第三話:泣かないよ、地尋は、大丈夫
地震から一か月が過ぎた四月、俺は研究所に戻っていた。
小学校の敷地内にあるブレハブの研究所は、少しすっきりしている。
四月のこの日、俺は難しい顔でデスクで取りかかっていた。
俺は、日を追うごとにあの地震に対する恐怖があった。
自分の研究している『地震』が、俺の生まれ故郷を変えた忌々しき事実。
見えた瓦礫の山、廃墟、ありえない場所にある船、寝ても光景が夢に出てくる。
避難所で泣きじゃくる子供、毎日テレビやパソコンで見える被災地の現状。
それほど悲惨で無残な光景は、俺にとって忘れられなかった。
そしてあの大地震は、俺の周りにも大きな変化を起こしていた。
研究所にいた、五人のアメリカ人の内、三人がすぐにアメリカに帰国した。
顔を青くして、「日本沈没、コワイデ~ス」などと捨て台詞を吐いて。
結局のところ、残ったのが俺とアースグエイグ所長、それからナンシーだけ。
三月十一日に出張した、『ナマズちゃん』プロジェクトは、ほぼ凍結。
人数の減った狭い研究所を、広く感じながらパソコンを見ている。
奥のアースグエイグ所長は俺のそばで、パソコンを覗き込んでいた。
「そうですか、東北大地震の地層のデータは、取れませんか」
パソコン画面の地層データを見て、落胆の表情を見せたのが、茶色いコートと帽子のアースグエイグ所長。
「原発事故と連動していますし、双海町震源の地層データは取れませんね」
ナンシーが、現状を報告していた。そんなナンシーも、あまり元気はない。
長い白衣を着ていて、疲れた顔を一様に見せていた。
最近、彼女も睡眠時間が三時間ぐらいだって言っていた。
俺も、睡眠時間が大幅に削られていた。
理由はもちろん、断層の調査。被災地に行ったり、活断層の報告をまとめたり、おまけに人数も減ったから仕事の数もそれに反比例して増えていく。
コートを着ているアースグエイグもが、自分の席に戻りながら俺は背中越しに彼に声をかけた。
「最近は東北でも、余震が多い。地層調査が、間に合っていない」
「定点カメラ、地層カメラを固定で配置して確認をとる以外に、ほかはないですね。
難しいところですが、震源の調査は続行しましょう。
このままだと、余震から誘発地震が発生しないとも限りませんから。
とりあえず、ナンシーは断層の調査をお願いしマ~ス」
アースグエイグは、自分の席に振り返って近くにいるナンシーに声をかけた。
ナンシーは、立ち上がって「イエス」と一声かけてプレハブから出て行った。
でも、その顔はあまり元気はない。
そんな時、デスクで座っていたアースグエイグが、俺を指さしてきた。
「あー、マイヒーロー、あなたに頼みがありマ~ス」
「な、なんですか?」
「あなたは、この学校に転校生を入れましたね~」
アースグエイグの言葉に、心当たりがあった。
それは、一週間前の四月十日の事。
兄貴から預かった一人娘の転校先を探していた俺、だけど、なかなか受け入れ先がない。
『双海町から来た』、というだけでなぜか周りの人間は険しい顔を見せていた。
そこで、面倒を見てくれたのが、アースグエイグだった。
実はアースグエイグは、このプレハブを置かせてもらっている医大付属私立枕木小学校の理事長と知り合い。
俺の悩みでもある、地尋の転校を頼んでくれた。
アースグエイグのおかげで、地尋は津波で流された学校から、この学校への転校が決まった。
今頃は、安心して学校に通っている頃だろう。
そういった意味だと、アースグエイグには感謝できた。
地尋のためにも、それがいいと思えたから。
「そんな長谷部君は、今から試験を受けてもらいマ~ス」
「はあ、何の試験ですか?」
ぶっきらぼうに言ってきたアースグエイグは、すぐさま自分の机の引き出しから俺の履歴書を取り出した。
一応、この研究所に入ることになったので履歴書を出して面接もしている。
「あなたの履歴書に、こんなことが書いてありました。
『西暦二千二年、小学生教員免許取得』と」
アースグエイグの言葉に、そういえば書いたなと、思い出した。
資格を取ったのは、大学四年の時だ。
俺は、確かに小学校で働くために小学生の教員免許を取っていた。
教授に勧められて、結婚もほぼ決まっていた俺は教師になる勉強をしていた。
でも、教師として宿泊学級でいじめを苦に自殺した監督不届きということで、解雇された。
本来なら、解雇されないらしいがイメージを大事にする学校側、PTAの反応も気にしてのこと。
過敏に反応しPTAに、いわば俺は失脚されたわけだ。
そんな過去の経歴を、俺は訝しげな顔で聞いていた。
「それが、どうしたんだ?」
「あなたは『小学生教員免許』をまだ持っていますか?」
するとアースグエイグは、俺に変な質問をしてきた。
「どういうことだ?」
「『教員免許』は、取得から十年間は有効な事を、あなたはご存知ですか?」
そういうと、俺は茶色のカバンに入っていた『教員免許』の証明書を見てみた。
あ、確かに二〇一二年三月まで有効って書いてあった。
「つまり、今はまだユーは『小学生教員』として資格があるわけですね」
「で、何が言いたい?」
「大人は、大人の責任があります。子供は、大人の十字架を背負うことだけです」
いきなりまともなことを言ってきた、アースグエイグ。俺は耳を疑った。
「何言っているんだ?」
「そして子供は、傷つきやすいものです。
だから、あなたにはしばらく『小学生教員』になってもらいますね」
一瞬わからなかったが、それは地尋のことを言っているのだと理解はできた。
「地尋を?心配しているのか?」
「それも、そうですが、彼女は『ナマズちゃん』じゃないんですか?」
『ナマズちゃん』、こいつまだ諦めていなかったのか。
などと思うと、そういえば俺は双海町に行ったのは、『岡島 紫音』に会うためなんだということに気づいた。
地震やなんやで、結局そっちの方は考えていない。
「言っておくが、俺の兄の娘は、『長谷部 地尋』だ。
『ナマズちゃん』なんていうような、へんてこなものじゃないぞ」
「それは知っていマ~ス。
でも、あの娘さんは、『岡島 紫音』を知っているんじゃないかなって思いませんか?」
なるほど、一理あるな、と最初は納得ができた。
だが、それは地尋を利用するようで兄貴にも悪いような気がした。
兄貴とは殴って、土下座までさせて連れてきた子だ。
そんなことを頭の中で考えていると、アースグエイグは、A4の茶封筒を取り出した。
「これは、医療大付属私立枕木小学校の非常勤教員の募集要項デ~ス。
試験を早速、受けてみてくだサ~イ、今のあなたなら、きっと受かりますよ」
にこやかにアースグエイグはウインクなんかをして、帽子を深くかぶった。
年甲斐にウインクするなよ、と思いながら俺は茶封筒を受け取っていた。
あれから二日後、今日も春の日差しが温かい夕方四時半。
千花市の桜は、もう見ごろを過ぎていた。
離婚して一人暮らしの俺は、安いアパートに移っていた。
アパートから見える春の風景は、陽気だけ。季節を感じる木々は見えない。
研究所での茶封筒を貰った俺は、テーブルの上に広げて中身を見ていた。
今のこのぼろアパートには、俺以外に同居人がいた。
そいつが、もうすぐ帰ってくるはずだ。
「ただいま~」
そういって玄関の方から聞こえてきたのが、女の子の声。
かわいらしい女の子の声を聞くと、俺は玄関のドアを開けた。
ドアを開けると、長い髪の女の子が立っていた。
顔が、泣いたのか涙の跡がちょっと見えたけど、俺に見せた顔はいつも笑顔。
「お帰り、今日は遅かったな」
彼女は、長谷部 地尋。兄貴から預かった、大事な一人娘。
津波の後、小学校五年生になっていた。
学校の終わる時間より少し遅い夕方に、帰ってきた。
転校にはずいぶんとかかったが、千花市の方に話をつけて戻ってきた。
「うん、今日はいっぱい泣いた……、じゃなくてクラブが忙しかったの」
地尋は、どんな時でも笑顔を絶やさない。
俺は、それが妙に気になっていた。転校生、しかも双海町からやってきた。
双海町出身者ということが、この千花市では今、ある問題になっていた。
研究所からもらった、新聞。
スクラップされた記事を見ながら、俺は考えていた。
その記事は、「原発放射能における社会的風評被害」と書かれていた。
双海町には、原発があった。しかし、地震による津波で流されていた。
水が入った原発は、水蒸気爆発を起こして、原子炉が破壊された。
原子炉の破壊によって、起きたのが放射能漏れ事故。
地震から一か月たった現在も、双海町は入ることができない。
それどころか、双海町の出身者を風評被害で差別することが、社会問題になっていた。
「ひでえ、話だ」と心の中で声が響く。
そんなことをおそらく肌で感じる地尋は、俺の汚い部屋を掃除していた。
「片づけるね、終わったらご飯も作るから」
地尋は、いつも健気だ。笑顔を俺に見せていた。
ワンピースの下にエプロンをつけた地尋は、散らかった俺の部屋を掃除してくれるし、ご飯も作ってくれる。
本当は、もっと周りの友達と遊んで、親と一緒に過ごすことが、こいつにとっては当たり前のはずなのに。
そんな地尋の姿を見ると、俺はただ切なかった。
「あの、亮叔父さん、どいて、そこを掃除するから」
地尋の言葉に、俺は茶封筒の書類を持って少しそばにずれた。
どいたときに、持っていた一枚のプリントが落ちていた。
「あっ、落ちた」
小さい手で拾い上げた地尋は、俺に渡してくれた。
常に笑顔で俺に接する姿は、作られた子役みたいで、かえって気味悪い。俺は、そのプリントを拾い上げた。
拾い上げたプリントには、少しでも地尋のための支えを考えて俺は動いていた。
その結果が、書かれていた。それは、
「地尋、明日から俺も学校に行く」
そのあと、俺は地尋に向けてプリントを持った右手を見せてあげた。
そこに書いてあったことは、「『医大付属私立枕木小学校』の非常勤、教師採用案内」。
そう、書かれていた。
「非常勤の、教師採用?」
「ああ、もう、お前は大変だ。だからこそ、俺が少しでもそばにいてやる。
元々、お前の通っている学校も、研究所と同じ敷地内だからな」
胸を張って、俺は地尋に答えてやった。
地尋は、まだ理解できていない。ぽかーんとしか顔で、俺の話を聞いていた。
一応、俺が『地震研究所』で働いていることは、話してあるし、知っていた。
「だから、頑固になるな。俺が、学校に行ったらお前を泣かせたりはしない」
「平気、なんだけど……」
「嘘つけ、いつも泣いていたんだろ。俺もそうだった、あの時も、今も」
小学校で、かつていじめの子がいても、それを助けることができなかった後悔。
再び教師をやることに、不安はあった。
でも、地尋の悲しむ姿をこれ以上みたくなかった。
「うん、ありがとう」
そういいながら、地尋の顔が涙でぬれていた。
小さい地尋の瞳が濡れると、俺はその場で彼女の頭を撫でてあげた。
「大丈夫だ、ここで泣く分には、誰も怒らない」
「うん、ありがとう、叔父ちゃん」
地尋の心が、俺となんとなく通じた瞬間だった。
それは、死んでしまったかつてのクラスの教え子に対しての想いもあったのかもしれない。
そして、俺も地尋に対して笑顔を見せていた。
次の日、研究所に行かないで、俺は学校に向かう。
元々、枕木小学校の敷地内にあるプレハブ研究所に行っていた。
それが学校で、あってもそんなに違和感がない。
しいて言えば、スーツで行くことぐらい。
懐かしくもある、小学校の職員室。ここの学校の校舎の入るのは、初めてだけど。
常勤で担任教師に挨拶をした俺は、担任教師と共に教室に向かうことにした。
朝の朝礼前は、廊下の生徒は賑やかに走り回っていた。
そんな風景を見ると、俺がいたあの学校とあまり変わりない。
こうしてみると、子供はどこも同じなんだなと、思えてしまった。
「長谷部先生、あそこが、五年D組です」
同じく紺のスーツを着た担任の先生に案内されて、俺は向かっていた。
久しぶりの学校で、教室に近づくと俺の顔に緊張が走る。
「大丈夫ですよ、俺は、はい」
まだ緊張感があった、俺の固い足取りを苦笑いしながら教室のドアを開けていた。
俺は、そのドアの中に来たとき、いきなりびっくりした。
「あっ、アースグエイグ!」
そこにいたのが、茶色の帽子とコートのアメリカ人。
その隣にはナンシーの姿が見えた。ナンシーとアースグエイグは、小学生と同じように机に着席していた。
そんな外人たちに、もの珍しそうに群がる子供たち。
でも、俺たちの登場とともに子供たちはいっせいに机に戻る。
「そうなんですか~、ではこの研究室に……」
「な、なんでいるんだ、外人ども!」
俺は、いきなり現れたアースグエイグとナンシーコンビに顔を強張らせた。
すると、やはり初めて現れた俺に教室の子供たちが注目した。
戻った子供たちは、自分の席で俺たちの方を注視する。
「おー、彼ですね~、ヒーイズアティーチャーですね」
アースグエイグは、俺を指さし嬉しそうな顔を見せたが、俺は憮然とした顔を見せていた。
ナンシーも、手をたたいてなぜか喜んでいた。
「だから、何しているんだ?」
「そうですね、ミーたちは、ユーのティーチャーぶりを見に来ました。
いわば、教師参観なわけデ~ス」
「そう、そう、私たちは後ろにいるから、気にせず頑張ってくださいね」
アースグエイグと、ナンシーは笑顔を浮かべて後ろに歩いて行った。
だが、当然俺は、
「そんなのいいっ!二人は研究所に帰ってください!」
強い口調で俺は、二人のアメリカ人を追い出していた。
俺を見る生徒は、驚いたような顔でずっとやり取りを見ていた。
その俺の後ろには、おずおずと男の担任の先生が入ってくる。
「あはは、先に新任の先生が入っちゃったね」
やっぱり、苦笑いをしていた。
俺は、授業が終わったら、素直に謝りに行くことに決めた。
非常勤の教師、俺が授業を行う科目は理科限定なので、午前中で授業は終わる。
五年生の四クラスを任されていて、平日全ては授業を行う。
まあ、理科だけだしやっていることは全部一緒、だからそんなに難しくはない。
小五は、初めてだけど無難にこなす。
だから、午後はほとんど職場に戻っていた。それは、いつもの職場、プレハブ研究所。
先生になって一週間が過ぎた頃、俺はいつも通り研究所に来ていた。
お昼三時になった俺は、外回りから戻ってきた。
にしても、人員減ったのに俺に教師なんかやらせて大丈夫かよ、と思う。
が、そこはアースグエイグの配慮として受け取っておこう。
だが、それはヤツの策略だってこと。
そして、そんな策略をこの研究所の中で堂々と行われていた。
前に座った地尋は、立っているアースグエイグを不思議そうに見ていた。
「じゃあ、話してくだサ~イ」
いつも通り、茶色のコートと帽子のアースグエイグは椅子に座る女の子を見ていた。
アースグエイグを見上げる女の子は、俺の姪っ子の地尋。
白いワンピースに赤いランドセルを背負って、部屋の中でも茶色い帽子のアースグエイグと向き合っていた。
俺は自分のデスクで、二人のやり取りを眺める。
「う~ん、紫音ちゃんは、チーちゃんの大事な友達だよ」
地尋が風貌怪しげなアースグエイグと、ためらいもなく普通に話していた。
なんだか叔父としては、それが複雑な感じに見えた。
まあ、逆に言えば子供というものは人見知りしないものなのかもしれない。
アースグエイグに向かい、きれいな姿勢で座った地尋は口を開く。
一応、仕事の内容と俺の上司であることを地尋は知っている。
「そうなんだ、紫音ちゃんは、どんな子かな?」
「なんで、紫音ちゃんのことを知っているの?」
すかさず、突っ込む地尋。アースグレイグは、ほほをかきながら、
「それはね、ミーたちは地震でいなくなった子を探すプロ集団なんだ」
と話す。
おいおい、どう考えても胡散臭いぞ。と俺は頭の中でそう思っていた。
地尋は、不思議そうな顔で背の高いアースグエイグを見上げていた。
俺は、困った表情を見せつつも自分のデスクでパソコン画面に顔を向けた。
するとナンシーは、給湯室があってそこからお菓子の入ったかごを持ってきていた。
「地尋ちゃん、ゆっくりしていってね」
「はい、ありがとうございます!あまり家ではおいしいもの、食べられませんから」
地尋は、ナンシーが持ってきたかごからお菓子を次々と手に取っていた。
地尋の言葉に、俺は耳がつままれるような気がした。思わず
「ち、地尋、あんまりお菓子ばっかり食うと太るぞ~」
キーボードをたたきながら、声を放つ。
「地尋は、まだ成長期だからいっぱい栄養が必要です」
などと言いながらナンシーのお菓子を、うれしそうに食べていた。
ナンシーが嬉しそうにしている、子供が好きなのか、と考えてみたり。
「で、紫音ちゃんはどういう姿をしているんだい、何か特技とかは?」
「ん~、紫音ちゃんはほとんどツインテールでかわいくて。
後ね、おかし作るのが、得意なんだよ」
チョコレートのお菓子の袋を見つめながら、地尋が感慨深げに答えていた。
ちょっと泣きそうな顔が、見えていた。
俺は横顔で、地尋の表情を見ながら、思わずキーボードを打つ手を止めてしまう。
「あとはね、「ボランティアクラブ」に一緒に入っていて、それから、あっ。
紫音ちゃんは、地震が予言できるんだよ」
「ほー、それは興味深いです」
地震が予言できる、それじゃあまるで地震予知できる「ナマズ」みたいじゃないか。
などと思っていると、どこかで「ナマズ」って聞いたことがあるぞ。
「うん、緊急地震速報よりも、ずっと速いの。そして震度も、正確に言い当てるんだよ」
「なるほど、なるほど。ほかには?」
アースグエイグが情報を引き出そうとすると、不意に地尋の顔が曇った。
俺は、地尋の体が震えているのがはっきり見えた。
すぐさま異常に気付いて、俺は立ち上がっていた。
「地尋、どうした?」
「で、でも……、地尋ちゃんの家、双海町で……」
「フムフム、それで」
「アースグエイグ、やめろ!」
俺は、すぐさま二人の方に歩み寄った。そして、泣き出しそうな地尋の頭を撫でてあげた。
こいつは、言いたくなかったんだ。やせ我慢が得意なのは、兄貴にそっくりだ。
泣き出しそうな地尋の顔は、俺の方をじっと見ていた。
「どうしました~、マイヒーロー?」
「こいつ、まだ地震のショックから回復していないんだ。今日はこれぐらいにしてやってくれ。
アースグエイグ、言っていたな。子供は、傷つきやすいって!」
俺は眉間にしわを寄せて、地尋の長い髪を撫でてあげた。
震えた地尋は、やっぱり俺の前では泣くのを我慢していた。
目のしずくを腕で拭い、笑顔に変えていく。
「泣かないよ、地尋は、大丈夫」
「帰るぞ、アースグエイグ悪かったな」
俺は小さな地尋を立たせて、研究所から立ち去ろうとした。
お菓子を持った地尋は、じーっと後ろを振り返った。
「そうだな、ユー、この研究は、何のためにやるかわかるか?」
「ああ、地震の解明だろ」
「そうだ、この研究は、地震を撲滅するために行う。
地震は、悲しみしか生まない。そして、研究することで、原理が分かる。
原理が分かるモノに、人々は不安しなくなる。不安のメカニズムは、そういうものだ」
アースグエイグは、俺にいつも正論を言う。
それは間違いではないだろう、だが時に熱くなることはいけない。
こいつの研究熱はすごいが、度が過ぎているところもあった。
俺は手を上げて、研究室を出て行った。地尋は、俺にうれしそうな顔を見せた。
わずかに地尋の心が、分かった気がした。
笑顔の地尋を連れて出た研究所の空は、夕暮れが曇り空に隠れて雲の切れ目からかすかに見えていた。
あれから半年、九月も終わりを迎えようとしていた。
地尋との暮らしも慣れて、教師としての生活も半年が過ぎた。
首都圏は夏にいろんな問題が起き、余震もいまだに続き、一部の研究を別の研究所で委託していた。
断層や、地層データに関してのデータは、地層研究所へ。
地震の予想は、防災研究所へ。
だから、この研究所は純粋に地震を研究していた。
教師を午前中で終わらせた俺は、お昼を食べにコンビニで買った弁当の入ったビニール袋を持って、プレハブ研究所に戻っていた。
職員室もあるけど、ここが落ち着くし、なんか居心地があまり良くない。
そんな俺の後ろをつけてきたのが、地尋。
制服でもあるワンピースを着た小学生の地尋は、無邪気に俺の後ろについてきていた。
同じ小学生の敷地内にあるプレハブの建物だから、いつも行く場所は同じ。
地尋は、そういえば友達と歩いているところを見ていない。
「地尋、友達できたか?」
「うん、大丈夫だよ」
「何が大丈夫だよ、そんなこと言うから……」
俺が、プレハブのドアを開けると、いきなり俺たちの方に走って来たのが、金髪女性だった。
その女性は、にこやか顔を見せていた。
「あ~ら、いらっしゃ~い。地尋ちゃん」
ナンシーは、俺の隣にいる地尋に抱きついていた。
大きな胸のナンシーに抱き疲れて、地尋は嬉しそう。
ちょっとうらやましかったりもするけど、俺はそのまま自分のデスクに戻った。
もちろんビニール袋を広げ、弁当を開けていた。
地尋は、俺が思っているよりもよっぽど頭がいい。
この研究所が、『地震』を研究するものだということも分かったし、テストも百点をとれるし、地尋は本当にいい子だ。
だからこそ、昔を大事にして、友達ができない、学校にも打ち解けないでいた。
そのことが、俺にとっては気がかりでしかない。
結局、紫音をはじめとする地元の友達の多くが死亡や、行方不明になっていた。
それが、小さい地尋に重くのしかかった、ストレスだと思えた。
ここが医大なのは不幸中の幸いで、カウンセラーや、放射線の心配もない。
「さ、地尋ちゃん、お弁当作ったから、一緒に食べよ」
ナンシーも優しく接してくれた、こういう時は女同士の方がいい。
地尋は、ナンシーにも無邪気に笑顔を作ってくれた。
その研究所のテレビでは、ソファーに座りアースグエイグが上機嫌で見ていた。
「そうですね、今日は、実にいい日デ~ス」
「どうした、アースグエイグ?」
「ああ、いいものが見つかったよ。地尋ちゃん、君にも朗報だ」
すると、アースグエイグは茶色いコートのポケットから、一枚のDVDを取り出した。
「まずは、これをみてもらいましょ」
そういってDVDを起動させた、アースグエイグ。
地尋も、俺も空いている椅子(やめた連中のデスクが残っているので)に座り、画面に注目する。
DVDは、双海町の隣の市にある商店街に設置した防犯カメラ。
その防犯カメラの映像の時間は夜で、ワンピース姿でツインテールの女の子が映っていた。
赤いリボンいツインテール少女は、商店街奥のバリゲードにうつむいたまま歩いていく。
でも、なんだか始めて見たような気が、俺はあまりしなかった。
「な、なんだ、止まれ」と、バリゲードを守る警察風の男が、ツインテールの少女を引き留めた。
でもそんな時、
「震度五、来ます」
ツインテールの少女が、落ち着いた声で言った。
その声と同時に、防犯カメラが横に揺れていた。
「な、なんだ地震か!」
「あっ、まてっ!」
男の人は、ツインテール少女に手を伸ばし阻むが、少女は大人たちをすり抜けて奥に消えて行った。
俺は、あの奥の道を何となく覚えていた。
そうだ、俺と地尋の出身地、双海町に行く方角だ。
間もなくして少女の姿が、画面から消えていく。
そこに映し出されたのが、地震におびえる大人の姿しかなかった。
DVDを一通り再生終えたアースグエイグは、画面を食い入るように見ていた地尋に、
「この子は、紫音ちゃんじゃないんですか?」
と問いかけた。地尋は、画面に指をさして二度うなずいた。
「うん、あれは、紫音ちゃんだよ。間違いない」
前に、言っていた紫音の特徴は、ツインテール。
地尋の言う地震の予言も、証言通りだ。
でも、そんな地尋はやっぱり懐かしいのかじーっと画面を見ていた。
画面では、地震が起きた後の「震度五」という騒然とした大人の声が聞こえた。
「なるほど、間違いはないようですね」
アースグエイグは、満足げに頷いていた。
それは、彼の仮説通りのことが、画面で起きていて、俺も少し驚いていた。
「あれは、一体なんなんだよ。まるでツインテールの少女が……」
「そうなんですよ~、あれこそが『ナマズちゃん』なんデ~ス」
アースグエイグが、調子に乗っていった瞬間、地尋の顔がアースグエイグを冷たい視線で見ていた。
「なに、それ?」
「いえいえ、あ、たいしたことじゃなくて……」
いつも地尋をなだめるナンシーも、言葉に困ってしまった。
地尋は、こう見えてもしっかりしていた。真一文字にした口は、やせ我慢しているようにしか見えない。
「地尋、大丈夫だ。アースグエイグは、いつも変なことを言う外人なんだ」
俺は、咄嗟のごまかしで地尋に言う。
その言葉を聞いた地尋は、一つだけ無言で頷く。
だから、どんなことを聞いてもすぐに笑顔に戻っていた、地尋。
「うん、それじゃあ、しょうがないね」
「それでデスネ、彼女に会ういい情報が、なんと、あるんデスネ」
そんなアースグエイグは、DVDを止めてニュースを見始めた。
ニュースはある記者会見が、行われていた。
その会見は、あまりにも見事なタイミングで行われていた。そして、俺は驚いた。
会見をしていた人物は、スーツを着た政治家だった。