岬朝日の足跡②
『幾つかパターン化されているようだったが、洗脳された連中の最優先事項は聖杯の捜索のようだ』
『聖杯って、最後の晩餐の……あの聖杯のこと?』
『みたいだな、末期と思われた男を拘束して色々と試してみたんだが』
『ちょっと待って、それ、ティアちゃんも居合わせたわけじゃないのよね?』
『いつ襲われるかも定かじゃない状況で離れると思うか?』
『……信じられない』
『とにかく、聞き覚えのない単語があってな、サングレイル……それを調べた結果、古く聖杯を意味する言葉らしい』
『そうなの? 聞いたことがないわね』
『調べたというか、運よく歴史学会員を名乗る男と接触できたんだが』
『お願いだから監禁したとか言わないでね、耳鳴りがしそうだわ』
『洗脳された連中に襲われてたんだ、で、それを助けた。さっきも言ったがパターン化された目的のどれか一つに合致していて襲われたのだとしたら、そいつは重要な手掛かりを握っている可能性が高いと、そう判断した』
『……いいわ、続けて』
『聖杯は別の形をしたなにかの比喩表現であるという説が前提としてある、始まりからそうだったのか、歴史の中で形を変えたのかは答えられないそうだが、現代における聖杯とは情報、データに置き換わったものではないかという見方らしい』
『ネットで見かけたら、そこそこ暇つぶしになりそうなオカルトって感想ね』
『そのオカルトの締めはこうだ、聖杯は単一ではなく組み合わせからなる、男の言葉をそのまま借りるなら暗号機と解読機に分かれていることで世の明るみに出ることを免れてきた、と』
『データが暗号化されているとして、なら 解読機はなんて?』
『血統だ』
『おーけー、一旦時間を置きましょう、私の嫌いな分野に片足突っ込んできたみたい……続きはメールでお願いしてもいいかしら?』
『構わないが……岬朝日、無茶はするなよ』
『だから、もう少し優しさのある声で心配してほしいのだけど』
『無茶言うな』
『どっちがよ、まぁいいわ、帰国は先延ばしね、そっちはそのまま聖杯探しをお願い』
『あぁ』
(……気になる部分はなかったわね)
録音しておいた通話内容を再確認してみたが、これといった違和感は見つからなかった。
通話の相手が本当に彼だったのかどうか、一応は疑ってみたが、これはさすがに杞憂だったか。
むしろ疑うべきは自分自身なのかもしれない、例の被験体に選ばれてしまった以上、私の思考がどこまで影響されたものではないのか証明する術がないのだから。
こちらの予定はそもそも通話内で伝えていないが、とりあえず履歴は消去しておく。
そろそろ端末ごと廃棄すべき頃合いでもあるのだが、こちらも被験体となった手前、軽率にクロスフォンを手放すこともできない。
この小さな端末の内部にどれだけの最先端技術が詰め込まれているのか、今の私には知る由もないが、つい先日……植物状態の少年をこの目で見てきたばかりだ。
被験体となった際に視界へ表れた警告文を無視する気には到底なれなかった。
一件のメッセージが届いたのは……その少年、朝霧明治と面会してたった数時間後のことだった。
送信者は漆木勇、内容は都内の住所が記されているのみ。
彼と交流があったのはもう昔の話で、今の私の連絡先を伝えてはいなかった。
それに記されていた住所は、記憶に残る彼のマンションとは随分離れている。
罠の可能性が高いと考えながらも最終判断はゴー、不思議と迷いは生じなかった。
蒲田駅で降り京浜東北線に沿って歩いていく。
駅の付近に大学があるからか、多くの若者が私と歩の向きを共にしていた。
少なくとも私よりかは具体性のある目標を持って勉学に励んでいるだろう学生の姿が目に映ると、一方で平日の昼間から汗を流しながら陰謀論を追っている自分は周囲からどう見えているのだろうと生産性のない思考に陥ってしまう。
軽く鼻の筋を圧迫するように眼鏡を指で押し上げて、同時に思考の先をグレイが伝えてくれた手掛かり――聖杯へと切り替える。
聖杯とテンプル騎士団に関連性があることを知ってはいたが、実際に彼の口から聖杯と聞くまで、私は現代の問題に聖杯が関わる可能性とやらを考慮していなかった。
騎士団の設立当時、彼らはキリスト教徒の巡礼路を警護することをエルサレムの王に申し出て、神殿跡を本部とする許可を得たとされている。
これがテンプル(神殿)騎士団の由来だ。
そして、偶然だったのか、それが本来の目的だったのか真相は不明だが、やがて騎士団は神殿跡地から何か大いなるものを見つけ、ヨーロッパへ持ち帰ったのではないかと言われている。
なぜか? それは騎士団がヨーロッパへ戻ってすぐ幾つものを特権を得て、瞬く間に勢力を拡大させていったからだ。
そこで説明できない急成長についての理由付けとして聖杯の名が出てくることになる。
その聖杯の片割れが血統だとするなら、それは誰のか?
シンプルに、深読みせず真っ直ぐ解くとすれば……それこそ聖杯を満たした血は誰のものであるか、だ。
しかし、もし本当に現代まで秘密裏に継がれてきたとして、血筋が解読機のような役割を果たすというのはどういう意味なのだろうか?
やはり情報不足なのは否めない。
勇は世界終末の音や聖杯について、どこまで知っているのか。
結局のところ、彼からのメッセージに示された場所へ足を運んでみるしかない、今の私に望める進展はそこにしかないように思われた。
キャンパスを横目に過ぎると次第に若者の姿も減っていき、すぐに辺りを民家が占めるようになっていった。
雨水の跡が薄っすらと残る塀が続くようになり、まとまりのない街路樹が目立つようになる。
最終的にストリート・ビューを頼ることになってしまったが、おそらく住所通りだろう場所へ辿り着く。
予想を裏切ることのない民家が目の前にあった。
ただ……表札がない。庭の物干し竿には何もかかっておらず、玄関脇に見える植木鉢の植物も色味が淡くなって枯れていた。
人の気配も生活感もひどく薄れていて、その不気味な静けさが私の足を鈍らせる。
一度、深呼吸して玄関の施錠を確かめる。
(……鍵もかかっていない、やはり罠?)
なるべく音を立てないようゆっくりと戸を開こうとする。が、それも僅かの間で急に別の力が加わった。
向こう側から誰かが戸を開けたのだと認識するよりも先に、目の前に飛び込んできた情報で脳が思考停止しかけた。
薄暗い玄関の先に立っていたのは、白黒の古典的なメイド服に身を包む桃色の髪の女性と、その傍らでメイド服の緩やかなスカートへ半分隠れるようにしてこちらを覗く真っ白い髪に真っ白いワンピースの少女だった。
「……」
「お初にお目にかかります、メイドをしております……エリーゼと申します」
まったく予想していなかった展開に言葉を失っていると、メイド服の女性が澄ました表情を変えることなく名乗り、そして、優雅な仕草で一礼してみせた。
「えっと、私は、ん、なんだっけ?」
「真様の言葉をそのまま繰り返しますと、てめーはメイちゃんポジだなと」
「そうだそう……そうだっけ?」
「失礼、コードネームはトドロと」
「かしこまり、サークル真っ白白透けのマスコット担当、トドロやってます、愛です、ぶい」
一歩、前に踏み出してピースピースと無垢な笑顔を振り撒く少女。
「愛様、コードネームの意味が……いえ、では私も倣いまして、この国では絵本絵里と名乗っております」
「岬朝日よ……驚いたわね、勇にこんな趣味があったなんて」
「ん、愛達は空き巣です、かしこかしこ」
「愛様、それを喋ってしまってよろしいので?」
「でぇじょうぶ、この人、悪い人じゃないよ」
愛と名乗った少女の透明感のある青い瞳が真っ直ぐにこちらを見据えてくる。
世界各地で起きている異変を追うと決めた時から、心のどこかで覚悟していたことだった。
いずれ、どこかで相対するだろうと。
説明できない、理解できない、納得できない、超常現象には超常現象で応える。
私が認めたくない存在、私の深層に根付いたまま消えることのない感情――魔女嫌い。
目の前の二人がそちら側に属する者達だと嫌でも察してしまう。
「そう言ってもらえて嬉しいわ、でも、だとしたら空き巣を名乗る貴方達は一般的に悪い人ということになると思うのだけれど、私は通報してもいいのかしら?」
「いくない! 悪くない! です……たぶん」
子供に抱きつかれてしまった。
「羨ましいことを」
そして、メイドが睨んでくる。
危惧していた事態を回避できたと喜ぶべきか、それとも予想できなかった遭遇を嘆くべきか、判断に困る状況だった。




