岬朝日の足跡②(2)
几帳面に靴を脱いでいた自称空き巣の彼女達には倣わず、私は土足で失礼することにした。
電気をつけていなかったため廊下は薄暗かったが、洋間へ出ると窓から差し込む日光によって室内は幾らか照らされていた。
十畳あるかどうかの室内は古い民家の外観にそぐわない洋風な家具で整えられている。
奥にキッチンスペースが垣間見えており、窓の反対側にはおそらく寝室へ繋がるだろうドアが確認できた。
「小綺麗な状態ね、一通りの電化製品は揃っているように見えるけど使った形跡がないわ」
「朝日さんがいらっしゃるより前に少し調べていましたが、消耗品の類が幾つか見当たりません。歯磨き粉や乾電池、ゴミ袋など」
「つまり?」
「一見して人が暮らしているように偽装している印象があります」
「まぁ、そうよね」
いつから用意していた民家だったのか定かではないが、辺りに薄っすらとつもる埃からはそれなりの年月が感じられる。
不自然な程にぴたりと整頓されたテレビやエアコンのリモコン、食器棚のグラスなど、まるでモデルハウスの見学をしているような気分だ。
意図的に汚す、乱すなどの偽装工作へ及ばない部分に漆木勇の性格を思い出しながら、寝室にも入ってみる。
ベッドの隣に簡素な作りのオフィスデスクのようなものが備わっており、卓上には閉じられたノートパソコンが置かれている。
「充電しないと中身は確認できなそうね……手掛かりになりそうなのはこれぐらいに思えるけど」
「この場で確認できそうでしょうか?」
「ちょっと充電させておけば立ち上がるとは思うけど、ケーブルが見当たらないわ……それより、さっきははぐらかされたけど、貴方達の目的はなに?」
「サークル活動の一環になります。サークル仲間から漆木勇について調べるよう承りましたので……目的は……」
逡巡しているのか言い淀む絵本絵里。
「言いたくないのなら構わないけど」
「バッドエンドを許さない、といったところでしょうか」
「空き巣がバッドエンドを、ね……勇から連絡がきたわけじゃないのね?」
「漆木勇さんについては顔も存じません」
(嘘をついているようには見えないが……彼女達が私とは別の方法でここに辿り着いたとして、一方で勇が私個人をここへ呼び出した意図はなんだ?)
「ん、んー」
吐息混じりの小さな声へ視線を移せば、寝室の壁に寄り付いて、頭上にある小さな窓へ片腕を伸ばす少女の姿が目に入った。
「換気したい」
「仰っていただければ私がやりますよ」
「ありがと、絵里」
手が届かない絵本愛の代わりに窓をあけて、そのままその場から動かないメイドの後ろ姿を眺めながら考える。
私達の共通点――イーグル社、アクエリアス、ゴスペル・コミュニケイト・システム。
「おかしいですね」
解決の糸口が見えてきそうなタイミングで、こちらの思考の続きを遮って絵本絵里の呟きが耳に届いた。
「なにか気付いたの?」
「風の流れが不自然です」
「……私には分からないわね」
「お二人ともドア付近まで離れていてください」
言われるがまま移動し、絵本絵里の動向を見守る。
彼女は深い呼吸を挟んで、ゆっくり腰を沈めていく。
膝を曲げて拳法のような構えを見せたかと思うと、次瞬――ロングスカートをはばたかせる大きな音を伴って、勢いよくベッドを蹴り上げた。
「鍛えてるのね」
「メイドの嗜みですので」
「なるほど……勉強になるわ」
人外染みた所業を行っても澄まし顔のまま淡々と答えるメイドに半ば呆れつつも、私は胸ポケットからクロスフォンを取り出す。
「どうやら地下室があるみたいです」
「そっちが本命みたいね」
ベッドの下、敷かれていたカーペットも剥いで露わとなったのは取っ手付きの小さな四角い枠。
床下収納の扉のようだが、絵本絵里が開けると……先には深い暗闇へ続く梯子が隠れていた。
イーグル・ストリートビューを起動し、クロスフォンのカメラ越しに室内を注視すれば、先程まで置かれていたベッドの高さ付近、地下室への入り口をマーキングするようにARのテキストが付随していた。
『mage、dragoon、witch、phantom、dollmaster、vampire、alice』
部外者がたまたま見つけても理解できないだろう。
モスクワ付近から発信されていた単語の羅列、まるでゲームの用語のような……私が件の放送を聞いたことを前提としたような――私が世界終末の音に関わって、調査しているだろうことを前提としたような、こちらの行動を見透かしたような、それでいて若干キザっぽいヒントの置き方。
勇の仕業で間違いないだろう。
梯子はそう長くなく、半地下とでも言うべき深さで足が地に着いた。
クロスフォンを光源にして辺りを見回していると、続けて二人も降りてくる。
「それはなんですか?」
「カセットテープ、一世代前の記録媒体ね」
私たち三人でも窮屈さを感じる程度の小部屋、梯子の向かいには本棚のようなものがすっぽりとはまっており、棚の中には数冊の本と一緒にラジカセと乾電池が収まっていた。
「おぉー」と興味深そうな二人に見守られながら準備を終え、そのまま再生ボタンを押す。
『三点、君に伝えておきたいことがある』
ラジカセを動かしてすぐに、聞き覚えのある漆木勇の声が聞こえてきた。
静かな環境下で録音したようで――おそらくこの場で録音したのだろう――雑音は混じっていない。
彼は余計な前置きをせず、用件だけを手短に伝えるつもりのようだった。
『一点目、アール、オー、エム、エー、エヌ、ROMANを探してほしい……僕の失態で巻き込んでしまった子がいる、彼女を助けたい』
聞き逃さないよう黙って続きを待つ。
『あれは第六福音に似た……罠だった、人の脳を錯覚させる人工知能が関わっている』
「そんなことが可能なんですか?」
一時停止ボタンを押して、背後からの――絵本絵里の質問に答える。
「人工知能の研究では、人間の脳は電気回路と同じ仕組みだとして、人の意識がシナプスを刺激する電圧によって計算されているなら、それはコンピュータも計算によって意識を……つまり感情や記憶を持つことができると、それが研究の前提にあるの……だとすれば逆に人間の脳を電圧で意図的に刺激することができれば感情や記憶を上書きすることも可能だという……一般的には虚言めいて聞こえるかもしれないけど、そういう実験の記録は海外で確認されているわ」
イーグル社も買収した企業のどれかで似たような研究をしているだろうが、確証のないことは伏せておく。
「なるほど、わからん! あ、これ真のマネ」
なぜか得意げな様子の少女、彼女にもなるべく理解できるよう言葉を選びなおす。
「ええと、人間の脳をコンピュータで再現できると仮定して、その研究の派生形の一つに脳のプログラミング……コンピュータへ指示を与えるように、第三者からの電気信号で脳へ指示を与える試みが世の中にはあるってこと……なのだけど、難しいわよね」
「なるほど、ちょっとわかったかも、たぶん!」
「あまり上手く説明できなくてごめんね、とりあえず続きも聞いてしまっていいかしら?」
「いえいえ、どぞです」
『二点目、僕の弟を助けてほしい……あるシステムを託す形で、僕は家族も巻き込んでしまった……自分の無力さを、その尻拭いを君にお願いするのは心苦しいのだけれど、それでもどうか頼む。弟へ送ったクロスフォンにインストールしてあるシステムの名称はエー、エル、アイ、シー、イー、でALICE、アリスシステムと名付けてある』
(伝言というより注文よね、或いは……まるで遺言のよう)
『そして、次が三点目……これは二点目と繋がる話になるけど、僕が騎士団の一人として果たせなかった使命……僕の代わりにエルミナティから守ってほしい女の子がいる』
ここで騎士団が繋がってくるのか。
『騎士団の現総長として、聖杯を受け継ぐ少女――アリス・ド・シャンブル。彼女の意思を尊重させてあげたい、どうか彼女の力になってくれ……どうか、頼む』
ほどなくして音声は途切れた。
漆木勇は語り掛ける相手を「君」としか呼ばなかった、それはこちらの身を案じてか、私以外にも頼っている相手がいるのか。
地下室の状態を見るに、先客が居たとは考え難いが……テープの処遇をどうすべきか悩んでいると、左手首を小さな両手に掴まれた。
「あのあの、朝日さん」
「なにかしら?」
「愛達と同盟を結びませんか?」
薄闇の中でも淡い光を蓄えている水晶のような瞳が私のことをじっと見つめてくる。
「まずは目的について誤魔化した非礼をお詫びいたします、改めて打ち明けますと……私達はアリス・ド・シャンブルの捜索と保護を目的としています。もし朝日様の目的と一致する部分があるのでしたら協力関係を結んで頂けませんか?」
絵本絵里がサークル活動の一環と濁していた目的を明かし、頭を下げる。
「助け合いの精神、大事です」
「えぇ、そうよね……でも、すこしだけ時間を貰ってもいいかしら?」
情報の共有、リスクの分散、武力の確保、私の及ばない分野を生業とする彼女達の力を借りることによる恩恵はとても大きいだろう。
それでも……私には時間が必要だった。
自身のスタンス、今まで貫いてきた魔女嫌いと向き合うための時間が。




