川岸
川に落ちた、そう自覚するのには少し時間がかかった。足から順にだんだんと冷たさが伝わって来る。体も重みを含んでいく。不意に死神の顔を思い出した。−今はそんなこと考えてる場合じゃない−綾希は必死に何か掴まる物を探した、が。
「あれ……?」
あれほど焦ったにも関わらず、水位は余裕で足が着くくらいのものだった。少し前の自分の行動を思い出し、綾希は少し恥ずかしい気持ちになった。しかし足が着くと言っても、水位は決して低くない。綾希の身長は平均的なものだがそれでも胸部の少し下辺りまでは水に浸かってしまっている。まだ小さい桜が落ちてしまっていたらきっと最悪の事態に陥っていただろう。そこで綾希は最初の目的を思い出した。
「桜ちゃん!?」
衣服が水を吸ったせいですっかり重くなった体をなんとか動かし川岸の方に歩いていく。濡れた髪が顔に張り付いて気持ちが悪い。なんとか川岸に着き、岸に上がろうとしたとき少し前に聞いた声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん?」
暗闇の中で桜が綾希を不思議そうに見つめている。綾希はというと、せっかく上がろうとしたのにバランスを崩し再び川へと音を立てて落ちた。
「お姉ちゃん?」
ずっと見ていた桜もこれには驚いたようで、水面ぎりぎりまで近寄って様子を伺おうとした。
「こっちに来たらだめ!」
近寄って来て落ちでもされたらたまらないと綾希は桜にこれ以上来ないよう注意した。それを聞いた桜は泣くでもなく動揺するでもなくあっさりともとの場所に戻り体育座りを始めた。綾希はそれを見届けた後、ゆっくりと岸に上がった。プールから上がった後の様な寒さが襲って来る。プールならばこの後、タオルで水分を拭き取り着替えることが出来たのだが、実際は真夜中の川。しかも過去だ。もう少し落ち着いて探せばよかったと後悔しながら服を軽く絞る。一度、梓を探して着替えを借りようかなんて考えていると後ろから声がした。
「お姉ちゃん、どうしてこんなところにいるの?」
綾希は絶句しそうになった。同時に目の前にいるこの小さな子供をひっぱたいてやりたくなった。あんたが急にいなくなるからだろうが!と怒鳴ってやろうかとも思ったが綾希はなんとか堪えた。相手は子供だ。それに泣かれでもしたらさらに面倒臭いことになる。綾希は慎重に言葉を選んで話し出す。
「桜ちゃんが急にいなくなったから、みんな探してるんだよ。こんな時間に勝手に外に出たらだめでしょう?」
綾希はできる限り優しく言った。しかしそれを聞いた桜は俯いてしまった。言い方が自分が思っている以上にきつかったのだろうかと綾希は焦る。
「……ごめんなさい。」
少しして桜は顔を上げて素直に謝ってきた。とりあえず、これで一件落着だとそれを見た綾希は安心した。
「じゃあ、おばさんも心配してるみたいだし帰ろっか。」
綾希は歩きだしたが、桜に手を掴まれた。手を繋ぎたいのだろうかと思ったが、違うようで桜は綾希の手を掴んだまま一歩も動かない。
「……桜ちゃん?帰ろう?」
綾希はさっさと帰って服を替えたかったのだが、桜はふるふると首を横に振った。
「……帰りたくない、とか?」
恐る恐る聞いてみると桜はこくりと頷いた。綾希はどこか思い詰めたような表情をしている桜を見て頭を抱えた。