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02

 私立、神庭かみにわ学園は、全寮制の学校である。

 それが私の入学する学校で、今日は入寮日だった。

 たどり着いた、女子中学生寮の名前は茜荘あかねそう

 これがまた、学生寮には思えないような建物なのだ。もともとホテルを買い取って改築した洋館らしく、明治時代のレトロなホテルのような外観をしていた。パンフレットの写真を眺めたり、説明会で訪れる分には、うきうきと心を躍らせていられたのだが、いざ一人でやってくると、やや気後れしてしまう。

 広い敷地の入り口には門があり、そこから中をのぞくと送迎車が出入りするためのロータリーが見えた。

 送付された書類の通りに、門の横にある守衛所に立ち寄る。守衛所は関所に窓口を付けたような、小さな建物だ。

 中にはいかつい顔の、いかにも怖そうなおじさんがいた。その見た目に気おされて、尻込みしながら声をかける。すると、おじさんは途端に気さくそうな笑顔を浮かべて「新入生?」と聞いた。

「今年度入学の、桜居陽さくらい ひなたです」

「桜居さんね。ちょっと待って」

 言われるがままに、窓口の前で待っていると、薄い桃色のカードをさし出された。

「はい、じゃ、これ仮の入館証。学生証が配られるまでは、これを使ってね。入出の時に呈示してくれるだけでいいから」

「ありがとうございます」


 守衛所を通り過ぎ、洋館の自動扉に招き入れられると、茜色の絨毯が広がっていた。ロビーだ。

 左手の団らんスペースには、テーブルやソファが並べられている。ソファはほとんど埋まっていて、制服に着替えている子も、私服の子も入り乱れていた。すでに引っ越し作業を終えているのか、楽しそうなおしゃべりが聞こえてくる。

 右手には管理人室と、各部屋の郵便受けが設置されており、名札がはめ込まれている。五階の一室に自分の名前を見つけ、ついでにもう一人の名前が見えた。

東条とうじょう……由良ゆらちゃん、かな?」

 それが相部屋になる子の名前らしい。

 忘れないように、ぼんやりと頭の中でその名前を繰り返して、管理人室の扉をノックする。

 中から出てきたのは、ダークグレーのパンツスーツをびしっと着こなした女の人だった。小顔に似合いのショートヘアで、見上げるほど背が高い。

「はーいよっとっと、一年生?」

「一年の桜居陽です」

「どうも、寮監の山崎です」

 言いながら、山崎さんはしばしじっと目むけて、「その様子だと、内進生?」と首を傾げた。

 私は「いえ、外進です」と答える。

 《内進生》とは、小学生から神庭学園に通い、内部進学で中学に上がってきた生徒をさす言葉だ。中学受験をして、外部から進学してきた生徒のことを《外進生》と呼ぶらしい。

「そっかそっか。てっきりそうだと……。その様子で外進生なら、先輩たちから可愛がられるよ」

「はあ……」

 にっと笑う山崎さん。その様子とはどの様子だろう。わけがわからない。何をどう聞いていいのかもわからなかったので、とりあえず、うなづいておくことにした。

 それから「ちょっと待ってて」と言って、顔を上げた山崎さんは、ロビーで団らんしていた寮生たちに声をかける。

「ほら、手の空いてる上級生、一年生来たよー。荷物持ちと案内しておいでー」

 いや、そこまでしてもらわなくても。

「あの、自分で運べるので、大丈夫です」

 部屋の番号も確認しましたしと、慌ててそう申し出たのにもかかわらず、山崎さんは「いいから、いいから」と言って笑うだけだった。背後では、「あたし行くー!」と名乗り出るような声が上がる。いつの間にか断れるような空気ではなくなっていた。


 事前に郵送した荷物はすでに届いているらしい。その荷物を取りに山崎さんが管理人室に引っ込んでいる間、やってきたのは、肩口でくるくる巻かれた髪を揺らす、ふんわりとした栗毛の先輩だった。

「はじめましてー。三年の立花胡桃たちばな くるみっていーまーす。くるーみせーんぱーいって呼んでくれると嬉しいなー」

 独特の勢いを持つ先輩だった。見た目も物腰もふんわりとしているのに、一度口を開けば前のめりにどんどん押し入ってくるような。その凄まじい勢いに、思わずこちらが及び腰になるような。あくまでそんな空気がそこにあるというだけで、実際にはお互いに背筋を伸ばして立っている。

 けれども、「あ、はい」と思わずうなづいてしまった時点で、とっくに先輩の勢いにのまれていた。

「あの、一年の桜居陽です。よろしくお願いします」

「うんうん。ヒナちゃんねー。こちらこそよろしくねー」

 くるみ先輩は綿菓子みたいにほわほわと笑う人だった。笑顔がかわいい。同じ女の子なのに思わず見惚れてしまうほど。その上、表情が愛くるしくコロコロ変わる。せわしない人だった。


「聞いてたよー。外進生なんだってね」

「はい。小学校は公立でした」

「だいじょーぶ? キンチョーしてない?」

「ほんのちょっと」

 おずおずと申し出たが嘘だった。勢いという濁流に、思い切りのみこまれるほど緊張していた。

 くるみ先輩は、気持ちを分かち合う同志を見つけたような笑みを浮かべて、「だよねだよねー!」とまくしたてる。

「あたしも、そーだったんだよー。中学からの入学組で、初めての寮生活だし、勉強進むの早いし、入ったころはもうすごいキンチョーして、どうしようかと思ってたくらーい。でも、だいじょーぶ。この学校すっごい楽しいから。楽しいのに忙しくて、キンチョーしてたり、不安に思ってる暇、全然なくなっちゃうから」

「緊張しないのも、不安に思わないのもいいことだが、少しは自重しろ。一年生がひいてるよ」

 そう言って、横から入ってきたのは、山崎さんだった。

 その腕には見覚えのある段ボールが二つほど、抱えられている。


「もう、ヤマちゃんてばー。そんなことないよー」

「山崎さん、だ。あと、寮生でいる間くらい、敬語使えるようになりな」

「これはヤマちゃんに対する信頼の証なのにー」

「なめきっているとも言うな」

 そんなことないのにーと言いながら、へこんだ顔を見せるくるみ先輩をおいて、山崎さんは私を見下ろす。

「五二五号室の桜居陽。送った荷物はこれで全部?」

「あ、はい。そうです」

「一つ持ってあげるねー」

 私が段ボールを一つ受け取って、持ち直していたその横で、くるみ先輩が手際よく残りの荷物を持ってくれた。一寸前までへこんでいたはずなのに、もうほわほわとした笑みに戻っている。立ち直りのはやい人だ。

 私は感心しかけて、慌ててくるみ先輩を止めにかかる。先輩に荷物を持たせている場合じゃない。

「あの、先輩に荷物を持たせるわけには……申し訳ないというか、いたたまれないというか。一人で運べる量しか送ってないので、一人で持てますよ」

「いいの、いいのー。それに、段ボール二段積み重ねちゃったら、前見えないよー?」

 衣類しか入っていない軽いダンボールとはいえ、二箱重ねると視界が遮られる。くるみ先輩の言う通りだった。横から顔を出せば見えます! とは思ったが、それはこの場合、屁理屈になるのだろう。意固地な屁理屈を言えるほど、図々しくもなれなくて、私はまたずるずると流される。

「お、お願いします」

「うん、お願いされた!」

 うふふーと笑うくるみ先輩は、気まずい様子を浮かべる私を見て、うーんと首を傾げた。

「あのねー、こーゆーのって、伝統みたいなものだから、あんまり難しく考えちゃダメなんだと思うんだー。コミュニケーションというか、ヒナちゃんと話すためのきっかけが欲しいなーってだけで。そーゆー行事の、そーゆーイベントなんだよ」

「そーゆーイベント、ですか?」

 問いかけると、先輩はこくりとうなづいた。

「うん、そー。あたしの時も、先輩に案内してもらって荷物持ってもらったんだよー。その時に先輩からいろーんなこと教えてもらって、それがすっごい嬉しくて、楽しかったのねー。だから、ヒナちゃんともおしゃべりしたいし、それが楽しいことだって思ってもらえたなら、ヒナちゃんが先輩になった時に、後輩ちゃんとも楽しい時間を共有してあげてほしいなーって」

 こてんと首を傾げたくるみ先輩は、ほわほわとした笑みを浮かべる。何だかこっちまで、ほわほわしてくるような笑顔を浮かべているものだから。

「お願いできるー?」

「お、お願いされました!」

 ついつい、先輩の口調まで移っていた。

 どうやら、くるみ先輩のほわほわ空気には感染力があるらしい。


「よーし、じゃあ、案内するよー」

 と言うくるみ先輩についていこうとしたところで、山崎さんに呼び止められた。

「悪い、桜居、ちょっと頼まれてくれない?」

「はい、なんですか?」

 と、私は振り返る。

 山崎さんは右手に何かの小包を掲げて、困り顔を浮かべていた。

「荷物振り分けたとき、桜居と同室の子に渡すはずの荷物が混ざってたみたいでさ。部屋に行くついでに、桜居から渡してもらえる?」

「わかりました」

 両手に抱えた段ボールの上に、ぽんと小さな包みを乗せられて、思わずよろける。何とかバランスを取り直す私を見て、山崎さんは「悪い悪い」と、少しも悪びれた様子もなく笑っていた。



 くるみ先輩はほとんどノンストップで喋り続けた。

 寮生活についてのことだけを、止まらずにしゃべり続けられるのは、一種の才能だと思う。

 入寮式は堅苦しい感じだけど、そのあとに出る食堂のおばちゃんが作るご飯はおいしいから、食べなきゃ損だよとか。そのあとにある歓迎会でゲームをやる話だとか。

 あたりさわりのない話から、テレビチャンネル争奪戦なんて言うコアな話にまで広がった。部屋にテレビがついていない代わりに、いくつかテレビが設置されているスペースがあるそうなのだ。

 たとえば、一階の管理人室にあるテレビではニュースばかりが流れているし、同じ一階ロビーのテレビにはドラマを見たい寮生が集まるらしい。トレーニングルームの隣にある休憩室では、必然的にスポーツ番組ばかりが流れることになるらしい。

「バラエティとかお笑い番組が見たかったら、守衛所の奥にある守衛さんたちの休憩室がいいよー。でもー、土日の午後は、競馬番組ばーっかり、つけてるんだよねー」とのことである。

 コアすぎて、もはや何から突っ込めばいいのかわからない。この寮がユニークなのか。はたまた、そういう情報を仕入れてくる、くるみ先輩がユニーク過ぎるのか。おそらく、どちらもなのだろう。


 そんな話をしている間に、エレベーターで五階まで運ばれる。

 五二五号室は五階の最奥の部屋だった。

 わかりやすいことに、その扉は開け放たれていた。

「荷物を運び入れるから、開けておいてくれたんだねー」

 くるみ先輩が言う。その言葉にそうかとうなづく。

 どうやら、ルームメイトは気遣い上手な子のようだ。きっと、いい子に違いない。そう思うのと同時に、私が相手に迷惑をかけてしまうのではないかという不安が襲い掛かり始めていた。

「お、お邪魔します」

「入るよー」

 恐る恐る入室する私を見て、くるみ先輩は笑っていた。

「そんなにキンチョーしなくてもだいじょーぶだよー。相部屋の子だって一年生のはずだよー」

 簡単に言ってくれる。

 そりゃ、くるみ先輩は中学デビューに躓かなかったからいいかもしれないが、私の中学デビューはこれからなのである。相部屋になる寮生とは、三年間もの間、同じ屋根の下で過ごすのだ。第一印象を損ねるような真似はしたくない。

 考えれば考えるほど気が重たくなって、きょろきょろと視線が泳いでいた。トイレとシャワールームに挟まれた短い通路を通り抜け、広がるワンルームを覗き込む。部屋の奥にある大きな窓。その前に段ボールを積み上げて、腰かける女の子がいた。

 外から差し込む日差しのまぶしさに目を細める。目が慣れてきたころにようやっと見えたのは、長い黒髪の――桜並木の下で出会った女の子だった。

「あっ」

 ゆるりと振り返った黒髪の女の子もまた、目を瞠る。

「あなた、さっきの……」

「んー、どーしたのー?」

 思わず立ち止まっていた私の背後から、ひょっこりとくるみ先輩が顔を出す。

「あー、ユラちゃんだー。ヒナちゃんの同室は、ユラちゃんだったんだねー」

 にこにこの笑みを浮かべたくるみ先輩は、その後に続く沈黙に「ん?」と首を傾げた。

「どーしたのー?」

 その問いかけは、挨拶しないの? という、催促に聞こえた。

 私はやや強引に背中を後押しされた形で自己紹介を口にする。

「あの、さっきはどうも。桜居陽です」

「こちらこそ。東条由良よ」

 黒髪の女の子の口から、先ほど郵便受けで見かけた名前が紡がれる。どうやら、何かの間違いというわけでもないらしい。


 「顔見知り?」と首をかしげるくるみ先輩に、ここに来る前、桜並木で出会ったことを話す。すると、くるみ先輩はのんきな顔を浮かべて言った。

「それは、もう、運命の出会いって感じだねー」

 運命の出会いなんて陳腐な言葉だと思っていた。

 くるみ先輩が使うと、不思議とあり得そうな話に聞こえてくる。


「ヒナちゃんの寮生活デビューが順調にいきそうで、あたしも安心したよー。同室がユラちゃんならー、あとのことは、ユラちゃんに任せて良ーい?」

 荷物を降ろしながら言うくるみ先輩に、黒髪の女の子は整った笑みを向けてうなづく。

「ええ、大丈夫です。立花先輩」

「じゃあ、お願いした!」

「お願いされ……いえ、わかりました」

 さりげなく言い直す彼女を見て、はっとする。

 どうやら、彼女も《くるみ先輩語》の感染者であるらしい。

 なんだかちょっと、親近感がわいた瞬間だった。

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