表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第一話:ようこ~そ、ウエルカム、マイヒーロー

これは、三年前の過去の話。


今は、県内の山を登っていた。

曇り空のこの日は、岩山の景色が自然の険しさを物語っていた。

俺の後ろには、三十人の生徒がついてきていた。

俺の名は、長谷部 亮。二十七歳、小学生の教員をしていた。

自分のクラス五年二組を担任していて、後ろの小学生は全員五年生。

青のジャージの上下で、短く刈り込まれた髪の俺は、山道の下を見ていた。


「もう少しだ、頑張れ」

目指す山頂には、もうすぐ辿りつく。生徒たちを励ましながら、上を目指していく。

初夏の山は、あいにくの曇り空だが、見える景色は岩山が見えた。

「先生、つかれた~」「もうちょっとだ、頑張れ」などと声が聞こえた俺の生徒たち。

それから、間もなくしてたどり着いたのが、


「見えたぞ、山頂だ!」

俺は、一番早く山頂にたどり着いた。もちろん、前の安全を確認して。

すると、俺の景色を見たいと数人の元気な生徒が走って山頂に駆けつけた。


「うわ~、すごいな~」

山頂から近くでは、連なる山々が見えた。遠くに海が、見える絶景。

まさに自然の美しい二つのものが、同時に見えていた。

「本当に、すごい」「あっちに、登って来た道が見える」次々と山頂にたどり着いた生徒たちは、指をさしながら登り切った満足感で、歓喜に満ちていた。


「ああ、きれいだな」と俺が周りの景色を見ていた。

今日は宿泊学級、一泊二日の二日目。県内の有名な観光地で、山登りをしていた。

前に突き出た崖の山頂は建物こそないが、展望がよくて柵と望遠鏡が置かれていた。

ここの山頂は、細くなる崖から下を覗くことが有名。


「お疲れ様です、二組も終わりましたね」

そういって、赤いジャージ姿で若い女性の先生が話をかけてきた。

彼女は、同じ学校の五年一組の担任の先生。

「ええ、疲れましたよ」

筋肉痛のふりして俺は、一組の担任の先生に笑顔で答えた。


「そんなことは、ないでしょう。長谷部先生は若いんですから。

これで、この宿泊合宿もようやく終わりですね」

「そうですね。あとはバスに乗って帰るだけですから」

生徒たちは、景色に感動して騒いだり走ったり、望遠鏡に規則正しく並んでいた。


「あんまり、はしゃぐなよ。崖には近づくなよ」

などと俺は声をかけて、再び一組の先生が一緒に俺のそばに立っていた。

だが、その時は分からなかった。一人の生徒が、ずっと抱えていた悩みを。


「長谷部先生、早く家に帰りたいでしょ」

「いや~、そうなんですよ」

と言いながら、携帯電話を取り出して見せた娘の顔写真。

赤ん坊のドアップの顔を、一組の女の先生に見せていた。


「かわいいですね、何歳ですか?」

「まだ一歳ですよ、丁度歩き始めて。家内も、俺なんかよりずっとかわいがっちゃって」

はにかみながら、俺は携帯電話の待ち受け画面を見せていた。

「そう、良かったじゃないですか。私も早く結婚をしたい、うらやましい」

一組の女の先生は、目が垂れて俺の方を見ていた。


「大丈夫ですよ、先生もいい人見つかりますよ」

「そうね、頑張るわ」

そんな時だった、俺と一組の先生、山頂は一気に騒然とした。

「長谷部先生、小田島さんが!」

女子の叫び声で、俺は崖の方を見ていた。


「私は、全てに絶望したの」

静けさを切り裂く声で、俺は声の方を見ていた。

そこには、柵を越えて一人の女の子が崖の先端に歩いていた。

女の子を見ている、ほかの生徒たち。その女の子は、ウチのクラスの生徒だ。

黄色いジャケットに、ミニスカート、ミディアムヘアーの女の子は、柵を越えて右手だけで震えながら持っていた。


「お、おい、小田島!」

いきなりの変化に、俺はすぐに柵の近くにいる崖の上に立った生徒に近づく。

吹きつける強い風、女の子のスカートが揺れる。

標高四百メートルの崖の下は、百メートルほどの岩肌が見えた。落ちたら、まず命はない。

「小田島さん、危ないよ!」

「誰も、助けてくれない。もう……」

決意を固めたような目から、涙がこぼれていた。


「何があったんだ、小田島。どうして?」

「ごめんなさい、誰も助けてくれない。もう、私は絶望したんです!」

そういいながら、小さな少女は俺の目の前で、柵から手を離して、そのまま崖の上から飛び降りた。

周りで見ていた生徒は、小田島の行動に、騒然とした。

俺の隣では、一組の先生が、ああっと声を上げて顔を俺の肩につけてきた。


だが俺は、そのまま崖の下を覗いて立ち尽くしていた。

見えた岩山は、明らかに高く険しい。

あまりにも唐突で、その事柄すら受け入れることができなかったから。




一人の命が失われると、多くの人間の人生が狂う。

俺も、例外ではなかった。

後になって分かったけど、小田島はクラスでいじめを受けていたんだ。

病気のせいで走り方としゃべり方がおかしい、それが誰にも相談できずに悩んでいた。

俺はそのことに、気づかなかった。でもそれがきっかけで、彼女に彼女の命を絶たせた。


小田島の死で、俺は五年間通った私立の小学生教師を解雇された。

正確には、イメージダウンにつながるためにやめさせられた。

それでも、俺自身は痛くはない。小田島は、もっと痛かったはずだから。

それ以上に自殺した、小田島の責任を取らないといけない。

目の前で、助けることができなかった命。それが教師として、悔しかった。


教師を解雇された俺は、仕事もない。

そして、妻に迷惑をかけられないと小さな子がいる俺は、離婚を決意した。


季節は夏から秋、冬になった。

そして慰謝料も、養育費も大きな借金も残った俺。

立ち上がることもできないほどに、俺は都会で打ちひしがれた。


そして、半年以上職も決まらず、俺は逃げるように実家に帰った。

田舎の俺の実家は、海と山に囲まれた首都圏と違う風景が広がる。

東北の双海町にある俺の実家は、酪農を営んでいた。


実家の和室には、スーツを着た俺の目の前。

そこには灰色のつなぎ服を着た男は、顔の彫りの深い顔の男が正座していた。

年齢は、三十八歳。でも年齢以上に老けた男は、腕を組んでいた。

俺は、その和室のテーブルの前に正座している。


「で、逃げてきたのか、亮」

睨むような目、そこにいるのが長谷部 正剛。

彼は十歳離れた俺の兄、父が早くに亡くなって高校を中退して、父のやっていた酪農を継いでいた。

面目(めんぼく)ねえ」

「そういうのを、負け犬という」

兄の辛辣(しんらつ)な言葉に、返すこともできない。


「だから、都会者は嫌いだ。クズが」

「あの~、失礼します」

すると、左側の方からかわいらしい声がした。

声の方を見てみると、襖があいて、そこから小さな女の子が出てきた。


「お茶が、入りました。どうぞ」

すると、和室から出てきたのが長い髪の女の子。

緑色のワンピースを着て、たれ目の女の子は、かわいい部類の女の子。

礼儀正しく入って来た女の子は、正座をして和室の襖を開けて、重そうにお盆を持ち中に入った。

その女の子を見て、俺の娘を思い出してしまう。


「おお、ありがとう、地尋(ちひろ)

彼女は、長谷部 地尋。小学一年生で、礼儀正しい。きっと、義姉さんに似たんだろう。

お盆から、湯飲み茶わんをそれぞれ俺と兄貴に配り、にっこり俺に微笑んできた。

地尋が来ると、堅物兄貴の顔が和んでいた。


「ゆっくりしていってね、おじちゃん」

「ああ、ありがとう」

大きく頭を下げた、地尋はやっぱりかわいい。

愛くるしい笑顔を振りまいた地尋は、俺と兄貴の空気を和やかに変えて、そのまま襖の奥に消えて行った。


「地尋か、大きくなったな。前は三歳ぐらいか?」

「ああ、そうだな。オラにとっては一番大事なモンだ」

兄貴は、一人娘の話をすると、目つきが垂れていた。やっぱり、親バカだ。

よし、いまだと思って俺は胸ポケットから茶封筒を取り出した。

座布団に座る兄の前に、おずおずと俺が封筒を出すと、すぐに兄貴は怖い目つきに変わった。


「なんのつもりだ?」

「あの、兄貴、折り入って頼みがある」

俺は、かしこまった表情に変わる。兄貴は腕を組み、睨みつけるように茶封筒を見た。

その茶封筒は、あまりいい知らせではない。

おそらく、兄貴は何となく感じているのだろう。


「お前が、言うことはロクなことがない」

「そうだな、はずれじゃない。実は……」

「借金か?」

次の瞬間、兄貴の視線に俺は頷くしかなかった。

鼻で笑われて、俺にとっては敗北感さえあった。


「いくらだ?」

「五百万」俺が、手を広げて合図した。この五百万は、あくまで慰謝料。

財産を分与しても、足りない補てん分の五百万。

兄貴は、そういうと茶封筒を手に立ち上がった。

そのまま、無言で和室の桐タンスへと歩いていく。


俺は、兄貴が桐タンスの中を探している姿をただ、静かに見守っていた。

書類をあさる音だけが、広い和室に響く。

それから間もなくして、兄貴は二通の通帳を持って戻ってきた。

さっきまで座っていた座布団の上に、険しい顔で座る。


「おい、亮」

そういいながら、兄貴は二冊の通帳を、正座する俺の前に投げてよこした。

「兄貴、すまねえ」

「勘違いするな、一つはおふくろが、お前のために残した金だ。

そしてもう一つは、俺の意志だ。分かるな」


そう、おふくろがわずか二か月前にこの世を去った。

幼いころ親父を病気で亡くした俺は、おふくろと、十歳年の離れた兄に育てられた。

だからおふくろには、ずいぶん苦労をかけていた。


そんなおふくろがなくなった時も俺はその時も、家に戻ることができなかった。

そもそも、俺が知ったのがついさっき聞かされたから。

離婚調停の真っただ中で、亡くなった児童(小田島)の保証もしていた。

だから、おふくろの最後を俺は見ていない。

おふくろ名義の通帳と、兄貴の名義の二通の通帳。


それを見た俺は、悔し涙があふれた。

だから、おふくろの最後をみとらなかったことを、兄貴は怒っているのだ。

そんな兄貴に頼るなんて、俺も最低な男だ。


「亮、これだけあれば、足りるだろう。

お前は、もう戻ってくるな。ここに、お前の居場所はない」

「ほんとに、すまねえ」

おふくろの通帳を、涙であふれる目でじっと見ていた。

ただ、悔しさと悲しさしかない。みんなにこうやって迷惑をかけて、俺は生きてきた。


そんな俺に、兄貴はさらに声をかけてきた。

「おふくろに、会いに行ってやれ。子供の責任だ」

投げかけられた言葉に、涙を流しながら俺は、首を縦に振った。




自立するため、おふくろと兄貴を助けるために、単身都会の千花市に出て行った俺。

苦しい生活ながらも、大学まで出してもらって、感謝していた。

でも、自分の一つのミスで、死んだおふくろにまで、兄貴にまで迷惑をかけた自分に悔しかった、悲しかった。


(俺は、本当にダメな男だ)

黒い喪服のスーツを着た俺、花を持った俺は、実家近くにある寺に来ていた。

町から高台にあるこの寺、墓地のそばには深そうな藪も見えた。

寺の敷地内にある墓地を訪れて、おふくろの墓までの砂利道をうつ向いたままに歩く。


自分を責めて、無念だけが残った。

花と線香を持った俺は、自分が許せなかった。

葬儀にさえ、駆けつけることができず、迷惑をかけた俺は『長谷部家之墓』の文字が彫られた墓の前に立った。


「ごめん、ごめんな、おふくろ」

花を手向けて、何度も手を合わせて謝った。

おふくろは、この墓の中、遺骨になっている。

おふくろは、きっと最後は俺に会いたかったんだろう。

でも、おふくろの亡くなった日は、こんな俺が行くことができなかった。

夢破れ、自立もできない弱い俺は、顔向けもできない。


悲しみの対面を果たすと、小さな女の子が俺の背中の方に立っていた。

「あなたは、『魔法』のある人です」


そこにいたのが、白いブレザー姿の女の子。

手には、鎖を模したブレスレッドをつけていた。

ツインテールの女の子は、赤いリボンをつけていた。

年は、兄貴のところの地尋ちゃんと同じぐらいか。

振り返った女の子は、俺を見て微笑んでいた。


「なんだ、『魔法』って?」

「普通の大人と違います、過去を忘れないで、ここにいます。手を合わせてくれます。

人は、亡くなったものを弔うときに『魔法』を使えるんです」

不思議なことを言う女の子は、俺に対してかわいくというより大人びた笑みを浮かべた。

かがみこんだ俺は迷子だと思い、その女の子の頭を撫でた。


「はぐれたのか?ママとパパは?」

「ママはいます。でも、みんないじめるんです」

言葉と同時に俺から離れた女の子は、ふらふらと藪の方へ歩いていく。

不思議な雰囲気の女の子、なんだか気になって俺は女の子の方に近づいた。


「ま、待てって!」

でも、俺の制止を聞かない女の子。そのまま藪の中に入る、なんだか嫌な予感がした。

すぐに女の子を、走って追いかけていた。わからない行動の女の子、俺は不安だった。


小さな体で、藪をかき分けて進んでいく。

俺は、後を追いかけるが、大人になったせいか、喪服を着ているので動きが鈍い。

くそっ、もっと体を鍛えないとな。

などと自分を呪った俺。薄暗い藪を、かき分けて歩く。


すると、前の方が急に明るくなっていた。

あれっ、あの先って……と考えると女の子の姿が光に吸い込まれていた。

俺も光の方に走っていく、その先には、


「海、そういえばここは子供の頃、よく遊んだな」

小さく切り立つ崖が、先端に突き出ていた。

俺の目の前に広がったのは海で、その海の風景は少し変わっていた。

高台のそばでは、あの時みたいに女の子が立っていた。

ツインテールの髪が、風になびく。


「人間は、なんで優しくないんだろう。泣いたり、悲しんだりできないんだろう。

怒ったり、人を非難したりするのだろう」

その子は、指さしたのが風景の変わったソレを指示していた。

ソレは、俺が子供の頃にはまだ立てていなかったもの。

中学ぐらいから建設を始めた、四つの正方形の建物。


「原子力発電所……」

この双海町に立った四基の、原子力発電所、略して原発。

俺が大学のある千花市に行く頃に、建設された発電所。

この発電所は、東北で使う電気を作っていない。

千花市や首都圏に向けての電気を、ここでは作っていた。

経済的に目立った産業もないこの双海町にとって、発電所は仕事の需要を生み出していた。

だから、大きな反対運動もなく住民たちに受け入れられた発電所。


「人は、優しくならないといけないのに、それができない。

誰にも優しくできないから、みんな背負わせるの。大人は嫌い」

そう言葉を残した女の子は、いつの間にか崖を滑って下っていた。

壮観にそびえ立つ原子力発電所を、俺は何となく見ていた。

俺の後ろの木々は、枯葉がいくつか落ちていた。




年か明けて、俺は千花市に戻っていた。

俺は今、千花市のある和室の中にいた。

と言っても、ここは宴会場。首都圏でも大都市の千花市では有名で、大きな飲み屋の中。

二、三十人ほどの大部屋はほぼ満員がそれぞれ酒を飲み明かしていた。

俺の目の前には、豪華な料理が黒い膳に乗せられておいてあった。

中の料理には、ほとんど手をつけてはいないが。


宴会場の前には、黒板で『第八回千花大学卒業生新年会』と書かれていた。

俺は、大学教授からもらった招待状で、この新年会に参加していた。

酒の臭い宴会場、楽しい笑い声が聞こえて、酔っ払いが叫んでいた。


「まあ、飲め。西暦二〇〇七年、今年はいい年になるだろう」

俺のそばには赤い顔で頭の禿げた中年男が、日本酒のとっくりを、傾けてきた。

「せ、先生……」

スーツ姿の大学教授は、かつての俺が大学時代に在籍した親しい教授。

毎年、新年会でOB、OG会を開いてくれていた。

黒のセーターを着た俺は、大学教授を介抱する役をほぼ毎年していた。


「うまい酒だ、のめ、のめ」

顔の赤い教授の酒を、進まれるままに飲んでいた。

そんな教授の近くの席には、金髪の女性がキョロキョロしていた。

年齢的には俺より、少し若そうなきれいな顔立ちの女性。


「先生、あの金髪の子は?」

「ああ、去年もいたぞ。彼女は、ナンシー・ゲイツ。二十四歳、独身だぞ~。

てか、長谷部は確か、かわいい奥さんいたよな」

一瞬嫌なことを言ってきた大学教授、悪気はないだろうが俺は離婚していたし、知らないようだ。

ただ、そのことが言えない。なんだか、悔しかったから。


「ああ、まあ……」

「ナンシー、彼女は、日本で地層の勉強をしている。

去年、ウチのゼミを卒業して、じゃないな、一昨年か、うんうん」

などと、新年ギャグをかわしているみたいだ。

まあ、年が明けてまだ三日しかたっていないからな。

二〇〇六年のクセが残っていても、仕方ないだろう。


「そういや、長谷部」

酒の力で赤い顔の教授は、不意に真面目な顔を見せていた。声も、どことなく張りがあった。

「先生、なんですか?」

「お前、今……その……何か職に就いているのか?」

その言葉は、俺にとってショックだった。


「え、えっと……」

「小学校を、クビになったって聞いたからよ。

わしも、長谷部に教員を勧めたわけだし、どうなのかと思っていて、な」

教授の言葉、そうだった。俺は無職だ、日雇いのパートしかしていない。

元妻に借金こそは返したけど、兄貴に借金が残っていた。

引っ越した安いアパートには、兄貴とおふくろの通帳が残っていた。


「働きたい。仕事、ないっすか?」

「うん、教員じゃないけどいい仕事がある。

向こうも、きっとお前のような人間を求めているだろうからな」

教授の言葉に、俺は耳を疑った。それは、俺が一番欲しかった情報。

この教授が、なんだか神様の様に神々(こうごう)しく見えた。

そういえば、頭は神様の様に光っているし。


「なに、頭見ている?」

教授の残念そうな頭を見ていた俺は、すぐに教授の顔に向けていた。

「い、いえ、見ていません。それで、どんな仕事ですか?」

「そうだな、おーい、ナンシー」


すると、挙動不審の金髪の女性を、教授は呼びつけた。

長い髪の女性は、教授を見るなり嬉しそうな顔を見せた。

ニコニコと笑顔を浮かべて近づいてくる、ナンシーという女性。

胸のはだけた黒いドレスは、色気が漂っていて金髪のポニーテールを動かしていた。

青い目のナンシーは、教授の顔を見て抱きついた。


「教授さん、見つけました」

「おい、おい、新しい研究員だぞ」

「は~い、研究員の助手さんですか?」

かたことではなく意外ときれいな日本語を話していた、ナンシー。

白人にしか見えないナンシーは、教授と日本語をぺらぺらと話していた。

そんな教授に紹介された俺は、ナンシーといわれた白人女性に軽く頭を下げた。


「なるほど、この人は?」

「彼は、長谷部 亮君。変わった名前の、わしの元愛人だ」

「わ~お、教授さんはゲイだったんですね」

などと酔っ払っている教授に、白人のナンシーは俺を見るなり両手を合わせていた。


「げ、ゲイじゃないです。てか、変なこと言わないでください」

「おお、すまない、すまない。彼は、ミスターハセベだ。

ここにいるのだからから彼は、わしの研究所の卒業生だ。

つまりナンシー、大学では君の先輩にあたる。

ナンシー、君のところの研究所。

まだ日本人を募集していたら、入れてあげてくれないか?」

「初めまして。長谷部 亮と言います」


俺は、日本人っぽくかしこまって正座して頭を下げた。

すると、ナンシーも正座をして深々と頭を下げてきた。

「はじめまして、ナンシー・ゲイツです。出身は、アメリカ・ニューヨークです。

日本には、十七歳から八年近くいます~。私は、こういうものです」


ナンシーは自己紹介をした後、黒いドレスから一枚の名刺を出してきた。

日本人の俺でも持っていない、名刺がアメリカ人から出てきたこと自体驚きだ。

だが、流暢(りゅうちょう)な日本語も、俺を感嘆させるものだった。

その名刺を見てみると、


「『アースグエイグ地震研究所』?」

「はい、私は、そこで働いています。今、丁度日本人スタッフを募集しています。

もし、よろしければあなた、働いてみませんか?」

ナンシーは、飛び切りの営業スマイルを見せてきた。

笑顔がかわいいナンシー、だが気になるのが二つ、早速質問してみた。


「『地震研究所』って何をするんですか?」

「見た通り『地震』のメカニズムを研究します。

地層の研究や、学会に発表する論文を書いたりしますね」

ナンシーの説明に、一つ目の疑問はそれほど問題なかった。

どうやらまともな研究をしているのだろう、この手の研究機関はたまに怪しいのもあるからな。

それじゃあ、もう一つの懸念材料だ。


「なるほど、じゃあもう一つ、この研究所には、日本人は……」

すると、いきなりナンシーが正座をした俺の手をガシッと強く握ってきた。

「日本人、大歓迎です。今、私のところの研究所には、日本人がいません。

大丈夫です、研究所は、私と所長は日本の滞在が長いので、日本語を話せます。

お願いです、研究所に来てくれませんか?」

ナンシーが、きれいな日本語で懇願してきた。

やっぱりと思ったが、今の俺には仕事を選んでいる余裕はない。


「ま、まあ。そうまで言われたら、お金は……」

「いっぱいあります、大丈夫で~す」

ナンシーは、笑顔で微笑んでくれた。なんか、俺はナンシーの笑顔に弱いな。

「やったな、じゃあ就職記念に、のめよ」

と、嬉しそうな教授は、日本酒のビンを抱えて俺の前に立っていた。




あれから一週間後、面接を受けて、契約条件の書類を通していろいろあった末。

灰色のリクルートスーツを着た俺は、千花市内にある研究所に向かっていた。

二度目の新社会人気分を味わった俺は、スーツの襟を正して朝日上るビルの中を歩く。

そしてついたのが、オフィス街の真ん中にある私立小学校の敷地内。


「ここか、医大付属私立枕木小学校」と、渡された地図を確認して歩いていく。

普通は研究所は大学の敷地内にあるはずだが、私立小学校とは珍しい。

敷地を歩くと、俺は間もなくして目を疑った。


「えっ、ここ?」

そこにあったのは、小さなプレハブ建物があった。

でも表札には『アースグエイグ地震研究所』と書かれていた。

建物を見た瞬間、不安がよぎったが、とにかく入ることにした。


スーツ姿で、プレハブのドアを開けた瞬間、

「ようこ~そ、ウエルカム、マイヒーロー」

そして、クラッカーが俺に向けられてパンパンと鳴っていた。

クラッカーの紙テープを頭にかぶった俺は、不思議な顔で中を見回した。


そこは、パソコンが五台置かれていて、冬なのでやや肌寒かった。

狭いプレハブの中には五人の白人の外国人が、俺に対して拍手をしていた。

左隣のナンシーも、ぱちぱちと拍手していた。


「こ、これは?」

「ようこそ、我が『アースグエイグ研究所』へ。

ミーは、アースグエイグと言いますネ~、よろしくお願いしマ~ス」

すると、前に出てきた一人の人物は茶色の帽子をかぶり、茶色のコートを着た外国人が出迎えていた。

そして、コートの裾から差し出された右手を、俺は握手した。


そう俺はこの時を境に、アメリカ人だらけの『地震研究所』の研究員助手になったあのだから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ