3話 ガレット ~1
私の名はガレット。年齢は17歳、湖からさほど遠くない小さな城に住んでいる。城の周りは深い森で、空気がとても澄んでいて、湖の水も清浄で、ここは気持ちの良い場所だ。
この城の周辺は「彼」の私有地で、私は一人で城に住み、彼の帰りを待っていた。
彼の私有地には人がやたらに入れない様に、彼の魔術が施されていた。なので、城壁というものは無かった。
あれから、2年半ぐらいだったかな?彼とまともに話していなかったのは。
「彼」というのはこの城の城主で私を育ててくれた人だ。
私は最後に彼と何を話したか思い出し、少し苦い気分になった。彼は何も言わずに立ち上がって背中を向けて、それから話してくれなくなったのだった。その日、なぜか私は、久しぶりに彼と最後に交わした言葉などを思い出していた。その数時間前、彼の部屋の暖炉に火が灯った。彼がこの城に来るときはいつも暖炉に火が灯る。
「あの人が来る」
彼をずっと待っていた私は思わず嬉しくなってそうつぶやいた。 そして、急いで風呂を沸かし、彼の着替えを用意した。
思っていた通り彼が城の扉を開けた。
この城の城主ミスト。彼は色々な名前を使って活躍している人だけれど、私の前ではミストだ。
ミストが皮の手袋を外しながら言う。
「ごめん。ずぶぬれです」
「そうだと思って準備しておきました。コート、脱いでください」
ミストは黒い乗馬用のコートを脱ぐ。私は彼の後ろに回ってコートを脱ぐのを手伝う。
「今回も馬で来たのですね」
「あなた、背が伸びましたね。わたしより高い」
「ええ、もう17歳ですから」
「早いですね、ちょっと前は子供だと思っていたけれど」
「2年半も経ってます」
ミストは安心したような表情を浮かべ、クスリと笑った。
この人の穏やかな雰囲気がとても好きだ。でも、この人は何処に居ても誰の前でも穏やかとは限らない。この人には私の知らない顔がある事をなんとなく察してはいた。でも、私がその事を口にしないのは、彼が私の前で、彼が外でどうしているのかを何も言わないからだ。
私は乗馬用の脚半の紐を解こうとする彼の手を止めた。
「私がします。椅子に掛けて下さい」
ミストの肩に毛布をかけると、ミストはあたたかいと嬉しそうに言い、玄関横の椅子に座り黒く長い髪を軽く絞っている。私は体を折り彼の乗馬用の脚半を外す。
「久しぶりに馬で森の中を走ってきました」
「せめて馬車にでも乗って来てくれればいいのに」
「馭者を使いたくなかったのでね。ここへは、1人で来たいんです」
「それなら、他にも方法はあるでしょ?この雨の中わざわざ馬で来なくても」
「馬で来るのが気に入っているんです」
「脱げましたよ。お風呂に入ってください」
「はい。…そういえば、言い忘れていました。ただいまガレット」
「おかえりなさい」
「ハクショッ!」
「ほらあ、早くお風呂で温まってください」
私は風呂場の入り口まで彼の手を引き、その後、ミストが風呂から上がってくるのを少しの間待った。
きっと彼のことだからお風呂に入ってそのまま寝ていると思う。いつもの事だから1時間位経ったら見に行こう。放っておくと明日までずっとお風呂に浸かりっぱなしで眠っているんだろう。
乗馬用のコートはかなり汚れているので明日にでも洗おう。彼が好きなお茶を煎れて、また少し待つ。ベッドのカーバーを外し、布団を捲くり、いつでも寝られるようにした。
大きめのシーツを何枚も持ってあちこちに配置し歩き回った。そろそろ1時間過ぎ。
風呂の外から声をかけたけれど返事がないので扉を開ける。
彼はやっぱり寝ていた。子供の様な寝顔。 私はシャツを脱ぎ彼の体を抱き上げた。細い体だけど思ったより重たい。
脱衣所の長椅子の上に広げてあるシーツで体を包む。
「よっと」
もう一度体を抱き上げて寝室へ運ぶ。ベッドに降ろし長い髪を用意したシーツで丁寧に拭く。
「よく寝てるなあ、どこで何をしていたか知らないけど」
見当がつかないと言ったら嘘になってしまう。だけど、彼はここで休養したいので何も言わないだろうし私も聞かない。
「ん…暑いです」
突然、目を開け、黒い瞳を見せたミストが言った。
「はいはい」
体を包むシーツを取る。
「喉が渇いた」
「どうぞ、冷やしたお茶です」
「飲ませて」
「しょうがないなあ」
私は、用意しておいたカップにお茶を注ぎ、彼の頭を少し持ち上げて、彼が咽ないように、ゆっくり口に流した。
「美味しい。もっと」
「そろそろ自分で起きて飲んで下さい」
「はい」
上半身を起こしてカップを受け取り、勢いよくゴクッと音を立てながら喉を潤す。
「良いお茶ですね」
飲み干したミストは「はー」と小さく一息をつき、カップを私に手に返し、お茶の味を褒めた。
「いつも通りです」
「そうですか…、すごく美味しいけど」
「喉が渇いていたら、なんでも美味しいです」
ミストは満足げに両腕を上げ体をのばし
「んー!寝ます」
と機嫌よく言った。ミストがくつろいだ様子に私は安心し
「はい」
と笑顔で答えた。
ミストはかなり早い時間に寝た。食事は明日の昼ぐらいまで食べないだろう。
明日になってからバタバタしたくなかったので彼が寝ている隙に魔術で調理の下ごしらえをして、スープを煮込んだ。
明日の準備が出来て寝ようとしていた時、彼の叫び声を聞いて急いで寝室へ行った。
彼は目を覚ましていて、苦しそうに息を切らしていた。
「はあ!はあ!」
「ミスト?しっかり」
彼が上半身を起こして自らの両腕を抱える。きっと嫌な仕事をしてきたのだ。
「ああっ!」
ミストは大きく息を吐き気持ちを整えようとしているらしかった。
「大丈夫。大丈夫だから。ゆっくり、おちついて」
「嗚呼、ガレット。わたしは…」
「いいから」
ミストが開いていた黒い目を瞑ると、大粒の涙がその頬を伝った。彼は私の腕に体を預けた。
「ごめんなさい、心配させて」
「いいですよ」
翌日、朝の眩しい日差しが窓から差し込んで、鳥の鳴き声を聞きながら目を覚ました。
ミストは寝室には居なかった。
ミストが眠るまでの間少し側にい欲しいと言ったので、椅子に座って付き添っていたのだけれど、何時の間にか彼のベッドで眠っていたらしい。彼のベッドの上で目覚めた。多分先に起きた彼が私に気を使って私をベッドに寝かせてくれたのだろう。
開け放した窓から白い小鳥が飛び込んできてて、枕元でチチチと鳴いた。彼は湖にいるらしい。小鳥の声はそう言っていた。