失敗と成功
「ご武運を。」
そう言って死に神は時計の針を動かそうとした。
「ちょっと待った!」
あまりにいきなりなので思わず止めてしまった。
「何か?」
表情に全く変化が見られない。きっとこちらの気持ちなど知ろうとも思わないのだろう。
「大雑把すぎない?過去を変えるって…」
「そのままの意味です。何でもいいんです。自分自身でできることをやれば。」
死に神はマニュアルを読み上げるかのように淡々と言った。
「失敗したらどうなるのか…とか。」
綾希はさらに質問を続ける。
「失敗?」
表情はそのままに首をかしげる。
「どういうことでしょうか?」
ほかにどんな意味があるのかと思ったが、死に神は見たことのない物を指差して「これは何ですか?」と聞くのと同じ様な聞き方をしてきた。
「…うまく過去を変えられないとか。」
少しの沈黙が流れた。死に神は呆れたのだろうか。
「綾希さん。」
死に神が口を開く。さっきより心なしか表情が優しくなったような気がした。
「過去を変えることで未来がどのように変わるのかはわかりません。」
少し間をおいて続ける。
「失敗も成功も時間が経って初めてわかるものです。仮に失敗があってもめぐりめぐって別の成功を引き起こすことだってあるんです。」
逆もしかりですが、と付け加えていた。
「じゃあ私の死も…」
「何によって変わるかはわかりません。運試しですから。それに確率は高くはないですし。日頃の行いが関わってくるかもしれませんね。」
死に神はこちらのことなどお構いなしだ。もう少し気の利いたことは言えないのだろうか。
「それでも、」
死に神の長い睫毛が揺れた。
「綾希さんはその可能性にかけようと思ったんでしょう。」
死に神の発する言葉が一つ一つ胸の底にたまっていくようだった。
「時間は過ぎていきますよ。助かりたいのならすることは一つ。それはここで意味の無い問答を繰り返すことではありません。」
綾希は確かにその通りだと思った。どうせ死ぬ運命なのだ。今さら躊躇したところで時間の無駄だ。何かを変えたいなら自分自身が動かなくてはいけないのだ。
「わかった。行ってくるよ。」
その言葉には強い決意が込められていた。
「では、これから時計の針を動かします。知り合いの過去に遭遇してしまうといった場合を考えて名前は伏せるか偽名を使用して下さい。それからまず無いとは思いますが…世界のバランスや歴史を大きく変えるようなことは謹んで下さい。」
時間が無いと言う割に長い説明だった。
「ああ、それから」
死に神はもう一個時計を綾希に差し出した。見るとこれは普通の時計だった。
「タイムリミットは明日の四時三十九分です。」
もっと早く言ってくれ。