待ち人の月夜
父を待つ桜に綾希は何も言えないまま時が過ぎていった。この子は父がもう帰ってこないと知ったらどんな反応をするだろうか。涙が涸れるくらいに泣くのだろうか、それとも淡々と受け止めるのだろうか。どちらにせよその時は近い。まあそれを知らせるのは自分の役目ではないが、と綾希は一度伸びをした。
「お姉ちゃん。」
体育座りをしている桜が急に話し掛けてきた。そして空を指差した。
「見て。お月様、綺麗だよ。」
綾希が目を向けるとくっきりとした満月が浮かんでいた。桜もまっすぐに月を見つめていた。綾希はそのとき何か違和感を感じたが、考えないことにした。
「桜ちゃん。」
人の声がした。綾希は驚いて振り返ると初老の女が立っていた。こちらも喪服を着ている。
「沢野のおばちゃん。」
桜が嬉しそうな顔をした。
「心配したのよ。勝手に外を出て…」
「ゴメンなさい。パパを、待ってたの。」
その言葉で沢野は激しく顔を歪め、シワがさらに深くなった。
「とりあえず、中に戻りましょう。」
沢野が桜の手を引き桜はそれに素直に従う。
「あの、あなたは…?」
沢野が綾希の方を見た。こんなところにいる綾希を不審に思ったのだろうか。
「日野さんのお通夜に来ていたんですが、途中で気分が悪くなってしまって。」
あながち嘘でもないだろう。
「まあ、そう…。」
沢野はあまり納得していないようだった。もしかしたら綾希が桜を連れ出したと思っているのかもしれない。だが表面上は心配している口ぶりだった。
「桜ちゃんがごめんなさいね。気分の方大丈夫なら一緒に戻ってお焼香だけでもあげていく?」
それはできれば避けたい。だがここで断るのは不自然だ。
「えっと…」
うまい言い訳が何一つ出て来ない。綾希にとってかなり苦しい時間が流れた。
「あや!」
そんな時、梓がやって来た。
「梓?」
「終わって外出たらいなくなっててビックリしたんだよー。なんでこんなとこいたの?」
最高のタイミングだ。今の梓は綾希には救世主に見えた。
「お友達?」
沢野が梓と綾希をまじまじと見る。
「はい。すみませんがもう帰らないと。」
綾希が軽く頭を下げる。
「そう。気をつけてね。
じゃあ桜ちゃん、行きましょう。」
沢野が桜の手を引いて門の中へ歩きだす。桜がうまくよけられた、と安堵している綾希のほうに振り返った。
「お姉ちゃんまたね。」
そしてニコリと笑い手を振ってきた。鈴の音のような声だった。