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ゴスペル・コミュニケイト  作者: えんじゅ
前章――A.L.I.C.E.起動
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第二の福音【蒼鎧の幻竜】vs 第三の福音【虹色の流星】


「残念だったな……漆木(うるしき)(いさみ)ぃ」


 A.L.I.C.E.システムの権限の放棄――その言葉の意味するところを理解している私は思わずほくそ笑んでしまう。

 福音は考える人工知能体でありながら、イーグル社の命令には逆らえないようにプログラムされている。

 立場の逆転を恐れるが故のロボット三原則然り、或いは技術的特異点への歯止めとして、福音が我々の想定を超えてしまう場合を避ける為、今はまだ手綱を握っていなければならないのだ。

 第四福音(フォースコード)に関してはアメリカの問題だ……あれはメンローパークの研究者達が頭を抱えるべき案件である。


 漆木勇が完成させたA.L.I.C.E.システムには【権限の獲得】が搭載されていた。それは我が社のネットワークを利用していながら、こちらの干渉を受け付けなくする保護膜(プロテクト)のような役割を兼ねていて、こうしてHMD(Head Mounted Display)で盗み見る程度なら可能なようだが、第七の福音である筈の【alice】が本来の性能を発揮できない煩わしいシステムだった。

 アクエリアスの仕様に倣うなら、ユニークスキルと呼称すべきなのかもしれない。漆木勇が仕込んだ【権限の獲得】の全貌はまだ掴めていない。だが、その権限を放棄した事で第七福音(セブンスコード)がイーグル社の手中に戻ってきたのは確かだ。

 実動部隊に件のクロスフォンを回収させて、後日じっくりと解析する予定だったが……人工知能(アリス)は何を考えたのか、まさか自ら保護膜を脱ぎ捨てるとは、願ってもない。


『先に謝っておいていいかな?』

『子供に危害を加えた事ですか? 安心してください。この地はアクエリアスのβ版であり厳密にはアクエリアスとは異なる管理空間……攻撃を受けたところで存在そのものが消滅する事はありません』

『それなら良かったよ』

『しかし、それも崩されました。あの流星、どうやら何らかのウイルス性を保持している様です。今はもう侵食され、イーグル社に管理権を奪われつつあります』


 第七福音を通して谷口辰夫と絵本零という男性の会話がHMD越しにこちらまで届く。


「谷口をどうするおつもりで?」


 傍らに待機している事を忘れかけてしまうほどに気配が薄く、長らく沈黙を貫いていた霜月清十郎が唐突に口を開いた。彼もHMDを装着して、視界を共有している筈だ。


「彼の夢を壊したくはなかったんだがな」

第三福音(サードコード)の流星は、きっとまたネット上で騒がれますよ」

「鳥海山での一件か、大したことはない。今回もオカルトの範囲に留まるだろう……仮に何か嗅ぎつけた者がいれば、土蔵釦に処理させればいい」


『ですが、このまま大人しく壊されるつもりもありません……竜を呼びます』


「どういうつもりだ?」

「竜とは第二福音(セカンドコード)のことでは?」

「不可能だ、権限はこちらにある」


『勇君に感謝しなければなりませんね』


 まるで私と霜月清十郎の会話を聞いているかのように、谷口は少しだけ顔を綻ばせて付け加えた。

 谷口と漆木勇が? 辻褄が合わない、あの二人がイーグル社に勤めていた期間は重ならない。

 私は本社に「福音を向かわせろ」と指示していた。範囲と距離に特化した二と三の福音で天使ランドを跡形もなく消し去る必要が出てくると考えたからだ。チェックメイトのつもりで送り出した福音を逆に利用する気なのか? しかし、どうやって……谷口は霜月浪漫の処理に竜をあてがったと判断できる発言をしていた。


――A.L.I.C.E.システム【権限の獲得】――谷口にも?


「……あの男っ」


 再び心の波長の揺らぎを自覚する。

 漆木勇、殺しても殺し足りない男だ。不愉快、本当に不愉快だ。 


『イーグル社が強硬策に出るのでしたら、その綻びを遠慮なく突かせて頂きましょう』

『かなり離れた所から狙撃されているようだけど、なんとかなるのかい?』

 

 絵本零は絶えず降り注ぐ流星を見上げながら、じりじりと靴底をこする様にして屈日みなみと漆木明の近くへ向かっている。


『竜ですからね』


 谷口の一言に続いて、HMDをも震わせる程の咆哮が鼓膜を刺激する。

 幻想的な発光を伴う蒼い鱗をした巨大な竜が、流れ星から天使ランドを庇うように降り立つのが見えた。

 全身で第三福音の流れ星を受け止め、再び咆哮する。先程とは変わり、叫ぶ姿に悲痛さを匂わせながらも、竜は視界を覆いつくすほどの蒼い炎を吐き散らす。

 

『この平穏は誰にも壊されたくありませんでした……私はただ、子供達と一緒に静かな時を過ごしていたかった……』


 耳元に這い寄るような谷口の声が聞こえた。

 炎の波から逃れようと第三福音が箒に跨って空高く飛び立っている。そして、周囲から幾つもの波紋を浮かべたかと思うと、宙から次々と虹色の光線を撃ち出した。

 一方で竜は光線を意にも介さず、肉体のあちこちを貫かれながらも巨大な両翼を広げる。

 撃ち抜かれた箇所から虹色の腐食を見せながらも力強く飛び立ち、勢いそのままに第三福音へ向かい雄叫びを上げながら、そこまで造形に拘る必要があったのか? とグラフィック担当者に問い質したくなるような、大きさの不揃いなおぞましい牙を口から覗かせた。

 蒼い竜それ自体がとてつもなく大きな流星となる軌跡を描いて、堕ちるのではなく昇る星となって、そのまま……。


「食べましたね」


 霜月清十郎が呆然と呟いている。

 私もまた奇妙な感覚から思考が霞んでいた。

 名状しがたい既視感、その答えは「終焉の画家」の作品にあった。

 私は今の光景に似た絵を見たことがある。彼が終末の一幕を題材とし描いた竜は、一般的な竜の姿とかけ離れていたのが記憶に残っている。

 竜という存在は外殻に捉われず、その膨大なエネルギー……即ち魂を指す概念であり、肉体に魂が宿る人間とは対を成す存在、圧倒的な魂に内包されたものが竜となるのだと。


 第三福音を飲み込んだ竜の肉体が遥か上空で姿を溶かしていく。

 魔女の(ウイルス)に侵された竜は骨も残さず、虹色に光り輝く雨となり天使ランドを覆い尽くす。


 第七福音はただじっと空を見上げたまま雨に打たれていた。彼女には第二福音と第三福音の仲裁を担えるほどの幻想めいた戦闘力は秘められていないのだから当然といえばそれまでだ。


 事ここに至って、ようやく実働部隊の一部が慌ただしく姿を現した。

 続けて谷口や第七福音、そして無残に半壊した遊園地の虚像が薄れていく。電波塔の制圧に成功したのだろう。アクエリアスのβ版、いや……天使ランドは今日限りで閉園とさせてもらう。

 動かなくなった漆木明に縋りついていた屈日みなみが実働部隊の包囲に気付いてか、顔を上げる。

 焦点の定まらない目をしていて、口も半開きで、とても酷い表情をしていた。


『何でも言うことを聞きます。だから、あき君を……皆を助けて、ください』


 屈日みなみが涙ながらに懇願している。悪くない……元々、漆木勇への脅しの一手としか考えていなかったが、あれは良い手駒になりそうだ。


『動くなっ!!』

『わぁ、怖いね』


 なにやら漆木明の体を探っていた絵本零が、実働部隊の一人が張り上げた声を受けて、両腕を掲げ過剰なリアクションを見せている。サッカー選手が審判からファウルを宣告されて咄嗟に取り繕っているような芝居じみた動作。


『回収すべきものは回収できたし、僕も退散させて貰おうかな』

『絵本さん? な、なにを言って……』

『ごめんね、みなみちゃん。まさかここまで切迫した状況になるとは思わなかった……これは僕の失態だ』

『それ、あき君のクロスフォン』


 目を凝らすと、確かに絵本零が漆木明のクロスフォンらしきものを手に握っているのが確認できた。

 絵本零という男、何を企んでいる?


『今回は敗北を認めるよ。こうなってしまっては僕一人が逃げるので精一杯だ』

『逃げられると思うか? 大人しくしていろっ』


 実働部隊の誰かが叫んだ。しかし、絵本零は涼しげな面持ちのまま、屈日みなみを見つめる。


『できるんだよ、僕ならね。みなみちゃん、どうか挫けずに待っていてくれ……僕は決して君達を見捨てる訳じゃない、必ず助けに行くと約束するから。()()はさ、バッドエンドが許せないんだ』

『……絵本さっ』


 そこから先に起きた事は、福音同士の衝突よりも余程ふざけた顛末を私に見せてくれた。

 彼は包囲の一点を目指して力強く地を蹴ると、立ち塞がる部隊員を次々と暴力で退け、誰も追い付けない速度を維持したまま瞬く間に彼方まで姿を消してしまったのだ。

 純粋なる身体能力の差、何者なのだ……あの男は。

 こんな安っぽいカンフー映画のワンシーンを見せられて、どう納得しろと言うのか。


「土蔵釦に連絡してくる」


 HMDを外すと、霜月清十郎の返事を待たずにアトリエから飛び出す。


 絵本零――あの男、逃がしてなるものか。


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