遠野真の日常②
SIDE:真っ白白透け(廃人魔女はバッドエンドが許せない)
「真、食べて」
ホットプレートの上に放られて秒でべしゃあと崩れた乳白色のなにか、護衛を任された俺に対する報酬ですと言いたげな女の子の無垢な笑顔が目の前に添えられている。
「初めての自信作、です」
「その自信はどこから生まれた感じ?」
「ホットケーキミックスから」
「なるほど、納得」
分量×、調理温度×、見栄え×、自信〇、ミックスを素にしてるから味は悪くないので△、ホットケーキは飲み物です、今日また一つ俺の概念が覆される。
「愛は食べなくていいのか?」
スプーンですくいながらミルクミックス平べったいスライム改めホットケーキを胃へ流し込みながら、テーブルを挟んで対面する少女、絵本愛へ尋ねた。
「私はいい、さっき食べたから」
「なにを?」
「絵里のおにぎり」
俺もそれ食べたかったなぁ! とは口に出さない……彼女の好意で腹を満たしながら、続けて確認する。
「紡希は今日、何か食べたのか?」
「んーん、パソコンに夢中のまま」
「……さいですか」
数日前、久しぶりに零さんから連絡がきたと紡希から聞いた。
内容は移動手段を失ったこと、自分達――戸籍上、家族として登録している――絵本一家が狙われる可能性があること、そして、宮城での作戦に失敗したこと。
だが、かろうじて一台のクロスフォンを……俺達が探しているアリスの手掛かりになりそうなものを確保できたこと。
一連の報告を受けて、紡希はまず絵里さんに零さんを拾ってくるようお願いした。
それから、自分達の住処が襲撃される可能性と、それと同時に発生する隣人の俺が巻き込まれる危険性とを考慮して、一時的な共同生活を提案してきた。
紡希と愛の護衛という名目にはなったが、日に日に距離感の詰め方が積極的になっていく女の子二人と一緒に暮らすというのは……凄く、凄く魅力的なのだけども……結論、日和る。
思春期と護衛任務の境い目を反復横跳びするように、ちょいちょい自宅へ、隣の3005号室へ戻っていたのは、ある種の慢心が俺の中にあったからだ。
そもそも紡希達は俺を挟み撃ちする形で3005号室の両隣を賃貸契約している。
絵里さん曰くたらしの零さんと一緒に住むのは認められないとのことで、零さんだけ3004号室へ、そして、紡希達は元々住んでいる3006号室を継続して暮らしているわけだ。
んで、基本的に無施錠な3006号室の不思議、エレベーターを出て真っ直ぐ通路の突き当たりに位置するその一室は、予習や対策していなければ認識できない、らしい。
3006号室がこの通路上にある筈だと思っていても、俺の住んでる3005号室より奥にある可能性が後回しになる。おかしいな、上の階だったか? もしかして、住所の記入ミスか、等々思いつく限りの可能性を潰した後でないと、その当たり前のような可能性に気付けないとかなんとか。
だから郵送物の届け先なんかは零さんの方(昔は全部、俺のところに届いてた)で登録してるし、宗教勧誘みたいなものは俺の部屋まで来て、後は回れ右してるようだ。
原理を理解することは諦めている、そもそも俺は普通に認識できているし。
余程の執念を持って探し回るか、認識を逸らす類に耐性がある、対策をしているとかじゃないと辿り着けないようになっていて、更にはもし扉の前までやってこれたとしてもその時点で鳴かずのチャイムが来訪を告げるように細工が成された。
これは紡希と愛を溺愛する絵里さんの助言からだ。
きっと俺を警戒してるとか、そういう話ではないだろう、きっと。
つまりは、護衛要らなくね? ってのが自宅に戻る建前で、照れ隠しってのが本音。
『ハーレムもの鈍感主人公がくるぞ』
で、鳴かずのチャイムが渋い声でエンカウント報告。俺じゃないよね?
『メンヘラ製造機がくるぞ』
あーよかったー俺じゃないみたいだ……俺じゃないよね?
愛の手料理を勢いで平らげると扉の外を映すモニターを確認。
黒いスーツの見知らぬおっさんが立っている、はいアウト。
『ごめんください、絵本さんのご自宅で間違いな』『遠野真がくるぞ』
鳴かずのチャイムに負けず劣らずな渋めの声色、そこへ負けじと被せてくるエンカウント報告、ってか、もう名指しなんですけど!? 絵里さん!? やっぱり俺のことじゃねーか!
「愛、紡希に伝えてきてくれ、とりあえず……俺が、出る」
「ん」
ガンダム、出ます! みたいなノリで世界各国の美術刀が飾られた廊下へ飛び出し、閉じられた扉を見据える。
さて居留守は通用するのか、と考えた矢先、いいえ通用しませんと言いたげに扉が開いて、玄関へ大人が一人、二人、三人、四人と……ぎちぎちになっても平然とした様子で並ぶ。
複数の視線に晒され、対する俺の瞳はマルチロックオン。
「おい、報告だと娘が二人じゃなかったか?」
彼氏です、なんて言えたら格好いいのかもしんないけど。
「罠では? 雇われた可能性も」
「電波系統は確認したな?」
「身元確認が必要かと」
「彼が例のブリックかもしれません」
「まぁいい、ターゲットを捜索しろ」
見知らぬおっさんAと見知らぬおっさんBと、あとCとかDとかが靴のまま踏み込んでくる。
「人違いです。お引き取り願えますかね?」
「邪魔すると痛い目を見ることになるぞ」
身長差を利用して……こうやって見下すことが子供相手には効果的なんだ。
なんて計算が見え隠れするような角度でこちらへ睨みを利かせてくる先頭のおっさん。
実際、俺はインスタントラーメン主食の半分ひきこもりの紡希を背負って数分歩いただけで鼓動が爆速になるクソザコナメクジだが……なんだが、色恋の駆け引きで日和っても、仲間の危機には身を挺して守れる男でありたい。
そんなホットケーキの生地よりも薄っぺらい意地が虚勢へと交換されて、俺の四肢に力を与える。
それでも守りたい日常があるんだ、通せんぼのポーズをして――。
「げぼっ」
むせた。
腹部に残る鈍痛が、自分が受けた仕打ちを教えてくれる。
容赦ない腹パンによって胃から逆流してくる愛の好意を吐き出すまいと、必死になって両手で口を押さえる。
意識が喉辺りに集中している中で続けて脇腹にもう一発。
膝から崩れるようにして廊下へ頭をこする、くっそいてぇ、息ができない、顎ががくがく震え、目尻から涙がこぼれ、瞬く間に膨れ上がった恐怖心が俺の縮こまって丸くなった体を廊下の隅へ逃がそうとする。
耐えることに必死な脳が、耳元を叩いていく足音を微かに拾って右腕へ緊急指令を送りつける。
「い、かせない、ってんだろうが!」
おっさんの内の一人の足首を掴んで、吠える。意思疎通の形を失った咆哮に喉を震わせながら、肩に蹴りをくらい、頭を押さえつけられ、しまいには背中にずっしりと重みを受ける。
「君は絵本家とどういう関係だ?」
関係、俺と紡希の、愛の、絵里さんの、零さんの、悩んだ時期もあった、んで、見抜かれてたのか、自ら言い出せない情けない俺に、あいつらは分かりやすい居場所を作ってくれた。
俺は――。
「サークル仲間、だ!」
「つまらん冗談だな」
再び後頭部を鷲掴みにされて、フローリングと顎とを癒着させてーのかってぐらい強い力を込められる。
「つまらなくない」
静かな怒りを秘めた声が、冷たい熱を帯びた気配が、彼女と付き合いが長い人間にしか伝わらない殺気が隙間風のように俺の耳たぶ辺りを過ぎていった。
「愛、やめろ! それは駄目だ!」
「無理、許せない」
背中を鞍代わりにして頭をバスケットボール扱いするおっさんの所為で俺の視界はほとんど動かせない。
後ろで残りのおっさん達と対峙してるのだろう愛へもう一度呼びかけようとして息を吸った間に、床を踏みしめる音が俺の耳元を横切って、そのまま玄関へ続く。
「おい、あんたら! 外に向かってるおっさんを止めろ! 早く!」
「どこへいく? 戻ってこい!」
「呼びかけても無駄なんだって! そのまま飛び降りちまうぞ! 死人が出て騒ぎになるのはあんたらも都合悪いだろ!?」
「おまえら、止めてこい! ……説明しろ、なにが起きてる!?」
馬乗りになってるおっさんだけは俺から離れようとせず、後頭部へ言葉を浴びせてくる。
「あんたらが使ってる洗脳紛いの技術と似たようなもんだよ、罪悪感が集約されてるんだ、過去の一つ一つの小さな悔いが今この瞬間にまとまって叩きつけられる。時間が解決してくれたような罪の意識ってのが全て蘇るんだ……それは大体の人間にとって、受け止めきれずに自殺を選ばせる」
「あの少女にそんなことができるわけ」
「できるんだよ、愛、俺は大丈夫だから! もうそれは使うな! 俺と紡希と約束しただろ!?」
「約束した人が、いなくなっちゃうなら……私は約束破る」
「いなくならない! 俺なら全然平気だから!」
絵本愛が絵本愛であるために、彼女にはもう使わせないと決心したはずだった。
だから俺がなんとかしなきゃ駄目だったのに……そうならないように俺が立ち回るべきだったのに。
「ま、真!」
遅れて紡希の上擦った声が聞こえた。
貧弱な俺よりも更にか弱い女の子二人を守るため、俺に何ができるのか。
歯ぎしりまじえて考えを巡らせていると、玄関の奥から男性の鈍い悲鳴が響いた。
開けっ放しの扉の向こうに垣間見えたのは、見覚えのある白と黒の古典的な服装。
「……めっちゃ悔しいけど、でもまぁ、やっぱここは大人の背中におんぶにだっこだよな……もっと立派になるんで、遠野真先生の次回作にご期待くださいってことで、どうか長い目で見てください」
「どうした!?」
俺の騎手になっていたおっさんが声を張り上げるのとほぼ同時に、火薬が爆ぜたような音が轟いて……急に背中が軽くなった。
「ナイスタイミングです、絵里さん」
鈍い痛みが居座り続ける横腹をさすりながら腰を起こして、眼前に広がる白黒のロングスカートへ感謝を述べる。
おっさん騎手は顔面を壁にうずめたまま微動だにしない。
「遅れてしまい申し訳ありません、ところで真様」
「なんです?」
「先程、やっぱおんぶやだっこは私に限ると」
「そうは言ってませんね!! 翻訳ばぐってんじゃないですか!?」
「お望みでしたら跨ってくださいませ、さぁ」
「跨ることを望んでもねぇよ!! 不思議だなぁ、さっきまで絵里さんがまるでヒーローのように見えたのに、今はもうCEROレーティングZのアイコンしか見えねぇや!」
と言いつつ、ちょっとだけ「十八才以上のみ対象」と注釈されたメイドの背中に乗りたい衝動が心を惑わせる。
でも、背後からひしひしと感じる二人の女の子の凍てついた視線によって、邪な心は三秒で凍りついてしまった。




