02
うっそうと生い茂った森を縦に割るように続く一本道。ひたすら続く坂道を登った先には、黒い鉄柵の門が新入生たちを迎え入れるように開け放たれていた。
神庭学園の正門だ。
その両脇には紺色の制服を着た上級生たちが立っていて、通り抜けざまに「東条」と由良を呼び止めた。黒髪の短い髪に無骨な顔立ち、いかにも運動部といった体格のいい男子生徒だった。
「おはようございます。武田先輩」
由良は立ち止まって顔色一つ変えずに言う。
それにつられて立ち止まりながら様子を伺っていると、由良を呼び止めた先輩がちらりと視線をよこした。私はとりあえずといった調子で「おはようございます」と口にする。すると、先輩はしばらくの間、じっと私に視線を向けたあとに、由良へと視線を戻した。
「問題を起こしている生徒の目撃情報が届いているが、ここに来るまで何か見なかったか?」
それはおそらく、不良もどきくんと、はちみつ頭くんのことなのだろう。先ほどの出来事が思い起こされて、私は思わず口元をひきつらせていた。問い詰めるような質問に、ピリピリとした空気が漂い始める。
「何も見てません」
由良がしれっと告げたその答えに、私は思わず「え?」と口をついて出そうになる声を飲み込みながら、目を見張るほど驚いていた。由良のことだから、てっきり見たままを言うのかと思っていたのに。勝手に思い浮かべていた、融通の利かないくらいまじめな性格、というイメージが目の前で崩れ去っていく。
先輩はわずかに眉を動かしたが、とくに疑うようなそぶりも見せなかった。
「そうか。ならいいんだ。午後からの高校の入学式、交代頼むな」
「はい。わかりました」
失礼します、と頭を下げて門を通り抜けていく由良の背中を慌てて追いかける。
門の内側に広がる大きなバスロータリーを半分ほど過ぎたところで、おずおずと由良に問いかけた。
「ねえ、由良、良かったの? 何も見てないなんて言って……」
由良は横に並んで歩く私に、ちらりと視線を投げかけて、ため息交じりにこぼした。
「誰かに怪我を負わせたわけでもないのだし、あの程度のことはしょっちゅうで、いちいち報告していたらきりがないのよ。言えば、あの場で見逃した私も巻き込まれることになるもの」
なかなか打算的な意見だった。同時に、心底呆れて諦めているようにも見えた。
由良が私に向けてくれる顔は面倒見のいい内進生の顔だ。だから、由良が諦めたように言う様子を見ていると、あの問題児たちは今まで何をやらかしてきたのだろうと勘繰ってしまう。初等部時代のことは知る由もないので、私の口から彼らについて言えることは、それ以上何もなかった。
別の話題を探すように、通り過ぎてきた門を振り返る。
「そういえば、今の人たち、違う制服着てたね。色違いの、紺色の」
「高校生よ。高校に上がると、制服が変わるの」
「へえー! そっか。同じ敷地内に、高校生がいるんだもんね」
言われて思い出したが、学年ごとにリボンやネクタイの色も違うのだ。一年生の私たちは赤いリボンをつけているが、三年生のくるみ先輩は黒いリボンだった。黒いリボンはちょっとだけ大人っぽく見えて魅力的だったが、残念なことに私たちの学年は赤いリボンと三年間お付き合いしていかなければならない。リボンの色が選べたらいいのに。
「それで、やっぱり、さっきの人たちも、由良と同じ“係”の人だったりする?」
「ええ、そうよ。午前中、中学の入学式の間は高校生が、午後の高校の入学式は中学生が、それぞれ警護に参加することになっているの。大学生や大人もいるのだけれど、敷地が広い分、人数が足りていないのよ」
「そうなんだ……」
仕事で忙しいと言っていた由良の言葉が、ようやっとわかったような気がした。
もし、私が“憑き物係”になったら、少しは由良の助けになったりできるのだろうか。なんてことを考えていると、由良がちらりと私を見る。
「ごめんなさい、ヒナタ。そういうつもりじゃないのよ? 憑かれないと決めたのなら、そうすることが一番安全なのは、確かだわ」
まるで考えていることを見透かされているような言葉に、ぎょっとする。
「なんで、わかったの?」
「カラス、またついてきてるわよ」
「え?」
慌てて周囲に視線を走らせると、上空をはばたく黒い影が見えた。
カァ――とのんきな鳴き声が降ってくる。
「今はまだ、あのカラスからの一方的な興味でしかないから距離を保っているけれど、あなたが意識を向ければ、あちらもそれに呼応してしまうの。憑かれるつもりがないのなら、忘れたままでいることよ。向こうが興味をなくしてしまうまで」
「あのね、もし、その、寧々が言ってた“使役”っていうのをしたいときは、どうすればいいの?」
控えめに尋ねると、由良はほんのわずかに目を見張って、しばし悩むように視線をさまよわせた。口を開いた由良は、とても難しい顔をしていた。
「もし、ヒナタがそれを選ぶのなら、私を呼んでほしいのだけれど……。簡潔に言うと、触れればいいの」
「それだけ?」
「基本的には、それだけね」
少し拍子抜けしてしまった私に、由良は苦笑を浮かべてそう言った。
「無意識のうちに触れられると、一方的な関係に終わってしまうけれど、意識を向けあっていれば比較的良好な関係を築きやすくなるわ。けれど、ヒナタ、これだけは約束して。一人でいるときに、それをしてしまわないで。あのカラスは、カラスに見えているけれど、普通のカラスとは違う理の中で生きているの。常識ではとても推し量れないものなのよ」
どこか心配するようにそれを告げられて、私はちょっと神妙な面持ちで「わかった」とうなづいていた。
*
広いバスロータリーを通り抜け、その周囲に建ち並ぶ売店や食堂代わりの軽食喫茶を眺めながら歩く。ガラス張りの窓の向こうでは、父兄らしき大人の姿がわんさか見えた。近代的な建物の中にぽつりと埋もれるように、神社の鳥居のようなものまで建っている。木々で覆われたその奥に古びたお堂が見えた。
「この学園って何でもありだよね」
「ありすぎて困るくらいだわ。人目につかない場所が多すぎるの」
それは、憑き物係ゆえの言葉なのだろう。
施設の多さも目についたが、敷地内の隙間という隙間には所狭しと木が生えていた。良くも悪くも山奥の辺鄙なところにある学園だった。
中等部の校舎にたどり着くと、入口の前には人だかりができていた。
簡易に設置された掲示板がずらりと並べられ、クラス分けが張り出されている。全寮制であるからか登校時間も重なっているため、人が押し寄せているらしい。何もわからない外進生たちの戸惑いの声と、一喜一憂する内進生たちの声が飛び交い、一種のお祭り騒ぎだった。
そんな人垣を前にして、由良と二人で立ち尽くしていると、「おーい」と気の抜けた声が聞こえてきた。振り返った先、特徴的な肩口で揺れるくせ毛が目に留まる。猫を思わせるような目に、にやりとした笑みを浮かべて、手をひらひらとさせる寧々が入口のわきに立っていた。「こっち、こっち」と手招く寧々に招き寄せられる。
「掲示板見れたー?」
尋ねる寧々に、由良が「いいえ」と肩をすくめた。寧々は「だよねー」と気の抜けるような声で笑いながら、混沌としている人垣を一瞥して言う。
「由良っちも、ひなたんも同じクラスだったよん。一年六組」
「そう、ありがとう」
「感動薄いなー。また同じクラスだっていうのに」
にやにやと笑う寧々に、由良はどこまでも淡白だった。仲がいいのか悪いのか。とげが隠れているように見えて、距離感のない二人の会話に首を傾げてしまう。
「てことは、三人一緒のクラス?」
と、問いかけると、寧々はちらりと私を見て「いんや」と首を横に振る。
「四人一緒だよん」
そう言いながら、寧々が背後に視線を配った先。
入口の扉にやや隠れるように、ちょっと背の低い女の子が立っていた。丸っこいショートヘアに、くりっとしたつぶらな瞳。少しだけ肩に力が入っていて、ちょっと緊張している様子だった。目が合うと、その硬い表情にほんのり明るい色が浮かぶ。
「あ、あの、初めまして、小森春香です。茜寮で寧々さんの同室です」
ぺこりと軽く下げられる頭。そのぎこちない様子はどう見ても外進生で、落ち着き払った内進生の二人しか知らなかった私は、途端に嬉しくなっていた。
茜寮の外進生。そのうえ、同じクラス。新しい学校に初めての寮生活で、緊張しているのも同じ。右も左もわからずにちょっとだけ不安に思っていることが、同じ空気に触れて手に取るようにわかった。それだけで、ぐっと親近感がわいてくる。入寮の初日から奇妙なことばかりが起こっていただけに、急に学校生活と言う現実が身近に迫ってきたようだった。自己紹介をしながら、ついつい、はしゃいでいた。
由良とは昨日の寮のレクレーションで会っているらしい。その話を聞いて、はたと気づく。もしかして、私、中学デビューに失敗しているんじゃないだろうかと。由良と寧々と小森さんとくるみ先輩以外の寮生の名前を知らない。この四人がいなくなった瞬間に、路頭に迷うような気さえしてきた。これはまずい。非常にまずい。
変な考えに逸れる思考を呼び戻したのは、小森さんのおずおずと紡がれる心配そうな声だった。
「あの、昨日は大丈夫でしたか?」
「え、昨日……?」
昨日と言えば、毛虫に憑かれていた事件しか思い浮かばない。
もしかして、彼女も憑き物とかかわりがあるのだろうか。普通の外進生だと思っていたのに。ここに普通の人はいないのか。と、半ばショックを受けていると、寧々が割り込むように言った。
「昨日、寮でひなたんが倒れた時、こもりん隣にいたんだってー。“そのこと”だと思うよん」
わかりやすく強調された口調に「ああ、なるほど」と納得する。彼女は憑き物とは関係のない生徒だということなのだろう。危うく早とちりをするところだった。
感謝を浮かべて寧々を振り返ると、口の端をつり上げてにんまりと笑っていた。助け舟を出してもらったはずなのに素直に喜べないのは、何を考えているのかわからないその笑みのせいなのだろう。それについて言及するのはひとまず置いて。
「ごめんね、びっくりさせちゃって。もうすっかり元気だよ」
小森さんにそう告げると「良かったです」と安心した様子の笑みが浮かぶ。丸っこい顔で、ほっと和むように浮かぶその笑みに、寧々がどうして「こもりん」と呼んでいるのかわかったような気がした。頭の中で微笑むこもりんの丸っこい顔が、コロコロ転がっていく。
頭の中に浮かんだそんなイメージの説明をまるっとすっとばして、「ところで、私もこもりんて呼んでいい?」と、尋ねてみると、「な、なんでですかー! ヒナタさんまでー!」と、こもりんは半泣きになりながら言った。
「寧々さんは何度言っても諦めてくれないので、もうあきらめてますけど、それが定着するのは不服です!」
どうやら、私が浮かべているちっちゃくて丸っこいイメージは、口にしなくても筒抜けになっているらしい。
寧々のつけるあだ名は本人にとっては、ちょっと不服なものになるようだ。必死に抵抗するこもりんを見ていたら、にやりと笑う寧々の気持ちがちょっとだけわかるような気がした。こもりん、かわいい。