16話 竜の名
海に向かう道中のある夜、俺が火の番をしていると、珍しくリードが火の側に来た。リードと会うのは一週間ぶりだった。会ったと言っても、たいした話はしなかった。
リードは以前見た黒い皮の鎧を着て、火の向こう側に立った。俺は石に腰掛けたまま彼の姿を見上げた。
リードは俺の懐の辺りを見た。気付いたらしい。俺は竜を飼っている。飼っているというのは正しくない。竜と友達だし話ができる。小さい雛だった竜の子供は、今はだいぶ大きくなっていた。竜は姿を変える能力がある。普段は小鳥の様な大きさだけど、実は既に馬よりも大きい。空を自由に飛ぶ雌の竜。
「あっ、これ…鳥を飼ってるんです。駄目ですか?」
「いや、動物を可愛がるのは構わない」
交わしたのはその言葉だけだった。リードは自分の懐から細い葉巻を出し、焚き火の枝を取って火を点けた。煙が流れてくる。
「あっ!ちょっと!リード。子どもの前で葉巻はいけません!」
リードの存在に気付いたミストが天幕から出て来た。
「試しただけだ」
「その手はこの子には効かないでしょ。解ってるんじゃないのかな?」
「確かに。無駄でした」
何のことだかさっぱり解らない会話だった。
後でミストに聞いたら、リード特有の自分の姿を誤魔化す魔術だったらしい。
海に出るまで毎日、竜を元の大きさ、つまり馬より大きい体に戻す時間を作って、自由に飛ばしてやったり、背中に乗ったりして空を飛び回っていた。
海に出るとミストは大はしゃぎだった。リードは浜辺で黙って俺たちを見守っているようだった。
「凄い!水だらけ」
「海、見たこと無いの?」
「湖ならあるんですけど。これって何処まで水があるんですか?」
「遠くまでだよ」
「だって向こう岸がみえない」
「だから、ずーっと海なの」
後ろからクスクスと笑う声が聞こえた。それまでリードの笑い声なんて一度も聞いたことが無かった。初めて聞いたリードの笑い声は信じられないくらい可愛らしいものだった。
船に乗ってからは、ミストが船宵いで大変だった。俺も船は初めてだったけど、すぐに慣れた。とにかく、ミストには船から身を乗り出して海面を覗き込まないようにって何度も言った。
ミストが船の生活に大分慣れた頃、晴れた昼間だった。甲板に立ち、緑色の瞳を輝かせながら海を見るミストが、うっとりした声で隣に立っている俺に言う。
「綺麗ですね。こう…なんて言うか、波に光が反射して、でも夜はまだ怖いかな」
「ミストさ、夜は寝さっさとねちゃえばいいんだよ」
「ですねぇ」
なんでもない会話だけどミストが言い表せない程感動しているのがよく分った。
「でもさあ、ずーっと船に乗ってると海しか見えなくて退屈だな」
「そうですか?私は幾ら見ても飽きないけど」
そう言いながら波を見つめるミストの瞳に海がどう映っているのかは俺には想像も出来ないけど、とにかく機嫌が良かった。
俺はというと、これからどんな所へ行くのかという事ばかりが気になった。知らない国。言葉は通じないだろう。ミストとリードが俺に聞かれたくない相談を異国の言葉で交わすのを何度も聞いたし、ミストから少しその言葉を教えてもらっていたので、所々理解できるようにはなっていたけど、考え方とかお金の価値とかちゃんと付いていけるのかな?覚えられるのだろうか?今までは殆どミストと二人きりで過ごしてきたから問題なかったけど。ミストは一緒にいてくれるのかな?いざとなったら竜に乗って何時でも故郷に帰れるのが唯一の救いだった。
船内の狭い個室の中で異国の言葉が交わされていた。
「だからって、このままっていうのは困ります」
「何故?」
「あなたは戦いに出て、私を放っておけば良いかもしれない。でも、私だって何かできるでしょ?」
「ですから、ナギの面倒を見ていれば良い」
「ナギは直に成長します。今のままで行けばあっという間に自立するでしょう。そうなった時、私は?また、貴方をただ待っているだけですか?私は女性ではないです。いまどきは女性だって戦士になっている人も居ると聞きます。それに万が一、貴方が戦に倒れたとき、私は何も知らされずに帰ってこない貴方を待ち続けるんですか?」
「あなたなら魔術でそのくらいの事は分るでしょう」
「わかったとしても、それから?どうやって生きろと言うんですか?」
「わたしの財産で問題はない」
「そんな事を言っている訳ではないでしょう?何か仕事があればそれに生きがいを見つけることも出来ます。でも、何も無かったら、貴方の為に働けなかった事や貴方を守れなかった事を悔やみ、泣いて暮らすんですか?」
「ガレット…どうやら、わたしは自分の事しか考えて居なかったようですね。解りました」
「じゃあ、これからは戦場に連れて行って貰えますね」
「それは…」
「どうなんですか」
「あなたには…戦いは似合いません」
「そんな!」
「暫く考えさせて下さい。王宮に着くまでにはなんとかしますから」
「おねがいしましたよ」
「あの小さかったガレットがここまで言うようになるとは思いませんでした」
波の音、小さな明かり。ゆりかごの様に揺れる船の中。俺は異国の言葉の意味も分からず2人の会話を子守唄のように聞きながら、眠りにおちて行った。
北へ向かうほど気温が下がる。新しい大地に着くまで、少しずつ体が寒さに慣れていく。
俺が足を踏み入れた大陸は、俺が育った島より寒い。船が離れていく。活気のある漁村。見ると人々は金色や茶色の髪が多く、たまに、俺と似た灰色っぽい髪の色をした人も居た。俺の髪はもう少し色が薄くて、銀色っぽい。俺と同じ銀色の瞳はあまりいないらしかった。ミストがいうには、俺の母親あたりが此処よりも、もっと北の方の人ではないかということだったが、飲んだくれの父親の事以外には何も知らなかったし、自分の歳が本当は何歳なのかもよく知らない。飲んだくれの父親とはまともな話もしたことが無かったからだ。
俺の故郷では黒い髪の人が殆どで、そういう意味ではリードが一番目立たないはずだったけど今は逆だ。この国には黒髪の人が見当たらなかった。だから俺やミストの方が目立たない。
リードは船を下りるとすぐに姿を消した。
「寒くないですか?」
リードが立ち去ったのを見送ると、ミストはすぐ俺に声をかけた。
「うん。ちょっとだけ」
「暖かい服を買い足しましょうね」
「うん」
「あそこにある店で暖かいものでも食べましょうか」
「食べる!」
知らない土地に来た不安の中、ミストの心遣いが嬉しくてそれだけでも心が温まる思いだった。
それから暫くは徒歩で移動した。
人里を離れた崖の上で久しぶりに竜を自由に飛ばした。ミストには竜が言葉を使える事も、俺が乗って飛んでいる事も話してあった。
海が見える崖のの上で竜のヴェルダが言い出した。
「このずっと先に湖がある」
「行ってみる?」
「人の足では追いつけないから、ナギの連れも乗せて上げてもいいわよ」
「だってミストは乗ったこと無いんだから、落ちないかな」
「ゆっくり飛ぶから心配しないで」
「本当?じゃあ呼んでくる」
ミストは何度かヴェルダを見てはいるが、紹介するのは初めてだった。
ミストはヴェルダを見て微笑んだ後、彼女の周りを遠回りにゆっくり一周した。正面に向き直りお辞儀をする。
「はじめまして、私はミストと言います」
「おい。ヴェルダ?挨拶しろよ?俺の先生なんだぞ」
「そうしたいけど無理よ」
「なんで?」
「だってこの人には聞こえないもの」
「え?」
「私の声って聞こえる人にしか聞こえないの」
「…えっと。ミスト?何も聞こえない?」
「はい?」
「分ったでしょ。そういう事」
「この子、ヴェルダっていう名前で、女の子だ。まだ大人じゃないけどもう自分で狩も出来るし結構飛べる。で、これから少し彼女の背中に乗ってみない?」
「いいのですか?」
「うん。彼女がいいって。湖に行くから一緒に乗る?」
「ええ、ぜひ」
緑の瞳が煌めく。ミストはほんとに生き生きしていて心が綺麗な人だ。
ミストが竜の背に昇った。俺は前に乗る。
「飛ぶから俺にしっかり捉まって」
「はい」
「いいかしら?」
「ああ。いいぜ」
羽ばたき舞い上がるヴェルダの頭のふさふさの毛が太陽の光に白く輝き、風になびく。空に弧を描き頭の向きを変える。
「ミスト大丈夫?」
「はい」
ミストはやっと答えた風だった。ヴェルダはミストを落とさないように注意深くゆっくり空を進む。俺だけが乗ってるときは多少乱暴に飛んでも大丈夫だから今は彼女も相当気を使ってるのだろう。
「高いですね」
少し慣れたのかミストが話した。
「ヴェルダにしちゃ低く飛んでるみたいだけど、ミストは竜に乗って飛んだ事ないからそう思のも仕方ないか」
「気持ち良い」
「これで高いですって?地を這う者って不便そうね」
俺は今までヴェルダと話をする時に自分の声を発していたからヴェルダは人間の言葉は聞いてわかる。ただ、俺が知らなかったのは彼女の言葉は普通の人間には聞こえないらしいという事だった。
いまミストとヴェルダが直接話せたら、どんな会話になるんだろう。
しばらく飛んで湖に着いた。
ヴェルダは羽根を休めている。
「ここって…」
「ん?」
「以前住んでいた所です」
「そうなんだ」
「なんか…ちょっと前まで住んでいたのに懐かしい気がします」
その言葉が終わったと同時だった。突然、陽射しが遮られた。空には暗雲が集まり、湖の中が波打つ。
嵐?違う。湖の中とその上空だけだ。
ジャバジャバと波が逆立って、太い緑色の柱がうねりながら伸びる。それもちょっと違う。生き物だ。相当大きい。
「我を起こすのは誰か」
上のほうから太く大きな声が聞こえた。高さはとにかく高い。多分それでも全身が見えたという事でも無いだろう。ミストがこの緑色の柱みたいなのを生き物だと察知して
「ナギ!下がって」
と俺を庇いながら言った
「いや。こいつは…。ミスト、今、彼の言葉聞こえた?」
「鳴声なら」
「竜だね」
「…これは…」
後ろから聞き覚えのある声がした。
「リード、竜らしいですが、どうします?」
ミストがリードを頼りにしているのは知ってる。でも…。はっきりと態度には出さないが、リードは少し戸惑っている気がする。俺の感が間違ってないなら、リードも竜と話せないんだろう。
「リードこの竜は俺に任せて」
リードが何時どうやって来たのかなんて考える余裕も無かった。どう話せばこの大きな竜を納得させられるか、しか考えていない。俺はヴェルダと付き合いがあるから竜は難しい気質だという事を知っていた。気に入った者にしか友好的じゃない。ヴェルダに竜は皆そうなのかと聞いた事がある。彼女の答えでは竜は基本的には皆、自由が好きで気まぐれらしかった。俺はふたりに後ろへ下がるように手で合図して、竜の方へゆっくり進み話しかけた。
「俺はナギ、この中であんたと話せるのは俺だけだ」
「こわっぱめ。我の安らぎを壊したのはお前だな。そなたたちまとめて壊してやる」
だめだ。こいつ今機嫌が悪そうだ。話しにならない。戦うしかないのだ。
「ヴぇルダ、この竜の頭の方まで行きたい」
「任せて」
ヴェルダは快く俺の前に来てくれた。俺は急いでヴェルダに乗った。ヴェルダはゆっくり羽ばたき宙に浮かび、リード達から少し離れてから勢いを付けて急上昇する。俺は緑色の竜の頭に角があるのが見える位置までヴェルダに飛んでもらって緑色の竜の全体像を確認して、頭も体も鱗が多い緑の竜の頭に飛び乗った。ヴェルダは殆どが毛で覆われているから乗りやすいし、毛をつかめば落ちにくいが、この竜は偉く足元が滑る。それでとっさに角に捉まった。
実際に触ると、その竜の考えが頭の中に直に伝わって来た
-------------------------------------------------------------------------------------
「リード?」
私はナギが緑色の竜に飛び乗ったのを見上げながら、横にいるリードにこの緑色の生き物が何者なのか、自分は何をしたらいいのか聞きたかったがリードの黒い瞳は緑色の生き物を見つめている。敵を前にするといつもは凛としていて、戦意からか口の端が上がる彼にしては珍しく、心配そうにナギの方を見ている。その様子から彼にもよくわからないのだと察した。
この緑色の鱗だらけの、蛇の大きな生き物は何処から来たと言うのか。私は子供のころから少し前までこの湖の近くに住んでいたというのにリードからこんな竜が住んでいるという話を聞かされたことがないし、近くの村で噂すら聞いたこともない。
これもナギの能力のなせる業なんだろうか?彼が無意識に緑色の竜を呼び起こしたのだろうか?
私は高く舞い上がるヴェルダの姿を見ながらナギの事が心配でたまらなかった。
高すぎてよく見えない。雲と複数の小さな雷、水しぶき。もう少し明るければ。
リードは口を閉じ、ただ、静かに見守っている。彼にはナギの様子が見えるのだろうか?
ヴェルダが緑色の竜から少しはなれた所を飛び回っている。
--------------------------------------------------------------------------------------
考えないで感じる事。それだけが俺がこの竜と戦う方法だと、何故か俺には確信があった。この竜は俺が頭に乗ったのを怒ってい暴れている。振り回されながら、振動に耐えて、この竜の欠点を感じる努力を続けた。あし?いや手か?この竜は手に何かをにぎっている…あれに触れば何か変わるはず。
頭の角から手を放した。下へ滑り降りる。竜はここぞとばかり体を捻り俺を落とそうとした、でも、それも読めてる。竜の考えが感覚として俺に伝わって来ていたからだ。
この生き物の考えは全て感じる。動きも、全部一瞬ずつ手前に伝わってくる。あとは体を旨くあわせていけば良い。滑り台を滑るように右へ左へと加速しながら滑らかな鱗を滑っていく。近い。小刀を刺して滑る速度を落とした。竜が感じている針を刺されたような傷みが伝わってくる。俺が小刀を刺した痛みだ。でも、ここで止める訳にはいかない。
あれだ!透明に近い水色の玉、あれに触れば。
ようやく竜の腕に飛び乗りまたがり、そこから落ちないように三本指の手に思い切って飛び掛る。
「小僧!」
竜の焦り具合を見て弱点に近づけたらしいとはっきりわかった。落ちても平気だ。下にヴェルダが居る。ヴェルダが上手く受け止めてくれるだろう。
緑色の竜の指は節々に爪がある。掴まって前へそして、長剣を抜き、剣先で大きな玉に触れようと体をめいっぱい伸ばした。剣先が青味がかった透明な玉に届いた。とたんに竜は縦に空へ昇り、頭の向きを下方へ向け、踊るように回転しながら湖へと戻ろうと下降する。耳に風が入ってくる。落ちる!そう思った時に視界にヴェルダの姿が映った。受け止めようと俺の方へ向かっている。
ドバーンという水の音。ヴェルダの背の上から見下ろすと大きな水飛沫。黒雲が薄くなり薄い日射しが戻ってくる。ヴェルダが幾らか興奮したのか勝ち誇ったように火炎を吐く。
地上に降りると静まった湖面に髭の生えた長い鼻、その向うにでかい目、頭からは角が生えた竜の顔があった。
「気に入ったぞ、そなたの名はナギであったな。いつでも呼べ。そなたに加勢してやろう。我が名はシャオロン」
俺の何が気に入ったのかは知らないが、緑色の竜は機嫌よくなっていた。
「しゃおろん…何が出来るの?」
「水、風、雷。我が力。使役するがいい」
緑色の竜がゆっくりと湖に沈んでいった。
「ナギ、大丈夫ですか?」
「あっ、はい。ミストは?それにリード…さんも」
ミストは自分のシャツを脱いで俺の頭をせっせと拭きながら心配そうに俺に怪我がないか体を見回し、話してきた。
「私たちは大丈夫、ちょっと濡れたけど。近くに城があります。あなたもずぶぬれですね。温まりましょう」
ミストは心配のあまりか、俺の頭をせっせと拭きながら言ったけど、近くに乾かせる場所があるなら、ずぶ濡れの俺の頭だけ拭いても意味がない。きっとそんな事を考える余裕もないほど俺を心配してくれたんだな、と俺はちょっと嬉しいのと申し訳なさで、どうしたらいいか分からなかった。
リードが
「ミスト。彼は怪我もしてませんし、落ち着いて」
と言った。リードは冷静さを取り戻すのが早かった。俺はリードが今までどんな危険をかいくぐって生きて来たのかとちょっと考えた。でも、俺にはリードが強い理由も、どんな生き方をしてきたのかも想像がつかなかった。
すぐ近くにお城があった。誰も手を触れなかったのに扉が開く。蝋燭の火が一つ、また一つと奥へとむかって灯る。魔法の力。多分、俺達の一番前に居るミストの魔術かな?リードは少し離れて後ろから着いてきた。
ミストが暖炉を指さすだけで暖炉に火が灯り、何か言葉を唱えたら風呂に湯が沸いた。これが彼らが言っていた魔術というものなのだろうと俺ははっきり思った。ミストに奨められ最初に風呂に入った。
俺はリードに聞きたいことがあった。でも、リードが答えてくれるのか?
全員が風呂を終え食卓に付いた。
「あの、質問してもいいですか?」
リードと話すのは少し緊張する。で、俺は緊張のあまり丁寧な言葉でリードに質問をした。
俺が緊張しているのに気付いたのかリードがゆっくりやさしげに頷いた。
「これから何処に行くんですか?」
「王都」
リードの言葉は短いが、柔らかな声で答えてくれている
「そこって言葉通じますか?」
「わたしの感じる限りでは、おまえの力で出来ることだ」
「どういう意味ですか」
「竜の心を読むのと同じ事だろうな」
驚いて声を上げたのはミストだった。
「え?心が読めるんですか?ナギ」
「うん。俺は気が付かなかったけど竜が話せるんじゃ無くて、俺がわかるらしいんだ。俺、この国に適応できるの?」
リードは、俺の緊張が解けないのを見て、クスリと笑った。馬鹿にしたというよりも、なんとなく親しみを感じてくれたっていう雰囲気の笑顔だった。
「全てはその力で学べる。他には?」
「それで、俺には何をしろと?」
「暫くはお前の好きにするといい」
もう聞くことがなくなってしまった。何でも即答だった。
相変わらず無愛想な感じがのこっているリード、でも今回は少しだけ今までより打ち解けた風に感じた。ミストには優しそうなのに。あれ?リードって、ひょっとして人見知りするとか?なのか?まあ、そんなのはそのうちわかるかな?俺はミストが近くに居てくれればれば満足だ。そのためにこの国に上手く順応できればいいと思っただけだから。
その数日後、王都という所に到着した。俺はその賑やかさに驚いた。俺としては、少し前まで下品な酒場で働いていたので人を見て驚く事は無かった。でも、それにしても、広くて明るくて立派な街だった。沢山の商店、街を歩く人達は明い笑顔で買い物をしいて、広場には色んな出店があって、子供も遊んでいたりして、店の売り子をしてる女も明るい感じがした。この町に比べたら俺が居た村なんて閑散としたものだった。
しばらくの間はこの国に慣れるようにと、ミストが一緒にいてくれた。
ある夜、宿屋の部屋でミストと話をしていた。
「ここって、色んな物が売ってて凄く賑やかだね」
「ですよね。私も最初はお祭りかと思ったぐらいですから」
「リード…さんは?」
俺はまだ、リードとの人間関係の距離感がちょっと遠い感じがして、ついリードにはさん付けをしていた。
「また王宮でしょうね」
「あの人ってどうしてあんなに愛想が無いのかな」
「そんなこと無いんですよ」
「だよな。俺には厳しくておっかないけど」
「似てるんでしょうね」
「だれが?」
「あなたとリードがです」
「似てないよ」
「例えば、あの人は、人にあまりお世辞とか、飾りたてた綺麗事を言わないんです。ナギもそういう所があるでしょ?私は知らないけど、きっとナギと似たような生い立ちなんじゃないかな?現実的っていうか。大人の汚い所をよく知ってる。だから変に人に期待させない。それが彼の優しさなんじゃないかな?」
「ミストは?どうなの?」
「私?うーん。どうかな?」
「俺はいいと思うけど、人に希望を持たせるって大事な事だと思うよ」
「だと、いいんですけどね」
「すごく良いと思うよ。だって俺はそれで癒されたなって思うぜ。俺は少し前まで、自分で自分の事はなんとかしたし、人がどうなるかなんて考えてなかったけど、とにかく、ミストにあって人を信じるってのが出来た」
「ナギにそう言って貰えるとうれしいな。ナギは強い子ですね」
「そうなのかなあ。ただ生きるのに精一杯だった。ていうだけだと思うけど、でもミストと出会って思ったんだ。人に優しくしたり、きっと良いことがあるよって言ってやると元気が出る事もあるなって」
「ありがとう。ナギは強いんですね。偉いよ。強いついでに、私の我儘を聞いて欲しいんですが」
「ん?なに?」
「リードに言われたんですけど、暫く王宮に通うと思うんです」
「俺は1人で留守番か…」
「出来ます?」
「食事は?どうするの?」
「ちゃんと作って置きますから。夕方帰ってくれば出かけてもいいし」
「そうだな、いいけど。ミストこそ夜帰って来なかったら怒るよ」
「はい。門限は夕方6時でお願いします」
「まあ。いいか。ミストも6時に帰ってくる?6時までに帰ってこなかったらすごく怒るぞ」
「はい」
「ところで王宮に何しに行くの?」
「勉強しに」
「あなたが?俺じゃなくて?変なの…」
次の日からミストは王宮と宿を忙しく往復した。俺は街をうろうろして過ごした。
言葉はなんとなく聞き取る事が出来た。出来るだけ同年代か年下の子供を探して遊んだ。子供は言葉を覚えるのに都合が良かった。身振りと片言でなんとか通じる。子供って隠し事が少ないからこの国のことや街のこと色々教えてくれる。
そうしていくうちに、少しずつ生活の会話に差し障り無くなった。
それ以外の時間は、人の来ない所を探し、ヴェルダに乗って狩に出たりした。彼女との時間は俺にとって最高の気晴らしだった。
リードはたまに宿に現れたけど俺に話しかけることはなく、ミストと話をしていた。
俺は最近、リードって人はミストとあまり真剣に話していない事が多いと思う。どちらかというとミストと一緒に過ごして会話を楽しむという雰囲気で、ミストと話して癒されてる感じがする。
俺のときと同じで、ミストが沢山話しているのだからリードが自分の話をするのが好きでないのは多分誤解じゃないと思う。
リードが来るとミストは楽しそうに甲斐甲斐しく彼の世話を始める。以外だったのはリードが薄紫とか淡い色のローブなんかを着ている事だった。リードが来たときのミストの喜び様を見ると、俺としてはちょっと焼もちをやきたくなる。まあ、普段はミストを独り占めしている俺の贅沢な考えだけどね。
ある日の夜。ミストが俺に大事な話があると言う。
「ミスト大事な話って何?」
「戦に出ます」
「あなたが?それって危ないし、向いてないよ」
「私は戦いません。状況を見て作戦を立てたりするだけです」
「一緒に行ってはいけないの?」
「心配しなくても、ちゃんと帰ってきますから」
「分った」
そうは言ったけど、大人しく待つ気は無かった。ヴェルダに乗ればこっそり後を付けられる。そう考えた。
ミストがいる大軍は王都を出て結構距離を移動してどこだかの城へ向かった。石造りの城壁。どうやら戦いの準備をしているらしかった。俺はヴェルダに乗れば空から見ることが出来るので、戦う相手の軍を見に行った。
見てきたことを伝えたかったが、ミストに見つかると怒られるのでリードを待った。
リードは鉄の鎖帷子と黒いマントを身に付け、馬に乗って辺りを視察していた。
リードが城から離れた所でヴぇルダに降下してもらった。
「投石機か。彼の読みは確実だったという事だな」
石を準備していると聞いたリードが独り言のように答える。
「馬が50頭位に、後は歩く兵士だと思うけど。弓矢もあったと思う」
「便利だ」
「え?」
「お前の事だ。報酬は欲しいか?」
「くれるなら貰うけど」
「何が欲しい」
「なんでもいいの?それなら」
「なんだ」
「ミストの安全」
「…」
一瞬、リードの形が良い眉の端が動いた。
「ミストを無事に返して」
「それで?お前は戦う気が有るか?」
「俺はどっちでもいいけど。ミストの為なら何でもする」
「慕っているとは思ったが、そこまでとは…」
「どうすればいい?」
「言っておこう。お前が竜に乗り戦えば、いずれ、嫌でも英雄にさせられる。わたしの言う事がわかるか?」
「なんとなくだけど」
「戦うか否かはお前次第だ、それはそれとして。一つ忠告する」
「なに…」
「ミストの為に何でもする、などと二度と言うな」
「どうして?」
「あれの弱点になりたいか?」
「…つまり。俺が戦うなら、ミストを大切に思ってるって言ったらミストが誰かに狙われたりする。って事だろ。それに、ミストも俺を隠した方が安全」
「…お前、馬鹿でなくて良かったな」
リードが唇の右端を少し上げてにやりと笑った。それって褒め言葉かよ?イマイチ嬉しくないぞ。しかもちょっと馬鹿にしたみたいなこっそりした笑い方。腹立つ。
「戦うなら弓矢を用意しろ。それなら上空から放てば良い。竜に乗っていれば姿を見られない」
「弓矢なんか買う金ないよ」
「ナギになら矢の100や200程度、何とか調達出来る。器用だからな。弓と防具は適当に見繕って後程持って来よう」
「解った。俺との約束、絶対守れよ!」
俺は矢を調達する為に忙しくなるのでさっさとヴェルダに乗り、リードの頭上から言い放って森へ移動した。
俺は悩んだ末ヴェルダに相談した。
「矢?」
「そう。まさか枝を集めて作ってたらどう考えたって間に合わないだろ?」
「100位ならすぐだわ」
「どうするの?」
「簡単よ。敵の武器を持ってくればいいの」
「どうやって?」
「普通に」
ちょっと頂けないやり方だと思ったけど他に無かった。俺は槍を取りに湖のある城へ行き、少しだけシャオロンと話をした。
「ってわけで、協力してもらえないかな?」
「つまらぬが、そなたの頼みとあらばやってやろう」
「わるいね、頼むよ。今回は泥棒だから。ヴェルダを人に見られたくないんだ」
「承知した」
時々湖に来てシャオロンと話をしておいてよかった。彼は俺の話を面白いと言ってよく聞いてくれるし、彼の事も少し解った。彼は住んでいた湖が狭くなったので雨を利用して海を超え飛んで来たらしい。シャオロンが住んでいた国はここよりももっと南東ったらしい。海にも竜族は居るのだとか。シャオロンは塩水では長くは生きられないらしい。
作戦を決行した。シャオロンが巻き起こす大雨と雷の中、ミストの敵方の陣営に空からヴェルダに乗って向かう。
あっという間にヴェルダが矢を一掴みして飛び去ったそれだけで終わった。実際は100本も無い。必要ないと思う。ヴェルダの背に乗せるとしてもせいぜい30~50本程度だろう。攻撃力というならシャオロンやヴェルダの方が勝っている。だからってシャオロンに頼りすぎるのも控えたかったし、年若いヴェルダに無理をさせるつもりも無かった。それでも、いざとなったら竜に頼めば何とかなる。
リードから弓と防具を渡された。リードが今回は国の境目にある城壁を守る為の戦いだと言った。戦の後には城壁から国の真ん中近くまで路を作る予定なのだとか。それがどういった効果があるのかなんて俺にはどうでも良かった。多分、リードもその口ぶりから今はどうでも良いのだろうと思う。今、俺とリードの頭にあるのは戦いの事だけだ。
リードに言われたのは、間違っても味方に攻撃しない事と出来るだけ俺が自分の姿を見られない様に、と言うこと位だった。
そして、戦は始まった。
シャオロンが風を送る中ヴェルダに乗って気が向いたときに矢を放った。戦場は初めてだったけど特に驚かなかった。上から見ると大した事も無く見える。
もともと負ける戦いでは無かったらしかった。ミストの姿が戦場に無かったので俺も真剣になる必要も無かった。
リードは味方の後方に居たが特に何もせず。殆ど見ているだけだったと思う。もしかしたら俺には分からない魔術とかを使っていたかも知れない。
そろそろ戦いも勝つだろうと思った所で、ヴェルダが一度だけ急降下して敵軍の真上で火を噴いた。兵士はただただ驚いていた。運の悪い奴は丸焼きにされたかもしれない。
俺もヴェルダの行動に驚いていたのでそこまで見ている余裕も無かった。
「おい、無茶するなよ」
「でも、そろそろ潮時でしょ?帰る前に何かしたかったから、こんなの無茶でもないし」
竜というのは気まぐれだからちょっと予想が付かない時がある。基本的に彼らは自由な生き物だ。もちろん気に入った人間のいう事を聞いてはくれるけど、だからって、決して支配されない。俺は彼らの奔放さが好きだ。
その後の俺とリードの関係はこの戦の時に決まったと言って良い。戦場では情報を交換し、戦う。殆どそれだけだった。戦場でミストと行動する事は無かった。ミストとはいつも安全な時だけ一緒にいた。
俺は王宮には出入りしなかった。この国の軍隊にも入らなかった。束縛の多そうな窮屈な生活なんて俺には向いてなかった。
戦うときはリードは仲間だった。
最初に忠告を受けた時は彼に自分の弱みを握られたと思っていたけど、リードも同じ弱点だと気付いた時には少しほっとした。それにリードという人は思っていたより弱点の多い人だ。それを隠したいから人前に出たがらない。どうしても人前に立たなければならない時は魔術や小道具で誤魔化すという手を使っているらしかった。俺もだんだんと竜の事も含めて秘密を持つようになったしまったので、彼とは違うやり方であまり人に住んでいる所を覚えられない様に気を使うようになっていた。
ミストが言った通り、もしかしたら俺はリードと何処か似た所があったのかもしれない。
人間は表で活躍する人と、裏で動く人間といるって事だ。