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ゴスペル・コミュニケイト  作者: えんじゅ
前章――A.L.I.C.E.起動
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霜月浪漫は%7湖Θ←fを助けたかった

 蒼く染まっていた視界が瞬きに合わせて――ゆっくりと景色を取り戻していく。


(……そうか、あたしはまた……)


 小雨による湿った土の匂いを感じ、続けて右手から何かがするりと抜け落ちる感触。視線を下げてみると、足元に転がっていたのは歪な十字架を模した鎌などではなく、色とりどりの水玉模様が可愛らしい半透明のビニール傘だった。

 傘を落としたまま呆けているあたしの傍を誰かが足早に通り過ぎていく。

 振り返ると背後には見覚えのある駅が佇んでおり、近くには幼い頃に父とよく買い物で訪れていた百貨店の姿もある。

 最後は決まってファストフード店でハンバーガーとチキンを買って帰ったものだ。


(ここは……大井町か)


 どうやら駅を出て傘を広げる直前だったのだろう……現状を把握したあたしは、続けてこの変化に至るまでを受け止めようとする。


 今、目の前に広がっているのは、つい先程まで息を呑む攻防を繰り広げていた天使ランドではなく、ましてや仙台ですらない……あたしにとって馴染みのある風景。

 それが決して走馬灯などではないと理解していた。


(霜月浪漫は福音に負けた……だから、東京(ここ)にいる……)


 竜と化した福音の息吹を浴びた最中『アップデートが完了しました』と聞き、そして十字架が輝くのを見逃さなかった。その時点で察していたことだ。

 初めての経験でもなく、嫌というほど繰り返してきたこと。

 だけど、込み上げてくる感情を抑え込むことができず、唇と歯が小さく震えていた。


――未実装の鎌舞士のスキルには、サクリファイスというものが存在する。


 効果の説明には、仲間を身代わりにして死を回避すると書かれていた。

 アセンション社がどういった意図でこのスキルを組み込んだのか、そして、ゴスペル・コミュニケイト・システムの中での使い方として、これが想定通りだったのか、あたしには分からない。

 言ってしまえば、仕様か不具合かという部分は然して重要でもなかった。


(……ごめんな……あたしはまた駄目だったみたいだ……)


 今もまだ天使ランドで奮闘している筈の漆木明達、そして……霜月浪漫の代わりとして意識不明に陥ってしまったであろう少女に対して懺悔する。

 

 ゴスペル・コミュニケイト・システムの被験体となる人間は全員がそれを望んでいた訳ではない。経緯は様々あれど、結果的にシステムからの解放を求める人が多かった。そして、そう願う人達というのは……自力での解放ではなく、誰かに縋ることでの救済を求めた。

 

 一人目は、レベリングしていた時に偶然ばったりと再会したクラスメイトだった。


「私は戦えないから……だから、せめて浪漫ちゃんの力に……お願い、試してみて」


 サクリファイスを唱えると、一瞬で視界が変わり、眼前には見慣れた霜月浪漫の姿があって、それはまるで魂を抜き取られたかのように力なく倒れ込んでしまった。

 友人の肉体へ精神が乗り移ったのだと理解するのに、大して時間は掛からなかった。


 彼女の肉体を失うのにもまた、あまり時間を必要とはしなかった。しかし、その瞬間までにあたしは友人を戻したくて色々試しており、別の相手へサクリファイスを唱えたこともある。だが、その時は何も起こらなかった。

 結論、乗り移っている肉体が魔物に敗北した瞬間、あたしの精神は次の対象者――二度目のサクリファイスを唱えていた相手を霜月浪漫としていた。


 前回よりも伸びている前髪から水滴が零れ落ちていることに気付き、ようやく傘を拾う。

 でも、向かうべき所が分からず、とりあえず駅の中へ避難しようと歩き出す。


(……この人こそは……この人で……)


 徐々に罪の意識が薄れていってる気がして怖くなる。

 積み重ねてきた希望と屍を無駄にしないためだと言い聞かせても、根底にあるのは復讐心だと自覚している所為で、気休めにもならなかった。


 四人目以降、サクリファイスの相手には予め合意を得ている。

 自分では戦えないから、代わりにこの世界を……と、あたしをヒーローか何かと錯覚している様な眼差しを向ける奴までいた。

 残念ながら、あたしが名乗るとしたら死神辺りが関の山だろう。

 人の心の弱みにつけこみ、本来過ごすべきその人の時間をかすめ取っていく身勝手な死神だ。


 慣れた足取りで駅の中にあるお手洗いへ入ると、鏡に映る自分の姿を確かめる。

 次の対象となる人物の情報はある程度記憶していた。

 本来の自分より幾つか年上の女性で、被験体になった経緯は、彼氏に勧められてアクエリアスを始めようとコラボモデルを購入した所にある。


(彼氏に勧められて……か。屈日みなみは大丈夫かな)


 彼女が漆木明に向ける感情が友人以上のものだろうことは察していた。そしてアクエリアスになるべく関わらせたくないと考える漆木明の想いも痛いほど理解できた。


 鏡に映り込む次の霜月浪漫は、控えめながらも化粧をしており、ふわりとシルエットの柔らかいスカートを着こなしている。どちらも本来の自分には馴染みのない類で思わず表情がはにかむ。


 この女性も屈日みなみも、あたしが知らない感情を原動力としていて、そこには日差しにも似た眩しさを覚える。

 そして、その輝き……日常を奪って立つ自分の背後にはきっと影が差していることだろう。果てまで伸び、終わりの見えない影が。


(終わらせなきゃいけない……明達の為にも、あたしに希望を託した人達の為にも……そして、あたし自身の為にも)


 足音が聞こえてくる。もう少し考える時間が欲しかったが、怪しまれるのは避けたい。

 誰かが入ってくる気配に合わせて、ここを離れようと踏み出す。


「少しいいかしら?」


 しかし、出口付近で対面した相手はこちらの行く手を阻むようにして立ち塞がってきた。

 右手に持つクロスフォンを掲げており、まるで画面越しにこちらと会話しようとしているみたいだった。

 

「成程ね、勇の言った通り……情報が書き換わっている」


――咄嗟には何も言葉が出なかった。


(今、この人は何と言った? 漆木勇の事なのか? それよりも……あたしのこれを……)


 心拍数の乱れを鎮めるように深い呼吸を数回挟んで、ようやく声を絞り出す。


「……どういう意味だ?」

「はぐらかす必要はないわよ、霜月浪漫さん。貴女の事は聞かせて貰っているわ。そうね……彼の元同僚とでも言っておこうかしら。岬朝日よ」


 岬朝日と名乗った女性は、僅かな感情の揺れも見逃すまいとする鋭さを秘めた瞳を眼鏡の奥からこちらへ向けていた。


「私と来てほしいの……損はさせないわ」


 クロスフォンのカメラを向けたまま淡々と告げる岬朝日に対して、あたしは警戒心を抱いたまま頷いてみせる。


『懲りないな』


――(あざけ)る死神の姿が見えた気がした。

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