日野家
「お母さん。日野さんのお父さんが亡くなったって。」
醤油を手渡して梓が言った。
「日野さんが…?」
祥子も梓と同じように顔をしかめた。
「お通夜が夜にあるってさ。」
「突然ねぇ…」
祥子が何か考えるようにしながら夕飯の支度を続ける。
「花屋ってまだ開いてるかしら?」
「多分もう閉まってると思うけど。」
困ったわね、と言って祥子がエプロンで手を拭く。どうやら支度は終わったようだ。
「今からお通夜行ってきましょうか。お花は後日にしましょう。」
祥子がエプロンを外す。着替えてくるわ、と祥子はキッチンを離れた。
「あやも行くよね?」
梓が綾希の方に向き直った。
「え…」
妙なことになった。
「今日は家に帰らないんでしょ?」
そういえば家出という話になっていた。とりあえず着いていくしかなさそうだ。断ったところで強引に引っ張っていかれるのがオチだろう。
「うん。そのつもり。」
「ウチに泊まっていきなよ。お通夜から帰ったら一緒に夕飯食べよう。」
非常に有り難い言葉ではあったのだが、焦りは増す一方だ。
「行きましょう。」
礼服に着替え終わった祥子が来た。
日野の家には既にたくさんの人が集まっていた。
「三浦さん。」
誰かが祥子に話し掛けてきた。
「隣の家の小橋さん。」
梓がそっと耳打ちしてきた。小橋は帰るところだったようだ。
「今からですか?」
「ええ。さっき聞いたものですから。」
「それで…娘さんはどうでした?」
「それが、本人はあまりよくわかっていないみたいで…。ボーっとしてましたよ。」
「そうですか…。」
小橋はでは、と軽く会釈をして帰って行った。
「さ、私達も行こう。」
梓が言う。
「あの、私ここで待ってようかな。」
「え、どうして?」
突然の申し出に梓は驚きを見せた。
「いきなり余所から来た人がいたらみんなビックリするかもしれないし、ホラ私礼服じゃないから…」
もちろんそれも理由のうちだった。だが一番の理由は自分が死ぬかもしれない状況で人の死と直面するのは嫌だったからだ。今も葬式だとかお通夜といった言葉を聞くと気分が悪くなる。人だかりもあって頭痛が少しだがしていた。とにかく中に入るのは避けたい。ちなみに梓は制服のままだったので特に浮いてはいなかった。
「うーん…。わかった、じゃあここらへんで待ってて。」
そう言って梓は祥子と家の中に入って行った。綾希はそれを見届けると人だかりから少し離れようと家の裏の方に移動した。梓によると三十分ほどかかるらしいのでそれくらいに戻れば問題無いだろう。綾希は裏門まで来るとその辺りに腰を下ろした。そのとき
−トントン−
誰かが綾希の肩を叩いた。