暇乞い
題名ですが、これは「いとまごい」と読みます。
「ああ! やっぱりいたね。いるんじゃないかと思ったんだ」
突然声がかかった。女の声だ。顔を向けると、ちょうど女性が一人通りのほうから駆け寄って来るところだった。まるで周りの誰かと同じように駅前での待ち合わせにやって来たようであるが、
「誰だ、あんた」
彼は彼女を知らない。
「ウチは工藤。工藤マユミ」
「いや、そうでなく」
ベンチから立ち上がることもせず、工藤と名乗った女性を見上げ、彼はどこか呆けた頭で考える。
「あー、どっかで会ったことありましたっけ?」
「いいや? 初対面」
ハジメマシテーと工藤は手を振ってみせる。彼は顔をしかめた。
「俺に何の用です?」
「用っていうか、まあお話しようかな? ってさ。だってあんた、もうすることもできることもないでしょ」
「失礼な、俺は」
はたと口を閉じた。
何かをするはずだった、気がする。だが何を?
とまどった様子の顔を見て、工藤は不思議な表情を見せた。笑顔のようだが、そうではない何とも言えないような表情。
「んーまあわからないよね。さっきの話だし」
この人、綺麗系だな、とかそんなことを思っていた彼に、工藤はさっくりと爆弾を落とした。
「あんたもう死んでんだよ」
「…………は」
「いや、ホラ」
幽霊って鏡に映らないんだよ。きっと光が反射しないからなんだろうね、などと言いながら、少し離れた所の駅の窓を示した。光の加減でうっすら鏡になっている。
そこには、窓を指さす工藤の姿はあったが、ベンチに座る彼の姿はなかった。
実にシュールだった。
「あれ、あんまり驚かないんだね」
面白いものを見る表情で工藤が彼の顔を覗き込む。
「もっと派手に騒ぐ人もたくさんいるのに」
「…………あー、あれだ、衝撃が大きすぎてな。あんたこそ…………工藤っていったか? 工藤さんこそ何なんだ」
何者だ。
「ウチはね、…………んーと、そう、見える人。ユーレイとか見える人」
とってつけたようにそんなことを言う。彼がよっぽどうさんくさそうな顔をしていたのか、工藤は肩をすくめつつ言い訳がましくもう少し続けた。
「何で見えんのかとかは全然わかんないよ。でも見えんだ。見えるもんは見えんの。今あんたが見えてるみたいにね」
「見えても話しかけないだろ、フツー」
「あー、それはさ、あはは」
工藤は照れたように笑った。
「ウチ友達いなくてさー。他に話し相手いなくてさー」
「照れながら言うことじゃねーよ」
幽霊しか話し相手がいないとか。
「まああんたが成仏するまでの間だからさー。あ、もしかしてこの世に未練とかある? なんなら手伝ってあげるけど」
「いや、ない」
即答した。工藤はふーんと小首を傾げ、
「まあいいんだけどさ。何かあったら成仏できないだけなんだろうし」
「っていうか成仏って。うちキリスト教」
「えーじゃあ昇天? 何でもいいんだけどさ。皆しばらくしたら消えちゃうの。ウチが見えなくなるだけかもだけど」
「そんなにユーレイに会うのか? あんた友達多そうだけど」
話した感じ、人好きな感じだが。だが工藤はいやいやと手を振り、
「ウチ人見知りでさ。ユーレイってすぐいなくなっちゃうから何か話しやすいっていうか」
「よくわからん」
つまり、すぐに消える幽霊相手なら何を話そうが後腐れがないから、とかそういうことか? 結構乱暴だが。
そういえば、と彼はいまさら思い出した。
「俺死んだんだよな。どうやって死んだのか知ってる? 知ってそうな感じだったけど」
「ん? ああ、交通事故。さっきそこでトラックに撥ねられた…………らしい」
「らしい?」
「音聞いただけで現場見てないんだよねー」
「楽しそうに言うな」
あっはは、とまた工藤は照れたように笑った。
「やーそれで怒られることもあんだよねー。不謹慎だ! ってさ」
「そうだろうな」
あっはっはーと陽気に笑う。本当に人見知りなのか?
「でも話し相手出現、って考えたら嬉しくなっちゃってさ。必ずユーレイになるってわけじゃないんだけどね。人によっては声かける頃には消えちゃったり、未練があるって言って結構長くいる人もいるし。何かあったらウチが手伝ったげるよー」
「いや…………あー」
彼は少し迷うような素振りを見せたが、そこでちょっと周りを見回した。ふと思ったのだ。
「俺のことは他の人には見えなくても、あんたはフツーに見えるんだろ? ってことは、あんた今何もないベンチと会話してるちょっとヤバそうな人なんじゃないか?」
周りを歩いて行く人々の奇妙な視線に気づいたのだ。
「ん? あーまあ、ね。こんなことしてるからますます生きてる人に友達いないかもだけど。でも、いいんだ。いいんだよ」
工藤は手をブンブン振った。
「それよりさ、やっぱり何かあるんじゃない? 手伝うよ」
「いや…………別に一人でもできる」
「じゃあ背中を押して上げよう。っても触れないんだけどね。で、何?」
瞳を輝かせて、まるで恋愛相談をしてるみたいだ。
「いや…………あー、最後に一目見ておきたい人がいる、というか」
会っておく、と言っても彼は既に死んでいて、相手には見えないのだろう。
「誰々、女の人?」
「ああ、まあ」
「居場所はわかってんの?」
「ああ、多分」
「じゃあ、行こうか」
工藤は即断で身体の向きを変えた。
「ほら、行こう」
「え、あ、いや」
「何やってんの。ウチはあんたに触れないから手を引いたりとかはできないよ」
振り返ってニコと笑った。
「あ…………ああ」
彼も立ち上がった。
「で、どっち?」
「えっと、あっち」
指さす。工藤は頷いた。
「あんたが事故ったほうだね。多分まだ事故現場だけど、いいの?」
「ああ」
それくらいは何でもない。歩き出しながら、工藤は横に並んで言った。
「もしかして、あんた事故る前はその人に会おうとしてたのかな?」
「知らん。覚えていない。でも覚えてないが多分違う。それとあんた、デリカシーなさすぎ」
「あっはは、そうだね。友達できないわけだ」
通りに出ると、確かに警察やら何やらが結構いた。被害者つまり彼の遺体は、既に運び去られた後か。見た感じ結構派手な事故だったようだ。
「…………我ながら、まるで他人事だな」
現場を迂回して歩きつつ呟くと、工藤は困ったように微笑した。
「そんなもんだよ、きっと」
ウチはまだ死んだことないからわからんけどねーと笑う。
「それとさ、あんた」
「うん?」
顔を向けてきた工藤に、彼はあらぬ方向へ視線を泳がしつつ言う。
「携帯電話とか持ってないのか? それ耳に当てといて、電話してるフリするとか。そうすりゃぱっと見独り言でもなくなるんじゃないか?」
「あー成程」
とても感心した様子でふむふむと頷く工藤だったが、鞄からスマートフォンを取り出したところで止まった。
「いや、やっぱしないかな」
「何で」
「だってさ」
工藤は彼を見上げて微笑んだ。
「ウチが話してるのはあんたなんだ。なのに電話に向かって話すようにするのは…………何か失礼な感じがするから。でも、ありがと」
「…………あっそ」
まあいいけどさ、と言い、彼はふと立ち止まった。
「ん、見つけた?」
誰? 誰? と探す。彼は特に示すこともなく、ああ、と吐息をもらした。
「ん、あの人? …………あの、見送りを受けてるっぽい美人?」
彼の視線をたどって、工藤がさらっと問うてきた。彼は黙って頷く。
「ふーん、新生活で引っ越すわけか。その見送りに来てたのかな」
さあな、という台詞が言葉になったかどうか、彼にはわからなかった。
工藤がおや、と彼を見た。
「あら、もう行くの?」
そうだな、と彼は頷いた。
「ありがとな」
「いやいやこちらこそ。話し相手になってくれてありがと。あと電話のアドバイスも。それじゃ、じゃーねー」
陽気に笑って手を振るが、工藤は、…………まあ、いい。
死後の世界、なんていうのがあるかどうかはわからない。まあこれからわかるのだろうが、もしも、そんな世界があるのだとして。
その死後の世界から、生きている世界への願いというものは、届くだろうか。
届くかどうかはわからない。願いというものがあるかどうかもわからない。でも、でも、まあ。願っておいてもいいんじゃないだろうか。
…………うん。
願わくば、あの人の未来が幸せに満ちあふれていますように。
それから。
この、工藤とかいうよくわからない女に、生きてる友達が一人くらいはできますように。
なーんて。




