13話 審判会議前夜
裁判の日の前日の夜。グラウダ大臣の寝室の扉を叩く音がした。
「なんだ?」
「はい、ドルス・ジェルナー様より、美酒をお届けする様、申し使った者で御座います」
ドルス・ジェルナー。兼ねてより、グラウダの権勢の恩恵に預かろうと、何かと貢ぎ物をしてくる政治家の一人だ。
グラウダはニヤリと笑った。この時間にグラウダの元へ、若い男に美酒を運ばせる意味は一つしかない。
「入れ」
「はい、失礼します」
白く薄い生地の夜着を纏った若者がグラウダの寝室へ入って来た。若者は美酒の瓶とグラスが乗った盆をテーブルの上に置き、グラウダに深々とお辞儀をする。
(ほう、これはまた、黒髪の美しい青年とは、希な贈り物だ。ジェルナーめ、どこからこんな美形を手に入れたのか)
そう思いながら、グラウダは青年にグラスに美酒を注ぐ様にと申しつけ、その優艶なる姿に眺め入った。
グラスに酒を注ぐうら若き青年は、黒く長い艶やかな髪を腰まで下ろし、肌が透ける白い夜着の下は細くしなやかな体つきで、肌はあまり白くはないが肌理細かく、なにより瞳は美しく輝く黒曜石のようだとグラウダは満足の笑みを浮かべ、椅子に深々と腰を落とした。
青年がグラスを手に取り、グラウダの方へと歩いてくる。その顔を更によく観察すると、これほどの美形はそう見たことが無い。
「どうぞ」
グラスを差し出す青年の体からは、甘い芳香がする。
グラウダは思わず青年の腕をグイと引き寄せた。
グラスを落とした青年は、慌てたように「あっ」と声を出す。
「声も良い、そなた、今宵の勤め、分かっておるか?」
「わたくしは、美酒をお届けするよう申し使っただけで…」
青年が言い淀むと、グラウダは青年の顎に手を掛けた。
「今宵の美酒とは、お前の事よ」
「…グラウダさま?」
訳が分からず、困惑した表情の青年がグラウダから離れようと少し体を引くのを、肩を強く引き寄せたグラウダが無理に口付けた。すると、その瞬間、何故かグラウダは自分の体がグラリと揺れるような感覚を覚えた。
次の瞬間、スルリと青年の体がグラウダから離れた。
「グラウダ様、過ぎたお遊びは身を滅ぼします」
言葉使いこそは変わらぬものの、先程のしずしずとした所作と頼りなげな様子を一変させ、不敵にニヤリと笑う青年に、グラウダは何か言おうとしたが、何故か口が利けない。それどころか指の一本も動かないではないか。
「わたしの事をご存じ無いようですね。確かに、この王宮で人目に付かぬ様にしておりましたが、敵の姿も知らぬとは随分と油断されていらっしゃる。申し遅れました。わたしの名はリードと申します」
グラウダは驚いて目を大きく見開いたが、その姿に見覚えは全くなかった。セゥルド王子の魔術の教師リード。名は知っては居たが、その姿をハッキリと覚えている者は居ないと噂では聞いていた。
しかし、セゥルド王子付き魔術の教師リードは、セゥルド王子を逃がした犯人として捕らえさせた筈、何故捕えさせた筈の教師が此所にいるのかとグラウダは思いを巡らせた。
「さて、あなたが動けない理由の説明をしてさしあげましょう。あなたは今、わたしから、魂の一部を取られています。ご存じないでしょうが、この世の中に、魂を奪う魔術などというものはありません。わたしは人外の者です。まあ、この話は置いておきましょう。所詮、聞いたとて、明日には覚えておられぬ事。それよりグラウダ殿、明日の審判会議に発言をして頂きたいと思いまして、嘘の証言ではなく、あなたの胸の奥にある真実をお話下さい」
そんな事をする筈がないではないかと心の中で反論するグラウダに対しリードは答えた。
「いいえ、残念ながら、魂の一部を取られた者は嫌でもわたしに逆らえないのですよ」
グラウダの頭は突然訪れた窮地に激しく回転した。何故この男が自分の考えが解るのかと訝しみ、人外の者であると聞かされて納得をしながらも、目の前に居る得体のしれぬ魔物に自分が何をされるかわからない恐怖を抱いたのを、またもリードに言い当てられる。
「そんなに脅えなくても大丈夫です。命を全て頂こうという訳ではありません。もっとも、イスル王子を殺害を案じた張本人があなたとなれば処刑されるでしょうけれどね。さてと、明日は忙しいでしょう?ごゆっくりお休み下さい」
そう言い終わると、リードはパチンと指を鳴らした。それと同時にグラウダは意思を失いフラフラと豪奢なベッドへ行き、ぱたりと倒れ、深い眠りに落ちた。