて、右の愛が変なところを触り出す。
「相変わらず仲良しだねぇ、よし出発するよ」
遅れて絵里さんが助手席、零さんが運転席へ乗り込む。
エンジンを吹かせて車が震えるのとほぼ同時に、絵里さんがこちらへ一言。
「私が駆けつけた時は大人の男性と盛ってましたからね」
「そうなのかい?」
「んなわけあるか! 悪意しかない! 言い方に悪意しかない!」
僅か数十分で激変する日常、それでも非日常と言い換えることができないくらい、俺はこの人達と濃い時間を過ごしてきたのだと改めて自覚する。
自覚したうえで、日常の延長線上みたいな……この逃走劇の先を確認しておく。
「これからどうするんだ?」
「しばらく避難だね、あの部屋は手放したくないから色々対策はしてあるし、非合法な連中はあまり表立ってちょっかい出してこないとは思うけど、どちらにしろ……この先も活動するにあたって私達の情報が筒抜けになってると面倒事が増えるだろうし、別に用意してる住処もあるから、そっちに向かって貰おうかなって」
紡希が俺の肩に頭を預けながら答えてくれる。
「ふーん、って、その対策とやら先に教えてくれよ! だったらさっき俺が無理してボコられる必要なかったんじゃ!?」
「ごめん、反省してる」
おや、意外と素直だ、別に責めたい気持ちがあったわけじゃないから少しばつが悪い。
「宮城に行ってた時も感じたけど、お相手さんは特定がとっても早いね」
「動かしてくる人員も想定以上です、今後は私か零が必ず紡希様たちの近くに待機することと致しますか」
「うん、お願いするね……こうなってくるともう少し協力者を見つけるべきかなぁ」
数日前、愛と絵里さんが調査先で遭遇した女性に協力関係を結ばないかと持ち掛けたらしいが、向こうの返答は保留だったらしい。
その話を聞いた時、隣に座っていた紡希の反応はあまり嬉しそうに見えなかった。
信頼できる仲間が欲しいのか、一般人――二人の話を聞くに、どちらかと言えば俺達に近い、日常と非日常の境界線が曖昧になっているだろう人物のようだが――を不必要に巻き込みたくないのか。
或いは、最も頼れる相手……絵本紡希を救ってくれた、絵本愛を救ってくれた、そして俺も少なからずお世話になったと言える、もう一人のアリス、いえ、アリスさん。
紡希は自身の師匠を仲間に引き込むのが、最善策だと考えているのかもしれない。
色々な思惑が見え隠れする今回の一件を半ば強制的にハッピーエンドへ導く存在、俺だってそんな個人をイメージしようとすれば、突き出た八重歯が印象的なあの人の笑顔が脳裏に蘇る。
「真、スマホ、ぶるぶるしてる」
と、俺の膝の上に頭を寝かせていた愛が教えてくれる。
二人の女の子に密着されていて、恥ずかしい失態を見せまいと意識を脳内へ閉じ込めていた俺は、遅れて確かにジーンズのポケットへ突っ込んでいたスマホが小刻みに振動していることに気付いた。
未登録の番号からの着信であることを見止めて、嫌な意味で鼓動が大きくなる。
「……もしもし」
『よぉ、相変わらずイチャイチャしてるみてーだな』
その声を聞いて、さっき襲ってきた連中の黒幕がなんか性悪な警告をしてくるのではないかと頭の中を埋め尽くしていた最悪の想像が全て瞬く間に消し飛ぶ。
「ひっさしぶりの挨拶がそれですか、どこから見てるんですか? あと、もしかして思考もよんだりしてます? なんかなにもかも都合良すぎるんですが」
「もしかしてお師匠様?」
と、紡希が吐息を感じるくらいの耳元で喋って、俺のパーソナルスペースを完全制圧する勢いで密着してくる。
愛も続いて腹部に腕を回して抱き着いてきた、いや、そんなことしても通話の声は微塵も聞こえやすくはならないよね。
『ん、なんだよ、本当にイチャイチャしてんのかよ、心配して損したな』
「そもそもアリスさん、どうやってこの番号を?」
『あーちょっと待て、その呼び方、ややこしいから……どうすっかな……つうかさ、なんで私が譲歩するみてーな流れになってんだこれ、普通にシスって呼べよ』
「えー、でも、アリスさんはアリスさんってのが似合ってて可愛いと思うんすけど、シスさんって、なんか言いにくいし……」
『あいつらにもよろしくな、んじゃ』
「わかりました! シスさん!」
『番号はまぁ、あれだ、あんま変なサイトに登録しないほうがいいと思うぜ』
「なるほど、よくわかりました。もうこの話はおしまいで」
「詳しく」
「紡希、今それどころじゃないだろ? な?」
「ぐましう」
「愛、お前はまず俺の腹から顔を離せ! 全然聞き取れねぇよ!」
『もう切っていいか?』
「いやいやいや、用件何かあったんじゃないんですか?」
『おまえら、協会、いや騎士団からの依頼を受けてるんだろ?』
「よくご存じで」
『最優先事項に関しては私が終わらせるからよ』
「はっ? それって」
『アリス・ド・シャンブルは私が保護してる、あとは祖国へ連れ帰って連中へ引き渡せば終わりだ』
この人、ハッピーエンドへ導くどころかハッピーエンドを携えて登場してきやがった。
だけど、と考えてしまう。
アリスさんがアリスを保護……まじだ、まじでこれややこしいわ、シスさんが保護してくれたってのはこれ以上ないくらい安心できる展開だ。
でも、そのまま騎士団へ彼女を渡すべきなのか、本当にそれがハッピーエンドなのか、どうしても喉の奥に魚の骨が刺さったような違和感が拭えない。
『終わりなんだ……なんだけどな、零がアリスシステムの入ったクロスフォンを持ってるだろ? それも回収したいんだ』
零さんが宮城から持ち帰った貴重な手掛かりであり、おそらく……紡希の方針としては最終的に持ち主である漆木明という少年へ返したいだろう、福音が搭載された唯一無二の携帯端末。
(――俺個人で判断できるものではないな)
車内の仲間達へ視線を巡らせながら、少しばかり時間稼ぎを試みる。
「理由をきいても?」
『アリスの希望だ』
「でも、どうやって?」
『さばとちゅーぶを使ってくれ』
「さば、と、え? なんですか、その二番煎じっぽい名前」
『サバトチューブ、元はダークウェブで運営されてる協会の取引サイトだ、いつしか魔女達が動画方式で己の能力や開発品をアピールする広告みてーな側面が強くなって、改名されたんだ。現代っぽいだろ? 紡希も頻繁に利用してるはずだ』
「紡希、そうなん?」
「うん、ちょー便利、さっきまで使ってた仮想空間と神経レベルで繋いでたのもあそこで手に入れた違法改造品だよ」
「あんま魔女っぽくないな」
『昔に言っただろ? 協会は説明しがたい現象を総じて魔術と呼称し、そして、それらを一般社会から隠し通そうってスタンスだ……隠したいなら売買するなって言いたいだろうが、一方で協会に属する人間達ってのはそもそも仲間意識が強い奴が多いからな、助け合って生き残ってきたことを美徳とする奴が長く管理していたのもあって、築かれた体制は簡単には覆らないもんだ』
「協会と騎士団が協力関係にあるのも、その助け合い精神からってわけですか」
『向ける感情ってのはちょっと違うかもな、そもそも協会ってのは騎士団の厄介事に巻き込まれた人間達が派閥を作って身を守ろうとしたのが発端みてーだから』
テンプル騎士団の厄介事に巻き込まれた人間達ってのは……時代こそ違えど、そのまま俺達の状況にも当てはまる。
『協会がなぜ自分達のことを魔術師や魔女と名乗り、可能とする非現実的な現象を魔術と呼ぶのか、その根幹については……おまえも歴史の勉強とかで聞いたことぐらいあるはずだ、古くより続いた異端審問の一端、つまり魔女狩りだな』
「まぁ名前ぐらいは……中世ヨーロッパでの出来事ですよね?」
『あぁ、そんな歴史の中に紛れた一説だと思えばいい……騎士団が聖杯を隠し持っていて、しかもそれはキリストとマリアの血に起因する、即ち血統だとする説は、キリストを神と崇める教徒達からすれば非常に都合が悪かった。真実はさておき聖杯を宿す子孫なんてものを認めるわけにはいかなかったんだろう、公になればキリストと子孫とで信仰対象が散らばって、そのまま派閥争いで組織がぐちゃぐちゃだ。その説がどういう形で当時のローマ教皇へ伝わったのか定かではないが、戦争や疫病も重なって社会的にも混乱の渦中にあった教皇は権力を脅かす不穏分子、つまり、聖杯を宿す人間とやらを全て葬り去ろうと考えたみてーだ……疑わしきは罰するってやつで、結果、聖杯もキリストもマリアも無関係でありながら特異な体質や言動、現象を起こすものは次々と処刑されていった、火あぶりにしたのは血統の一滴も聖杯の一片も残さないためだろう、んで……聖杯絡みの一連の流れから生き残るために特異な連中が手を組んで魔女狩りを逃れた、それがそのまま現代で私達が属する協会という組織に繋がるわけだ』
シスさんが想定以上に長く喋ってくれている間に、通話をスピーカーモードへ切り替えて、そして、紡希へ目配せした。
俺の意図が伝わっているのか伝わっていないのか、紡希はぱちくりと丸い瞳を瞬かせている。
『ってことでむかしむかーしから騎士団は、私達協会の人間に後ろめたさを抱えちまってるわけで、こっちがなにか困ってる場合にほぼ無条件で手を貸してくれたらしい、そんな関係性がゆっくりとほぐれていって、或いは洗練されていき、今じゃあ半分ビジネスみてーなお互い何かあれば助け合いましょうの精神が根付いたわけだな』
「ちなみに、えっと、アリスさんは……保護したアリスさんは帰ることを望んでるんですか?」
『……そうだな』
若干の意味ありげな間を挟んで答えるシスさん。
そこで紡希が俺の肩を遠慮気味に叩いて、ジェスチャーで何やら伝えようとしてくる。
人差し指と小指を立てて、残りの三本をくっつけて、そのまま俺の頬へぐいぐい押しつけてくる。
なるほど、わからん。さっぱり意味わからんがとりあえず端末を渡しとく。
「お師匠様、連絡手段だけは残しておいてください」
『紡希か……』
正解だったらしい、選手交代となり車内のシートへぐったり身を預けながら愛へ確認してみる。
「なぁ、愛、さっきの紡希の、あのきつねさん、どういう意味かわかる?」
「ちょっと前に、私達がハマってたゲームの、コンちゃんだよ、仲間を庇ってくれる、タンクなの」
「庇う、ね……わかるわけなくね?」
「愛が足りない、よ、愛が、ね?」
「うい、精進します」
「真様、私でもわかりますよ」
「むしろ、なんであんたがわかるんだよ、ゲーム全然したことないでしょ」
「愛、ですかね」
「うっさいわ!」
「面倒くさいは駄目ですよ」
愛、絵里さんに続いて紡希にまで咎められたと思って、横を見れば彼女は師匠との通話でいっぱいいいっぱいな様子だった。
至近距離で見えるからこそ気付ける程度にだが、端末を持つ彼女の手が僅かに震えている。
『へー、言うようになったな、いいぜ、手段は用意しとく』
「本当にあの子がそれでいいと思ってるのか、直接、本人に確かめたいんです」
『今じゃなくていいのか?』
「他にもオフ会に参加できるか確認しないといけない相手がいるので」
『はは、オフ会ね、いいじゃん、機会は作れるようにしておく……ただ、私に決定権なんてねーし、拒まれたらそれまでだ、悪く思うなよ』
「はい、ありがとうございます」
『いいさ、ハッピーエンドを追求するお前の気持ちは嫌いじゃないからな』
「お師匠様もですよ?」
『ん? ああ、私も参加しろって? 考えとく』
「オフ会もですけど、お師匠様も、ハッピーエンドになってほしいって、私はずっと……」
『私が今を生きている根底にあるのは自己犠牲だ、それを理解した上で言ってるんだろ? なら素直に喜んでおくよ、で、そっちはクロスフォン、私は連絡手段とオフ会の検討、それでいいな?』
「大丈夫です」
『じゃ、またな』
スピーカーがぷつりと途切れるのを確認して、俺は紡希の頑張りを労うように一言だけ。
「お疲れさん」
「うん、真」
「ん?」
「愛が足りないね?」
「はい、すみませんでした」




