2話 ラスター ~1
俺、ラスター・バエルは中級過程を終えて、卒業前から国の兵士として入隊し戦場へ赴くようになって、数ヶ月が経っていた。騎士見習いの資格はあったが、そういう者は大勢いたので、そう多くの戦績は望まれていなかったが、いつか、必ず本物の騎士として国の為に戦い、出世もしたかったし、どちらかというと経済的に余裕のなかった家に生まれていた俺は、家族にもう少し良い生活をさせたいとも思っていた。。
入隊して最初は伝令とか雑用などの簡単な役割だったが、今は歩兵軍の軍隊長として戦いに参加し、将軍への報告などもする様にもなっていた。
ある戦で、とんでもなく強い人物と出会った。
将軍への報告の為陣営を構える天幕の中へ入った折に、小柄で細い男の姿が陣営の中に有った。その小柄な白い服の男は上座に優雅に腰掛け、飲み物などを煽りながら無表情に周囲の話を聞いている様子だった。武将に囲まれ敬語の報告を受け、時折頷くのみでほとんど黙っていた。なぜ小柄な男がそんなに偉そうなのかと不審に思ったが、何処かの領主の息子か何かだろうと、内心馬鹿にしていた。俺がそんな勝手な判断をしたのは、その男が年若く見え、面差しが豊頬であったからだった。
しかし、ひとつの隊を任され、武将への報告をするようになったとは言っても一介の兵士が身分が上の者に対し馬鹿にした態度をとって良いわけが無かったので、その男の事は余り気にかけない様にした。
まさか、その男がその戦の勝敗を決める事になるとは思ってもいなかった。
その時の戦の戦況は苦しかった。
戦場に着いて既に一週間に近かったが、どちらも引かず進む事も叶わず、敵陣は静かに援軍を待ち、軍勢を増やす為に時間稼ぎをしていた。
その時、俺が出兵した戦場は国境近くの辺境の砦で、少しでも領土を責めたい隣国に責められていた。
陣営天幕の有る場所は自国の砦近くの荒涼たる大地ではあったが、食料も水も備蓄には問題はなかった。敵国の方がその点では不利だったが、敵援軍と物資が届けられたら勝てそうも無いと思った。
俺が陣営の中に細い男の姿を見た日から3日後いよいよ、敵が動き出した。
朝の早い時間に、援軍が到着した敵陣から火矢が放たれた。
戦場は敵勢が少しばかり優勢だった。俺は不利を承知だったが、此所で手柄の一つでも立てれば昇進もあり得るだろうと必死に戦っていた。その場にいた誰もがそんな風に思っていたかもしれない。手柄を立てる気がなくても、自軍が少し劣勢である事に気付いている者は多かっただろう。これ以上少しでも戦況が悪くなれば、下手をすると戦意が下がるばかりか、戦を放棄する戦士が出るのではないかと心配をする程、危うい均衡を保っていた。それでも、もし今、敵将の一人でも倒す事が出来れば幾らかでも士気が高まるだろう。そして、その手柄を俺がを立てたいと思い、敵将の一人へ向かって、次々と群がり襲い来る敵兵をなぎ倒し進んでいた。まさにその時、我が国の砦の方向からいきなり強い風が吹いた。両国から放たれた火矢で広がった炎と煙が強い風に吹かれ敵勢方向へと向かう。振り返ると黒い甲冑に身を包み、兜もかぶらない男が立っていた。
間違いなく、先日陣営の中で見かけた小柄で優雅な風体の男だったが、あの時とは明らかに様子が違っていた。
男が現れると、上官から、敵からより遠くへ離れ、砦の方へ戻るようにと合図が送られてきた。命令は絶対だ。俺も本陣方向へと用心深く引いた。
砦の方へ戻った俺から見えるのは、たった一人の小柄な男の後ろ姿。その向こうには多勢の敵。敵は今だとばかりに攻め寄った。男と敵勢の距離が縮まる。
次の瞬間。地の底から響くような大きな叫び声と共に男は飛鳥の様に身軽く宙に飛び上がった。そして、信じ難い飛距離で敵軍の目前に飛び降りた。
男の剣が振り下ろされる。たったの一閃だった。1000以上の敵兵が焔と、何やら分らない苦しみに倒れていく。
彼が持つ赤い光を放つ剣が降られる度に空気が震撼し、焔が大勢の敵を包み、その剣の切っ先に触れたかどうかも分らない者までが傷を負い倒れ行く。
彼は圧倒的に強く、味方の誰もが彼の前に出ようとは思わなかった。その男の周りにいて、何時自分が死んでもおかしくないと、皆思った。
我々は、ただ、彼が打ち逃した少数の兵を大勢で迎え撃つだけだった。
戦はあっという間に終わった。
全てが彼の力だったと言って良いだろう。
男は戦いが終わると本陣に歩いていく。
この男は一体何者なのだろう。
ふと、男は足を止めた。将軍と主なる戦士が彼を囲む。そして急に将軍の直属の部下が俺に声をかけてきた。
「そこの兵士、来い」
将軍からのお声がかりだった。
俺は、とにかく言われた通りにした。
人を掻き分け辿り着いた先には小柄な男がいた。
酷薄な目付き、残酷そうな笑み。背筋が寒くなった。俺は彼の目付きに、戦に出る時よりも戦慄した。
男が一瞬、下を向き、顔を上げたときには人形の様に無表情になった。
男が口を開いた。その声は顔と同じように感情を感じさせなかった。
「ラスター…ですか」
なんの手柄もたてていない兵士の名前を知っているのは不自然だった。
「これから…あなたはもっと強くなります。出来れば、そのうちに私と一緒に戦ってください」
彼はそう言い終えると、また歩き出した。 俺に声を掛けた後は何か気になる事があるのか、急ぎ足で歩き出した。そして陣営の幕の中へと入っていった。
その男の噂はあっという間に広がった。酒宴に男の姿は無かった。
皆の話では、どうやら雇われた魔導騎士なのだとか、大きな戦とは言えないのに国が魔導騎士を雇った事も不思議だったが、その強さから見るに、報酬もかなりの高額であっただろうに辺境にふさわしくなかった。
戦場から戻ると王宮に呼び出された。俺は身分がまだまだ低く本来なら王宮に足を踏み入る事の叶う身分ではなく、王宮に立ち入った事など無かったが、宿舎に戻り数日休み稽古を再開した時に上官に呼び出されたのだった。
王宮へ初めて出かけた日は非常に緊張した。王宮の正面には大きな広場、幅の広い吊り橋、正面の入り口からぐるりと回って、小さい西門から入るように言われていたので、少し細い吊り橋を渡った。
身分が低い俺は着る物にも困ったが、こういう場合は支給されている兵士の制服が正しいだろうと思い、あまり綺麗な状態では無かったが紺色の制服を着て来た。
案内されたのは王宮の外庭の片隅にある小さな建物だった。その建物は雑木林の中の石膏石で出来たさほど大きくない建物だ。
部屋に入ると本棚が沢山あり、どうやら書庫のような所らしかった。二部屋続きの本棚に沢山の本が並んだ部屋の更に奥の、サン・テラスルームから誰かが声をかけてきた。
「お待ちしていました。奥へどうぞ」
「失礼します」
言われるまま、奥のサンルームへと進んだ。黒いローブを着た男が、籐の長椅子に、本を片手にゆったりと腰掛けていた。彼の後ろからあたる陽射しが眩しく、それが高貴な人の後光かの様に見え俺は緊張を高めた。
「お久しぶりです」
王宮に知り合いなど居る筈のない俺の予想に反する言葉を発した主が、俺の側へと歩み寄った。その顔には、確かに見覚えがある。
「あなたは」
「覚えていましたか?」
「お覚えに預り恐縮です」
ここが王宮だったこと、男が魔導騎士だったことを思い出し、膝を折り頭を下げた。相手は王宮が直接雇ったという噂の魔導騎士だ。一介の兵士とは身分も実力も違う。
「そう硬くならずに、ただの雇われ者です。わたしは身分が低いのでこんな場所ですみません」
「いえ、先日拝見しました折には、…貴方様の戦い振りには…」
「黙って」
「はい」
俺は立場が目上である彼に失礼の無い様にと更に頭を垂れた。魔導騎士は俺の側へ近づいてきた。
彼は黒い皮の手袋を嵌めた両手を差し出し、俺の手を持った。俺は彼に両手を持ち上げられた。
「立って、顔と体をよく見たい」
「はい」
失礼の無いように立ち上がった。
彼は黒曜石のように黒い感情のない瞳で俺を観察した。俺は、この男は戦いの最中以外は感情が無いのかもしれないと思った。
「良い目付きです。体力もある」
「ありがとうございます」
「わたしが言った事、覚えていますね」
「一緒に戦わせて頂けると」
「そう、あなたが嫌でなければ」
「光栄であります」
「よろしい。では、一緒に修行をしてから」
「お願い致します」
「私はリード。よろしく」
「ラスター・バエルです。どうか宜しくお願い致します」